海の家
私が産まれた時、私の家はまだ砂浜の上に建っていました。
砂浜には細かくて白い砂が敷き詰められていて、足で踏むたび、新鮮なリンゴを齧るような音がしました。晴れた日には眩しい陽の光に照らされ、砂に散らばった綺麗な貝殻がキラキラと輝いていました。
夏になると、窓から見える海が青く輝き、砂浜のあちこちで色とりどりのビーチパラソルが立てられていました。子どもたちは波と戯れ、若いカップルは手を繋いで波打ち際を散歩していました。大きな波が来るたびに、遠くから楽しそうな笑い声が聞こえてきて、それにかもめの甲高い鳴き声が重なっていました。おもちゃ箱をひっくり返したように騒がしいお昼が過ぎて夕方になると、砂浜に残された砂のお城が、打ち寄せる波によって少しずつ崩れていっていました。
私の家はそんな砂浜の上に建っていました。友達の家はみんな岬の上にあったのですが、私の家だけは波打ち際のすぐそば、柔らかい砂の上に建っていました。冬の高潮や台風の際に海水が家に入り込むのを防ぐために高床式に作られており、外壁は塩風に強い特殊な塗料で覆われていて、色は淡いブルーで海に溶け込むように見えます。
私の部屋は二階の海側にあり、窓から砂浜と海を見渡すことができました。砂浜に家が建っていることで、学校に行くのが大変だったり、風の音がうるさかったり嫌なこともありました。でも、澄み切った満月の夜。静まり返った砂浜が、月明かりで銀色に輝く光景を私は独り占めすることができました。この世界は美しい。私が今もそんな考えを捨てずにいられるのは、きっとあの時に見た美しい砂浜の景色を覚えているからだと思います。
時が流れ、私が成長するにつれ、波打ち際は少しずつ私たちの方へと近づいてきました。息が切れるまで走り回れた広い砂浜は少しずつ狭くなっていき、高潮や台風でもないのに波が家の真下まで打ち寄せてくることも多くなりました。地球が暖かくなって、海面が上昇している。学校の先生に理由を尋ねると、先生は私にもわかるように教えてくれました。
砂浜が狭くなるにつれ、あんなに騒がしかった夏でさえ、段々と人が少なくなっていきました。砂のお城は作られなくなり、人々の声も、かもめの声もしなくなっていきました。家の下はいつしか浅瀬になっていて、学校に行く時はいつも足を拭くタオルを持っていかなければなりませんでした。
その頃、兄や姉は家を出て都会へ行き、両親は揃って病に倒れ病院に入院することになり、私一人だけがこの家に取り残されることになりました。姉は私を心配して一緒に都会で暮らそうと言ってくれました。ですが、私はこの家が好きだったので、できるだけ長く、この家にいるよと伝え、私は海の上の家で、一人で暮らすようになったのです。
兄の知り合いの人に大掛かりな工事をしてもらい、家が海の上にぷかぷかと浮かぶように改修してもらいました。そのため、海面が上がり続けても、少なくとも浸水してしまうという心配はなくなりました。それでも、その後も海面は止まることなく上昇し続け、砂浜につながる道路も海に沈んでしまいました。昔は上を向かなければ頂上が見えなかった岬も、今では首を痛めることなく見えるようになりました。かつては足がついていた家の真下も、いつのまにか海深が私の身長よりも深くなりました。学校や両親のお見舞いのために家を出る時は、ボートを出し、かつて砂浜だった海を泳いで渡らなければらなくなりました。
夏の日の明け方は、穏やかな波が光の糸を紡ぎながら、海に浮かぶ小さなボートを優しく揺らしてくれました。眩く青い世界は静寂に包まれていて、オールが水を掬う音だけが周囲に響き渡ります。照りつける日差しは暑かったですが、オールの先から跳ね上がった冷たい水しぶきが、私を心地よくさせてくれました。海はまるで巨大な鏡みたいに、空の青を映し出していて、ボートの縁から顔を覗かせると、透き通った水の底にかつての白い砂浜が見えました。
岬に住んでいた友達もみんなもっと高い場所に引っ越し、かつて私が通っていた学校も二階まで浸水してしまったことで廃校になりました。波が穏やかな時はよく、ボートで学校まで泳いで行きました。三階の渡り廊下にボートをつけ、私は誰もいない校舎の三階を一人で歩き回りました。歩くたびに一人分の足音が校舎内に反響し、割れた窓からは時々海風が入り込んできました。校舎内は階段の踊り場まで浸水していて、階段を二、三歩降りると、冷たく透き通った海の水を足に感じることができました。
いつも私は、かつて私が通っていた教室へ行きました。まだ浸水していない教室はかつての面影を残したまま放置されていて、クラスの人数分並んだ椅子と机も、掲示物も、教室の隅に転がった誰かの消しゴムも、まるで時間が息を止めてしまっているかのようにそのままでした。
私は教室を見回し、そして黒板に目を向けます。黒板にはこの学校の最後の卒業生と先生が残した言葉が残されていました。
『卒業おめでとう』
私はかつて自分の席だった、窓際の席に座り、外の様子をぼんやりと眺めます。かつて窓から見えていた校庭や体育館はすべて海に沈んでしまったので、今は美しい海と水平線しか見えません。それでも私は昔を思い出し、その青いキャンバスの上に、かつての風景を頭の中で描きます。そうしていると、生徒たちの騒がしかった声や、それを注意する先生の声が聞こえてくるような気がしました。私は机に肘をつき、窓から外を眺め続けました。誰もいないこの校舎で、まだ私の家が砂浜の上に立っていた日を思い出しながら。
それからも、同じではないけれど、そっくりな毎日が過ぎていきました。すべてが変わりゆく世界に私は時々自分が置いてけぼりにされているような気がしていましたが、自分の部屋からみる海の青さだけは変わることがありませんでした。海面がゆっくりと上昇していき、ボートで陸地まで泳ぐ距離が長くなっていっても、地球は回り続け、私たちは生きるために歩き続けなければなりません。私は就職して社会人になり、昔の友達は違う国へ移住し、姉は結婚して子供を授かりました。
姉に会いにいった時、姉は私にいつまでこの家に住むつもりなのかと聞いてきました。そう聞かれた時、私は答えに詰まりました。姉に聞かれるその時まで、今の家を出るなんて考えたことがなかったからです。海面は上がり続け、この国の人はもっと高い場所、高い場所へ移動する中、私の海の上に浮かぶ家は変わることなくずっとその場所にありました。
結婚してくれないか。職場で仲良くなった男性からプロポーズを受けた時も、私の頭に思い浮かんだのは海の上に浮かぶ家のことでした。彼のことは愛していましたし、彼の言葉を心から喜んだことも事実です。でも、その一方で、世界に巻き込まれて変わっていく自分の人生に、不安やおそれがあったのかもしれません。
彼と婚約し、バタバタとせわしなく時間が過ぎていく中、私はあなたを身ごもりました。ちょうどその時、結婚した後はどこに住むべきかという話をしていた真っ最中でした。もしできるなら今の私の家に住み続けたいと、その時の私は思っていました。ですが、海の上の家から病院まではボートを漕いで数時間かかってしまうので、私は生まれて初めて海の上の家を離れ、高台に建っているこの家で暮らし始めました。
私たちが住み始めた家は海から離れた場所にありますが、二階の窓から少しだけ海を見ることができます。窓から見える海は、遠くの方角に青い帯のように輝いていて、朝日に照らされるときは金色に、夕暮れ時には深い橘色に染まります。あの家に住んでいた時、海はいつも私のすぐそばで寄り添ってくれていました。いつだって、耳をすませば波の音が聞こえ、日差しに焼かれた磯の匂いが家の中を満たしていました。今は手を伸ばしても届かないほどに遠い場所に行ってしまった海を見ながら、海に浮かび続ける家のことを思い出すのです。
お医者さんの話では、あなたは夏に産まれてきてくれるそうです。夏は、空と海がくっついて見えるほどに、海の青さがより一層際立つ季節です。
あなたが産まれたら、一緒に海へ行きましょう。海に浮かぶ家まで行くことはできないかもしれませんが、まだどこかに残っている砂浜へ行き、砂の感触を足の裏で感じながら、波打ち際を歩きましょう。穏やかに太陽の光を反射する海を見ながら、砂浜に打ち寄せる波の音を聞きましょう。砂に描いた絵が、白波にさらわれていくのを見て、二人で微笑み合いましょう。
あなたが産まれた後も、あなたが大きく育った後も、海はきっと変わらずにいてくれます。全てが変わり続けるこの世界で、ずっと変わらないものはあなたの支えになってくれるはずです。私のとっての海の家がそうであったように、あなたにとっての海が、そういう存在になってくれますように。