ドラコ・レクス
魔王の城に来てもう1週間ほど経った。
やっぱりアンバーの書斎と自室くらいしか行き来してないのだが、現状の生活には随分慣れた。
実家暮らし以上の快適な生活を楽しんでいるくらいだ。
学校に通っている感覚と似てるなー、などと思いつつ、今日もアンバー先生の座学を受ける。
数日のうちに僕はアンバーからこの世界のことをかなり学んだ。
地理や社会、政治的な背景等から、この世界の神話、魔法、種族などについてもあらかた座学上の知識を教わった。
正直キャパオーバー気味だったが、別にテストなどがある訳でもないので、覚えられる範囲で覚えておくことにした。
また分からなかったら教えてくれるだろう。
「とりあえず、座学だけでは理解も知識も限界がある。
あとは自分で経験しながら覚えたまえ」
アンバーはそう言って授業を締めくくった。
「さて」と一息ついて、
「今日はまだ日が高いから間に合いそうだな」と呟くと僕に向き直った。
「ミツルに会わせたい御仁が居るんだ。
座ってばかりで退屈だろうし、早めに会わせたいので同行してくれ」
「はあ…どなたですか?」
勇者はこの国じゃ嫌われているはずだ。
それでも会わせたいと言うには何やら勇者と関わりのある人物だろうか?
「先代の魔王、ドラコ・レクス、またの名をグランスという」
またヤバい単語が出てきたよ…
「先代の魔王って…まだ生きてるんですか?」
「以前に先王が私に禅譲したと言ったろう?
禅譲とは血縁以外の有徳者に王位を譲るものだ。
魔王は基本禅譲で、生前に時期候補を決める。
先代の勇者が失敗したから彼は倒されなかったのだよ。
今では水晶宮と呼ばれる洞窟でのんびり余生を謳歌している」
「僕がお邪魔していいんですか?
あまり歓迎されてないんじゃ…」
僕を見た途端に攻撃してこないとも限らない。
心配する僕にアンバーが優しく背を叩いた。
「安心したまえ。
ミツルの安全は私が保証する。
君にもこれを渡しておこう」
そう言って僕の手を掴んで何かを握らせた。
「…腕輪?」
「これは私の子供達に渡してるものだ。
この国の者なら、その腕輪が魔王の縁者だとすぐに気付く。
弱い魔物なら逃げ出すし、それなりの知能のある者であれば決して手を出したりしないよ」
「ありがとう、アンバー」
「あとこれもあげよう」
アンバーが骨の指に着けていた指輪を1つ取り外して差し出した。
「これに一体の竜牙兵が入っている。
何かピンチになったら真ん中の石を砕いて使いたまえ、盾くらいにはなる」
わぁ、なんかちょっと呪われてそうなアイテム…
どす黒い赤の丸い石がはまってる金の指輪だ。
細かい装飾はよく見ると魔法陣のようだ。
「あ、ありがとう…使うことがないといいけど…」
指輪も受け取って、左手に腕輪と指輪を装着する。
腕輪も指輪もブカブカだったのに、身につけると少し縮んだようだった。
ピッタリサイズになる魔法でもかかっているのだろうか?
もしくは呪い?
「じゃあ、出発しようか?」
僕が彼からの贈り物を身に付けると、彼は大きな杖を手にして「ポルタ」と呟いて床を軽く杖で小突いた。
突如、魔法陣が床に広がった。
「ちょっと待っていてくれ」
そう言って、何か呪文を唱えながら杖の柄で魔法陣をトントンと叩いて表示を少しずつ変えてゆく。
何をしているのか分からないが、叩いた場所は表示が変わるので調整してるのだろう。
最初とは少し違う状態になった魔法陣を眺めて、アンバーが一人満足気に頷いている。
「よしよし、いいあんばいだ。
ミツル、こちらに来て私の隣に立つんだ」
指示されたとおりに魔法陣の上に立つ。
ぼんやり光る床を珍しそうに見ていると、ワイズマンがまた杖で床を小突いて「イニーレ」と言った。
魔法陣が光り、エレベータの降り始めのような浮遊感を味わった。
光が消えたあと、驚きすぎて腰を抜かしてへたり混んだ。そのまま絶句してる僕に「大丈夫かい?」と言いながらアンバーが手を差し出していた。
「少々距離があったから転移魔法使ったんだが、体に合わなかったか?」
「おや、懐かしい声だ。ワイズマンか?
来てくれるのは良いがね、出る場所を少し考えてくれないか?」
どこからか自分たち以外の声がする。
次の瞬間、手をついていた場所が動いて、真横から視線を感じた。
「ひえ!」
「人かね?これまた珍しいお客様だ」
真横にあったのは大きな目玉だった。
蛇に睨まれたカエル状態で固まっている僕に、アンバーが一言「漏らすなよ」と言ってドラゴンに向き直った。
「グランス様、ご無沙汰しております。
退屈しておいでですか?」
「してたけど、今度は退屈もいいものだと思えるかもしれないね」
グランス様と呼ばれたドラゴンが大きな頭を持ち上げた。
白い鱗の全長15メートルはありそうなドラゴンは、犬のように頭を震わせて眠気を追い払うと僕達に向き直った。
「もう足が弱っていてね、年寄りなのでこのまま失礼するよ」
「あ、はい、お構いなく…」
「おチビさんのお名前を聞こうかね」ドラゴンの頭がすぐ近くに来る。
その時、焦点の合わない青い瞳に気づいた。
「…見えてないんですか?」
その質問にドラゴンはふふっと笑ったようだった。
「目はもうダメだねぇ、耳も遠くなってるし、匂いと気配しか分からないんだ。
だから大きな声で話して欲しいよ」
「ミツルです。よろしくお願いします」
「グランスだ。昔は人間から白の魔王と呼ばれていたよ」
低い年老いた声でそう自己紹介してくれたドラゴンは、今度はアンバーに頭を近づけた。
「新しい子供を紹介しに来たわけじゃないんだろう?
彼は特別な人間だね」
「その通りです。私が召喚したと勇者です」
アンバーのその言葉を聞いて、ドラゴンがかっと口を開いた。
「これは面白い!はぁっはっは!」
割れんばかりの哄笑が洞窟に響いた。
「不死者の君が!現魔王の君が勇者召喚とは!笑わせてくれる!
長生きもしてみるものだ!愉快愉快!」
ドラゴンって笑うんだ…
そんなふうに思っていると、ドラゴンの大きな頭がくるりと僕の方に向きを変えた。
「勇者、ミツルだったかな?君も運がないね」
「そうはっきり言われると返事がしづらいです」
「まあ、私も彼の研究対象だ。
変なのに絡まれた者同士仲良くしようじゃないか」
口元から「くふふ、くく」などとまだ笑い声が漏れている。
笑い上戸なドラゴンだ。
僕の緊張が少し緩んだ。
「勇者といえば、ワイズマンから先代の勇者の話は聞いたかね?
あの者らも滑稽で私を笑わせてくれた。
『魔王!覚悟!』と毎回現れるのだが、この悪い男が転移魔法ですぐに追い返してしまう。
喋ってる途中でもお構い無しだ、あんなに気軽に転移魔法を使う魔法使いは見たことがなかったよ」
ご機嫌な先代魔王が昔話に花を咲かせている。
どうやらアンバーの使う転移魔法は彼自身で編み出したもので、転移魔法自体を使える存在は少ないらしい。
勇者たちは丁寧に毎回地道に戻ってくるのだが、戦う前に追い返されていたそうなので、なんだか話を聞いていて哀れになってきた。
「しかし、随分大人しい勇者が来たものだ。
この害の無いおチビさんなら大歓迎だよ」
先代と現行の魔王に歓迎される勇者なんて聞いたことないよ…
「血気盛んな若者の相手をするには歳を取りすぎた。
ゆっくり世間話や昔話ができる相手が欲しかったところだ…」
孫を見るおじいちゃんの様に目を細め、グランス様はゆっくり足を組み替えた。
「私ももう長くない…いや、違うな、もう充分生きた。
重荷を任せる君たちには悪いが、力にはなれそうにない」
足も立たない老いたドラゴンだ。
もう長くないのも仕方ないのかもしれない。
「最後に面白い勇者を連れてきてくれて礼を言う。
ワイズマン、ミツル、君たちに少しお願いしたいことがある」
「何なりと」アンバーが厳かに応じた。
「ワイズマン、私の死後、この身を隠してくれ。
少なくとも冒険者などに荒らされないようによろしく頼む」
「分かりました、約束致します」
「ミツル、この国の子らと仲良くしてくれ。
勇者の君にこんなことを言うのもなんだが、ワイズマンは変わり者だが良い奴だ、支えてやって欲しい」
「そんな、僕の方がお世話されっぱなしです」
「王とは孤独なものだ。
君は彼の言葉に耳を傾けるだけでいい。
対等な話し相手になってくれればそれだけで彼の支えになるはずだ。
簡単だが、他の誰にも出来ない事だ」
老いたドラゴンはそう言って少しだけ体をずらした。
その下から宝箱が姿を現す。
青い古びた宝箱を鼻先で啄いて見せて、「一方的にお願いするのは申し訳ないから、私の宝物を君たちにあげよう」と申し出た。
アンバーが僕に開けるように合図した。
「失礼します」と恐る恐る宝箱に手をかける。
鍵も閉まっていない宝箱は軋む音を立てながら簡単に開いた。
中には二振りの剣と大きな占い師が使うような水晶玉が入っていた。
「来るべき日のためにとっていたものだ。
爺の思い出として受け取ってくれ」
「…これは…よろしいのですか?」
その宝物の価値を知っているのだろう。
アンバーが躊躇していると、ドラゴンが笑った。
「この枯れかけた老いぼれには必要ないものだ。
残していく事を思えば、未練もなくなるというもの…
私の宝物だ、大事に使ってくれ」
満足そうにそう言ってグランス様は僕を見た。
「魔王の宿敵勇者として召喚された君にこの二振りの剣を託そう。
《凪》と《嵐》だ。我が至宝、受け取ってくれ」
グランス様の鱗のような真珠色の双剣だ。
長さは短めだが、持ちやすく、手に取るとすぐに手に馴染んだ。
軽すぎておもちゃかと疑いたくなる。
「この剣は全てのドラゴンの母ヴォルガの鱗から作られたドラゴンの至宝だ。
ヴォルガは水と風と雷を司る嵐の神。
彼女の加護が君を守ってくれるよう祈ろう」
「そんな凄いもの貰えないですよ!
それに、僕は剣なんか持ったこともない素人ですよ!もったいない!」
「勇者がいつまでも丸腰じゃ恥ずかしいだろう?
それに、絶対に必要になる。
君は弱いものを守る勇者なのだから…」
そう言って、グランス様は僕に剣を押し付けると、今度はアンバーにも宝物を受け取るように促した。
「さて、君には説明なんて野暮なことはしないよ。
ずっと欲しがってた物だ。
喜んで受け取りたまえ、ワイズマン」
アンバーは黙って、じっと手の中に抱いた水晶を見つめている。
「…なんだ、もっと子供みたいに喜ぶと思ったがね」
ドラゴンが首を傾げるような仕草でアンバーを覗き込む。
アンバーの肩は小刻みに震えていた。
「…本当に、貴方という人は…」独り言のようにそう呟いて、老いたドラゴンに視線を向けひざまづいた。
「確かに頂戴致しました。
この国の、民の守護者として生きるとお約束致しましょう」
「くそ真面目な面白くない男だ、素直に喜びなさい…」
二人の中で通じているのだろうが僕はさっぱり分からない。
それを感じ取ってか、グランス様は僕に向かって「昔の約束を果たしたまでよ」と満足気に目を細めて言った。
「これを受け取ったからもう来ないとか言わないでくれよ。
私は隠居して暇なんだ。
なんなら老いぼれの話し相手に勇者を置いて行ってくれても構わないぞ」
「それは困ります」アンバーが即座に答える。
「お前の娘、《風の乙女》は息災か?
あの娘にも会いたいものだ。
昔は『お爺様』と呼んで私の前足にちょこんと座っておしゃべりしたものだ」
「ペトラに伝えておきましょう」
「死にかけの爺が待ってると伝えてくれ」
そんな冗談交じりの言葉を交わして、帰る時間になった。
随分時間が経っていたようで、アンバーの転移魔法で移動したらもう外は真っ暗だった。
「長いこと連れ回してすまなかったね」
「いえ…それよりも、アンバー、これ…」
持っているのが怖くて、持っていた剣をアンバーに渡そうとした。
いくら軽くて持ちやすくても、これは剣だ。
こんなものを持つ覚悟はまだなかった。
しかし、僕の考えとは裏腹に、彼は差し出された剣を受け取らなかった。
「これは君が持っていなければいけないものだ」
「剣なんて持てないよ!
だってこれを持ってると、コイツは戦えるって思われるじゃないか!僕は嫌だ!」
こんなズブの素人が持っていい剣では無いはずだ。
もっとボロいのからスタートでいい。
もっと言えば畑仕事からスタートでいい。
戦うとか本当に無理だ。
そんな僕の気持ちを察してか、アンバーが困ったように首を傾げながら頭を掻く。
「うーん…」
「アンバー、お願いだから」
「いや、しかしな…
グランス様はミツルに持ってるように言ったんだ。
君が持っているべきだ」
「でもこんな物騒なものを持ってるのは…」
「扱い方はおいおい学べばいい。
何も無ければ使わなければいい。
とりあえず、持ってることに慣れる事だ」
アンバーはそう言って頑として剣を受け取らなかった。
時間も時間だったので、仕方なく剣を抱えたまま自室に戻った。
「お帰りなさいませ」
部屋に入るとすぐにベティが出迎えた。
夕食を用意してくれていたようで、机の上には湯気のたっている料理が並べられていた。
「食事用意してくれてありがとう。
今日も美味しそうだね」
「冷めないうちにお召し上がりください」
最初の頃とは違って少しぎこちないが微笑んでくれる。
まだ仲良くなれたとは言えないが、それでも少しは打ち解けた。
話しかけたら一応言葉で返してくれるようになってくれたので、彼女に少しだが話しかけやすくなった。
「お食事の邪魔になりますから、剣はお預かり致します」
「ありがとう」やっと剣を手放せるのでほっとする。
「はぁ、肩が凝った…やっぱり慣れないもの持つと緊張するなぁ」
ため息を吐いて椅子に座る。何だかクタクタに疲れた気がする。
湯気を立ててるスープが身体に染みる。
鶏肉っぽい香草焼きと付け合せの野菜がカリカリに焼かれていて美味しい。
相変わらずお米はないが、フワフワのパンに文句はない。
たっぷりバターを塗って食べると、これだけで充分ご馳走だ。飽きない。
お酒が得意じゃないと伝えてから、ベティはミントと柑橘系の果実水を用意してくれるようになった。
ジュースみたいに甘くないので肉にも合う。
疲れた体にも合うみたいでサッパリする味だ。
「ご馳走様。今日も美味しかったよ、ありがとう」
「お口に合って良かったです。お下げ致します」
「うん、ありがとう。
あと、その剣なんだけど、どこに置いておいたらいいかな?」
「寝所の壁に掛けるところがあるのでそちらに掛けて置かれますか?」
「そうなんだ。そうして貰えるかな?」
「かしこまりました」そういうと彼女はすぐに剣を置いてきてくれた。
さっきもすぐに預かってくれたし、剣を扱うことに全く抵抗がないので、さすが異世界の女の子は強いなー、と感服する。
僕なんて持ってるだけで掌が汗でベトベトだ。
いつも通りテキパキと食卓を片付け、風呂を用意して、僕の寝支度が済むと部屋から出ていく。
「…さてと…」
今日はもう疲れたので寝ようと思って灯りを落とした。
ランプを一つ残して他の灯りを全部消すと、ベットの脇に淡い光がぼんやり浮かんでいた。
月のような綺麗な銀色に、真珠の輝きを含ませたような姿の剣だった。
鍔には象牙細工のような精巧なドラゴンの装飾が掘られている。
『凪』は口の閉じたドラゴン。
『嵐』は口の開いたドラゴン。
瞳にはサファイアが青く輝いていて、鬣に当たる部分は金箔で装飾されている。
「キレイだな」
ほう、とため息吐いて剣を手に取り、ベッドに座った。
相変わらず、発泡スチロールで出来た玩具の剣のように軽い。
恐る恐る鞘に手をかけて手をかけ、ゆっくりと抜くと淡く輝く刀身が姿を現した。
中央に刻まれた文字は読めないが何か意味があるのだろう。
乳白色の刀身は真珠のような艶でなめらかに輝いている。
「…こんなの受け取れないよ」
自分に不似合いな剣だと思う。
さすがに切れ味を試す気にもならない。
多分ものすごく切れる。ドラゴンの王様が守ってた宝物だ。《なまくら》なわけがない。
何で僕が勇者として召喚されたのか分からない。
別に特段正義感が強いわけでも、戦えるほどメンタルが強いわけでも無い。
武道をしていたり、カリスマ性がある訳でもない、ごく一般的な若者だ。
とりあえずで大学に通ってるフリーターに、勇者なんて重すぎる。
自己嫌悪に似た劣等感を抱えて、僕は剣を元の場所に戻した。
そのまま頭から布団を被り、眠ることで現実から逃げ出した。