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魔王と勇者のPKO  作者: 猫絵師
フィーア王国交流編
45/58

散髪

鏡の前で、髪の毛にハサミを入れた。


金色の髪が、あたしから切り離されて床に散らばった…


かなり思い切ってやったから、もう後には引けない。


ハサミを進め続ける。


やっぱり自分だとやりにくい…


『お嬢様』とドアから呼ぶ声がした。


誰も入ってこないように鍵を閉めてたから、不思議に思ったんだろう。


『入ってくんな、ライナー』と彼を拒絶した。


『鍵なんていつもかけてないでしょう?


何をなさっておいでですか?』


ノックと心配そうな声が廊下から響く。


騒ぎにしたくなかった。


『何も…』


『嘘おっしゃい!何か隠しておいでだ!』


ドアノブがガチャガチャとやかましく騒ぐ。


『やめろって!』


『何か思い詰めておいででしたよ!


何を考えているのか知りませんが、私の目は誤魔化せませんからね!』


『分かったよ!騒ぐなって!』


誰か来たらどうするんだ…


本当にドアを蹴破ってでも入ってきそうだったから、あたしが先に折れた。


ドアを開けたあたしを見てライナーが目を見張った。


『何です!その髪は!』


『自分で切った…あたしには必要ないだろ?』


『大旦那様が見たら…』とライナーが青い顔して言葉を失った。


また親父殿か…


『親父殿に必要なのは女じゃなくて戦える奴だ…


こんな長い髪は邪魔だ…』そう言って手に持ってた髪の束を捨てた。


『だからって…なんて事を…』


床にちらばった髪の毛を集めながら、彼は嘆いていた。


あたしの髪を整えるのも、この男の仕事だったから、思い入れがあったのかもしれない。


あたしだって辛くないわけじゃない…


辛いから髪を切ったのだ…


親父殿への未練と一緒に髪を捨てた…


そんな事、誰にも言えるわけが無い。


あたしの好きは、父親への好きではなく、男へのそれだった。


出会った時からずっと…


床にちらばった髪を丁寧に集めると、ライナーはため息を吐いて鏡台の椅子を引いた。


『…座ってください、私が整えますから』と彼は諦めたようにそう告げた。


どっちにしろ、もう半分以上切ってる。


誤魔化すのは不可能だった。


あたしは頷いて彼の前に座った。


『男みたいにして…』と注文をつけた。


『かしこまりました』


鏡越しに彼を見ると眉間に三本シワが出来ていた。


まあ、そういう顔になるよな…


再び髪にハサミが入る。


彼は器用な手つきであたしを男に近づけていく。


『慣れてるんだな』


『戦に出れば床屋には行けませんからね』と彼は答えた。


『同じ部隊にいた床屋の息子に習いました』


彼はそう言って後ろを整え終わると、左右のバランスを見ながらあたしの髪をさらに短くした。


『…無理して男にならなくても』と彼は言ったが、女を辞めるのと男になるのはセットだ。


『いいんだ、これで嫁に行かなくて済む』


『…そんなことのために?』


彼は切った髪を払う手を止め、鏡越しに私を見た。


シュルツという騎士の家から縁談があったと耳にした。


こんなじゃじゃ馬を欲しがる奴が居たらしい。


別にその男が嫌いとかそういうことじゃない。


親父殿への当てつけでも無い。


ただの意地と我儘だ…あとは少しの未練…


『親父殿には、死ぬまであたしの面倒見てもらう』


『はぁ…左様ですか…』


『あんたもだよ、ライナー』


『私もですか?』


『髪切ったろ?共犯だ』


『…なるほど、そう来ましたか…』


『ずっとあたしの髪を切らせてやるよ』


あたしの言葉に『嫌な仕事更新です』と彼はため息を吐いた。


『男になったんだ、煙草も覚えるさ』と笑うと彼は苦い顔をした。


『おやめなさい、いい事ありませんよ』


『お前だって煙草飲みだろ?』


『まあ、嗜みますが…』


『じゃあ問題ないだろ?』


『やれやれ…どうしようもないお嬢様だ…』


半ば諦めたようにライナーは嘆いた。


良いんだよ、ライナー…


あたしの幸せはあたしが決めるんだから…


お前は軽口叩きながら、あたしの後を付いてくれば良いんだよ。


✩.*˚


眩しいな…


そう思ってうっすらと目を開けた。


どうやらあたしはまだ死んでないらしい。


毒の摂取量が少なかったか、解毒が間に合ったのか?


どちらにしても寝てる場合ではない。


身体を起こそうとしたが、自由が効かない。


痺れたような感覚がまだ残ってる。


「…ラィ、ナー…」


近くに居るだろ?呼んだら来いよ…


「ヒルダ?」マリーの声が聞こえた。


「目が覚めたの?今喋った?大丈夫?」


矢継ぎ早に質問する彼女はあたしの手を握った。


「私今どっちの手握ってるか分かる?」


「右だろ?痺れてるけど分かるよ…」


「じゃあこれは?指何本見える?」そう言って彼女は両手で指を立てた。


右二本と左一本指を立てて見せる。


「三本」


「良かった…」とマリーがその場に座り込んだ。


随分心配してくれたみたいだ…悪い事をした…


「…マリー、ヘイリーは無事か?」


「彼は無事よ。


シュミットが逃がしたそうよ」


「そうか…褒めてやらないとな…」


やっぱりあいつは頼りになる。


それに比べてあたしは油断しててこの(てい)たらくだ。


それにしても、目を覚ましたら一番に飛んでくると思ったのに、彼の姿が見当たらない。


「マリー、ライナーはヘイリーと一緒か?」


「彼なら…貴方の隣のベッドに…」


視線をめぐらせると、視界を遮る衝立(ついたて)が隣にあった。


その向こうにもベッドがあるらしい。


「寝てるのか?」と尋ねるとマリーの仮面が泣き顔になった。


彼女は何も言わないが、彼女の感情を映す仮面を見て、最悪の事態を悟った…


「…やられたのか?」


マリーが黙って頷く。


それが全てだった…


それ以上でもそれ以下でもない。


衝立に向かって手を伸ばそうとしたが、虚しく空を掻いただけだった。


「マリー、これを退けてくれ」


動けない自分に代わって、小さい友人に目隠しを退けて貰えるように頼んだ。


彼女は躊躇って二の足を踏んだ。


「まだ綺麗にしてないから」と彼女は言ったが、そんなこと関係ない。


「良いんだ、見せてくれ」


マリーは「でも…」と嫌がった。


「いい、自分でする」


マリーがしてくれないなら自分でするしかない。


私が起き上がろうとするとマリーが悲鳴を上げた。


「止めてよ!無理しないで!」


「ならこれを退けろ!」


感情が爆発する。


マリー相手でも言葉が選べない…


「ライナーに会わせろ!


今すぐだ!あたしが会うって言ってるんだ!


そんなもの邪魔だ!退かせ!」


「そんなに興奮しないで!」


お互いに引かないから二人で言い合いになる。


ベッドを囲むカーテンの向こうで物音がした。


「マリー、何を騒いでいる!?」


聞こえてきたのはイール王子の声だった。


マリーが慌てて声のした方を向く。


カーテンをめくって彼が中に入ってきた。


「イールお兄様!ヒルダが…」


「気がついたのか?」


「ライナーに会わせろって…」


その言葉に彼も言葉を失った。


みんな知ってるんだ…知らなかったのはあたしだけ…


「お願いだ…」怒りの次に悲しみが溢れた。


「彼に会いたい…」


自分で身体を起こす事も、涙を拭うことも出来ない…


あたしは無力だ…


「…分かった」とイール殿下が静かに答えた。


マリーが兄に抗議したが、彼は「自分が責任を持つ」と言ってくれた。


あんなに邪魔だった衝立は、いとも容易く撤去された。


障害物がなくなり、隣にライナーの横たわるベッドが現れた。


「…ライナー」


「起き上がれるか?


マリー、椅子をくれ」


イール王子が身体を起こして肩を貸してくれた。


彼は、マリーの用意した椅子に私を座らせた。


目の前にはよく見知った顔がある…


もう彼は私を呼ばない…笑いかけることも無い…


青白い顔色は死人のそれだった…


私が彼の死を招いた。


「…よくやった、ライナー」


彼の欲しがるであろう言葉をかけた。


彼は立派に戦って死んだのだ…


守られていただけのあたしに、勝手に死んだと彼を責める権利は無い。


「お前の功を称える…


フィーアの南部に生を受けた男として誇れ」


「…良いのか?」とイール王子が問うた。


「貴殿らはそんなただの主従では無いだろう?


もっと仲が良いように見えたが…」


「…そうだな…


なんでも話せる父親みたいな…そんな人だった」


親父殿に言えないようなことでも、彼とは共有できた。


彼の前では虚勢を張らずに我儘な娘でいられた…


「二人きりにして欲しい」とイール王子に頼むと彼はまた「分かった」とだけ答えた。


「マリー、お前もだ」


「でも…」


「馬鹿な真似はしないだろう?


彼に救われた命だ」


痛い事を言う…


あたしがマリーに頷いて見せると、彼女の仮面は泣き顔になった。


何でマリーが泣くんだよ…


何か思い出させてしまったのかな?


マリーが泣いてたら、あたしが泣きにくくなるだろうが…


カーテンの向こうでドアの閉まる音がした。


「ライナー…」意を決して彼の名を呼んだ。


「あんた、最後までとんでもない貧乏くじだよ」


「ありがとう」とか「ごめん」とかそんな言葉も出てこない。


「誰があたしの髪を切るんだよ…


親父殿が怖くて、あんた以外、誰もこんな仕事したがらないよ。


どうしてくれんのさ…」


眠るような横顔に恨み言を言ってやった。


あたしらはこういうお別れの方がお似合いだよな…


あんたは「また伸ばせばいいじゃないですか」って軽口を叩いて笑い飛ばすんだろうな。


頬に涙が伝う。


太腿の辺りに涙が落ちて染みを作った。


怒りと悲しみが、胸の辺りで虫のように蠢いている。


ムズムズと気持ち悪い…


「こんなに早く放り出しやがって…


もっと世話かけてやる予定だったのにさ。


あんたは身軽になっただろうが、あたしはまた一つ荷物が増えたよ」


《毒蜘蛛》は絶対に許さない…


見つけたら間違いなく殺す。


あたしの一生かけて潰してやる。


頭も足も残さず全ての《蜘蛛》殲滅する。


「あんたの為じゃないよ、あたしの為だ。


あんたの為にあたしの一生をくれてやる気は無いよ」


そんなの気持ち悪いだろ?


あたしはそんな殊勝な人間じゃない。


「あたしは《盾の乙女(シルトメイド)》だ。


手を出した相手が悪かったって、奴らに恐怖を植え付けて、後悔の中で殺してやる」


この屈辱は一生忘れない。


やられたままで、泣き寝入りするような女だと思うなよ!


✩.*˚


何でこうなった…


「カッパー!カッパー!


お前、アルフレートにもなれるのか?」


「真似する?」とカッパーは懐っこい様子でトリスタンに尋ねる。


カッパーに服を着せながら、ウィルがトリスタンを睨んだ。


最初この部屋に来た時に、蛇の姿をしたカッパーを見てしまったので、私は少し気分が悪い。


「トリスタン!カッパーを玩具にするな!


カッパー、君もあの男の言うことは聞かなくていい」


「トリスタン、助けてくれた」


「そうだぞカッパー!お前賢いな!


俺が居なかったらお前も親父殿も《蜘蛛》に良いように振り回されてたんだぜ」


確かに助けられた。


カッパーを襲おうとした《蜘蛛》も、私が追いかけてた《蜘蛛》もトリスタンが仕留めた。


信じ難いが、彼が言うには《蜘蛛》からは変な匂いがするそうだ。


私たちには全く分からない。


「で?何でお前は戻ってきたんだ?」


「…何となく?」と答えるトリスタンは自分でも分からないと言った感じだ。


動物か?


全く、トラブルを嗅ぎつける勘の良さだけは相変わらず獣並だ。


「フィッシャー、お前もだ。


何で連れて帰らなかった?」


「大旦那様、お言葉ですが、大旦那様が手を焼くのに私がお止めできると思いますか?


《狂女》に止められるか、トリスタン様に斬られるかの二択ですよ」


うむ、お前も可哀想だな…


「それより、せっかく俺が《蜘蛛》捕まえたり、忠告してやったのに、無視されるとさすがに傷つくぜ」とトリスタンは不満そうだ。


「確かに今回は役に立ったな…」と私が答えると、ウィルとフィッシャーも苦い顔で頷いた。


「癪ですが…」


「空振りだったら最悪でした…」


「お前ら酷くない?


俺の味方はカッパーだけかよ?」


トリスタンが拗ねながらカッパーの頭を撫でた。


その手で私に触れるなよ…


トリスタンはカッパーを気に入ったようだが、私は屋敷で蛇を飼うのは絶対に許さないからな…


「それはお前の普段の行いの結果だ」と伝える。


彼の信用は悪い方のベクトルを向いている。


問題を嗅ぎつける能力と同じくらい、問題を起こすからだ。


「自業自得だ」とウィルが呟く。


「自由すぎるんですよね…」とフィッシャーも彼に賛同した。


「それより大旦那様、この城の《蜘蛛》はさっきの二人だけですか?」


「分からん、まだ居るかもしれん。


カッパーの護衛だけは何とかしなくては…」


ウィル一人では心許ないな。


カッパーが殺されるのも困るが、それ以上に侯爵の不在がバレるのがまずい…


アーケイイックに残してきたヘイリーとヒルダも心配だ。


ライナーは無事アーケイイックに着いて、預けた手紙を渡せただろうか?


彼が居るなら幾分安心要素が増える。


「ところで、本物のヘイリーは何処なんだ?」とトリスタンが尋ねた。


今回は役に立ったし、少しくらい教えてやるか…


「アーケイイックだ。


ヒルダと一緒だから安心しろ」


「…はぁ?なんでまたそんな事になってんだよ?」


「侯爵も療養だ」


「ふーん…最初っから教えてくれりゃいいのに、俺だけ除け者にして意地悪くね?


親父殿も案外ガキみたいなことするんだな」


トリスタンに言われるとイラッとするな…


お前がもっとしっかりしてたらとっくに相談してる。


「俺、アーケイイック行ってこよっかな?」等と言い出したトリスタンは全く反省していない。


「お前はアーケイイック出禁だ。


ルイ王子にちょっかい出したのを忘れたのか?」


「あー、あいつらまだ怒ってんの?


あいつら冗談通じないのな」


「冗談では済まないことをしたんだ!


絶対勝手なことするなよ!


今度はヒルダが仲裁しても私が許さないからな!」


「おー!怖ぇーな!また串刺しか?勘弁してくれ」


相変わらずふざけた奴だ。


何で数ある弟子の中でこれを息子に選んだのか、未だに後悔する。


「とりあえず、トリスタン。


城にまだ《蜘蛛》が残ってないか確認して来い」


私の指示を聞いて、トリスタンの左右異なる瞳に狩猟犬のような光が宿る。


全く、この獣め…


「アルフレート、行くぞ」と颯爽と出ていこうとする彼をフィッシャーが呼び止める。


「大丈夫、大丈夫」とヘラヘラ笑ってるトリスタンは誰がどう見ても大丈夫じゃない。


「大旦那様!よろしいんですか?


お屋敷でも被害を出したんですよ!」


「私は確認して来いと言ったんだ。


騒ぎは起こすなよ」


「向こうが暴れなかったらなー」と笑うトリスタンは信用ならないが、今の所結果を出してるのは彼だけだ。


フィッシャーが止めてくれれば良いが…


無理だろうな…


トリスタンはカッパーに「またな」と挨拶して部屋を後にした。


「また、って」とカッパーがヘイリーの顔で笑う。


彼もトリスタンを気に入ったようだ。


「…もう来なくていいです…」と疲れた顔のウィルがボヤいた。


私も同じ思いだ…


城の修繕が必要なのは目に見えてる。


さっさとラーチシュタットに帰ってくれ…


✩.*˚


廊下にマリーと並んで立って、薬草の鉢植えを眺めていた。


朝露を含んだ緑の葉に朝日が宿る。


昨晩は寝れなかったから余計に眩しく感じる。


よく生き延びたと思う。


全身の筋肉を弛緩させる猛毒…


生物毒には基本解毒薬は無い。


一部の魚や昆虫に似た毒を持つものが居るが、対処法は、呼吸が安定するまで人工的に酸素を与え、心臓が止まらないように見張ってるしかない。


下手に手を出せば逆効果だ。


毒を吸う希少な魔石も、彼女の防殻に妨害されて使えなかった。


「父上の本に助けられた…」


《シークの薬見本》に蜘蛛の毒の対処法が記載されてた。


陛下の変な発明にも救われた。


水中で呼吸するための口に含む変な道具。


一応使う場所があったんだな…


「本当に彼女は強運ね…


あとものすごく丈夫…」


「確かに…」


毒自体も少量だったのだろう。


二時間もすれば呼吸が戻った。


それは毒が体内で分解された事を示している。


普通の人間より丈夫という《祝福》の効果もあるのだろう。


でも、命が助かったことが彼女の救いとは思えない。


私が過去に味わった絶望を、今彼女は味わっている。


ステファノの遺体を見た時の絶望を、私は今も鮮明に覚えてる。


普通の死に方じゃなかった。


あんな死に方をするような奴じゃなかった…


「…イールお兄様?」


「…何でもない…ステファノを…少しだけ思い出しただけだ…」


「何でもなくないじゃない…」


そう言ってマリーは部屋の方を見た。


「ヒルダ…大丈夫かしら?」と心配を口にした。


蘇生ができるのは生きられる人間だけだ。


シュミットはその枠から外れていた。


全身に毒が廻り、首の傷も致命傷ではないが重傷だった。


血も多く失っていた。


彼の剣は、死闘を示すように歪んでいた。


それでいて、死に顔が穏やかだったのは、安心して死ねたからだろう。


彼は我々がヒルダを助けると信じていたのだろう…


結果的に彼の信じた通り、ヒルダは生き延びた。


「そんなとこで何してんのさ?」と声がしてミツルが現れた。


ミツルも昨夜の話を聞いたのだろう。


お節介を焼きに来たようだ。


「ヒルダが、二人だけにしてくれと言ったから、ここで待ってる」と答えた。


「それって大丈夫なの?」とミツルは訊いてきたが、その答えは私も持ち合わせていない。


ただ、彼女のささやかな願いを叶えてやりたかった。


私にできることなんてその程度だ…


「お前はお節介すぎるんだ、別れくらい二人きりにしてやれ。


陛下は、彼の遺体を早めにフィーアに送り返す意向だ。


あと一時(ひととき)しか一緒に居られないし、彼女は彼の葬儀にも出れない…


今は邪魔してやるな」


「…分かった…それならヘイリーの所に行ってくる」


「彼女が無事だと伝えてくれ」


「分かった。


また後で連れてくるよ」


そう言って彼は素直に帰って行った。


あいつはバカだが良い奴だ。


ステファノが人間に殺されたと知って、私は怒りの矛先を、彼と、彼の世話をしてたベティに向けた。


ルイと陛下が止めてくれなければ、二人の命を奪っていた。


何も考えられないくらい、深く傷ついていた。


それでもミツルは私を許した。


私は本気で彼を殺す気だったのに、彼は懐っこく、私が閉じ込められた塔に上り、扉越しに『友達になろう』と言った。


あいつは本当にバカなんだ…


放っておけないくらいバカだ…


でもそのバカに救われた…


お前なら彼女を救えるのか?


その役目は私では無理なのか?


どうしようもない思いがぐるぐると巡った。


「…イールお兄様、ヒルダが呼んでるわ」


マリーに袖を引っ張られてやっと気づいた。


ヒルダのよく通る声が聞こえた。


「来てくれ」と聞こえた。


「何だ?」と部屋に入ってベットの間仕切りのカーテンを開けた。


「煙草はあるか?」と彼女は言った。


「ダメよ、今は…」とマリーが止めると、ヒルダは、「あたしが吸うんじゃないよ」と少し笑った。


「ライナーに吸わせるんだ。


戦場で、死んだ兵を簡易的に葬る時にする、儀式みたいなものだ」


「どうしたらいい?」


私はポケットから、彼女から預かってた煙草入れを取り出した。


煙草は、最後の一本になっていた。


「火を点けて、彼に咥えさせてやってくれ」とヒルダが言った。


「分かった…」と彼女に応えて、煙草に火を灯した。


バニラの香りを含んだ煙が立ち上る。


硬直したシュミットの口を少しこじ開けて、煙草を咥えさせた。


ヒルダに視線を向けて、これでいいかと視線で問うた。


彼女は満足そうに微笑んで、小さく頷いた。


「…ありがとう(ダンケ)、イール殿下…」


彼女の白い頬にまた一筋涙が伝って、いつの間にか差し込んだ陽の光を含んでそのまま落ちた。


そんな彼女の姿を、美しいと見とれた自分を強く恥じた…

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