傷跡
「では、頼んだぞ、イール…」
陛下から直接ヴェストファーレンへの手紙を預かった。
それとは別にヴェルフェル侯の書状を渡された。何かがあれば、この書状が便宜を図ってくれるということだ。
「すまないな、お前に頼って…
嫌な仕事をさせる」
陛下はそう言って、シュミットと《蜘蛛》の遺体を乗せた小型の黒い飛竜船を見やった。
「フィーアからアーケイイックには何度も行き来があるが、アーケイイックからの訪問は少ない。
危険を感じれば直ぐに引き返しなさい。
その時は、フィーア側には申し訳ないが、私達で彼らをアーケイイックの地に埋葬しよう」
「必ず、フィーア側に受け取らせます。
…彼女を頼みます」
「うむ」私の言葉に陛下はゆっくりと頷いた。
「随分彼女を気に入っているようだ」と陛下はつまらないことを言った。
「彼女はステファノを失ったお前と重なる…
お前が何となく放っておけない気も分かる。
しかし、彼女が乗り越えるべき問題だ。
我々には見守るしかできんよ」
陛下はそう言って、腕を伸ばして私を抱き締めた。
骨だけの腕は、相変わらず頼もしく力強い。
「道中気を付けて行くのだぞ。
お前は愛する我が子だ…必ず無事に帰れ。
父の願いはそれだけだ…」
アインホーン城に着くまでに止められるかもしれない。
私は人間の公用語は話せるが、彼らの母国語のライン語には明るくない。
フィーア人の遺体を運んでいるし、話がこじれたら攻撃されるかもしれない。
ミツルは全て同じ言語に聞こえるらしいが、神様は随分と勇者に贔屓するのだな…
リスクは高いが良い事は何も無い、損な役だ…
それでも彼女のためにと引き受けた。
「行ってきます」と陛下に告げて、先導竜の背に乗る。
私の乗る飛竜が飛び立つと、残りの二頭が続いて、船は傾きながら上昇した。
冷たい空の風を切る音だけが耳朶を打つ。
死体を伴に、教えられた方角に向かって、ひたすら飛竜を飛ばした。
アーケイイックの見慣れた森の景色を抜けると、フィーアとの国境が見えた。
整備された道と、人間の作った物見用の背の高い建物が見えた。
そこは無視して先に進んだ。
しばらくすると背の高い壁に囲まれた街が現れた。
四角く切り出した石の壁の外は、深く掘られた堀が一周しており、要塞の壁から巨大な跳ね橋がかかっている。
かなりの規模の要塞と街が合わさった姿をしていた。
こんなものはアーケイイックには無い…
その珍しい光景を眺めていると、要塞の方から飛竜に乗った騎士が二人飛んできた。
「何者か?」と誰何された。
彼らは、自分たちと違う様相の私に向かって剣を抜いて威嚇した。
「ラーチシュタットの上空を素通りすることは許されぬ!
降りて荷を改めさせよ!」
彼は私に分かるように公用語で話した。
いきなり襲ってるわけでは無さそうだ。
「それはここの決まりか?」と問うと、騎士は大声で「そうだ!」と答えた。
「そうなら従うが、どこに降りればいい?」
一人が「ついてこい」と先導した。
もう一人は私が逃げないように見張っている。
要塞の跳ね橋の近くの広場に降ろされた。
広場の脇には兵士の詰所もある。
兵士だけでなく、商人のような姿をした者達も足を止め、私に好奇の視線を向けていた。
船が珍しいのか、私が珍しいのか…
とにかく見世物になったようで居心地が悪かった。
「どこから来た?積み荷は?」
さっきの騎士が私を捕まえて問い質した。
威圧的な態度が気に入らないが、ここは彼らの土地で私は余所者だ。
「アーケイイック王の使いだ。
アインホーン城まで積荷を届ける」
「中身は?」と再び問われ、何と答えるか躊躇する。
「…ヴェストファーレンへ届けるものだ」と、なんとも中途半端な答えとなってしまった。
騎士は案の定、私の答えを不審に思ったらしい。
「中身を改めろ」と騎士の下知が飛ぶ。
兵士たちが飛竜船の後ろの扉を勝手に開けた。
「棺が二つあります」
「お前は葬儀屋なのか?」
聞きなれない言葉に首を横に振る。
人間の国にはそんな生業があるのか?
「大変だ!」船の中から叫ぶ声が聞こえて、その場に居た皆の意識が集まった。
まさか…棺を勝手に開けたのか?!
「何だ!どうした!」
船から勢いよく飛び出した兵士に、私と話してた騎士が尋ねた。
青い顔で船を指さして彼は叫んだ。
「シュミット様だ!亡くなられてる!」
「何だと!」と声を荒らげると、彼も船の中に駆け込んだ。
こいつら、勝手な事を…無礼にも程がある…
「…確かに…」と船の中から声がした。
その声は怒気をはらんでいた。
「その男を拘束しろ!
荷物は取り上げて、棺も下ろせ!」
「待て!ここを預かる者と話がしたい!」
騎士と兵士に取り囲まれる。
彼らを蹴散らすのは簡単だが、それでは状況はさらに悪くなることは火を見るより明らかだ。
『必ず無事に戻れ』と、陛下の言葉が頭を過ぎった。
「荷物の中に侯爵からの書状もある!
お前たちに見分けれるものが居るなら確認してくれ!」
「そんなでたらめを!」と彼らは信じない。
必死になればなるほど状況が悪くなる。
私が異形だからか?それともアーケイイックから来たからか?
「嘘じゃない!確認してくれ!」
「早く捕らえろ!」
その言葉を合図に腕を掴まれた。
反射的に振り払って後悔する。
私のその行為が、彼らの目に抵抗と映ったのは言うまでもない。
彼らが得物を構えたのを見て、言葉が通じないと悟った。
「アヴァロム!」
影の中の狼を呼んだ。
恐ろしい唸り声を上げながら、黒い巨大な狼が影から姿を現した。
私を背に乗せてアヴァロムが跳躍する。
近くの屋根に飛び乗ると、屋根を伝って走って逃げた。
「…くそ!」
荷物は全部置いてきた。
杖も剣も手紙も全部…一つを除いて全部無くした…
ポケットに手を入れて確かめる。
「すまない、君の役に立て無かった…」
煙草入れの持ち主に謝った。
こんな中途半端なところで投げ出すとは、情けない…
『イール様、追っ手が…』
アヴァロムが教えられて振り返る。
追手が飛竜で追いかけてきていた。
「振り切れ、アヴァロム!」
『御意!』アヴァロムが短く応じて速度を上げた。
私も逃走に加勢しなくては…
指輪の魔法を解放する。
「《デコイ》!」
全く同じ姿が三体に分かれる。
実体を持たない幻は時間で消える仕組みだが、逃げる時間くらいは稼げる。
案の定、相手は混乱して追跡が緩んだ。
飛竜に乗った騎士達は撒いたが、問題はこの要塞の壁だ…
高さにして二十メートル程で、厚みもある。
アヴァロムでは越えられない。
飛竜でなければ飛べない高さだ。
飛竜を呼ぶこともできるが、そうすれば直ぐに見つかってしまう。
物陰で兵士達をやり過ごすのも限界がある。
やはり人間の国になんて来るんじゃなかった…
『如何致しましょう?』
彼らが手違いと気付くまで身を潜めるか、このまま大人しく捕まるしかない。
しかし、人間に捕まるというのは恐怖でしかない…
子供の頃の記憶が蘇る。
父と母は殺されて、姉も耳を切られた。
私は何も出来ず、あの赤い炎に照らされた惨劇をただ見ていた。
怖い…
どんなに強がってもあの記憶は消えない…
あの日、一緒にいた姉上も、助けてくれた陛下も居ない…
ポケットから煙草入れを出し、強く握った。
もう少し、あともう少しだけ、勇気が欲しかった…
こんな弱い私では、彼女を救うことはできないだろう…
✩.*˚
「あー…親父殿は俺に何させてぇんだよ…」
飛竜の背で煙草を片手にボヤく。
結局朝までかかって《蜘蛛》を探した。
壁なんか塗ったら直せるだろ?
階段の手摺くらい直ぐに替えられるじゃねぇか?
「結局、《蜘蛛》は四人全員俺が始末したのによ…
何で俺が文句言われないといかんのかね?
納得いかん」
「やり方ですよ…
城中大騒ぎでしたよ…」
アルフレートは飛竜の背であくびを噛み殺している。
随分くたびれた様子の彼の姿が笑える。
「情けねぇな、アルフレート。
一晩寝てないだけでそんなに眠いかね?」
「トリスタン様と一緒にしないでください…
私は真っ当な人間ですよ」
「俺だってそうさ」と答えると彼は恨めしい目で睨んできた。
「日中、葡萄街道で《蜘蛛》探し回って、徹夜で城中走り回って、仮眠もせずに帰り支度したんですよ…
ここまで飛竜に乗って三時間だ…
落ちないでここまでたどり着いたのが奇跡ですよ…」
そう言って、彼は長い赤毛を掻きむしって眠気を追い払っていた。
「あぁ…眠い…」と恨めしそうに呟く。
親父殿は帰りがけに新しい煙草入れをくれた。
ちょうど壊したばかりだったので、助かったと正直に言うと、『お前もか』と言われた。
ヒルダのやつを新調したばかりだと言う。
『気に入った男にやったらしい』とため息を吐く親父殿は少し苛立っていた。
べた褒めだったらしい。
いい事じゃねえかよ?あいつも女なんだから…
俺は、あいつが男みたいにしてるのが気に入らねぇ…
ヒルダが無理してんのは知ってる。
戦うのが好きじゃないのも知ってる。
殺しが苦手なのも全部知ってる。
それなのに、前線に出て、戦いに参加してるのが気に食わねぇ…
不器用な女だ。
呪いみたいな《祝福》を抱えてるのはお前も同じだろうよ。
そんな《祝福》、女には荷が重いだろうよ…
お前も男だったら良かったんだ、バカヤロウ…
イライラして煙草を吸った。
煙が風に乗って後方に流れて消えた。
ラーチシュタットの正門には飛竜を飛ばす為の広場がある。
俺達はそこに滑るように飛竜を着地させた。
「何か騒がしいですね…」
眠そうな目で辺りを見回して、アルフレートは「トラブルはもういいですよ」とボヤいた。
マジで死にそうな顔してる、ウケる。
俺が帰ったのを見て、慌てた様子で衛士が駆け寄って来た。
「トリスタン様、お戻りで…」
「おう、なんの騒ぎだ?
俺の出迎えにしちゃ張り切りすぎやしねえか?」
「商人たちが使用する北門で騒ぎがありまして…
アーケイイックの使者を名乗る男が逃走中です」
「アーケイイック?」
またその名かよ…
「で?何したんだよ?」
「ラーチシュタットを素通りしようとして止められたそうです。
積荷を改めたら、シュミット様のご遺体が出たらしいのです」
「シュミット!?
あの小言親父死んだのか?」
ヒルダの世話係だ。
昔から小言の多い奴だったが、情の深い良い奴だった。
ヒルダはあいつ以外受け付けなかった。
エラい奴が死んじまった…
「何で死んだんだ?っていうか、何でアーケイイックに?」
わけがわからん…
何であっちもこっちもややこしくなってんだよ?
「我々にも分かりません。
とりあえず、その使者を拘束しようとしたら抵抗されて逃げられたそうです。
大きな黒い狼の背に乗って逃げたそうです」
「…まさか…その使者とやらを探すとか言いませんよね…」
「何言ってんだよ、アルフレート?」
お前もまだまだ俺の事を理解してねぇな…
「ちょっくら探しに行ってくるわ」
「…二日も徹夜は嫌ですよ」
「徹夜続けたら、眠いの通り過ぎてハイになるぜ!」
「トリスタン様だけですよ…」とブツブツ恨み言を言いながら、アルフレートは俺の後ろを付いてくる。
別に、先におねんねしてても良いのによ。
律儀なやつだ…
「まだ、魔力残ってるか?」
「トリスタン様が寄り道した時のために、少しだけ残しています…」
不承不承といった様子で、彼は雑嚢から小鳥の形をした木彫りの人形を出した。
それを空中に複数投げると、全て生きてる鳥に姿を変えた。
「《探せ》」という合図で小鳥たちが散り散りに飛んで行く。
「《人形使い》ってのは面白いな」
「お家芸です。
教えませんからね」とアルフレートは意地悪を言う。
面白そうだから教えてくれてもいいのによ…
「俺は覚えはいいんだぜ」
「だからですよ。
天才には凡人の苦労は分からないんですから…」
眠そうな顔に、嫌そうな顔が追加される。
面白い顔だ。
彼は五分と経たないうちに不審者を見つけ、俺に場所を教えた。
「二時の方角、ここから二百メートルくらい離れてます…
壁を確認していますね…」
「行ってくるわ」とアルフレートに言って、彼に教えられた方に駆け出した。
近くの荷車を踏み台にして、背の低い屋根に駆け上がる。
そこからまた別の屋根に飛び移り、屋根を伝って直行した。
建物の路地を縫うように走るより、屋根を走った方が早いし面白い。
《縮地》を使えば、多少の距離があっても飛び越えれる。
単純な、相手に肉薄したり、後ろを取るだけの技じゃない。
跳躍力を瞬間的に底上げしたり、蹴りなどの威力を上げるのにも応用できる。
変わった呼吸が必要だが、《寿本》という国では、魔力に頼らない体術が一般的なのだそうだ。
気だの呼吸だのを操る、変わった戦闘民族だ。
屋根伝いに壁の近くまで行くと、黒く動く生き物の姿があった。
確かにでかい狼だ…
あれならちょっと乗ってみたいな…
狼が、屋根の上の俺に向かって唸り声を上げた。
「…どうした、アヴァロム」と怪訝そうな男の声がした。
俺の死角になってた屋根の影から、こちらを伺うように男が顔を覗かせた。
「よお、あんたがアーケイイックの使者か?」
俺の問いかけに驚いて、彼は屋根の下にまた隠れてしまった。
恥ずかしがり屋かよ?
「…来るな」
「やだね」と応答して屋根から飛び降りた。
「あれ?お前…」アーケイイックで見た顔だ。
向こうは向こうで俺の事を覚えていたのか、あからさまに嫌な顔をした。
そういうの良くないと思うけどな…俺だって傷つくぜ…
「お前がアーケイイックからの運び屋か?
王子様なのにパシリさせられんの?」
「それ以上私に近づくな!」と王子が怒鳴った。
彼を守るように、牛くらいの大きさがある狼が間に入ると牙を剥いた。
俺が動いたら飛びかかってくるつもりだろう。
腰の《狂女》がカタカタと震えた。
こんな所で暴れてくれるなよ…
そっと剣に触れて亡霊をなだめる。
「この狼邪魔だ、退かせよ」
俺の提案を王子は「承服しかねる」と跳ね除けた。
そりゃそうだろうよ…
「じゃあ、斬るぜ…
可愛いペットがぶっ殺されるのを見たくなかったら引っ込めろ。
それとも試してみるかい?
騒ぎになったら他の奴らも集まってくるぜ。
困るだろ?」
相手が怯んだ空気を出した。
どうやら俺に勝てる気がしないらしい。
「…話を聞いて欲しい」と王子は消えそうな声で言った。
狼を引っこめる条件は割と楽な内容だ。
「安心しろよ、俺はここでは割と偉い奴だ」と安請け合いすると、王子はボソボソと話し始めた。
「没収された荷物の中に、陛下からヴェストファーレン殿への書簡と、私の便宜を図るヴェルフェル侯爵の書状がある…
責任のある者に確認してもらいたい…」
「分かった分かった、確かめてやるから、まずはこのワンワン退けろや。
あと声ちっせぇよ」
俺ってそんなに恐ろしい見た目してんのか?
「あと武器とか持ってたら出せよ?
今こっちは《蜘蛛》の件でピリピリしてんだ。
後々ヤベーもんが出てきたら、俺が文句を言われるんだからよ」
「影で飼っている狼以外は武器はない。
剣も杖も船と一緒に置いてきた…」
王子はそう言って、狼に影の中に入るように言った。
影の中に吸い込まれるように狼が消える。
ウィルのグレンデルに似ている。
こんなんも居るんだな。
おもしれぇな、アーケイイック…
「今持ってる物見せな、ポケットの中のもんも全部だ」
「だから武器はない」
「何も取りゃしねぇって…
魔石の指輪とか腕輪してるだろ?
俺は用心深いが約束は大事にする男だ」
「…分かった」
渋々といった様子で、王子は装飾品を外して差し出した。
指輪を四個、腕輪三個、ブローチ二個、ピアス、首飾り…
全部魔石だ。
しかも、純度も高そうで触っただけで高価なものだと分かる。
「…まぁ、王子様だもんな…」
戦いには向かない、補助魔法のようなものばかりだ。
あとはハンカチと方位磁石くらいだ。武器と呼べるようなものは無い。
「これで全部か?」
確認すると王子は黙って頷いた。
大人しく全部出したみたいだが、一応確認のため服の上から身体を触った。
「やめろ、言う通り全部出した!」
「俺がやるか、別の奴がやるかの違いだ」
そう言って腰の辺りに触れると、服の下に、四角い固いものを見つけた。
「…それは関係ない」
「なら出せって言ってるだろ?」
面倒くせぇな、と内心思いながらポケットを勝手に探った。
王子の顔が曇る。
どんなヤバいもんが…
「…は?」つい声が漏れた。
四角い手のひらに収まる黒い煙草入れ。
同じものを持っているが、この雲雀の象嵌は割れていない…
言葉を失った。
驚いて王子の顔を見る。
これは親父殿が特別に作らせた品だ。
世界中探しても、俺とヒルダしか持っていないはずだ…
「…ヒルダが渡したのか?」
俺の問いに目の前の男が頷いた。
「装飾品は全部渡すが、それだけは返して欲しい」と俺に真剣な顔で言った。
「嘘だろ?こんなもんが、あれ全部より価値があるってのか?」
「ある」と即答した彼の目に涙が滲んだ。
「あんな装飾品いくらでも作れる。
でもそれの代わりは無いんだ…
だからお願いだ…返してくれ…」
マジかよ…
目の前の男は、いかにもお上品なお坊ちゃまみたいな風体で、整った綺麗な顔は線が細くて女みたいだ。
浅黒い肌、大きな深緑の瞳、絹糸みたいな銀色の髪、そしてエルフの長い耳…
全てが作り物のようで、俺の目にもキレイに映る。
ヒルダ…
お前、バカだな…こいつに惚れたのか?
「…お前、名前は?」
そう尋ねながら奴の宝物を返した。
王子は驚いた顔をしたが、手を伸ばして受け取った。
「錬金術師の王の第一王子、イール・アイビスだ」
「俺は知ってるだろ?」と尋ねると彼は頷いた。
「トリスタンといったか?
貴殿とは以前会っている」
「へぇ、喋ってないのに覚えてくれてるのは弟としてか?」
少し茶化してやった。
王子は案の定嫌な顔をした。
王子に持ち物を全て返してやった。
「良いのか?」
「お前から物とったら俺はヒルダにぶっ殺される。
命は惜しいんでな…」
それにしてもまぁ、随分お高い奴に目をつけたもんだ…
ヒルダよ、お前、高望みしすぎじゃねえか?
王子様だぜ、王子様!
こいつが相手じゃ、お前と並んだらどっちが女か分かんねぇよ。
まぁ、それも笑えるか…
✩.*˚
「疲れたろ?
俺の家だ、好きに使え」
そう言って、トリスタンはソファに乱暴に身体を投げ出した。
彼は、隠れてた路地から私を連れ出すと、堂々と飛竜船で降りた場所まで私を連れて歩いた。
兵士達から私を引き渡すように要求されたが、彼はそれを突っぱねて、『俺の預かりだ』と言って守ってくれた。
『手を出したヤツは俺が斬る、俺は言ったことは守るぞ』
味方相手に無茶苦茶な事を言う奴だが、おかげで助かったのも事実だ。
彼が居なければどうなっていたか分からない…
侯爵の書状を城主に確認してもらい、通る許可を貰った。
明日、案内も付けて送り出してくれるそうだ。
トリスタンは私に、『腸詰食ったことあるか?』と言って酒場に案内した。
初めて見る料理を私に勧めて、彼は楽しそうに酒を飲んでいた。
無茶苦茶な男だが、ただのイカれた人間ではないらしい。
兵士達はトリスタンを見ると挨拶して行くし、彼もそれに応えていた。
『言ったろ、俺はここでは偉いやつなんだぜ』と嘯いて子供みたいに笑う。
城主は泊まるところを用意してくれたそうだが、トリスタンが自分の家に泊まれと言うので、その言葉に甘えた。
正直言って、沢山の人間に囲まれるのはもう疲れていた…
トリスタンはソファに寝転がったままシュミットのことを尋ねた。
シュミットの連れてた従者が《蜘蛛》だった事を伝え、ヒルダのことも隠さず伝えると、トリスタンは「そうか」とだけ答えた。
それ以上追求しないので、逆に私から質問した。
「彼女が心配じゃないのか?家族なんだろう?」
「別に…生きてんなら大丈夫だろ?」
トリスタンは冷たくそう言った。
その言い方があまりに薄情で、つい言葉が強くなる。
「家族が傷ついてるんだぞ!何とも思わないのか?」
「だから?俺に慰めろってか?
それこそあいつは受け入れねぇよ。
あいつは頑固だから、人の言うことは聞かねぇし、意地張って全然可愛げがねぇ…面倒くさい女だ」
彼はそう言いながら天井を眺めていた。
「シュミットは良い奴だった…
俺だってそれは認めるぜ。
でもあいつも南部の男として、ヴェルフェルとヴェストファーレンを誇りにしてた。
あいつにとってヒルダはただの主人じゃない。
あいつ自身の魂だ。
あいつが満足して死んだならそれでいいじゃねえか…
それに、たかだか部下一人の死にこだわるような奴は足手まといってんだ…」
「酷い言い草だ…」
「俺はあんたみたいにおキレイじゃないもんでね…」
彼はそう言って自嘲するように笑った。
「あんたアーケイイックからずっと飛んできたんだってな。
空からラーチを見たんだろ?
街道沿いの他の砦と、随分毛色が違うと思わなかったか?」
「随分頑強に作られてた…」
「だろ?
ここはそういう所だ…
皆、ここから《死者の船》に乗る。
乗らねえやつは次の船だ…そんだけの違いさ…」
人の世から離れた魂が乗り込む流転の《死者の船》。
その船に乗せられた魂は、雲雀を連れた女神・《ニクセ》に案内され次の魂のあるべき場所に送られる。
「俺も同じだ」と彼は呟いた。
「ここに居たら皆いずれそうなるさ…
嫌な奴は出てけばいいんだ…そんな奴に背中を預けるなんて俺は御免だ」
彼はヒルダにここから出ていって欲しいのだろうか?
意地の悪い言い方をしてるが、彼は複雑な思いを持っているのだと知った。
「…なんだよ…
俺はあいつの心配なんかしてねぇからな。
そういう奴がいると困るって話だ」
彼はそう言って罰が悪そうに煙草を出して咥えた。
ソファの背の向こうから紫煙が揺らめいた。
「つまんねぇ話だ…
お前も他所でこんな話するなよ、クソみてぇな話だ」
「酔っ払いの話は聞かなかったことにする」
「そうしな」と彼は煙を吐いて笑った。
「俺はこのまま寝るからよ、お前あっちの部屋で寝ろ」
そう言って、彼は煙草を持った手で隣の部屋を指した。
寝室を譲ってくれるという意味らしい。
「私はどこでも構わない」と言うと面倒くさそうな返答が返って来る。
「昨日から寝てねぇんだ、もう動けねぇよ…
言っとくが、俺は綺麗好きなんだ。
犬の毛撒き散らすなよ」
確かに、この家は男一人の住まいにしては小綺麗だ。
粗野な態度のこの男は意外と繊細らしい。
「今日は貴殿に救われた。
感謝する、トリスタン」
「別に…俺のしたいようにしただけだ…」
彼はそう言って、手の届く机の上の灰皿に、煙草を捨てた。
本当にそのまま寝るようだ。
彼を残して隣の部屋の扉を開けた。
几帳面に整えられた寝台を見て、彼の几帳面さの理由を何となく察した。
いつ死んでも良いようにしているのではないか?という思いが頭をよぎる。
彼は常に《船》に乗る覚悟してるのだ…
私とは違う意味で片付けられた部屋に、彼の人間性を垣間見た気がした。
畳まれた毛布は一つしかない。
当たり前だ、一人暮らしの男のなんだから…
居間を覗くと、彼はもう眠っているようだった。
腕を組んで、狭そうなソファで身体を伸ばしたまま寝ている。
長い足がはみ出して、寝にくそうだった。
少し迷って寝室に戻る。
少し悪い気がしたが、断るのも失礼なので大人しく寝ることにした。
上着を脱いで、ベルトを外し、シャツのボタンを緩めるとベッドに入った。
毛布に染み付いた煙草の匂いは、バニラではなく柑橘の匂いが混ざっていた。
✩.*˚
翌朝、まだ暗いうちに彼に揺すって起こされた。
何事かと驚く私に、トリスタンが面倒くさそうに告げた。
「顔洗って、体拭いて着替えな。
小綺麗にしたら飯食って出る用意しろ」
私をベッドから追い出すと、すぐにシーツを新しいものと交換していた。
口は悪いが随分世話を焼いてくれる。
肌着は新しいものをくれたし、身体を拭くためにわざわざ湯を用意してくれた。
シャツも新しい自分のものを貸してくれた。
何故彼が私にここまでするのか分からなかったが、世話を焼く彼は機嫌が良さそうだ。
焼きたてのパンを切って、ベーコンと卵を挟んだ質素な朝食を出されて口にした。
ミルクは温めてあった。
「俺が王子の腹を下したら、親父殿にまたドヤされる」と彼は言っていたが、苦にしてる様子がないのを見るとそういう性分なのだろう。
「何故ルイに意地悪をしたんだ?」
ずっと気になっていた事を訊いてみた。
彼は煙草を咥えて、「退屈だったから」と平然と答えた。
「アーケイイックってのは俺より強いやつが居るんだろ?
俺はもうこの国じゃ最強の部類だ。
ヒルダ以外誰も遊んじゃくれねぇよ」
彼は煙草を咥えたまま皿を片付けて、パン屑を捨てた。
「でも俺はまだ伸び代があるはずだ。
強くなる機会があるなら逃す手はねぇだろよ?
純種の狼男とは戦ったことねぇし、あいつが獣人達のボスなら強えはずだ」
「呆れた…そんなことであんな真似を…」
この男はやっぱり頭がおかしい…
「弱い奴といくら手合わせしても強くなれねぇんだよ。
あいつは強かったぜ、また喧嘩してえ…
お前あいつより偉いんだろ?
相手しろって言ってくれよ!」
「…理解に苦しむ…まるで子供だ」
私の返答に彼は、ははっと笑い飛ばした。
「男なら強くなりてぇって思うと思うがねぇ…」
「普通の男と、貴殿のそれとは違う…
貴殿のは病的だ」
「病気か、そうかもな。
でもそうやって歪みに歪んで育ったから仕方ねぇだろ?
俺の不幸自慢でも聞くかい?
なかなかお涙頂戴な可哀想な生い立ちだぜ」
「時間が無いので結構だ」
「あっそ」
彼は残念そうに肩を竦めて苦笑した。
本当に何を考えてるのか分からない奴だ…
彼は水回りを片付けると戻ってきて、私の目の前の椅子に乱暴に座った。
机に頬杖をついて、私に向かって斜に構えた。
「あんた俺より弱くて良かったな、見逃してもらえて」
「剣も杖もなしで戦えるわけが無いだろう?」と言い返すと、トリスタンは左右の色の違う瞳で私を眺め、ニヤニヤと笑っていた。
「俺だってべそかいてる奴と好き好んで戦わねぇよ」
口元に意地悪い笑みが張り付いている。
やっぱりこいつはふざけた嫌な奴だ…
この男と話してると、ミツルとは違う意味でイライラしてくる…
「ありゃま…王子、拗ねちまったか?」とトリスタンはふざけた態度を崩さずに笑った。
その態度がまた癇に障る。
「そんな子供みたいなことはしない」と言ったものの、さらに彼の笑いを誘っただけだった。
「あんたガキみたいで可愛いな」と私をからかう。
お前よりずっと年上だ!
「どういう意味だ」
そう言って睨むが彼は全く気にも留めない。
「そのまんまさ」とトリスタンは小さく笑って、また席を立つと、壁にかかった黒い上着を手にした。
指揮官を思わせる、かっちりとした軍服を着込み、佇まいを整えると、トリスタンは家の中を確認して回った。
「仕方ねぇから城まで送ってやるよ、王子様」
「子供扱いするな」
「へぇ…一人で大丈夫かな?
また兵隊に追い回されてべそかいても知らないぞ、お坊ちゃま」
イヤな奴!
腹が立つが確かにその通りだ。
私の見た目では、またすぐ見咎められるかもしれない。
昨日の一件が解決したと知らない兵がいれば追い回されるかもしれない。
「俺も偉い爺さんにガミガミ言われるのは嫌なんでな。
あと途中で放り出すのも性分が許さねぇ。
もうちょっとだけ仲良くしようぜ」
トリスタンはそう言って私を促した。
「…仕方ない」
彼の提案よりいい方法もない。
席を立って荷物を手にした。
トリスタンの家を出ると、外で遊んでいた子供達が彼を見つけて歓声を上げた。
トリスタンは子供に手を振って応えていた。
「随分人気があるんだな…」
「あったりめぇだ、俺はヴェストファーレンで、《英雄》だぜ。
ガキ共はそういうのに憧れるもんだ」
「ヒルダもか?」
「男の子は盾より剣が好きなんだよ。
俺の方が人気者だ」
自慢げに笑うトリスタンに、私を見た子供が尋ねた。
「この人誰?」
「あー…何だろな?友達?みたいな?」
また適当なことを言う…
「黒い肌のエルフだ」
私の肌と耳を見て子供達は珍しがっていた。
私の姿はやはりここでは珍しいようだ。
子供はこういうものに敏感に反応する。
「何だよ?悪いか?」とトリスタンが笑った。
「俺だって目の色左右で違うだろ?」
「うん」と子供達が頷く。
「違うってカッコイイじゃねえか?
つまらねえこと気にするんじゃねえよ」
「そっか」と子供達は驚くほど素直に受け入れた。
「どこから来たの?」とか「何しに来たの?」と子供達は私に矢継ぎ早に質問した。
同時に子供達に話しかけられて、慣れてない私は混乱した。
「時間ねえからまた今度な」とトリスタンは慣れた様子で子供達を置いてさっさと歩き出してしまう。
私は子供達に謝って、慌てて彼の後を追った。
追い付いた私に、「お前も人気者だな」と彼は煙草を咥えながら笑った。
「ガキ共可愛いだろ?」
意外なことを言いながら煙草を吸い始める。
「アイツらこんな所に住んでるってのに、なんにも心配してねぇんだ。
笑っちまうよな…
ここがオークランドに取られるとアイツらも俺達みたいになる」
「貴殿らは戦災孤児か?」
「分からん。
でもここよりもっとオークランド寄りの宿営地に居た傭兵に拾われた。
ヒルダも…まぁ、似たようなもんだ…」
彼はヒルダの事になると言葉を濁した。
「俺は早くから《祝福》を使いこなしてたから、噂を聞きつけた親父殿が俺を引取りに来た。
ヒルダもその時一緒に引き取られた。
いい事だったんだろうな…多分」
どうにも嫌な言い方をする。
「でもよ、あいつはああ見えて女なんだぜ」
トリスタンはため息と共に煙を吐いた。
彼はやっぱりヒルダをここから追い出したいのだ…
「女が男守ってちゃいかんだろうよ?
女は男に守ってもらえば良いんだよ…
なあ、あんたもそう思うだろ?」
「…何が言いたいんだ?」
「誰か、丁度良い奴が貰ってくれればって話しさ」
トリスタンはそう言って「あんたでもいいんだぜ」と笑った。
「体良く押し付ける気か?」
「嫌か?好きなんだろ?」とトリスタンは当たり前のように言う。
そんなの言えるわけないだろう…
「そういうのは彼女に言うんだな」
「あいつが首を縦に振るかよ?
あんたも意地っ張りで頑固そうだな…あいつにピッタリじゃねえか?
あんただって満更でもないんだろ?」
「そういう関係じゃない」
「へぇ、そうかい?残念だ…」
トリスタンは複雑な顔で笑った。
青と赤茶の瞳に僅かに落胆の色が見えた。
「煙草入れは絶対に親父殿に見せるなよ」とトリスタンが私に忠告した。
「何故だ?」
「ヒルダが親父殿に《気に入った奴》にやったって言ったからだ…
あんたの事と知ったら心臓止まるぐらい驚くだろうな」
「…そんな事…」
本当に彼女がそう言ったのか?
そう確認したかったが、確認すれば私の思いを晒すことになる。
それは出来なかった…
「余計なお世話だよな?
あんたは王子様なんだから…
あんな男女じゃなくてもっとキレイな女選び放題だ…」
トリスタンはそう言って口を閉ざした。
彼の期待に応えられるような返答は出来ない…
いいんだ、これで…
トリスタンの後ろを歩きながら、そう自分に言い続けた。
✩.*˚
『あんたいつも一人だね』と俺に話しかけた少女は同じくらいの年頃だった。
金色の波打つ長い髪と、落ち着いた緑色の瞳の少女。
彼女は俺の隣に座って『イルゼ』と名乗った。
『そんな大きな剣振るえるの?』
『…使えなかったらもう死んでる』と答えると彼女は俺にパンを差し出した。
『食べなよ、腹ぺこで死にそうな顔だよ』
イルゼはそう言って、一人だった俺に食べ物を分けてくれた。
誰が親なのか、親の顔も知らない。
気が付いたら傭兵達の中で暮らしていた。
乱暴に扱われて、食事もろくなものを貰えなかったが、それでも最低限の死なない程度の暮らしにはなった。
彼らに混ざって戦場で落ちてる矢や剣を拾って集めるのが子供にできる限られた仕事だ。
そんな仕事も、僅かに食いつなげる程度の稼ぎにしかならない。
『あんた名前は?』
『ない…《孤児》とか、《変わり目》って呼ばれる…』
『《変わり目》?』
『…右と左で目の色が違うから…あと《犬》って呼ばれる…』
左右の色の違う瞳が犬を思わせるのだろう。
野良犬みたいな俺にはピッタリだった。
そんな俺に、彼女は《イザーク》という名前を付けた。
俺はやっと人として扱われた。
彼女にしてみれば、犬でも拾ったようなそんな感覚だったのだろう。
でも俺には家族ができたような、そんな気分だった。
しばらくして彼女の仕事を知った。
大人に春を売る仕事…
そうやって稼いだ金で、俺のパンを買ってたのを知った…
子どもの姿の俺達には、食うためには危ない場所に行って武器を拾うか、金を落としてくれる大人たちに体を差し出すくらいしか生き抜く術は無かった…
そんな折り、矢を拾っていたらオークランドの敗残兵に襲われた。
子供でも容赦なく襲ってきた。
誰も助けてくれる奴は居ない。
無我夢中で、気が付けば、落ちてた剣を振るって《祝福》を使っていた…
赤い水溜まりに倒れた男は、下顎より上が無くなっていた。
そいつを殺してから、自分には不思議な力があると知った。
傭兵達の間で噂になって、戦いに出る時に連れていかれるようになったのはこの頃だ。
連れて行かれる時には必ず食事が貰えて、帰ってくると報奨金が貰えた。
敵を殺せばそれに応じて金を貰えた。
やっと彼女に恩を返せると思った…
人を殺して貰った金でも、あいつに春を売らせて手に入れた金に比べれば、パンを食べる事に罪悪感を感じ無かった。
イルゼはそんな俺に『行かなくていいよ』と言ったが、俺に出来るのはそんな程度だ。
楽しいフリしてオークランド人を殺しに行った。
来る日も来る日も、人を殺して手に入れた金を少しずつ溜め込んだ。
俺だけの稼ぎで、二人で食うのに困らなくなったら、一緒に住める家を探そう…
こんな汚ねえ、ちっさいテントじゃなくて、ちゃんとした家だ。
暖かい暖炉があって、隙間風の入らないちゃんとした壁のある家がいい。
寝床は一つで良いだろう?
俺とお前が眠れる広さがあれば十分だ。
俺がお前を守るから…
嫌な仕事はさせないし、金だってちゃんと稼いで帰ってくるよ。
だから、このまま二人で生きよう…
勝手だよな?
そんな事、本気で思ってたんだから…
でもよ、今でもそうだったら良かったなって…そんな風に思ってる。
好きな女の幸せを願うのが、そんなに悪い事とは思えないんだがな…
✩.*˚
トリスタンは私を城まで送ってくれて、自分の部下を一人付けてくれた。
背が高く、がっしりとした体型で、顎髭を整えた若い男だ。
手にした槍は随分使い込まれているようだった。
「このでかいのはエバーハルト・ランゲだ。
公用語も使えるし、親父殿もよく知ってるから話が早い。
俺の代わりに連れて行け」
「よろしくお願いします」と大男は私に頭を下げた。
「こいつは俺みたいに口悪くないし、アルフレートみたいにグチグチ文句も言わねえからな。
まぁ、デカくて邪魔になるのが欠点だ」
「貴殿は一緒ではないのか?」
私は彼が付いてくるものだと思っていた。
トリスタンは「行かねぇよ」と笑った。
「親父殿は、俺が呼ばれてもないのに顔出すと渋い顔をするんだ。
嫌われてんだろな」
「…そういうものなのか?」
「そういうもんだ」
それは寂しくないか?
陛下は私達が顔を出すと喜んで迎えてくれる。
どんなにやりかけの仕事があっても、相談すれば耳を傾けてくれる。
穏やかな声で一人一人の名前を呼んで、子供を抱きしめるのが大好きな優しい父親だ。
ヴェストファーレンは違うのだろうか?
「それはトリスタン様がいつも問題を起こすからでしょう?
大旦那様は貴方を嫌っちゃいませんよ」ランゲは巨漢に似合う大きな声で笑った。
彼の言葉を聞いて少し安心した。
「殿下。
この人は粗野だし、後先は考えないし、自分勝手で無茶苦茶な人ですが、根は良い人間ですよ」
「何だよ、煽てても何も出ねぇからな」
「半分以上悪口です」と言って彼はまた笑った。
確かに悪口の方が多い…
それでもトリスタンは楽しそうに笑っていた。
彼らもまた仲が良いのだろう。
友人同士でじゃれあってるような感じだ。
「じゃあ、王子様を頼んだぜ。
帰ったら酒くらい飲みに連れてってやるよ。
あぁ、王子はアーケイイックに戻ったらヒルダにメソメソすんなって伝えてくれ」
そう言ってトリスタンはさっさと立ち去ろうと踵を返した。
私に礼を言う暇も与えてはくれない。
「トリスタン!」
私の呼び掛けに、彼は少しだけ振り返って、子供達にしたように手を挙げて応えた。
「礼だ、受け取ってくれ!」
青いブローチを一つ外して彼に投げた。
弧を描いて、装飾品は彼の手の中に収まった。
驚いた顔をした彼にそれが何なのか教えた。
「回復魔法が刻まれている。
使い方は分かるだろう?
止血や応急処置に使える。
世話になった礼だ、要らないとか言うなよ!」
「…先に言うなよ」とトリスタンが苦笑いする。
彼は少し迷って、上着の見える位置にブローチを飾った。
「あまり部下に迷惑をかけるなよ!」と釘を刺すと彼はまた意地悪く笑った。
「お前こそ!道中べそかくなよ!」
相変わらず嫌な奴だ。
照れ隠しか?
「またな、イール!」
馴れ馴れしい…ついに呼び捨てにされた。
まぁ、私も彼に《殿》と付ける気はサラサラない。
「トリスタン様、相手は王子ですよ」
トリスタンは部下に無礼を咎められたが、「良いんだよ、友達だ」と笑った。
彼はまた踵を返して颯爽と歩き去った。
変わり者だが、彼はヒルダの弟だ。
彼女の顔に免じて彼の無礼は許すことにした。




