第8話 氷の令嬢と、女の戦い(心理戦バトル編)
紅き薔薇の令嬢は笑う
氷の令嬢と、女の戦い(心理戦バトル編)
「はじめまして。アリシア=グラディール嬢。噂はかねがね」
彼女は微笑んでいた。完璧な髪型、張りのある白肌、深い紫のドレス。そこに立つ姿は、まさしく“女王”。
――エリザベート=リーベルハイム公爵令嬢。
王子の婚約候補にして、貴族社会での頂点を自他ともに認める存在。
そして何より、アリシア――いや中身おっさんにとっては、かつてプレイしていた乙女ゲームにおいて、全ルートで登場するチートキャラでもある。
(……うわあ来たよ。エリザ先輩……“正ヒロイン”。勝てるわけねぇだろこんなの)
だが――逃げられない。なぜならこれは、「第二王子妃・選定会議」。それぞれの婚約候補たちが一堂に集い、“ふさわしい者”を王族と貴族が見定める場だったのだ。
そして、開幕早々に行われた“お茶会パフォーマンス審査”で、最初に仕掛けてきたのは――もちろんエリザベート。
*
「どうぞ、お口に合うとよいのですけれど」
エリザベートが差し出したのは、白銀のティーポットから注がれるルイボスティーと、自家製のローズマカロン。
口に含んだ瞬間――華やかな薔薇の香りと、ほのかに漂うラベンダー。
その場の貴婦人たちが、うっとりと目を細める。
「なんて香り……これはまるで、宮廷の春……」
(やべぇ、女子力が濃縮されてる……)
対するアリシアの手札は……。
「えーと、こちらは“揚げじゃがとチーズの出汁風スコーン”ですの。少し温かいので、紅茶ではなく番茶を合わせて……」
会場が一瞬静まり返る。
「番茶……?」
「庶民の飲み物じゃありませんの?」
「まあまあ、ひと口だけ――」
――ザク、ホク、じゅわ。
「……っ!? なにこれ、うまっ」
「スコーンなのに、出汁……!?」
「なにかこう……こう……祖母の味……!」
(よし、ばあちゃんのレシピが刺さった!)
*
勝負は互角。エリザベートが高貴と技巧で攻めれば、アリシアは温もりと親しみで受け流す。
――だが、戦いはここからが本番だった。
「アリシア様は……ご兄弟はおられますの?」
エリザベートがそう問いかけた時、空気が微かに張り詰めた。
中身おっさんは、ゲーム設定だけでなく、自作の“家族エピソード”をでっち上げていたが、細かい整合性に自信がなかった。
「え、ええと、兄が一人……商会の仕事で帝都へ……」
「まあ。帝都といえば、リューディガー公が拠点をお持ちですわね。どちらに?」
「……き、きききき……貿易路のあたりですわ」
(あかん、あやしい。突っ込まれたら詰む)
エリザベートの微笑は変わらない。
「ご家族仲がよろしいのね。私? わたくしは三人兄弟ですの。末っ子のミヒャエルは、まだ七歳で、先日初めてわたくしの香水瓶を割ってしまいまして」
「それは災難でしたわね……」
「ええ。でも叱った後、泣きじゃくりながら“姉上の香りが好きだから!”なんて……かわいらしくて、もう……」
(なんだこの女神エピソード……男子全員落ちるやつだろ)
だがここで、アリシアも負けじと切り返す。
「そういえば……わたくし、小さいころに祖父に連れられて、下町の市場を見たことがございますの。あの喧騒、食材の香り……今でも、心に残っていますわ」
「まあ。まるで、庶民の気持ちを理解しているとでも?」
「ええ。人を導く者には、それが必要だと思いますわ。上から見下ろすだけでは、国は動きませんもの」
「……ふふ。興味深いお考え」
火花が散る。どちらも引かない。
*
会議の最後、王子ジークフリートが立ち上がる。
「どちらの意見にも、一理ある。だが、最終的に我が妃を選ぶのは私だ」
その目はアリシアを、そしてエリザベートを交互に見た。
「私は、未来の国にとって、最良の伴侶を選びたい。そのため、もう少し“私的な”時間を、それぞれと持たせてもらう」
(マジかよ!? 乙女ゲールート分岐イベント突入じゃん……)
そしてその夜――。
アリシアの部屋の扉を、ひとりの人物が叩いた。
「失礼。お茶、いただけるかしら?」
そこにいたのは、エリザベートだった。
*
「……私、貴女を甘く見ていたのかもしれませんわ」
「光栄ですわ。そちらこそ、完全無欠すぎてビビりましたの」
「……けれど、一つだけ理解できませんの。貴女は、なぜそんなに“王子”に興味がない顔をなさっているの?」
アリシアの手が、ぴたりと止まる。
(……バレたか)
「普通、あそこまで愛を向けられれば、もっと……浮かれるものですわ。なのに貴女は、“一歩引いた目”で見ている」
「それは――」
「まるで、人生を一周終えたような、達観したまなざし」
その言葉に、アリシア――いや中身のおっさんは、内心肝が冷える。
(こいつ……こいつ、鋭すぎる)
エリザベートは、紅茶を一口飲んだ後、静かに言った。
「貴女が何者であれ、私は貴女を敵と認めます。……でも、心から楽しいわ。この戦い」
「……それは、光栄ですわ」
(くそっ、完全に“ライバル”認定された……ッ!)
“女の戦い”は、まだ始まったばかり。
だが、その火蓋は――今、静かに切って落とされた。