第3話 策謀とおでんと、そしてその中指
紅き薔薇の令嬢は笑う
策謀とおでんと、そしてその中指
紅き薔薇商会が王都で一目置かれる存在になったのは、ここ一年のことだ。
移動屋台の成功。地方の物流改革。さらには庶民層を対象にした学び舎の設立。
貴族も庶民も、彼女の動きを無視できなくなっていた。
だからこそ、政治の世界にもその名が届いた。
「アリシア様にご相談があるとのことで……宰相閣下がお越しです」
執事ユージンの報告に、アリシアは思わずおでんを吹き出した。
「げほっ……ぅえ、ちょっと待って、なんであの“冷血宰相”がうちに!? あたし庶民派よ!? 貴族と縁切った女よ!? しかも今おでん中よ!? 大根が主役よ!?」
しかしその訴えは届かず、数分後――
「はじめまして。アリシア嬢。噂はかねがね」
銀縁の眼鏡をかけた細身の男、オスカー=フォン=ヴァルトハイム。王国宰相にして、実質的に政策の全権を握る“微笑みの策士”。
「失礼を承知で申しますが……あなたのような“自前の思想を持つ商人”は、この国の未来にとって厄介でもあり、貴重でもあります」
「……まあ、ありがたく受け取っておくわ。で? 今日は何のご用?」
アリシアは椅子に深く座る。視線は外さず、表情も変えない。中身はおっさん、その辺の政治家との腹の探り合いは何度も経験済みだ。
「単刀直入に申し上げましょう。……あなたを、王都商業院の理事に推薦したい」
「は?」
「もちろん表向きは推薦です。しかし実態は……王太子派との睨み合い。彼らは、あなたの商会を“庶民煽動の道具”として警戒している。我々は、あなたを“国家再編の旗印”と見ている」
「要するに……どっちにつくか、決めろってわけね」
「さすが、話が早い」
アリシアはふぅ、とため息をついた。
「――お断りよ」
「……ほう」
宰相の目がすっと細くなる。アリシアは平然と告げた。
「私がここまで来られたのは、“誰にも借りを作らなかった”からよ。下町のパン屋の手を取り、農村の子どもたちに教え、貴族の恩恵を避けてきた。私を見込んでくれるのは嬉しいけど……政治に担がれて、自分の信念を曲げる気はないわ」
「あなたがそう言うだろうとは、思っていました」
オスカーは静かに立ち上がった。
「けれど……中立を貫くには、力が必要です。いずれあなたも、自分の“後ろ盾”を選ばねばならない時が来るでしょう」
その日はあっさりと終わった。
しかし翌日から、紅き薔薇商会の取引先に「不自然な税務調査」や「出荷遅延」が相次いだ。
「やりやがったな、宰相のヤロウ……」
応接室でアリシアが呟く。中身おっさん、久々に荒ぶる。
「どうしますか? いっそ王太子派に恩を売るとか……」
「バカ言うんじゃないわよ、ユージン。政治に媚びる商人なんて商人じゃない。うちは庶民の味方、そして……このアリシア=グラディール様は――」
ずずっ、とおでんの出汁をすする。
「――おっさん魂で生きてんのよ!」
数日後。
アリシアは自ら、商会の学舎に足を運んだ。そこにいたのは、かつて彼女が拾い上げた貧民街の少年少女たち。今は若手職人や助手として活躍している。
「アリシアお姉さま!」
「今日、貴族街で新しい屋台やったんだよ! すっごい人が来てさ!」
彼女は子どもたちに笑って見せる。だが、その目の奥に炎が灯る。
(政治の駆け引きなんてくそくらえよ……)
(私は、目の前の人間に“旨いもん”と“働く場所”を届ける。それが――私の戦場だ)
そして次の王都評議会。
アリシアは自ら商業院に出席した。
「私は政治には与しません。が、庶民の暮らしを壊す法律や方針には、徹底して反対します。敵に回したくなければ――私にとっての“正義”を曲げさせないことね」
ざわめく議場の中、オスカー宰相は静かに目を細めた。
「やはり――面白い人だ」
その夜。
いつもの屋台裏でおでんを食べながら、アリシアはユージンにぼやいた。
「ったく……まさか“おでん片手に政争”する日が来るとはね……」
「しかし、さすがです。あの宰相も、一目置くはずです」
「ま、仕方ないわね……私、“悪役令嬢”ですから。――中身、おっさんだけど」
アリシアはそう言って、だし汁を豪快にすすった。
悪役令嬢でも、政敵がいようとも、信念は一つ。
「人の腹と心を温める商いをする」――それが、彼女の“戦い”なのだから。