怪人クワガター
「シザースグレーさん? ちゃんと聞いてますか?」
「あ! すいません!」
窓の外をおぼろげに眺めていたシザースグレーは先生に注意されてしまった。しかし、それは仕方のないことだ。だって先生の話がつまらなすぎるんだもん。
先生はあきれたように溜息をつくと、腕を胸の前で組んでから言った。
「魔法少女だからってお勉強をしなくていいわけではないんですよ?」
先生の言葉に、クラスのみんながアハハと笑った。
「ハハ……すいません……」
シザースグレーは頭を掻きながら謝り、椅子に座り直した。
「うりうり。シザースグレーってば悪い子だねえ」
隣の席の友人が、彼女を肘でつついた。
「えへへ。怒られちゃった」
その時、シザースグレーの頭の中にロックブラックからの通信が送られてきた。
(シザースグレー! 怪人来てるんだけど!)
その通信を聞いて、シザースグレーは勢い良く立ち上がった。机と椅子がガタン! と大きな音を立てたが、そんなことを気にしている場合じゃなかった。
「先生! トイレに行ってきます!」
そう言って、シザースグレーは走り出した。先生の返答など聞く気もない全力ダッシュだった。
シザースグレーの背中に向かって、先生が大きな声を出した。何やら必死な様子だ。怒っているのだろうか。
いや、そうではなかった。むしろ──。
「シザースグレーさん! 頑張ってね!」
──
シザースグレーが屋上まで階段を駆け上がると、そこにはロックブラックとペーパーホワイトの二人が既に到着していた。シザースグレーのことをを待ちかねている様子だった。
「遅いよ! シザースグレー!」
ロックブラックが頬を膨らませた。
「怪人が暴れ出してからじゃ遅いんだからね!」
ごもっともであった。
「ごめん! ちょっと叱られてた!」
そう言いながら、シザースグレーは自分のバッグを床に置いた。そのバッグは登校用のバッグだったが、中身は教科書でも宿題でもない。そのバッグの中には、なにやら黒い小動物が眠っていた。
「デビちゃん! 起きて!」
黒い小動物こと、デビちゃんを揺さぶると、デビちゃんは「んあ~」と言いながら伸びをした。
「え。なに?」
呑気にあくびをするデビちゃんを急かすように耳元で大声を出した。
「怪人が出たの! 早く武器を出して!」
「ぎゃあうるせぇ! 勘弁してくれ! 寝起きだぞ!」
デビちゃんは「寝起きから最悪だ……」と文句を垂れながらも、自らの喉に魔法をかけた。
そう、喉にだ。シザースグレーたちの武器は小さなデビちゃんの腹の中に収納されている。その武器を取り出すには、可哀想なことにデビちゃんが嘔吐の要領で武器を吐き出すしかないのだ。どうしてそのような不便極まりない仕様になったのかと言えば──分からない。伝統であるというしかなかった。
デビちゃんは「う、う」と言いながら苦しみだした。そして。
「う、う……おえええええ」
聞くに堪えない嗚咽を漏らしながら、デビちゃんは口から武器を吐き出した。
シザースグレー達は、デビちゃんの口から出てきた武器の先端を掴み、三人同時に勢いよく引き抜いた。
「ごえッ!? もっと優しくしてくれよ!」
シザースグレー達はデビちゃんの心からのクレームを完全に無視して、変身を始めた。
「「「変身!」」」
チャララララララ~ン!(素敵なBGM)
彼女たちの頭上に黒い天幕が三枚出現する。そして、彼女たちの体をそれぞれ包む。そして、数秒間後、黒い天幕を同時に翻し、魔法少女モノクロームの変身は完成する!
「お前らの変身シーンさァ。ちょっとおどろおどろしくねえか? もっと可愛い演出にしようぜ? 俺、そのくらいならできるぞ?」
デビちゃんの言葉に魔法少女モノクロームは口を揃えて反論した。
「「「カッコいいからこれでいいの!」」」
デビちゃんは首を掻きながら、「最近の女の子の趣味は分からねえなぁ」と呟いた。
「じゃあ二人とも、行こう!」
「よし!」
「はい」
シザースグレーが号令をかけて地面を蹴った。ロックブラックとペーパーホワイトは各々の返事をしながら、その後に続いた。
学校の屋上から民家の屋根へ飛び移り、次の屋根へと飛んで、忍者のように駆け抜けて、怪人の元へと急行した。
怪人がいたのは、住宅街の中に設けられた自然豊かな緑地だった。怪人は木漏れ日の中で切り株に腰掛け、コーヒーカップを片手に優雅なティータイムとしゃれ込んでいた。
シザースグレーは怪人の姿を見て考えた。何を考えていたのかというと、怪人の名前であった。
なぜ最初に考えるのが名前なんだ? ふざけているのか?
否、ふざけているわけではなかった。怪人に名前を付けることは、円滑な連携の為に必要なことなのだ。
シザースグレーはその類稀なるネーミングセンスを輝かせた。
「現れたな! 怪人クワガター!」
いや、そのまますぎない?
地面に着地したシザースグレーが叫ぶと、怪人はゆっくりと振り向いて「クワ?」と首を傾げた。
シザースグレーに続いて、左にロックブラック、右にペーパーホワイトが着地した。
そして、彼女らは目を閉じた。戦闘開始のルーティンを行うためだ。一つ息を吐いたロックブラックがルーティンを開始した。
「硬くて破る不染の黒! ロックブラック!」
「白くて包む寛容な白。ペーパーホワイト」
「鋭利で切れる選択の灰色! シザースグレー!」
それぞれの決めポーズをとった。
「私たち!」
そして、美しい合体ポーズ。
「「「魔法少女モノクローム!」」」
ババーン──は、まだ聞こえなかった。
魔法少女モノクロームこと、シザースグレー達の前口上を見ていた怪人クワガターは、ノコギリのような顎をガチガチと打ち鳴らした。
「クワガタクワクワ?」
怪人が何か喋っているが、シザースグレー達は怪人の言葉を理解できなかった。理解しようともしていなかった。それ故に、怪人の大きな顎の動きを威嚇行動とみなした。
「威嚇なんてしている暇があったらさっさとかかってくればいいものを!」
そう言いながら、特攻を仕掛けたのはロックブラックだった。
彼女の武器は、黒い石を纏った両手であった。その両手という鈍器で、とにかくぶん殴るのが彼女の戦闘スタイルだ。
「クワッ!?」
目を見開いて驚くクワガターの隙を突き、お腹に硬くて重い一撃を叩き込んだ。怪人は一瞬ひるんだが、その腹は堅い外骨格で覆われており、ダメージが通っていなかった。
怪人は突然殴られたことに怒り狂い、ロックブラックをその鋭い大顎で挟もうとした。
「クワァ!」
「ハサミなら負けない!」
そう言って飛び込んだのはシザースグレー。
彼女の武器は巨大なハサミだ。そのハサミを使って、ロックブラックに迫りくる鋭い大顎を受け止めた。
その隙にロックブラックは一度距離を取る。ロックブラックが距離を取ったのを見て、シザースグレーもハサミを閉じ、一度距離を取った。
「クワァ!」
怪人は大顎のハサミを何度もガチガチと打ち鳴らし、何か不満を訴えるかのように叫んでいた。
この行動は魔法少女たちにとって、確信のもてる威嚇行動だった。
「どうしよう。あれだけ硬いと、私の攻撃を通すには相当殴りまくらないとダメかも」
ロックブラックが自分の両手をさすりながら言った。
「大丈夫?」
「大丈夫。ちょっと痺れただけ」
ロックブラックは拳を構え直した。
「私があいつを殴り続けるから、その間に良い感じの答え出しといて!」
そう言ってロックブラックは地面を蹴った。猛スピードで怪人に接近し、石の拳を大きく振りかぶった。
「はあああ!」
ロックブラックが怪人の外骨格に渾身の一撃を打ち込むが、やはりその硬い外骨格には傷をつけられなかった。
「チッ!」
ロックブラックが戦っている間に、シザースグレーとペーパーホワイトは怪人を倒す方法について考え始めた。
「やっぱり柔らかいところを探すのが良いと思うんだ」
そう言うと、ペーパーホワイトも頷く。
「そうですね。以前出てきた蟹の怪人もそうして倒しました」
「うん。でもクワガタってどこが柔らかいんだろう。触ったことないから分からないよ」
シザースグレーの言葉に、ペーパーホワイトは地面を蹴り、飛び跳ねながら答えた。
「おそらく、背中。背中の羽があるとこが柔らかいのではないかと思います」
ペーパーホワイトが手を合わせ、擦り合わせた。すると、手の内に三十センチほどの一枚の折り紙が出現した。
ペーパーホワイトはその大きな折り紙を折り、一瞬のうちに人が乗れる大きさの紙飛行機を作った。
「羽?」
「はい。おそらく、あの怪人の背中にシザースグレーのハサミを突き刺せるくらいの隙間があると思います。私が怪人の視界を奪うので、その隙に」
そう言ってペーパーホワイトは紙飛行機を推進させ、ロックブラックの加勢に向かった。
「分かった!」
そう言って、シザースグレーも地面を蹴った。
まるでサーフィンでもしているかの如く飛行するペーパーホワイトは、怪人に接近して大量の紙吹雪を飛ばした。その紙吹雪は生きているかのように怪人に向かって飛んでいった。
「クワ!?」
そして、怪人の顔面に張り付いて視界を奪った。
「シザースグレー!」
ペーパーホワイトが叫ぶ。私は「任せて!」と言いながら怪人の背後に回った。怪人の背中を観察する。
(あった! 丁度私のハサミが突き刺せそうな隙間!)
ハサミを閉じたままで、背中の隙間めがけてハサミを突き刺した。
「はああ!」
手に突き刺さる感覚が伝わる。ずぶり、という音が聞こえた。すると、怪人の背中の隙間から体液が漏れ出してきた。
怪人の背中からハサミを抜き出し、距離を取った。ハサミから怪人の緑色の体液がどろどろと垂れていた。
「ク……ワ……」
怪人は前のめりに倒れ、そのまま絶命した。怪人の身体が塵となって消滅していく。
「やった!」
シザースグレー達は作戦が上手く遂行できたことに歓喜し抱きしめ合った。シザースグレーの身体には怪人の体液がベトベトと付着していたが、そんなことを気にはしていなかった。
「ペーパーホワイトが言ったとおりだったよ! もしかしてクワガタ飼ってたことあるの?」
ペーパーホワイトは顔を赤らめながら答えた。
「図鑑を見たことがあっただけです……」
照れるペーパーホワイトの頭を撫でた。
「偉いね! ペーパーホワイト!」
それを見たロックブラックが私に向けて頭を突き出す。
「ん!」
「あー!ごめんね!ロックブラックもよく頑張った!」
「えへへ……」
ひたすらに二人の頭を撫でた後、私は変身を解いた。
「じゃあ、帰ろっか!」
そう言って、魔法少女モノクロームは学校へ帰った。今日も私達は正義の名のもとに、敵を打ち滅ぼしたのだった。
──
魔法少女がいなくなった緑地にて、一人の魔人が、消滅していく怪人に触れた。そして、魔人の特殊な魔力を怪人の死体に流し込む。
すると、怪人の身体がみるみる再生していった。
「クワ?」
怪人はキョトンとした顔で起き上がる。そして目の前にいる魔人を見て、目を見開いた。
「クッ、クワ!」
怪人は頭を下げる。頭を下げられた魔人は、礼儀正しい反応に拒否を示しながら怪人に聞いた。
「かしこまらなくていい。それより、誰にやられたんだ?」
「ク、クワククッククワ!」
「そうか、魔法少女に……」
その魔人は静かに立ち上がると、指の先から染み出た雫を一滴、地面に垂らした。すると、地面に垂れた水滴はみるみる量を増やし、大きな水溜まりになった。
「この中に入れば、魔界に戻れる」
そう言うと、怪人は「クワッ!」と喜んでその水溜まりに飛び込んでいった。
「魔法少女……」
その魔人は冷ややかな声で静かに呟いた。その魔人の名前はレインと言った。
魔人レインだった。