役不足
「ヒルダ嬢、少し休め!」
ヴォイテクが珍しく声を荒らげて彼女を叱った。
「うっわ…」
声のした方を見て驚いた。
彼女の身体からは、汗が湯気のように蒸発していた。
マラソンでもしてたみたいだ…
彼女はシュミットさんが亡くなってからすぐに、アンバーに頼んで獣人達の練兵に参加していた。
僕の隣で、彼女は病み上がりの身体で無茶苦茶ハードなトレーニングを続けてる。
今朝もシャルルから剣を学び、オリヴィエから拳闘を教わっていた。
獣人は人間からすれば魔物の扱いになるらしく、体格も然る事乍ら、力も人間の比ではない。
あそこに混ざって普通に練兵に参加してる彼女は僕なんかよりずっと強いだろう。
「ミツル、気になるのは分かるが、お前は余所見が多い、集中しろ」
僕の相手をしてたルイに叱られた。
彼は僕が《祝福》の《ラリー》に耐えられるように身体を作る手伝いをしてる。
《ラリー》は攻撃を受け止め続ける能力だ。
アドニスと戦った時には、身体が能力についていけずに筋断裂と骨折でボロボロになった。
さすがにあれを何度もするのは困る…
「いや、でも…」
「彼女は《英雄》だぞ、何も心配いらない。
続けるぞ」
彼はそう言って幅の広い大きな剣を振り降ろした。
身体が剣を受け止めるために勝手に反応する。
最初は怖くて逃げてたが、今ではだいぶ慣れた。
「受けたら終わりじゃない、ちゃんと流せよ。
手首を上手く使え。
流す時は指に気を付けろ。
無理して受け止めればまた怪我するぞ」
単調な攻撃で手加減もしてるが、ルイの振り下ろす剣は重たい。
あのトリスタンという男の人は、よくルイの本気の攻撃を受けながら余裕の表情を見せていたものだと感心する。
「また集中してない!集中しろ!」
ルイの叱咤が飛ぶ。
「ヒルダだって、自分のすべき事をしない奴に心配されても嬉しくないはずだぞ」
「分かってるよ…」
「お前が強くなってくれないと、ベティも安心して暇を取れないし、俺はいつまでたってもお預けなんだぞ」
「うん…それはごめん」
お預けって…言い方…
《蜘蛛》の一件があった頃は、ルイとベティはグレ氏の集落を訪問していた。
グレ氏は古い種族らしく、伝統的な儀式を通さないと夫婦になるのを認めないらしい。
それでも二人のことを認めてくれたのは、アンバーの説得のおかげだろう。
ベティは手に氏族の刺青を入れてもらったとの事で嬉しそうに見せてくれた。
「エドナ様とお揃いです」と言って、手首から手の甲にかけて掘られた両手の刺青を嬉しそうに眺めていた。
グレの族長のディランはエドナの兄だそうだ。
彼からすれば、姪っ子が結婚するようなものだから喜んでくれたそうだ。
儀式の手順等を確認して、帰ってきたらこんなことになってたから、二人とも儀式は延期になってしまったらしい…
いや、マジで、ホントに頼りない勇者で申し訳ない…
ってか、恐らく憂さ晴らしの意味合いもあるよね、これ?
「集中!」とずっと言われ続けて手が痺れてきた頃に、ルイは剣を振り下ろす手を止めた。
「休憩してろ」と言い残すと、向こうから歩いてきたヴォイテクの方に歩いて行く。
彼はルイと話し込んで「分かった」と応じていた。
「ヒルダと話をしてくる」
「は?そんなのルイじゃなくても…」
「ヴォイテクの言うことも聞かないなら、俺が直接話すしかあるまい。
それにしてもあれはかなりヤバいな…
命を削ってないか心配だ?」
「人間の限界はとうに超えてる。
何度も止めたが聞く耳を持たん…
俺にもお手上げだ」
ヴォイテクが心配そうにため息を吐いた。
「彼女は兵士を預かるのに向いてないんじゃないか?」
ヴォイテクの言葉にルイは首を横に振った。
彼の意見は違うようだ。
「誰だって弱いことろはある。
今がそうだからと彼女の能力を疑うのは良くないことだ。
それにこれを乗り越えれば彼女は更に強くなるかもしれないぞ」
「…そうか、だといいがな…」
「私も未だ未熟者だ」とルイは言って、ヴォイテクの背を叩いて立ち去った。
残されたヴォイテクは黙って僕のすぐ側の木の下に座り込んだ。
「ヒルダの心配してるの?」
「まぁな」と彼は答えて 動物園の熊のように黙り込んだ。
黙ってたら服を着た熊にしか見えない。
「ヒルダがエドナに似てるから?」と僕が尋ねると、彼はまた「かもな」とだけ言った。
彼は口数が少ない。
別に嫌われてる訳では無いが、あまり喋らないと不安になる。
彼の隣に腰を下ろして横顔を見た。
眠そうな顔をしてる。
「体の調子は?」と質問を変えた。
彼はアンバーの兵士たちの中ではかなり高齢で、最古参に当たる戦士だ。
彼は僕の問いかけに、相変わらず「まぁまぁだ」と短く答えた。
そこで会話が途切れたかと思ったが、彼は大きな手を差し出して僕の背を軽く叩いた。
「心配するな、戦士にしては長生きした」と彼は言った。
「なんでそんなこと言うのさ?」
何だか遺言のように感じて、僕は彼の顔を見て問いかけた。
彼はフッフ、と短く笑って口を開く。
「お前とはあまり喋る機会もないしな、この際だ、俺の独り言に付き合え」
黙って聞いて欲しいのだろうか?
「俺の一族はな、もっと北から来たんだ…
人間に追われてここに来た…リュヴァン族と似たようなもんさ。
本当はもっと魔力も強くて、熊の姿と人の姿に変身できた。
フィエン族の先祖は、北の人間から《神熊》と呼ばれてた時代もあったんだ。
俺にはもうそんな力も残ってないがな…」
昔話さ、と彼は笑った。
「ヒルダはそんな俺達の昔話に出てくる、滅んだ国の王族によく似ている…
背が高くて、癖のある金髪で…
あのくすんだ緑の瞳と高い魔力は、俺の聞いた話の通りなら、俺達の先祖が支えた、マンダール王の一族のそれだ」
驚いて言葉を発しそうになった僕に、彼は手をかざして制した。
黙って聞けと…
「彼女が本当にマンダールかは分からない。
でも俺の一族の栄光を見た気がした…
長生きした甲斐があったというものだ。
最後のフィエン族などという損な役回りだったが、先祖から俺へのご褒美かもしれんな」
そう言って彼は黙り込むと、自分の手を掌を眺めていた。
「最後に手を抜いたのはそういうこと?」と彼に尋ねた。
彼はフッフと笑って、「いいや、歳のせいさ」と答えた。
「マリー様から回復薬を貰ったが、もう魔力が戻る気配がない…
俺も潮時だ…」
「どうするのさ?」
「さあな、のんびり考えるさ…」と言って、彼はゆっくりと立ち上がった。
喋って満足したのだろう。
ヒルダの所に行くのだろうか?
「ねえ、なんで僕に話したの?」
ゆっくりと立ち去ろうとする後ろ姿に声をかけた。
「俺が自慢したかったからだ」と言って彼はまた静かにフッフと笑っていた。
「俺はフィエン族の最後の一人で、これを伝えるべき相手はもう居ないからな…
他の部族に伝えるのも違うが、忘れ去られるのもまた虚しい…
勇者という、どこの部族にも、どこの国にも縁のない者になら伝えても問題ないだろう?」
「僕にどうしろってのさ?」
「誰にも伝えなくていい…
ただ、お前は俺達の存在を覚えていて欲しい。
俺達は確かに生きていた…それだけだ…」
「それじゃあ、僕が死んだら知ってる人がいなくなっちゃうじゃないか?
ヴォイテクはそれでいいの?」
「その頃には、俺は次の魂に巡り変わってる頃だろうよ。
俺が最後の一人になりたくなかっただけだ…
勇者だろ?この世界を背負う者だ。
俺一人荷に加わったところで、たいして変わりはしないさ。
ついでに背負ってくれ」
「いい勇者になれ」と言って彼はフッフと低く笑った。
彼は来た時より少しスッキリした様子で、僕を木陰に残して一人で歩いて行った。
勇者って損だな…
勝手に色々押し付けられて、荷物がどんどん増えていく。
そのうち潰れるぞ、と文句を言ってやりたかったが、言うべき相手は、もう既に遠く小さくなっていた。
✩.*˚
なんて奴だ…
病み上がりの人間が獣人の体力についてこれるはずがない…
「何だ、殿下か…」
井戸の前で水を汲んでいた彼女は、私の姿を見て一言呟くと、火照った身体に頭から水を被った。
服が濡れるのもお構い無しだ…
本当に女か?
いや、まず人間かを疑う…
「ちゃんと休め、皆心配してる」
「さっき休んだ」そう言ってまた水を被る。
「休んだって…」
さすがに絶句する。
二時間も城の外壁を走って、帰ってきてから水を飲んだだけだろうが…
ヴォイテクから聞いてるぞ…
その前にシャルルとオリヴィエをウンザリさせるくらい稽古させたとか…
「フィーア人はこれが普通なのか?」
「いいや、あたしだけだ」
男みたいに濡れた髪を掻き上げて、濡れたシャツを脱いで水を絞った。
水で濡れた肌着が体に張り付いている。
「おい!こんな所で…」
「何だよ?肌着までは脱いでないだろ?」
「全く!いいから付いてこい!」
言葉が通じないので無理やり腕を掴んで、詰所まで引きずって行く。
何だこの腕…本当に女か?
何やら外国語でまくし立ててたが分からん、無視した。
それにこのままでは風邪を引く。
これ以上の面倒事は御免だ…
無理やり詰所に放り込むと、中に居た者達を外に出した。
ヴェストファーレンはこの娘にどういう教育をしてる?!
エドナだってこんなに無茶苦茶では無かった…
「他の兵士も居るんだ!女がそんな格好を晒すな!」
「女扱いするな!男以上に闘える!」
女と言われるのが嫌なのか、彼女は強く反発して、手にしていた濡れたシャツを投げつけてきた。
「そうかもしれんな。
しかしはっきり言って、今のお前は迷惑だ」
はっきり伝えるのも私の仕事だ。
彼女には改めて貰わなければ困る。
「少し落ち着け」
リネンを投げて渡すと彼女は乱暴に受け取った。
「…時間の無駄だ」
そう言いながら彼女は布に顔を埋めた。
「お前に今必要な時間だ」
「強力な防殼を作るには魔力を底上げしなきゃならん…
限界を超えて身体をいじめ抜くのが一番手っ取り早い。
スタミナも筋肉もつく…」
「お前な…」
可哀想な女だ…
身体を動かした方が気が紛れるだろう、と陛下は仰っていたが、これでは逆効果だ。
それに、彼女に必要なのは魔力でも体力でもない。
今彼女に必要なのは精神力だ…
「呆れた…ずっとそんな無茶な身体の鍛え方をしてきたのか?」
「普通のやり方じゃ満足な結果は出せないんでね…
あたしはストイックなんだ」
そうだろうな、見たら分かる…
背の高い身体は引き締まっていて筋肉質だ。
さっき掴んだ腕は固くて男みたいだった。
それでも身体は女性らしい膨らみがあり、それが余計に彼女を虚しくさせていた。
「やりすぎは毒だ、逆効果だぞ」と忠告する。
「ヴォイテクも同じ事を言ってた」
彼女は不満そうな顔で気丈に振舞っていたが、足元がふらついているのは気付いていた。
「国に戻ったら真っ先にやることがある。
だから強くなって帰らなきゃならないんだ」
「あの男の復讐か?」
「そんなんじゃない!
あたしに舐めた真似したヤツらを皆殺しにするんだ!」
オリーブ色の瞳に鋭い狂気が宿っている。
こめかみの辺りの血管が浮き出ていた。
「あたしに!ヴェストファーレンに手を出した報いをくれてやる!
あたしは貝じゃ無い!
黙ったまま、自分を守って引きこもるような人間じゃない!
こっちから行ってやる!どこに隠れても必ず見つけて潰してやる!」
怒りに呼応するように、彼女の周りに僅かな防殼が滲み出る。
青白く光る六角形で構成される防殼は滲んでは弱々しく砕けて消えた。
それは彼女の限界を示していた。
「落ち着け、それ以上続ければ命が削れるぞ」
「長生きするつもりは無い、死ぬ時は誰だろうが死ぬんだ」
「ここで死なれても困る」
「じゃあ出ていく…また走ってくるよ」そう言って彼女はふらつく足で出ていこうとした。
慌てて腕を掴んで引き止めた。
ヒルダは防殼を出して抵抗しようとしたが、それも弱すぎて触れただけで簡単に砕けた。
「見ろ!もう限界だ!それ以上は私が許さんぞ!
縛り上げてでも侯爵の所に連れていく!」
「じゃあどうしろってんだ!」と彼女が吠えた。
涙が滲んだ緑の瞳で私を鋭く睨み付けた。
「あたしに、部屋にこもって女みたいにメソメソ泣いてろってのか?!
死んだ男の思い出に浸って?!
そんなクソみてぇな!負け犬みたいな真似できるかよ!
普通に戦ったら負けなかった!
油断しなければ…ライナーは生きてた…
あたしが…あたしが勝手に自分の強さに過信して…ライナーを…」
消えそうな声で「死なせた」と、彼女はそう口にした。
その言葉で、堰を切ったように彼女の感情が溢れ出した。
子供のように泣き崩れる。
不器用な女だ…
泣き方も知らんのか?
彼女は泣きながら、また外国語でまくし立てた。
その言葉の中に「ライナー」の単語があった。
彼女はまだ心を整理してなかったと知った。
それなりに時間が経っていたのに、彼女は苦しすぎて、問題に真っ直ぐ向き合えなかったのだろう。
背中を丸めて泣く彼女は弱々しい女性のように見えた。
その姿は凛々しい《英雄》の姿からかけ離れていて、哀れで頼りない、別人のようだ。
彼女が隠し続けていたであろう、鍛えることの出来なかった弱い部分が無防備に晒されていた。
彼女の前に膝をついて話しかけた。
「ヒルダ、私にはお前の傷は癒せない。
役に立てなくてすまんな」
しゃくり上げる彼女の肩は震えていた。
でもその震える肩を抱き寄せるのは私の役目じゃない。
それをすべきじゃないのは分かっていた。
「吐き出せるものは全部ここでぶちまけて行け。
部屋で吐き出せないなら、吐き出せる場所を用意してやる」
「…誰にも言わないで…こんなのあたしじゃない…」
「誰にも言わない、お前の名誉は守る。
お前は強い、自分に勝て。
手伝いが要るなら我々はお前に手を貸そう。
あとはお前が自分で乗り越えろ」
「…一人じゃ耐えられない」
そう言って彼女は涙で濡れた顔を上げた。
縋るような目が痛々しい。
その目は女のそれだ…
「悪いな、私はもう無責任に他の女は抱いたりしないんだ。
それだけは他を当たってくれ…」
「…意地悪」
「そういうのは本当に好きな男に頼むことだ」
「あいつは…あたしを抱いたりしないよ…」と彼女は寂しげに呟いた。
《あいつ》が誰なのか分からなかったが、彼女に意中の相手がいると知って驚いた。
「そうか?
こんな美人に迫られて断る奴がいるとはな…
とんだ意気地無しだ」
私の言葉に彼女は「ホントにな」と少しだけ笑った。
「…眠い…ここで寝ていいか?」
「床でか?
勘弁してくれよ、部屋に戻って寝てくれ」
「動けないもん」と子供のように駄々を捏ねた彼女の身体から力が抜ける。
床に倒れ込む前に受け止めた。
「全く、世話のやける…女のくせにだらしない奴だ」
寝息を立てる彼女は憑き物が落ちたように穏やかな顔をしていた。
✩.*˚
まだ夜が明けぬうちに、ラーチシュタットからの使者の訪問で起こされた。
またトリスタンか?と思って寝巻きのまま使者に会った。
「ご報告申し上げます」と使者が放った言葉に驚愕する。
「ラーチシュタットから、アーケイイックの使者であるイール・アイビス殿下のご訪問をご報告するよう命じられて参りました」
「アーケイイックから?」
「アーケイイック王からの手紙とフィーア人二名の遺体を運んでおります。
明日、昼頃こちらに到着予定との事です」
「…遺体…」その言葉に血の気が引く。
誰のだ…
使者は更に訃報を告げた。
「ラーチシュタットにて、ライナー・シュミット様と部下のフランツ・ウェーバーの両名の遺体を確認しております」
「何…だと…」言葉を失った。
ライナーが?
彼は若い時に、私の元で輝くような活躍を見せた武人だぞ!
歳をとったが、その腕は未だ鈍ることを知らない。
それどころか老いてなおその腕は健在だ。
だからヒルダの事を安心して任せていたのだ…
「何故死んだのか聞いているか?」
「いえ、その件については家宰様に直接申し上げると…
複雑な内容なので漏らすことができないと…」
「他には?」と使者に問うと、彼は思い出したようにトリスタンの名を出した。
「使者殿とラーチシュタットの兵の間でトラブルになったのをトリスタン様が納められました」
「あいつが?本当か?」
「トリスタン様自ら使者殿をお守りしておられました。
あの御二方はお知り合いなのでしょうか?」
悪い方の知り合いだったはずだが…
あいつの気まぐれにまた救われたが、一体何故…?
イール王子もよくトリスタンを受け入れたものだ…
「使者殿に怪我は無かっただろうな?」
「トリスタン様が兵士達に厳命したので怪我はございません。
ただ、一部の者が不審者として拘束しようとしたので…その、御無礼を働きました…」
「分かった、その件については私から直接謝罪する」
そう答えて、それ以上報告のない使者を下がらせた。
使者を部屋から送り出して、ソファの背もたれに身体を沈めた。
ライナー…
惜しい男を亡くした…
皆、私を置いていくが、お前はまだ早いだろう?
ヒルダもお前にはよく懐いていたのに…
代わりのない男を亡くしてしまった。
「すまない…」この場に居ない彼に謝った。
多くの友を失った私にはもう涙も残っていない。
失う悲しみも薄くなってしまった…
失うことに慣れてしまった…
部屋のグラスを取って、酒を二人分用意した。
煙草に火を点け、ブランデーを注いだグラスと並べて置いた。
「お前の分だ」
お前は魂になっても、最後に私にも挨拶に来てくれるだろうか?
それともヒルダの傍を離れないのだろうか?
どちらでもいいが、できることならまた一緒に酒を呑みながら、私の愚痴を聞いて欲しかった…
『左様ですか』と穏やかに笑うお前の姿を探してしまう。
また私のところに巡ってきてくれ、と心の中で祈るように呟いた。
煙草の煙が少しだけ揺らめいた気がした…
✩.*˚
今度こそ、無事、ヴェルフェル侯爵の居城に着くことが出来た。
大きさとしてはアーケイイック城の半分程度しかない。
古いが丈夫そうな城だった。
アーケイイックの城より小さいのに、務めてる人間の数は多いようだ。
「こちらです、殿下!」
トリスタンの部下のランゲが大きな声で私を案内した。
彼は衛兵達に話をつけて、飛竜を繋いだ船を見張るように命じた。
「大旦那様がお待ちだそうです。
侯爵は体調が優れないので、今回は御容赦ください」
「構わない、手紙はヴェストファーレン宛だ」
侯爵といっても相手はカッパーだからな…
上手くやってるようで安心した。
通された部屋は、華美ではないが落ち着いた印象の応接間だった。
「殿下自らお越しくださるとは恐縮です」とヴェストファーレンが私を出迎えた。
彼は相変わらず若々しい装いで、艶のある黒髪を撫で付けて後ろで纏めている。
紫の瞳は強い光を放っていた。
まるで彼がこの城の主だ…
彼は私の傍らの巨漢を労うと席を外すように言った。
「殿下、ラーチシュタットにて兵士らが無礼を働いたと報告を耳にしております。
存じ上げなかったとはいえ御無礼をお許しください」
「貴殿の息子に救われた」と答える私に、彼は困った顔で笑った。
「礼儀を知らぬ愚息です。
御無礼がございましたら何卒御容赦ください」
「ヴェストファーレン殿、私は彼に救われたと言ったのだ。
彼を咎めてはいない。
そのような言い方は不快だ」
私の返答にヴェストファーレンは驚いた顔をしていた。
「もっとご子息を大切にすることだ」
何となくそんな余計な事を口にしていた。
確かに粗野で自分勝手で無茶苦茶な奴だったが、父親ならそんな彼に愛情を注いでやって欲しかった。
「余計な事を言った」
「いえ…
トリスタンと何かありましたか?」
「彼には世話になった…それだけだ」
そう言って陛下からの手紙を取り出して、ヴェストファーレンに手渡した。
彼は「拝見致します」と恭しく手紙を受け取った。
私に大きな応接用のソファを勧めて、自分は蝋で封された手紙を開いてその場で確認する。
ヴェストファーレンは、手紙を読み終える頃には手が震えていた。
彼にとっても想定外の出来事だったと思う。
陛下は包み隠さず、全てを手紙に認めていた。
「…全て、見抜けなかった私の責任です」と彼は珍しく肩を落としていた。
部下を失い、娘と侯爵の命も危険に晒した。
大失態だが、彼とて全能者では無い。
「誰も予想出来なかったことだ…
陛下も貴殿を責める気は無いと仰っていた。
我々は双方ともに油断していたようだ」
「…寛大なお言葉…ありがとう存じます」
苦笑しながら彼は私に礼を言った。
「シュミット殿と《蜘蛛》の遺体は飛竜船の棺の中だ…
彼らの荷物は危険と判断して全て破棄した…」
ヒルダがシュミットの物を捨てるのに反対したが、説得して全てを処分した。
彼の荷物の中にあった髪切り用のハサミと櫛を見て、『これだけは残したい』と懇願したが、それにも毒が塗られてない保証はなかった…
処分する時の彼女の顔が目に焼き付いて離れない…
「それも手紙で確認しております。
お手数をおかけ致しました」
ヴェストファーレンは全てを受け入れて、一切口を挟まなかった。
「アーケイイックとフィーアの人の出入りは極力制限する。
だから使者として私が来た。
侯爵らへの荷物も預からない。
お互いのためだ…」
「承知しております。
これ程のご温情を賜り、感謝しかございません」
「手紙だけなら、今ここで預かろう。
今書いて、この場で封をしたものなら預かる」
「ありがとう存じます。
お時間を頂戴してもよろしいでしょうか?」
「構わない」と短く答えて彼の手紙を待った。
ヴェストファーレンは直ぐに手紙を二通用意して私に差し出した。
「陛下と侯爵にお渡し下さい」と彼は言った。
「娘にはいいのか?」と尋ねると、ヴェストファーレンは「ございません」とはっきりと言った。
「ヒルダは自分のすべき事をわかっているはずです。
私から伝えることはございません」
「何も無いのか?
彼女は貴殿の娘だろう?」
彼女が辛い思いをしてるのに、慰めすら無いのか?
「ヒルダには自分で判断し、最善を尽くせるように教育しました。
部下一人の死すら越えられないようであれば、ヒルダもそれまでの人間です。
ラーチシュタットを預かる将としては役不足です」
「貴殿はそれでも父親か?!」
私の言葉に彼は驚いた様子だった。
私でも驚いた。
私は何を言っているんだ?
私の握ったこの拳は一体何なのか?自分でも分からない…
「貴殿こそ、父親としては役不足だ!
彼らは貴殿の捨て駒か?!」
「殿下?何を…」
「もういい!不愉快だ!帰る!」
手紙を預かり、釈然としない気持ちのまま部屋から出て行こうとドアに手をかける。
ヴェストファーレンの呼び掛けを無視して、顔も見ずに部屋を後にした。
陛下ならあんな冷たい事は言わない!
息子も娘も、優しく慰めるはずだ。
父とは、親子とはそうであって然るべきだ!
私が一人で部屋から出てきたのを見て、外で待っていたランゲが顔を上げた。
「もうおよろしいのですか?」
「話すことは無い!」
「おや?何事ですか?」とランゲは驚いた様子だったが、憤然と歩く私のすぐ後ろに付いてきた。
「大旦那様と何か?」
「あの男には情とかいうものはないのか?」
「はぁ…?」
「何故娘の心配をしない?家族だろう?!」
「ああ、なるほど」とランゲは顎髭を触りながら頷いていた。
「大旦那様はちゃんとヒルダ嬢の心配しておいでですよ。
シュミット様は、大旦那様がヒルダ嬢をお任せするほど信頼されていた部下です。
第一線を退いた今でも、我々若い世代にとっても素晴らしい指南役でした」
「なら尚更娘の心境を察するべきだ!
慰めの手紙くらいあって然るべきだ!」
「殿下、ちっとばかり落ち着きましょうや?
貴方はヴェストファーレンを理解しておられないようだ」
大男はそう言って私を宥めると、城を出て城下に私を案内した。
「こっちですよ」と彼は私を呼んだ。
城を出た彼が向かった先は管理された墓地だった。
墓石は古いものから新しいものまで五十基程あった。
「トリスタン様とヒルダ様の兄様達の墓です」と彼は言った。
「これ全てがヴェストファーレンの養子か?」
「ええ、そうです。
大旦那様が愛した子供達が眠っています」
「こんなに…」
驚いた。
ヒルダとトリスタンだけかと思っていた…
ランゲは大きな体を屈めると、落ちていた落ち葉を拾って墓を掃除した。
「皆、英雄か、それに次ぐ力を持った方達でした。
それでも彼らは戦の中で命を落としました。
ヴェストファーレンで天寿を全うしたご兄弟はございません」
これだけの墓があって、一人もだと?
それこそ子供を駒のように扱っているという事じゃないのか?
ヒルダもトリスタンも、ヴェストファーレンとなったばかりに同じ運命を辿るのか?
「酷い父親だ…」
「そうですか、殿下には大旦那様がそのように映るのですね…」とランゲは残念そうに首を振った。
「フィーア南部は、常に血を流し続けてきました。
それは今尚変わりません。
我々が戦うのを辞めれば、フィーアはオークランドや他の国に土地も民も奪われます」
「それは分かっている。
我々とて似たようなものだ」
「そうですか」と彼はまた考え込むように髭を触った。
「大旦那様はできることなら、もうここの墓石を増やしたくないとお思いでしょうな」と彼は言った。
「しかしそんな事を口にできるような立場じゃないのですよ。
大旦那様は南部の守護者だ。
自分の子供可愛さに責任を放棄させるような方ではありませんや。
ヴェストファーレンは全員不器用なんですよ。
百年もこんなこと続けているんですから、筋金入りの不器用だ」
「…貴殿もその不器用か?」
「はっはっはっ!そうですね!」とランゲが大きな声で笑った。
静かな墓地に不似合いな大きな笑い声が反響する。
「トリスタン様に言わせれば、私とアルフレートは貧乏くじの人間だそうですよ」
彼女はシュミットを私に紹介した時もそんなことを言っていた。
「私は割と良いくじを引いたと思ってるのですがね」と言う彼は誇らしげだった。
「ヒルダ嬢の部下じゃ辛すぎますよ」と苦笑いするのも忘れなかった。
「髪を切る前は、そりゃぁもう、とんでもない美少女でしたよ。
なんせ、大旦那様が懐刀のシュミット様をお付けするくらいですからね」
「今でも十分美人だ」
「そうでした」と彼はおどけて笑った。
「安っぽい慰めを綴った紙が無いくらいで、あの不器用な家族の絆は変わりませんよ」とランゲは言っていた。
「大旦那様が不要と言うなら不要なんでしょう。
私から言えるのはそんなもんですよ。
トリスタン様だって、同じ事を言うはずだ」
「私には理解できない家族だ…」
「それなら貴方がお慰めしたら良いでは無いですか?」
こいつ…さらっと何を言っている?
「なんで私なんだ…」
「ヒルダ嬢は面食いですからね。
でかい髭面の男が慰めても拳が飛んでくるだけですよ」
そう言って彼はまた大きな声で笑った。
「並の男じゃ役不足だ」と小さく呟く声を聞いた。
そうか…そういう事か…
お前もあの《向日葵》を愛でる者か…
「帰る」と彼に告げて踵を返した。
ヴェストファーレンの墓地を後にする。
少しだけ彼らの歪な絆を知った。
ランゲを伴って城に戻ると、飛竜船を停めた広場に見知った顔が居た。
「貴殿は…侯爵の…」
「モーントシェンメンと申します」と彼は名乗った。
「師匠に代わってお見送りに参りました…
あと、不躾ではございますか、これを…」
そう言って彼は私に手紙を差し出した。
「彼にお渡し頂きたい」
周りに人がいるからその名を口にできないのだろう。
真剣な眼差しで差し出された手紙には宛名も何もなかったが、誰に宛てたものかは聞く必要もなかった…
「今書いたものか?」
「はい、危険なものでないか改めて頂いても結構です。
必ず…お渡しください」
「ついでだ、預かろう」そう言って彼から手紙を受け取った。
白い飾り気も何も無い封筒を荷物にしまった。
「ヴェストファーレン殿は?」
「師匠は…よくわかりませんが見送りに来れないと仰っていました。
通行証を渡すように言われましたので、何かあればこれをご使用ください」
「分かった」
「何かご伝言がございましたか?私からお伝え致しましょうか?」
「そうだな…」先程あのような形で出てきてしまったので気まずい…
それでも何と言えばいいのか分からない…
何を伝えるか迷っていた私の肩をランゲが軽く叩いた。
「私から伝えておきますよ」と言ってくれた。
「分かった、貴殿に頼もう」
「お任せを、伝言役ならトリスタン様で慣れております」と彼は明るく笑った。
「急ぎアーケイイックに戻る」
ランゲとモーントシェンメンの両名にそう伝えて飛竜の背にまたがった。
空になった飛竜船を持ち帰る。
「ヒルダ嬢をよろしくお願い致します」とランゲが深く頭を下げた。
「トリスタンに世話になったと伝えてくれ。
腸詰は美味かった、また馳走してくれ」
私の口からトリスタンの名前が出たのでモーントシェンメンは驚いていたが、ランゲは嬉しそうに笑って「承りました」と応えた。
「国境までお送りしますよ」と彼は言ったが、一度通った道で、私の事ももう既に知られている。
ヴェストファーレンが発行してくれた通行証もあるので止められてもなんとかなるだろう。
何だかんだあって、随分無駄な時間も過ごしてしまった。
陛下も姉上も心配していらっしゃる事だろう。
少しでも早く、アーケイイックの城に帰りたかった。
ヒルダは元気になっただろうか?
私は少しでも彼女の役に立てたのだろうか?
✩.*˚
「ヘイリー、大丈夫?」
彼の部屋を尋ねると、彼は寝室で寝巻き姿で横になっていた。
傍らにアンバーの姿があった。
病人のベッドの隣に彼が居ると笑えない…
《蜘蛛》に襲われたあの一件から、体調が一気に悪くなったらしい。
ストレスのせいだろうか?
「アンバー、ヘイリーの具合は?」
「やあ…ミツルか?」
不意に、寝ていたはずのヘイリーが弱々しい声で僕を呼んだ。
「ヒルダは…どうしてる?
迷惑をかけていないといいが…」
「ヒルダは大丈夫だよ。
それより君の方が重症じゃないか?」
「大丈夫、いつもだいたいこんな感じだ」と彼は弱く微笑んだ。
「やっぱりあの薬を飲まないとダメか…」と彼は残念そうに呟いた。
「すまない、マリーが急ぎ薬を選別している。
まだ時間がかかりそうだ」
「少しだけ…アーケイイックに期待してしまいました…」
「もう諦めるのかね?
まだ一ヶ月のうちの一週間ほどしか経ってないぞ」
「そうですか…
色々ありすぎて、私の人生の中でも濃すぎる一週間でしたよ…」
アンバーの励ましに、ヘイリーはそう答えて諦めたようなため息を吐いた。
「ミツル、君とゲームをするのを楽しみにしてたのに、ダメになってしまったね」
廃棄された荷物のことだろう。
《蜘蛛》が触った物は全て焼却処分された。
ヘイリーは潔く荷物を諦め、ヒルダにも全ての荷物を諦めるように命じた。
ワルターはヘイリーのためにお気に入りのボードゲームを入れてくれていたのに、それも全て無駄になってしまった。
黒檀と象牙で作られた駒も、折りたたまれた紫檀のボードも全て火にくべられた。
城の離れた広場から上がる煙を見つめながら、彼は「ヴェストファーレンが残念がるな」と寂しげに呟いていた。
「あのボードゲームってワルターの私物だったの?」
何となく気になってたので彼に尋ねた。
ヘイリーは「そうだよ」と答えてくれた。
「正確には、私の曽祖父の形見の品だ。
曽祖父が亡くなる前に彼に譲ったらしい」
「そんな昔の?」
キレイだったからそんな古いものには見えなかった。
「よくあれで遊んでくれた。
アーケイイックに一人残った私を思って貸してくれんだろうね」
ヘイリーは他人事のように言っていたが、よくそんな大切なものをあんなにあっさり手放したものだ。
「そんな貴重な品だったとは…」とアンバーも動揺していた。
そんな彼の様子を見て、ヘイリーは「お気になさらず」と笑った。
「仕方ありませんよ、陛下も私と同じ立場ならそうしたでしょう?
私があれを残すと言えば彼女に示しがつきません。
上に立つ者の運命です」
彼はヒルダのために自分の大切な物も全て処分したんだ…
何だか、その潔さが可哀想だった。
「でも、辛いよね…」
「そうだね」とヘイリーは横になったまま小さく頷いた。
「それでも、私はヴェルフェル侯爵だから我慢できる」と彼は言った。
彼はそうやってずっと我慢してきたんだろう。
「起きれるようになったら、またポーカーしよう」と持ちかけると彼は嬉しそうな顔をした。
「良いね、退屈してるから是非遊んでくれ」
「何だね?ポーカー?」とアンバーが口を挟んだ。
「トランプだよ」と教えてあげると彼は理解して頷いた。
「ああ、カードの遊びか。
私は君に教えてもらった、同じカードを揃えるやつが好きだがね」
「アンバーは神経衰弱好きだよね」
「ずっとやっていられる。
いかんせん、私の手ではカードを捲るのに苦労する」
骨だけの指だしな…
指サックあったら良いのにと思うが、その指サックというものもこの世界には無い。
輪ゴムあったら指につけて使えるのに…
つまらないことを考えていると、誰かがドアをノックした。
「僕が出るよ」と言って席を立つと、ドアの先には嬉しそうな顔のペトラが立っていた。
彼女は腕の中にすっぽり収まった小さな鷹を抱いている。
「どうしたの?」と尋ねると、彼女は目をキラキラさせながら良い報せを伝えた。
「イールが!イールがフィーアから戻ってくると報せが届きました!
もうアーケイイック領内に入ってこちらに向かっています!」
彼女の歓声に、僕より先にアンバーが応えた。
「本当か?!」
「イールの放った使い魔の報せです!間違いありません!」
彼女はそう言って彼の元に駆け寄ると、抱いていた小柄な鷹をアンバーに渡した。
鷹は鋭い声で、「イール王子ヨリ、我、目標達セリ、現在アーケイイック領内、即帰還ス」と鳴いた。
電報みたい…便利な鳥だ…
アンバーとペトラはそれまで不安を口にしていなかったが、知らせを聞いてすごく喜んでいた。
それだけイールの身を案じていたのだろう。
ペトラは涙を拭いながら、アンバーに「迎えに行ってもよろしいでしょうか?」と訊ねた。
領内ということもあり、アンバーは快諾した。
「良いとも、君の精霊なら直ぐに彼を見つけられるだろうからね。
良い風を吹かせて運んでやりなさい」
彼女は笑顔で鷹を受け取ると、挨拶もそこそこに部屋を出て行った。
「お騒がせして申し訳ない。
彼女は時々周りが見えなくなる時があるもので…」とアンバーがヘイリーに謝罪した。
あぁ、それ分かるぅ…
黙って様子を見ていた彼は「いいえ」と微笑みながら応えた。
「家族とはこうあるべきなのでしょうね」
「アンバー、僕がヘイリーと一緒にいるから君も席を外していいよ」
僕がそう言うとアンバーは心配そうに「大丈夫かね?」と確認してきた。
気を使ってやったのに失礼な…
「いいよ、早く行きなって」
「それなら…お言葉に甘えさせてもらうが、何かあったらすぐに知らせてくれよ。
侯爵、あまり無理しないように…」
「この身体じゃ無理もできませんよ」
ヘイリーは自虐的な言い方でアンバーを送り出した。
アンバーを見送って、ベッドの近くの椅子に座った。
「大丈夫?」とヘイリーに訊ねると、彼は「大丈夫じゃない」と答えた。
「暇で暇で仕方ない」と彼は弱った声で拗ねたように言った。
「こういう時どうしてたの?」
「ウィルが相手をしてくれていた…
本や新聞を用意してくれたり、一緒にゲームをしてくれた。
内緒だけど、こっそり外に出してくれた事もあるよ」
「それは…さすがに僕には無理だ…」
「彼と一緒なら、何処へだって行けるよ」と彼は笑った。
「会いたい?」と訊ねるとヘイリーは答えずにただ微笑んだ。
「また会えるよ」と無責任な事を口にした。
そんな言葉でも慰めになるなら、今の彼の支えになるならと思って言った。
「ありがとう、ミツル」
ヘイリーは手袋を履いたままの手を差し出した。
「手が冷たいんだ…」
「ほんとだ」血の巡りが悪いのか、手がすごく冷たい。
「冷たくて寝られないから握っててくれないか?」
「いいよ」と安請負した。
冷たい手を握って腕をさすった。
しばらくさすってあげると少しだけ体温が戻る。
「添い寝してくれてもいいよ」とヘイリーが調子に乗って言ったので、「無理」とキッパリお断りする。
彼は男と寝る人だ。
何も無いにしてもさすがにそれはちょっと遠慮するわ…
「残念」と彼は面白そうに僕を見て笑った。
「ウィルに会う時のお楽しみにしなよ」と意地悪を言ってやった。
「僕じゃ、彼の代わりには役不足だ」
僕の言葉に、ヘイリーは「まぁね」と言って笑っていた。




