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魔王と勇者のPKO  作者: 猫絵師
始まりの物語
6/58

ベティ

「思ったほど進まなかったな…まあ、こんな所で今日は終わりにしよう。詰め込みすぎると初めの話を忘れてしまうからね」


かなり急ピッチであったが、この世界の国家や国政、政治的背景などを学んだ。


途中サンドイッチとトイレ休憩を挟んだが、それ以外は完全に座学だったので体が凝り固まってしまった。


「うぅ…疲れた…」


「ミツルは素晴らしい生徒だよ。


ちゃんと質問まで返してくれるから、私の教鞭にも熱が入るというものだ」


何やらアンバーはご機嫌だ。


勇者の教育までする魔王…シュールでしかない。


「またこの調子で明日も頼むよ」


「頭がパンクしそうですよ…」


「一晩寝たら整理できる。


少なくとも知識を詰め込みすぎて頭が爆ぜた人間は見た事ないから安心したまえ」


そう言いながらアンバーが何かメモしている。


どうやら今日の授業で出た質問などを付箋にして貼り付けているようだ。


随分徹底している。


しばらくはこの座学研修だな…


まあ、実習とか大変そうだから座学の方が僕の性に合っている。


「ミツルは人だから夕餉を食べなければな。


部屋に用意させるからゆっくり休みたまえ」


「ありがとうございます」


「ミツルは礼儀正しいな。とても良い事だ」嬉しそうな声でアンバーが応じる。


「礼を言われるのはとても気分がいい。ベティも驚いていたよ。


まさか人間の勇者から礼を言われると思っていなかったらしい」


「やっぱり彼女も人間じゃないんですね」瞳と見た目も人とは掛け離れていたがやっぱりか。


「彼女は混血だ、半分は人間だよ。


豹族(パーラドゥス)の母親と人間の父親の間に生まれた子供だ。綺麗な目をしていたろう?」


「あの猫みたいな目が特徴なんですか?」


初めて耳にする種族だ。珍しい存在なのだろうか?


「本当は花のような斑模様(まだらもよう)が身体に現れるのだが、彼女はそれが弱いし、髪の色も濃い黄色ではなく漆黒だ。


元々魔力をほとんど持たない種族なのに彼女にはそれがある。


興味深かったので私が引き取った」


「アンバーは蒐集家(コレクター)ですね」


「気になると解決するまでいてもたってもいられない性分だからな。


まさか勇者まで蒐集するとは思わなかったがね」


そう言ってアンバーが楽しそうに低く笑った。


骨だけで表情はないが、どうやら彼は肉は失ったが、感情もユーモアも持ち合わせている。


おおらかで優しい。


もっと偉ぶって良いはずなのに、言葉を選び、僕を緊張させないように話してくれる。


本当に彼が魔王なのか疑ってしまう。


彼がどうしたいのかは今のところ分からない。


ただ、人間の生活を脅かしたいわけでも、戦争を吹っ掛けたいわけでもないらしい。


まあ、平和的に解決してくれるのならそれに越したことはない。


戦わずに、痛い思いをしないのであれば僕も大賛成だ。


「じゃあ、また明日」


「うむ、何かあれば遠慮なく言ってくれ。黄金だろうが美女だろうが何でも用意しよう」


「気持ちだけで…」冗談で終わりそうにないな…


「無欲な勇者だな」と言って、骸骨がふふふっと楽しそうに笑っている。


僕は部屋まで迎えに来てくれたベティに連れられて、アンバーの部屋を後にした。


1人では間違いなく迷子になる廊下を歩き、部屋に戻る途中、「…あっ!」ベティが驚いた声を上げた。


「隠れて!」と彼女は僕を廊下の狭い隙間に押し込んだ。


何が何だか分からずに驚きながら言われた通りに隠れる。


「ベティ。そんな所で何をしてるの?」若い女性の声だった。


何となく聞き覚えのある声だ。


「ネズミが隙間に入り込んでおりましたので…もう片付けました、ペトラ様」


「そう。ところでお父様を知らないかしら?」


「レクス・アルケミスト陛下は今お部屋にいらっしゃいます」


「そう、ありがとう」礼を言って、遠ざかっていく靴音。


ベティの安堵するため息が聞こえてきた。


「…どうぞ。もう大丈夫です」


「うん、ありがとうございます」なんかよく分からないが助けてもらったらしい。


「ペトラ王女は人間が…特に男性がお嫌いなのです。こんな所で鉢合わせたらただでは済みません」


ベティが簡単に隠れた理由を教えてくれた。


「ペトラ様は第一王女です。第一王子のイール様の双子のお姉様です。陛下の補佐で王国の政務のほとんどを取り仕切っています」


そういえば、僕が召喚された時、アンバーの隣にペトラという女性が居た気がする。


多分あの人だろう。


「嫌いって…どのくらい?」


少し気になったのでベティに尋ねてみる。


ベティは少し困ったように顔を顰めて答えた。


「角で鉢合わせしたら…多分ですが城の一角が吹き飛ぶ程度には嫌いです」


確実に殺す気じゃないか?


勇者なのにゴキブリ以上に嫌われている…


ってか、《城の一角が吹き飛ぶ》どんだけ?


まぁ、百歩譲って、魔王の側近ならそれくらい強くてもわかるけどさ…えぇ…まじかァ…


「そんな訳なので、部屋からも勝手に出ないでくださいね」とベティはクスリとも笑わずに、多真面目な顔で言った。


「うん、ありがとう。気を付けるよ」


礼を言うと、ベティは不思議そうな顔で僕を眺めていた。


なんだろうと思っていると、ふいっ、と顔を背けてまた歩き出した。


彼女は話をしてると時々フリーズするな…


そこからは無言のまま部屋まで案内され、食事を用意してもらい、風呂にも入れた。


風呂のお湯は何が入浴剤的なものが入っているのか、すごくいい香りだった。


石鹸しかないので頭も石鹸で洗った。


シャンプーないのは不便だな…


髪を乾かすと、ベティが髪の毛に何が塗り込んでくれた。


「何?これ?」


「髪や肌を保護する香油です」


「あぁ、ありがとう」コンディショナーの代わりなのだろう。


「…いえ…」と素っ気なくベティが応じる。


「いい香りだね」


「…はい」


「これって花の香り?」


「バラから取り出した精油と数種類の植物から取り出したエキスです」


「そうなんだ。ありがとう」


「…私は指示されたとおりにしてるだけです」機嫌が悪はいのか、素っ気ない口振りでそう言うと彼女はそれ以上何も言わなかった。


うーん、気まずい…


なんか変なこと言ったかな?


女の子との会話は苦手だ。


「…それでは、私はこれで…」


「うん。今日はありがとう」


「おやすみなさいませ」


深々とお辞儀をしてベティが綴織(タペストリー)の魔法陣に消えていった。


✩.*˚


「…変な人間」廊下に出たベティは吐き捨てるように呟いた。


暗い廊下を早足で進む。


「失礼致します、陛下」重々しい書斎の扉を潜り、部屋の主に声をかける。


アンバーが読んでいた紙から視線を上げ、メイドの姿を確認した。


「ミツルはどんな様子かね?」


「勇者は大人しく部屋に戻って、食事と入浴を済ませて寝るようです。大人しすぎて気味が悪いです」


「確かに、彼は大人しい子だね。非常に良い生徒だよ」


「変です。あの勇者は…人間なのに…私に礼を言うんです」


恐る恐るベティが思っていたことを口にした。


魔王が少し驚いたようだった。


「…嫌なのか?」


アンバーが顎に手を当て、首をかしげる。


怒っている様子はない。むしろベティの答えを待っているようだった。


主の質問に、ベティは「分かりません」と消えそうな声で答えた。


彼女も人間に虐待されていた子供だった。


希少種として取引されていたのをたまたま見つけ、ブローカーを少し仕置して引き取った子供だ。


他にも数人居たので引き取ったが、彼女以外は里親ができたので送り出したのだ。


彼女は混血の子供だから、人の国でも魔族の国でも相当なハンデを背負ってる。


「人間は…今まで知ってる人間はあんな風に礼を言うことはなかったです」


ベティが重々しく口を開く。本当に困惑しているようだ。


「怒鳴られたり、叩かれたりはしたけど、優しい言葉とか苦手です。


悪いことは我慢したらいいけど、優しくされた時、どうしたらいいのか分からなくて困るんです」


「ふぅむ」とアンバーが応じる。


「ベティが嫌なら別の者に頼むが…」


ベティは返答に窮して俯くしか無かった。


そして消えそうな声で「分からないんです」とまた呟いた。


泣きそうな声色で哀れになる。


やはり荷が重かったか、とも思う。


アンバーの国に人間は皆無ではないがほとんど居ない。


世話を頼むなら人間に近い者の方がミツルには負担が少ないと思った。


だが、ベティの方にも負担が大きかったようだ。


しかし、代わりを探すのも時間がかかりそうだ。


「少し時間をくれないか?」


「…はい」


「ミツルもまだこの世界に召喚されたばかりで何も知らないんだ。


だから君にも私にもこの世界の住人のような偏見が無いようだ。


多分新しい世話係にも同じように接するだろうし、君じゃないと嫌だとも言わないはずだ」


「…左様でございますか」期待に応えられない事が申し訳ないのだろう。気落ちしているのが伝わってくる。


そんなベティの様子を見たアンバーは、彼女にひとつの提案をすることにした。


「そうだ。ミツルにありがとうと言われたらこうしなさい」


「命令ですか?」ベティがぱっと顔を上げた。


命令は彼女にとって自分で考えるよりはるかに楽なのだ。


「そうだ。笑顔で会釈しなさい。特に何も言わなくて良い。これなら難しくないだろう?」


「…分かりました。善処します」先程より明るい声でベティが答える。


「今夜はもう遅いからベティも休みなさい。明日もミツルをよろしく頼む」


「かしこまりました。失礼致します、陛下」


深々と頭を下げて退出した彼女を見送り、アンバーはため息を吐いた。


「私も久しぶりに寝たいな…」


この体は休息は必要ない。


肉体的な疲労も飢餓も何も感じない。


それでも心を休ませたくなる時はある。


彼は書斎の奥のカーテンを開き、夜風に当たるためにバルコニーに出た。


骨に沁みるような夜風に当たり、風景を一望した。


自分が育てた国。


元々の土台はあったが、それは国と呼ぶには脆弱だった。


少しずつ国境を整備し、村や町を作り、歩道や水路を敷いた。


人間なら何回か死んでいるほどの時間をかけて、ありったけの知識を注ぎ込んで作った国だ。


愛する土地が広がり、愛する民がここに住んでいる。


何度も絶望をあじわったが、それもまた達成感を与えてくれた。


「私はまだ前に進まねば…」


そうだ、勇者が受け入れられないのは分かっていた話じゃないか…


人から奪った勇者を守りながら、未来に向かって進まなければならない。


夜風にローブが捲れる。今日は風が強い。


しばらく夜風を感じていると、不意に風が和らいだ。


「骨だけの身体なのに…飛ばされてしまいますよ」


いつの間に現れたのだろう?


彼の後ろに、微笑みを浮かべたペトラが立っていた。


「風が荒れています。勇者が召喚されたのを世界が感じ取っているのでしょう…」と彼女は私見を述べた。


彼女は風の精霊たちに好かれている。


嵐の中でも、彼女はよろける事も、長い髪が(もつ)れることもない。


「人間側も勇者の存在を感じ取っているのだろうな。人間側が大人しくしてくれればいいのだが…」


「勇者を…奪いに来るのでしょうか?」


「確かに大義名分としては十分すぎるが、私の城まで辿り着くのは至難の業だ。時間がかかることだろう」


アンバーが気にしているのは、人間の枠に収まっている者たちでは無い。


「《英雄》が現れないと良いのだが…」アンバーの言葉にペトラが息を呑む。


「…祝福された現世の者でしたか?勇者に次ぐ力を持った存在と聞きます」


「私が編み出したワイズマン式転移魔法も人側にある。勇者奪還の際に英雄を送り込まれれば厄介なことになる」


「…人間が…この城まで来るのですか?」


ペトラの怯えた瞳がアンバーを見つめている。


心底人間が嫌いなのだ。彼女のトラウマは、いくら万能に見える彼にも癒せない。


「城内では転移魔法を制限する魔法が施されているが、城下までなら転移魔法で来ることも可能だ」


問題はそんな大技が使える魔法使いがいるかだが…


「そうなったら勇者(ミツル)次第だ。彼が正しい選択をできるよう祈るだけだよ」


アンバーはそう呟いて、ペトラの肩を抱き寄せてバルコニーを後にした。


風の音が時折窓を撫で、月明かりが淡く窓辺を照らしていた。


その静かな夜は、何かが起こる前の凪のようだった。


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