第2話 紅き薔薇の令嬢は笑う
紅き薔薇の令嬢は笑う
――悪役令嬢アリシア、ただいま中身おっさん
王都ミストリアでは、年に一度の見本市が開かれる。この街に根を張る商会たちが技術と知恵と金を見せつける祭典であり、次代の王太子や貴族たちも顔を揃える一大イベントだ。
当然、彼女――いや、彼――もいた。
「ユージン、パンの焼き具合チェックしておいて。あと三番ブースの飾りが左右非対称になってたわよ。しっかりやり直して」
「相変わらず、おっさんじみた指示のキレ……いえ、貫禄です、アリシア様」
「おっさんで悪かったわね」
紅き薔薇商会の経営者、アリシア=フォン=グラディール。元貴族令嬢、現・市場の革命児。その鋭すぎる経営判断と親しみやすい庶民感覚(※おっさん由来)で、帝都での信頼は厚い。
「ふふ、今日もイベント日和ね。トラブルさえ起きなきゃ最高だけど……」
――などと言っていると、トラブルは起こる。
見本市の視察にやってきたのは、なんと現王太子となったかの“バカ王子”、エドワード殿下。そしてその傍らには、彼の婚約者となった――かつてのヒロイン、リリィ・シュヴァルツ嬢の姿。
「えええ!? あの二人、今日来るって聞いてないんだけど!?」
「どうする、アリシア様? 顔を出さない方が――」
「……いや。出るわよ」
背筋を伸ばして立ち上がるアリシア。金髪縦ロールの麗人の顔に、35歳サラリーマン由来の図太さがにじむ。
「どこの誰が来ようと、こちとら商人。客に媚びるつもりはないけど、堂々と接客する義務はあるわ」
「……あれは……アリシア?」
見本市中央広場。エドワード殿下の視線の先には、紅のブースの前に立つ、堂々とした若き女性経営者の姿があった。
あの昔、泣き叫び、嫉妬に燃えた悪役令嬢は、もういない。
「ずいぶん……変わったな。いや、あれが本当の彼女だったのか……?」
リリィがそっと微笑む。
「私は、彼女に何度も救われました。貴族の私たちが知らない世界を教えてくれた。庶民の暮らし、努力、そして……許すということ」
リリィの言葉に、エドワードは小さく息を吐いた。
そのとき、アリシアが一礼して彼らの前に立った。
「ようこそ、紅き薔薇商会へ。お目にかかれて光栄です、殿下」
完璧なビジネススマイル。そして、あの頃のような高飛車な口調ではなく、丁寧で落ち着いた語り口。
「あなたに見せたいものがあります」
アリシアは、案内人として王子とリリィを連れていく。その先には、野菜加工品の新技術、下町から拾い上げた職人のパン、そして小さな庶民向けの移動屋台の模型。
「これは……?」
「地方の村の人たちでも、食と仕事を届けられる仕組みです。貴族の保護でなく、商業の力で支える。私は……この国の“脇役”たちがもっと活躍できる舞台を作りたい」
言葉を失うエドワード。
それは、かつてのアリシアからは考えられない“志”だった。
そして――
「……正直、俺は君にひどいことをした。婚約破棄も、勝手に……」
「いいのよ、エドワード」
アリシアの微笑は、まるで年上の余裕ある姉のようだった。
「もう終わったことよ。今の私は、あの時の私じゃない。……“君の未来”より、私は“自分の未来”を選んだのよ」
見本市の夜。商人たちがワインを傾け、歓談する中――
「アリシア、ちょっと外してくる。例の投資家の件、連絡入れてくるから」
「任せたわ、ユージン」
彼が去った後、アリシアはテラスに出た。夜風が涼しくて気持ちいい。
ふと、誰かが隣に立った。
「今日は、かっこよかったよ。アリシア様」
「……リリィ」
ヒロインは、優しい笑顔で言った。
「本当はずっと、あなたに謝りたかった。あなたを“悪役”って決めつけてたのは、私も同じだったから」
「もう気にしてないわよ。私だって、あの頃は中身も外見もぐちゃぐちゃだったし」
――中身、おっさんですけど。
アリシアは心の中でだけ呟いた。だがリリィは気づいていない。目の前にいるのは、ただ強く、美しく、そして人間味ある女性。
「……また会えるといいな、アリシア様」
「ええ。次はお互い、もっと面白いこと語り合えるといいわね」
夜の王都の空に、見本市の打ち上げ花火が上がる。
その音に、アリシア=おっさんはぼやいた。
「はぁー……疲れた……。中身35歳、もう無理が効かねぇ……。でもまあ、楽しかったな」
第二の人生。悪役令嬢として始まり、商人として再出発した彼女の物語は、まだまだ続く。
そして明日もまた、元おっさんの令嬢は――堂々とこの世界を歩いていく。