友達
「ヒルダ、あなたとってもステキね」
マリー王女が治療してくれると言うので、お言葉に甘えて彼女の部屋にお邪魔した。
服を脱ぐと、腕を固定していた器具や包帯を手際よく外し、マリー王女がそう言ってため息を吐いた。
「筋肉質なのにしなやかで無駄のない身体をしてる。
すごく背も高くて羨ましい…」
「冗談だろ?女が憧れる身体じゃないさ」
あたしはそう言って笑った。
乙女というのは、柔らかな曲線を描く肢体と豊かな胸に恵まれ、華奢なくびれた身体に憧れるものだ。
あたしのように、男を見下ろす身長や、無駄を省いた筋肉質な身体を羨む女なんて居ない。
それでもマリー王女は大真面目で「そんなことないわ」と言った。
「かっこいいと思うわよ。
私は好きよ、とってもキレイだもの」
そう言って彼女は取り出した指輪を嵌めると、あたし体にその手をかざした。
「《透過映像》」
指輪から魔法陣が浮かび上がり、体の中の様子が映し出されているようだった。
かざす位置を少しずつ変えながらマリー王女は映像を確認していた。
「驚いたわ、人間にしては随分治るのが早いのね。
砕けた骨はある程度正常な形になってる。
肺も問題なさそうね、良かったわ。
これなら時間をかければ元通りになりそう…
治癒魔法を緩くしてるのはわざと手を抜いてるの?」
「無理に治癒魔法で直そうとすると意図せずに癒着する可能性があるそうだ。
今回は治療する時間もあるから無理せずに治したい」
「そうね、いい判断だと思うわ。
でも右手が使えないと不便でしょ?
骨折用の水薬分けてあげるから飲むと良いわ」
「専用薬があるのか?」
「そうよ、骨だけ治すから別の組織と癒着しないわ。
効果は私のお墨付きよ」
そう言ってマリー王女が出してきたのは水色の液体の入った小瓶だ。
「骨がくっつく時のムズムズする感じはあるけど、治りは格段に良くなるわ。
味は美味しいものじゃないけど、召し上がれ」
差し出された小瓶を受け取って礼を言った。
「ミツルは嫌な顔してたけど薬だもの、美味しいわけないじゃない?」
「確かに不味そうだ」
水色の液体は粘着質で、蓋を開けると海水のような臭いが広がる。
なるほど…トリスタンにも分けてやりたいな…
あいつ意外と潔癖な所があるから絶対無理だろうな…
意を決して飲むと、少し時間を置いて筋肉の下で何がモゾモゾする違和感を感じた。
腕と肋骨の辺りにまで違和感が広がる。
「我慢してね、ヒルダ」
触りそうになる左手をマリー王女が握った。
「今触ったら骨が曲がるわよ。
ちょっとこのままで我慢してね」
黒い手袋をした小さい手に抑えられて、触るのを諦めた。
小さいな…頼りない子供みたいな手だ…
「マリー殿下、あんたはヘイリーを治せるのかい?」
つい思っていたことを口にしてしまった。
マリー王女の仮面は困ったような表情を見せた。
「絶対とは言わないけど、現状よりも良くするわ」
「あんたは正直なんだな」
その言葉に仮面の顔が少し明るくなる。
変な仮面だ。
異国の演劇にこんなコロコロ表情を変える仮面があったな…
「あら?あなたもそうでしょう?
ヒルダ、あなたは正直で誠実よ。
私のお友達になって欲しいわ」
「いいね、じゃあ今からあたしらは友達だ」
そう言ってあたしが笑って見せると、彼女も嬉しそうな声で「ありがとう」と笑った。
妹ができたみたいで嬉しかった。
「ヘイリーは侯爵だけど良い奴だ。
親父殿が信用して託したんだ。
あたしからも頼んだよ、マリー」
「責任重大ね、できる限りの事はするわ。
アーケイイックはすごいんだから!」
そう言ってマリーはあたしの手からそっと手をどけた。
「違和感なくなったら触ってもいいわよ」
そう言われて右半身を触ったが、痣を触った時のような痛みはあるものの、骨にまで響くような痛みは感じ無くなっていた。
「ヤベーな…
この薬量産できるのか?」
「量産は出来なくないけど、保管が出来ないのよ。
専用の保管庫が必要になるわ」
「そっか、残念」
味さえ我慢すればいい薬なんだかな…
あたしの考えてる事を見抜いて、マリーの仮面がクスリと笑った。
「もし量産できて長期保存出来るようになったらヒルダにも分けてあげる。
友達だもの。
あなたは怪我ばかりしそうで心配だから沢山に持たせてあげるわ」
良い友達が出来た。
「ありがとう、マリー」
あたしは小さな友人に礼を言った。
✩.*˚
「一枚レイズ」
「いいよ、私もコールだ」
お互いのチップが机に投げ出される。
手札を揃えて出して確認した。
「あぁ!また負けたぁ!」
これで七回連続で負けている。
僕の手札は六と三のフルハウス、ヴェルフェル侯爵はキングのフォアカード。
ヴェルフェル侯爵はポーカーを覚えたばかりなのに僕なんかよりずっと上手だ。
「ミツルは弱いなぁ」
そう言ってヴェルフェル侯爵はご機嫌に笑っている。
ボードゲームもトランプも飲み込みが早くて強い。
「もう一回するかい?」
彼は器用に手袋を履いた左手だけでトランプの山札を繰りながら、僕に問いかけた。
ここで止めるのも負けを認めたみたいで悔しい。
それでも続けても負ける気しかしない…
「あー…悔しいなぁ…
何でそんなに強いんです?」
「子供の頃にヴェストファーレンに仕込まれてね。
おかげでゲームは得意だよ。
お気に入りは、《二十八騎》というボードゲームがあるんだけど、二個の賽を振ってお互い十四個の駒を取り合うんだ。
残念ながらアーケイイックにはないね」
「チェスみたいな?」
「まぁそんな感じかな。
四人まで遊べるから、二人二人のチーム戦も出来る。
ヴェストファーレンが気を利かせて持ってきてくれると良いけどね」
綺麗に整えた山札を僕に手渡して、彼はソファに深く腰掛けた。
少し疲れているように見えた。
「なにか飲みます?」
「ありがとう、白湯を貰えるかな?」
遠慮してるのかと思って、「お茶を入れますよ」と言うと彼は首を振った。
「貧血気味でね、お茶はまた今度呼ばれるよ」と彼はやんわりと断った。
どうやらマリーに治療のために必要だと色々採取されたらしい。
「そんなに身体悪いんですか?」
「認めたくないけどね…」と苦笑いしながら白湯を口に運んだ。
随分質素な侯爵様だ。
お酒も飲まないし煙草も吸わない。
飲食する物は全て許可が要るらしい。
お茶くらい体に良さそうなのにな…
割と線の細い感じだけど、見た感じそこまで体調が悪いようにも見えない。
アンバーもマリーも治りにくい持病としか教えてくれない。
まぁ、僕が知ったところで役になんか立てやしないんだけど…
「どうしたの?
そんなに見つめて私の事が好きになったのかな?」
「それは無いです」
「そっか」
彼はふふっと笑ってまた白湯を口に運んだ。
貴族らしいゆっくりとした優雅な所作は見てて綺麗だと思う。
右手が無いと聞いた時は驚いたけど、そんなことは微塵も感じさせない。
アンバーに最初に教えられた《南部の狂犬》などという評価は彼の姿からは想像も出来なかった。
「何か訊きたいことでもあるのかな?」
「フィーアの南部侯はもっと荒っぽい人みたいな印象だったのに全然違うと思って…」
「あぁ…確かに《狂犬》とか《傭兵屋》呼ばれてるようだけど、あれはヴェストファーレンが流した勝手な私のイメージだよ」
「何で?もっといい印象にした方が良くないですか?」
ネガティブキャンペーンじゃないか?
僕がそう思ってると、彼は首を少し傾げて肩を竦めて答えた。
「抑止力だよ。
私はこんな身体だし、ヴェルフェル侯爵領は拝領した時からこの方戦続きだ。
正体不明の《祝福》持ちで、《狂犬》のような男に手を出すのは躊躇われるだろう?
無理やり作った武勇伝を流布して、無理やり強い侯爵に仕立てあげられた。
誰も私がこんなに無様で病弱でつまらない人間だとは知らないのさ」
随分悲観的な考えだな。
「弟がいた頃は良かったが、もうそろそろ秘密を保つのも限界かもしれないね」
「弟?」
「随分前に戦死した。
私に似ない健康的で溌剌としてて眩しいくらいの弟だったよ…」
「大切な人を戦争でなくしたのに、また戦争するんですか?
虚しいって思わないんですか?」
僕の質問に彼は寂しそうに笑って「虚しいさ」と答えた。
「それでも、私の一存で戦争は止められない。
オークランドかフィーアのいずれかが滅ぶまで、この不毛な関係は続くんだよ。
戦争とはそういうものだ」
「終わらそうとは思わないんですか?
だって、沢山人が傷ついたり死んだりするんでしょう?」
「確かに、武力を放棄してオークランドに恭順する道もあるだろう。
そうなれば我が国は隷属国となり、戦場とはまた違う血が流れる。
君も聞いてるかもしれないが、我が国はヴォルガを主神としオークランドに反抗する勢力が建国した国だ。
対して神聖オークランド王国は一神教で、唯一絶対神としてルフトゥ以外への信仰を認めていない。
彼らにとって、ルフトゥへの信仰と国王への忠誠は同じものなんだ。
従わないものは殺される。
もし命は助かっても二度と人間として生きられないだろう…
我々は戦争をする事で自分たちの生命と権利を守っているんだ。
南部侯に強い権限が与えられているのは、オークランドに対する盾であり剣であるからに他ならない」
「でも戦争は…」
「褒められる事じゃないのは知ってる」
言いかけた僕の言葉を遮ってヴェルフェル侯爵は静かな声で言った。
「君は随分平和な世界から来たんだね」と彼は口にした。
「僕の国はもう八十年くらい戦争してないです」
「…そうか、いい事だな」
「それでも国の二千六百年の歴史の中でたったの八十年だから貴方達のことをとやかく言えるほどの期間じゃないのは確かです」
「随分長寿の国だね」と彼は驚いていた。
そりゃそうだ。
僕の世界でも皇室の歴史の長さはブッチギリだ。
「国王である天皇家は二千六百年間変わっていませんからね。
正確な立国の年は分かりませんが、文献上だとそうなります。
何度も侵略されそうになった歴史はあるけど、奇跡的に独立を保っていられるのは先人たちが優秀だったからです。
そうでなきゃ、僕らはとっくに自分達の言語すら無くしていたと思います」
歴史を見ればそんなの珍しくない。
長い歴史の中、文化や言葉を失って消えていった国も民族も沢山いる。
世界を巻き込む大戦は二回もあった。
世界中で紛争は未だに継続されている。
世界から見れば、僕の国は本当に恵まれていると思う。
今日食べるものが無いわけでも、銃弾や悲鳴が飛び交う死体の転がった道を歩いた事も無い。
お金に困って治療が受けれないなんてことも無い。
全ての人に当てはまる訳では無いが、ある程度の基準の生活が保証されてる。
割と平和な日常で、戦争の記憶が薄れるくらいの長い時間が過ぎた。
それでも平和を維持する為の努力を怠れば、僕らの国はすぐにでも地図から消えてしまう。
僕は今頃になって、僕の父の仕事についてもっとちゃんと向き合っていればと後悔した…
僕の父は、僕らの平和を維持するために働いていたんだ…
「安心したよ。
君は私が心配していたほど、戦争について無知ではないようだ」
「僕の父は軍人とは呼べないですけど、それでも平和を維持して、国と国民を守るために働いてます。
必要があれば、外国の治安維持や復興のためにも尽力します。
母も、まぁ、似たような職業です」
この世界で警察官って何に当たるんだろう?
適切なものがなかったので適当な説明になってしまって母には申し訳ない。
「君はお父上の跡を継ぐのかい?」と侯爵は当たり前のように訊ねた。
「僕の国には親の職業を継がなければいけないという法はありません。
名家の生まれでもないですから、自分の能力の範囲で自由に職業を選べます。
一応勉強して、子供達に歴史を教える先生になろうかなって、ぼんやり思ってた程度ですよ」
一年留年してまで大学入って、まさか勇者になるとは思ってなかったけどね…
「先生か。
君にはいいかもしれないね」
ヴェルフェル侯爵はそう言って笑顔を見せた。
「私も君の国に産まれたかったよ。
君達の国に産まれたら私も船乗りになれたかな?」
意外な職種だが、彼は本当にそれになりたかったのかもしれない。
そうでなかったらそんな職業が彼の口から出てこなかっただろう。
「随分ハードな職業に憧れたんですね」と僕が言うと、彼ははにかむように笑った。
「この身体のせいで、外に対する憧れが強くてね。
子供の頃に見た大きな帆船が忘れられない」
なるほど、分からなくもない。
僕もイージス艦見たことあるけど、男の子っていうのは、大きな乗り物が大好きな生き物だ。
「君も見たら忘れられなくなるよ。
アーケイイックには海が無いから、ゼーアドラーの港は圧巻だよ。
ガレオン船を見たことがあるかい?
本当に人間が作ったのかと思うほど大きいんだ」
子供のように目を輝かせて、ヴェルフェル侯爵は船の話をし始めた。
熱量がすごい…
このまま延々と続きそう…
「お好きなんですね」
「大好きだよ。
模型も沢山あるけど、やっぱり本物が一番いい!
乗ってみたいけど、私は侯爵という身分もあるし、何よりこの身体だから負担の大きい船の旅は許されないんだ…
何かあった時にすぐに処置できないからね…」
彼は寂しげに「でもやっぱり乗りたいな」と言って言葉を締めくくった。
何だかとても可哀想な人だな、と同情を禁じ得なくなる。
年齢の割に幼い感じがするのは、彼の生い立ちのせいだろう。
彼は失った時間を取り戻そうとしてるのか…
もしくは、短いと分かってる生を蝉のように謳歌しようともがいているのか…
どちらにしても、不自由な彼に残されたのは緩やかな死か奇跡のみだ。
奇跡を信じたいが、その後に進むべき道は弟と同じかもしれない。
そんなの悲しすぎやしないか?
僕の考えすぎなのだろうか…
「何だい?深刻そうな顔して」
ヴェルフェル侯爵は柔らかく上品な声で訊ねた。
床に落としていた視線を彼に向けると、ダイヤのように七色の光を含んた灰色の視線と目が合う。
「君は私の快癒を祈ってくれ。
勇者の願いなら神にだって届きそうだ」
「…治ったら、戦争に行くんですか?」
「分からない」と彼は言った。
それは行くかもしれないという事だ…
「何で?治ったら長く生きられるかもしれないのに…」
「それは私の義務なんだ。
君の考えは尊い。
本来なら、領主というのは民の為に恒久的な平和と豊かな安定した生活を願うべきだ。
アーケイイック王も君も間違ってない…
それでも、我々はオークランドと戦うことでしか一時的な平和を得ることは出来ない」
「すまない」と彼は口にした。
その言葉は戦争がまだ続くという意味だ。
僕には彼らの戦争を止めることは出来ない…
何も良い事ないって分かってるのに、誰かの始めた人の業は止まらない。
「…僕は…貴方に生きて欲しい…
ワルターにも、ヒルダにも生きてて欲しいんです」
知ってる人が死ぬなんて嫌だ。
せっかく仲良くなれたのに…
友達になれると思ったのに…
鼻が痛い、泣きそうだ…
慌てて目元を抑えて下を向いて顔を隠した。
短い沈黙の後、繊細な指先が僕の髪に触れた。
「君も…不似合いな重い荷を背負った一人だね…」
その言葉に涙が滲んだ。
勇者…
世界を救うなんて凡人の僕には重すぎる。
アンバーが、グランス様が、ペトラ達が居なかったらきっと逃げ出していた。
でも僕には彼らに支えられて勇者を引き受けたんだ。
アンバーの夢に乗っかったんだ…
「僕はアンバーのためにアーケイイックを守ります。
皆と約束したから…勇者になるって言ったから…
でも、この国の平和のためには、フィーア、オークランドの戦争も終わらせないと…」
「確かにね、一理ある。
それなら君はどうするんだ?
我々と一緒にオークランドと戦うかね?
それとも、フィーアの敵になるのかな?」
ヴェルフェル侯爵は僕を試すようにそう言った。
涙を拭って「分からない」と僕は素直に答えた。
「だからもっとこの世界を知らなきゃいけないんです。
僕は知らない事が多すぎる…
僕が勇者としてこの世界に呼ばれたのは、争いを起こす為じゃなくて、終わらせるためなんだって思いたい…
だから僕みたいな優柔不断で、なんの取り柄もなくて、弱い人間がアンバーに呼ばれたんだと思います」
侯爵は僕の考えを甘いとも無理だとも言わなかった。
ただ、「そうだね」と頷いてくれた。
「君みたいな優しい勇者と、あの親切な魔王は争いごとには向いてないね。
君達は優しすぎるよ。
魔王と勇者がそんなんな感じではこっちも調子が狂ってしまうじゃないか?」
そう言って彼は僕に一つお願いごとを言った。
「ヴェストファーレンには内緒だよ」と口止めしてから侯爵は着けていた手袋を口で外した。
「私の呪われた《祝福》だ…」
そう言って机にあったお菓子を一つ手にした。
彼の指先に摘まれたクッキーが、粉っぽい質感から硬質な金属に変わる。
侯爵はそのままクッキーだったものを僕に差し出した。
恐る恐る手に取って見るとクッキーは黄金色に輝くコインのようになっていた。
「…何これ?物を金属にする能力ですか?」
「物質を黄金に変換する能力だ。
ヴェストファーレンは童話にちなんで《黄金の妖精》と呼んでる」
「錬金術?」
「全く違うものだ。
錬金術には難しい法則と条件がついてまわるが、私は触れるもの全てを無条件で黄金に変えられる。
黄金以外には変えられないし、一度黄金にしたものは元に戻せない」
彼はそう言って「あげるよ」と寂しげに笑った。
「すまないけど、手袋を履かせてくれないか?
この部屋が黄金になったら嫌だろう?」
「それはベティに言い訳するのが大変そうだから困る…」
手袋を受け取って侯爵の手に嵌めた。
革製の手袋には記号のような魔法陣が描かれていて、恐らく何でも金にしないように魔法がかかってるんだろう。
「私はこの《祝福》のために生かされてる」
「…それって…」
「貿易や領地の税収には限界がある。
それでも戦争には金が必要だ。
大国オークランドを相手に一領主が長く戦争を続けていられるのは潤沢な資金源があるからだ。
それを補うために私は三十二年も生かされている。
これが私の秘密だ」
僕はこの話を聞いて後悔した。
戦争に行くとか行かないとかそんな話よりそっちの方が可哀想だ…
彼の人生は最初から詰んでいるんだと知る。
病気と戦争と《祝福》が彼を自由にさせない。
多分船なんか一生乗れない。
「何で君が泣きそうな顔してるんだ?」と彼は微笑んだ。
「まだこの《祝福》は必要なんだ。
戦争はまだ続くからね…
でも、平和になったら要らなくなるだろ?
その時はよろしく頼むよ」
その言葉に、アンバーが彼に僕を紹介した時の異常なテンションを思い出した。
「《祝福》は神の領域だ。
この《祝福》を取り去ること誰にもできない。
この厄介な能力が外に漏れれば、私は今以上に不自由な生活を強いられる。
船に乗るなんて論外だ。
死ぬまでこのままだと思っていたけど、君のおかげで少しだけ希望が持てた…
ありがとう勇者様」
彼の手袋を履いた手がそっと僕の手を握った。
「君に平和を捧げたら、私に一時の自由を与えてくれないか?
どうせ長く生きられないんだ…
君の可能性に賭けても良いだろう?」
「自由になったら何をするんですか?」
「ウィルと一緒に船に乗る。
それさえ叶えばそのまま死んでもいい」
ウィルとは彼の傍らで世話を焼いていた恋人のことだろう。
本当に彼が好きなんだ…
不思議な関係だけど、それが彼の幸せならとやかく言う気もない。
余計なお世話というものだ。
「叶うといいですね」と言うと彼は照れくさそうに笑った。
「ウィルは私の半身だ。
死ぬまで一緒に居るし、死んでも一緒に居たいと思う…
たまたま二人とも男に生を受けただけだ。
君たちだって、たまたま人間とエルフに生まれただけだろ?」
「まあ、そういう考え方もあるか…」
「そうだよ。
良くも悪くも運命だ、運命は変えられない」
運命と口にした彼は視線を外して言葉を続けた。
「生かさず殺さずの苦しいだけの人生だった。
好きなことも出来ずに、苦しい治療を強いられて、戦争に利用されて、早くから好きでもない女性と結婚して子供も作らなければいけなかった…
苦痛だったし、屈辱的にも感じていたよ。
彼が傍で支えてくれなかったら耐えられなかった…
愛したって不思議はないだろう?」
まあ、そんな不幸のフルコースみたいな人生ならそうなってしまっても仕方ない気もする…
良いかと訊かれると分からないとしか答えられないが、それに縋って生きるしかない彼の世界観を否定する気にはならない。
価値観なんて人それぞれだ。
この世界に来て嫌という程知ったじゃないか…
「アーケイイック王は私に、『連れて帰るのはダメだが友人になるのは止めない』と言ってくれた。
ミツルは『優しいから私の願いを叶えてくれるかもしれない』とも言ってくれたよ」
「そんな事言ってたんですか?」
「ここにいる間だけでも仲良くしてくれたら嬉しいよ。
それとも、私みたいな友人は嫌かな?」
「そんな意地悪な事言いませんよ」
なんか侯爵はワルターみたいな言い方するな。
侯爵とワルターの方が親子みたいだ。
侯爵は僕の言葉を肯定と捉えたようで、子供のような嬉しそうな顔を見せた。
「じゃあ、さっきのクッキーは友情の証として取っておいてくれ。
あと、私のことはヘイリーと呼んでくれると嬉しいよ。
侯爵って呼ばれるのはあまり嬉しくないからね」
「ヘイリーって愛称、女の子みたいって言われません?」
「そうだね、私が小さい頃女の子みたいだったからヴェストファーレンが言い出したそうだけどね。
仲のいい人には気兼ねなくヘイリーって呼んでもらいたいな」
そう言って彼は左手を差し出した。
「左しかないからこっちで握手して行儀悪いけど、気を悪くしないでくれ。
右手は義手が帰ってきてからお願いするよ」
「僕はどっちでも気にしないから大丈夫ですよ」
そう答えて僕は彼の手を取った。
僕より少し広い手は、ほっそりとしていて少し冷たかった。
目的は違うけど、ヘイリーとは平和を共有できると思う。
守りたい友達がまた一人増えた。
✩.*˚
マリーの部屋を出て長い廊下を歩いて部屋に戻る途中、道に迷ってしまった。
「嘘だろ…」
ため息を吐いて辺りを見回す。
この城は大きさの割に従者も兵も少ない。
誰か居ないかと思ったが、あいにく近くには誰も居なかった。
「参ったな…一回戻るか…」
出てきて直ぐにマリーの所に戻るのは恥ずかしいが、分からないんじゃ仕方ない。
踵を返して戻ろうとした。
階段の近くを通った時に上の階から物音がした。
上に誰か居る…
「ちょっとごめんよ!」上階に駆け上がって、歩いていた人影を呼び止めた。
杖を持ち、黒いローブで全身を覆った姿に老人かと思っていた。
振り向いた相手はすぐにフードを外して顔を見せた。
「…ヒルダ殿?」
「あ…申し訳ない、爺さんかと思ったら殿下だったか」
フードの下から覗いたのは銀色の髪とエメラルドの瞳だった。
使用人の感覚で呼び止めてしまった…気まずい…
「煙草か?」
人の顔見て言うことはそれかい?
「すまない。
用事があったので、部屋に置いてきてしまった」
彼は申し訳なさそうにあたしを見上げて謝った。
彼は女みたいな綺麗な顔をしてる。
傍から見れば男女が逆転してることだろう。
「いや…まあ、欲しいけど…
ちょっと部屋までの道を見失っちまったんだ。
誰かに案内を頼めないか?」
あたしがそう言うと彼は少し残念そうに「あぁ」と答えた。
「何だ、そんな事か…
私が案内しよう」
「殿下の気持ちは嬉しいが、あんたを使用人みたいに使う訳にはいかないだろ?
暇をしてる奴でいいから…」
「なら私だな」とイール王子は笑った。
「フィーアではご婦人を部屋まで送ると咎められるのかな?」
「からかわないでくれよ。
ご婦人ってガラじゃないよ」
手を振って否定するとイール王子の目が驚いたように見開かれた。
「驚いた…もう治ったのか?」
「あ?あぁ、腕のことか?
骨だけな。
マリー殿下がよく効く薬をくれた。
アーケイイックには便利なものがあるんだな」
「…まだフィーアには帰らないか?」
「侯爵のお守りって仕事があるんでね、まだ帰れないよ」
あたしの返事を聞いて彼は小さくため息を吐いた。
帰って欲しかったのかな?
あたしは思っていたほど歓迎されてなかったのかもしれない。
彼のため息はあたしの考えとは真逆だった。
「用意した酒が無駄になるかと思った」と彼は小さく笑った。
「せっかく一緒に飲める相手が出来たのに、すぐに帰られたらつまらない」
「わざわざ?」
「姉上もミツルも酒はほとんど呑まないし、ルイと呑むとあいつは真面目だから楽しくない。
陛下もマリーも飲食できないし、カストラは酒を無駄な事だと言う。
ウィオラは付き合い程度に飲んでくれるが、今は飲ませられないし、ステファノは死んでしまったからな…」
「誰だい?ステファノって?」
軽い気持ちで訊ねたあたしはイール王子の返答に後悔した。
「ウィオラの夫で私の親友だった…
人間が彼を殺した」
「…すまない」
「私が言い出したんだ、気にしないでくれ」
「嫌なことを思い出させた」
「ステファノの死は嫌な思い出だが、彼のことを忘れたことは無い。
彼を思い出すのは辛いけど、忘れてしまうのはもっと残酷だ」
エメラルドの目は寂しげだったが、彼は怒っても泣いてもいなかった。
「エルフは人間に比べれば長命だが、寿命は種族によって違う。
私の方が長く生きる一族だから、いつか彼の方が先に逝くのは分かってた」
「そんなに違うのか?」
「最も神に近い種と呼ばれるアイビス族の寿命は少なくとも四百年。
長い者はさらに百年生きるらしい…
何もなければアイビス族は国の興亡より長い寿命がある」
「気が遠くなるな…」
「全くだ…」と彼は同意して苦笑いした。
「その長い命を持ってしてもアイビス族はもう滅ぶ。
純種と呼べるのはあと二十人ほどしかいない。
私達の代で終いだ」
この美しいエルフの一族はこの世界から消えるのか?
勿体ない…
「看過できないな…何とか増えないのか?」
言葉が選べなかった。
私の悪いところが出てしまった。
「ヒルダ殿は我々を家畜のように交配して増やせと言うのか?」
悲しみと驚きを混ぜたような表情を見て、失敗したと思うが遅い。
あたしはこの綺麗な生き物を傷つけたと悟って焦った。
「すまない、そういうつもりは無いんだ!
あたしは口が悪くて、本当にバカだから言葉が選べなくて酷いことを言った。
でもまだ死に絶えたんじゃなければ諦めなくても…」
なんと言えば許してもらえるだろう?
この綺麗で繊細なエルフの青年を失いたくなかった。
私とは真逆の男だ。
男たちに体を売って、汚く生きてきたあたしとは違う。
「あんたは綺麗だ」と気が付くと言葉にしていた。
またやっちまった…
驚いた王子の顔が視界の隅に一瞬映って、慌てて目を逸らした。
下を向くと彼の姿が目に入るので、天井を見て恥を忍んだ。
あたしのバカ…
「すまん、忘れてくれ…」
恥ずかしい…耳まで熱くなる。
何言ってんだあたしは…また親父殿に叱られちまう…
「ヒルダ殿」
「悪い、悪かったよ、あたしはバカなんだ」
お叱りを受ける自覚も覚悟もある。
カランと乾いた音がした。
天井に助けを求めていると、前から優しく抱きしめられた。
驚いて視線を落とすと、銀色の髪とエルフの長い耳が視界に入った。
「そんな事ない、貴殿は真っ直ぐで…太陽に向かって咲く向日葵のようだ」
は?なんだって?向日葵?
あたしはそんないいもんじゃあないよ?
「言葉を選べないのは欠点だが、嘘がつけないのは美徳だ」
そう言って、彼は長いまつ毛に縁取られた目を眩しそうに細めて笑った。
あぁ…やっぱり綺麗だな、と思った。
「あんた勿体ないな…」
「何が?」
「いい男だからさ」
ふふっと自然に笑っていた。
照れたようにイール王子も笑って、あたしから離れると杖を拾った。
「やっぱり煙草欲しいや」
彼の背中にそう言うと、彼は微笑んで応えた。
「少し離れてるが私の部屋に寄るか?」
「どうせ自分で部屋に戻れないんでね。
暇してるならお邪魔していくよ」
あんたのこともっと知りたいしな…
暇なのはお互い様だ。




