勇者?
目を覚ましたのは随分大きなベッドの中だった。
キングサイズはあるだろうか?
女子だったら喜ぶかもしれない豪華な天蓋付きのベッドだ。
フカフカのマットレス、肌触りの良いシルクのシーツと刺繍の綺麗なクッション。
気が付いたが、いつの間にか着替えさせられた服も、ゆったりとした肌触りの良い寝巻きだ。
どれをとっても極上の品で目を丸くする。
部屋の天井はむちゃくちゃ高い。
中央には眩しいくらいに輝くシャンデリアがぶら下がっていた。
足元は踏むのもはばかられるゴブラン織りっぽい巨大な絨毯が敷かれ、暖炉の前に応接室にでもありそうな立派なソファーと机が用意されている。
机の表面はマーブル模様の大理石で、縁どりは金の装飾に覆われていた。
ひとしきり部屋の中を散策したが、不思議なことに、この部屋には窓はあっても出入りするための扉が無かった。
壁をぺたぺた触って確かめたが、ゴキブリが入る隙間もない。
「どういう部屋だ?」
窓は一応開くのだが、鉄格子が嵌っているので身を乗り出して外を確認することは出来ない。でも外は少し見えた。
「なんだこれ?どこ?」
眼下に広がるのは広大な針葉樹林と石畳の道。
少し離れたところに街らしき建物が並ぶが、日本の風景じゃない。
尖った赤茶けた屋根。灰色の石壁。馬車のようなものも見えた。
さらに見ようと背伸びして身を乗り出す。
「何か面白いものでも見えるかね?」
外を見るのに一生懸命になっていたが、笑いを噛み殺したような声が聞こえた。
「なかなかいい風景だろう?だが、それ以上身を乗り出すと少々危ないな」
「…ど、どこから入って」
虫の入る隙間もなかったはずだ。
声の主はカタカタと笑った。
「コレだよ」
白い指が部屋の隅を指し示す。
その先には淡く光る魔法陣のタペストリーがあった。
「閉じ込めてすまないね。気分はどうかな、勇者殿?」
肉のない髑髏の口から、落ち着いた威厳のある声が響いた。
「まあ、少し話をしないかね?」
豪華な織物の服を纏った骸骨は紳士のようだが、僕のいた世界のものでは無い。
趣味の悪い人形使いが操っていると言われた方がしっくりするが、天井から糸らしきものはなかった。
あの骨は自立している。
声を発して僕と会話しようとしている。
「紅茶とお菓子は如何かな?それとも酒の方が良かったかな?」
「…紅茶で」
「分かった用意させよう」鷹揚に頷いて応じると、出入口になっているタペストリーに向かって「紅茶を頼む」と声をかけた。
少し間を空けて、魔法陣の前にティーワゴンを押した少女が現れた。
まるで暖簾をくぐってきたかのように自然に彼女はそこにいた。
あそこは普通に壁だったはずなのに…
「ミントティーかな、ベティ?」
「はい、陛下」ニコリと微笑んだ少女の顔には模様のような刺青が入っていた。
膝丈の黒いメイド服。可愛い光沢のある靴。ひとつに結んだ髪は高い位置で結ばれている。
年齢は15歳くらいに見える。
猫のような大きな瞳はご主人様を映しており、僕など眼中に無い様子だ。
耳は顔の横にあるが人のより尖っていて長い。
「彼女はベティ。メイドだ。必要なものがあれば彼女に言ってくれ」
彼女は僕を一瞥し、軽く会釈するとすぐに部屋から出ていった。まるで興味が無いと言わんばかりだ。
少なくともこの魔王と名乗った骸骨以外からは歓迎されて無さそうだ。
「すまないね。皆には話はしているのだか、どうにも慣れないようでね。無礼を許してくれ」
魔王にしては腰が低い。
「ミントティーは嫌いかね?頭がスッキリすると思うが…」
「戴きます」魔王に進められ爽やかな香りのお茶を口に含む。
茶葉の善し悪しは分からないが、さっぱりしてて美味い。
現状を把握出来ない、ボーとした頭をスッキリするのにはちょうど良かった。
「魔王」
「何かね?」魔王が不思議そうに返事をする。
「やっぱり魔王なんですね」
「そうだ。君をこの世界に呼び出した張本人であり、このアーケイイック連邦王国の8代目の王だ」
「…なんか調子狂いますね」
「ふむ、まぁ、人間からは魔王と呼ばれているが別に私自身は世界を滅ぼす目標などはないのでな…志が低くて申し訳ない」
考え込むように顎に手を当てて空を見つめている。
なんとも緊張感がない。
見た目は恐ろしい骸骨で、悪役らしい黒、紫、金のカラーリングのローブに身を包んでいる。
身体中の至る箇所に装飾品を纏い、眩いばかりに宝石たちが輝いていた。
声も威厳があるよく通る低い声だ。
魔王にふさわしい出で立ちなのだが、魔王にしては穏やかだし、気品のようなものを感じる。
「あ、お代わりはどうだね?」
「いや、いいです」なんかこの状況にも慣れてきた。
とりあえず意思疎通は問題なさそうなので、現状を把握するため、この穏やかなご隠居風の空気を醸す魔王にいくつか質問してみることにした。
「なんで僕が呼ばれたんですか?」
「いい質問だね」
池上彰みたいな魔王だな…
「この世界の勝手な事情なのだが、勇者の召喚時期になったから、人間たちに召喚される前に私が召喚してしたのだ」
「は?」
「この世界では150年程の周期で勇者が召喚される。勇者は異世界から召喚されるもの。そして魔王を倒す運命にあるものだ」
ますます意味がわからない?
魔王は言葉を続けた。
「近く、人間の国に勇者が召喚される予定だったので、私が先に召喚したのだ。
人間たちに召喚されれば大きな驚異になる。それだけは阻止したかったのでな」
「つ、つまり、僕を殺すってこと?」
「あぁ、誤解しないでくれよ。
そんな無駄なことはしたくないし、君は私を見て漏らすくらい怖がっていたから、こうやって話し合いを持っているんだ」
意地悪くそう言って骨の頬を掻くような仕草をする。
「なんせ、私は元々人間なのでね」
「はあ?」
何言ってんだ?不死者って言ってたのは自分だろう?
ふぅむ、どこから話したものか、と考え込むような仕草を見せる。確かにこの骨は所作がどことなく人間臭い...
「信じられないかもしれないが、私がこの国に来た事情は少々ややこしくてね…
私が魔王になる前の名前は《アンバー・ワイズマン》という。
オークランド王国の宰相も務めた錬金術師だ」
「はあ…」
「ピンと来ないのも無理もない。もう400年近く昔の話だ。その時勇者の召喚を手伝ったことがある」
ああ、なるほど。ノウハウはあるわけだ。
「以前召喚した勇者殿は何も疑問を持たず、ただ、魔王を倒すためだけに生きた。
魔王は絶対悪であり、人間は守るべき弱者であり、魔物や亜人は魔王に与する存在として教えられ、それを鵜呑みにした」
「どうなったんです?」嫌な予感しかしない。
「勇者という存在は異世界から召喚される際にいくつかの《祝福》を授かる。
その力を駆使し、時の魔王を討伐した」
残念そうに魔王が言葉を続ける。その先はあまり聞きたくなかった。
「魔王を失った亜人や魔物たちは一方的な虐殺を受け、いくつかの種は絶滅し、住むところは制限され、労働力や人の欲望の捌け口にされるために奴隷にされた者達も多く出た」
「それに」と続けた魔王の言葉に耳を疑う。
「次に始まったのは人同士の戦争だ。
利益を追求する人間の本能は恐ろしい…
勇者を担ぎあげ、王国は次々と戦線を拡大し、ついには多くの命を失ったよ」
「そんな…」
「本当だ。その時、なんと言って戦争をふっかけたと思う?」
落窪んだ眼窩の奥で、目の焦点のような赤い光が揺らめいた。
怒っているのか悲しんでいるのか、もしくはその両方かもしれない。
何か負の感情を抱いているようだった。
「『魔王は人の中にもいる』、と…
『正義は勇者を召喚した国にあり』、と…そう言って同族で殺し合いを始めたのだよ」
悲惨な話だ。なんとも救いがない。
「私はまんまと人々の欲望や、野望、人殺しの手伝いをしてしまったということだ。
思えばあの勇者殿にも悪い事をした…」
「でも、最初は良かれと思って召喚したんでしょう?」
「勇者殿、良い動機が必ずしも良い結果を生み出すと思わぬ事だ」自嘲するように骨は、ふふ、と笑った。
何か思い出しているのだろう。
視線は何処か遠くを見ているようだ。
「私は宰相を辞し、屋敷に隠り研究だけを続けた。
現実を受け止められず、私は逃げ出したのだ。
平和を享受するのに何か良い方法がないかと常に考えていたよ。
国が豊かになれば、民が驚異を感じなければ、特権階級が無くなれば、もしくは勇者を召喚しなければ、魔王を倒さなければ…
何もかも手遅れだが、堂々巡りの時間を過ごし、私は変わったよ…」
「それは…大変でしたね…」
「気がついたら私は自分の崩れ落ちる肉を見ていた」
「…は?」今なんて?
「研究に没頭するあまり、自分の心臓がいつ鼓動を止めたのか、 いつ体が腐ったのか、全く気づかなかった…
随分食事をとっていないことに気付いたよ」
「うそぉ…」そんな事あるぅ?
「私は研究者として本当にありがたい体を手に入れたわけだ」
え?!何!喜んでない?!この人の怖っ!
「この寝食を必要としない体、魔物の国に行っても目立たない体を手に入れたのだ!
私は生まれ変わったのだ!」
ダメだ、この人の狂科学者の分類だ…
「国を出るまでは大変だったが、そのあとは自由気ままに旅をしながら色んな種族を調査した。
時々拒絶されたが、次第に受け入れて貰えた」
彼は「寿命はもう無いしな」、と返しに困る魔王ジョークを満足気に呟いていた。
「そうしてるうちに先代の魔王・ドラコ・レクスに出会い、魔王の研究を受け入れて貰える代わりに、私の知識の全てを差し出す契約をした。
ようには魔王直轄の部下になることになったわけだ」
「魔王の研究…」この人の自由すぎない?
「そうこうしてるうちに次の勇者が召喚された。
しかし一つだけ彼らに誤算があった。
今度は魔王の元に私が居たことだ」
「…勇者…倒しちゃったんですか?」恐る恐る口を挟む。
「うむ、少し違うな。
少しばかり乱暴な方法でお帰りいただいた」
先代勇者…ご愁傷さま…
多分ボコボコにされたな…
「魔王城の至る所に転送魔法陣を敷いて、踏んだら国境の廃村まで飛ばされるようにしておいたら心が折れたらしい」
「それは…地味に辛い…」身体的ではなく、精神的な方か…
「勇者のその後は知らないが、先代魔王は王位を去る時、私に禅譲し、私が新たな魔王になった。
しかし、魔王が代替わりしてもまた新たな勇者が現れるのは必至だった。だから…」
「自分で召喚しようと?」
「察しがいいな、勇者殿」
多分肉があれば口元が意地悪そうにニヤリと笑っていた事だろう。
「さっきも言ったが、この世界では勇者を召喚できるのは150年に1回だけだ。
私が召喚してしまえば、その勇者の死後150年は勇者を招く【異界の門】は開かない。
あれは融通が効かんのだ。
少なくとも150年と勇者の寿命分の時間稼ぎにはなる」
魔王の言い分は分かる。
分かるけれども…
「魔王に召喚されるとは…」頭を抱え込んで呻くことしか出来ない。
これって人間たちからすれば僕が裏切り者みたいじゃないか…
「この部屋はあの綴り織からしか入れない部屋だ。
故に、もし人間がこの城に入り込んでも、人間達に勇者である君を奪取することは出来ない」
軟禁状態か…
「ちなみに僕があそこから出てくことはできるんですか?」
「おすすめはしないな。
私としては自由に城内や城下くらいまでなら散策してもらって構わないのだが…」
「…だが?」
「部下たち勇者殿を襲わないとは限らない」
「あぁ、なるほど」
無茶苦茶嫌な顔してたもんな…
まぁ、事情を知った今なら気持ちはわからなく無い。僕はこの国じゃ、酷く迷惑な存在なのだ…
それこそ、人間にとって《魔王》くらいの…
「申し訳ないが、暫く不自由かもしれないが我慢してくれ」
「はい」
ここはラスボスの城だ。
僕が勇者だとしても、装備無し、仲間なし、予備知識も全くなしで戦えるとは思えない。
それにもっと問題なのは…
「魔王、一つだけ良いですか?」
「何かね?」
「僕は本当に勇者なんです?」全く自覚がない。
この魔王に勇者って言われてるからにはそうなのかもと思うが、申し訳ないが何もこれといって特技がない。
小学校も中学校も習い事も特にしてないし、高校は部活もしたが、やっていたのは武道じゃない。
ボランティア活動と卓球部に掛け持ちで参加してた程度だ。
「確かに君が勇者だと証明が欲しいところだね」
魔王がそう応じて懐から古臭い皮袋を取り出した。
「コレは《無限の皮袋》と言ってね、便利な代物だ。
この口から取り出せる物ならなんでも出し入れ可能だ」
四次元ポケットみたいな道具だ。
その皮袋から1本の丸められた羊皮紙を取り出して広げた。
「鑑定書と呼ばれるものだ。
これに君の血判を押すと君の事が登録される。
生年月日や身体情報、職種やスキルその他諸々までだ」
便利な道具だ。
でもプライバシー全部出るとかヤバいな…
使いどころが心配だ。
「本来は嘘を吐いたり誤魔化そうとする人に使ったりするのだが、今では城内で働く者の素性調査などに使用されている。
とにかくコイツは正直で、忖度は一切無しだ」
魔法陣の描かれた中央を指さす。
「ここに血判を押したまえ」
「…指、切るんですか?」
「少し傷つけるだけだ。慣れてないなら私がしてあげようか?」
うぅ、嫌だな…でもこの程度で騒ぐのもな…
「左手を出したまえ。親指を少し刺すだけだ。
こんなの子供だってやってるよ、すぐ終わる」
渋々僕は左手を差し出した。
白い硬い骨の感触が触れる。ヒヤリとして鳥肌が立つ。
見ないようにしていたが、ぷつ、と皮膚の裂ける感覚と痛みが親指に走った。
「ほら、血判を押したまえ」
小さな傷をつけた張本人は何も無かったように机の上の羊皮紙を指さした。
「確認なんですけど…」
「うん?」
「これなんかヤバい契約書とかじゃないですよね?」
「私はそんなセコいことしないよ。心外だな」
「なんでも判子は押さない主義なだけですよ」
「随分慎重な勇者だ」
呆れたように魔王がため息を吐く。
随分みみっちい勇者だと思っただろう。
「押しますよ」
魔王のため息を無視して、羊皮紙の魔法陣の真ん中に親指を押し付けた。
魔法陣が発動し、中央から波紋のように光が広がる。魔法陣に書き込まれたインクが渦を作って光と混ざった。
光とインクが混ざったモノが羊皮紙から離れて3センチほど浮かんだ。
光の塊はすぐに姿を変えた。蚕の幼虫のような姿で空中に留まると光る糸を吐き出した。
「すごい」
つい声が漏れた。
蚕の吐き出した糸は羊皮紙に糸で文字を紡ぎ、書類はすぐに出来上がった。
書類を綴り終えた蚕はそのまま繭を作り机にコトン、と音を立てて落ちた。
「この子は私が預かっておく」
「なんなんです?それ?」
「原本みたいなものだ。
この書類は作った本人に渡すから、残ったこちらを原本として保管するんだ。
特別な魔法陣を使えばまた同じものを作れる」
「なるほど、また同じ工程をしなくていいわけですね」
「便利だろう?」誇らしげに繭を見せる。
繭をさっきの四次元ポケットに入れて、視線を机の上の書類に戻した。
「…ふーむ」
「なんて書いてあるんですか?」
「見たことも聞いたことも無いスキルがある」
「《ラリー》?《ラリー》とは何だ?これが君の能力なのか?」と、髑髏の賢者は首を傾げていた。
僕にはその言葉に心当たりがあった。
「あ、卓球だ」
卓球部に通ってる間、これだけは誰よりも上手かった。
難しい技はできなかったが、ただひたすら耐える事と、集中してる時の反応速度はすごく褒められた。
ただ、責める姿勢がなく、返すことにしか集中してなかった不器用な僕はレギュラー等として活躍することはなかった。
こんな所で出てくるとは…
「あとはありきたりだな。
《カウンター》《身体能力向上》《状態異常耐性》《反応速度向上》、勇者のみに共通して付与される《現地適応》か…
見た感じ、魔法適性はほぼ皆無だな」
「魔法使えないんだ…」ファンタジーの世界なのにガッカリだ。
「魔法適性は低くても上手く行けば初級の魔法は使えるし、一部のマジックアイテムは使えるから安心したまえ。
まあ、体への負担の大きいものもあるがね」
「勇者の剣とか勇者専用の装備みたいなのは無いんですか?」
「魔剣や聖剣とか銘が付くものはあるが…勇者の剣は聞いたことがないな…」
ふーむ、考える仕草をしているのは人間だった名残だろうか?
「勇者が身に付けたらそういう箔が付くかもしれないな」
なるほど、そういうチート武器はない感じね。
ファンタジーの世界観なのに、何かと不便だぞこの世界。
「まあ、安心したまえ」
魔王はそう言って羊皮紙の一箇所を指さした。
「君が《勇者(初心者)》であることは確定だから」
名前の下の職種の欄に《勇者》と刻まれている。
ご丁寧に初心者とまで書いてある。
「この証書は魔法で保護されてるから、君が頑張って成長すれば、ちゃんとステータスが書き換えられる。
大事に持っておきたまえ」
「はあ…ありがとうございます」
本当はこういうの神官とか王様とかから貰うもんじゃないのか?
よりによって魔王から教えられるとかイレギュラーすぎゃしないか?
「頑張りたまえ、勇者殿」
「勇者殿ってそろそろやめません?僕、そういう柄じゃないですし…」
「じゃあ、もう少しフランクに名前で呼び合おうじゃないか。
私も《魔王》と呼ばれるのはあまり好きじゃない」
フランクって…随分自由な魔王様だ。
「姓が平和島、名前が満です」
「改めて、アンバー・ワイズマンだ。
アンバーと呼んでくれると嬉しい」
目の前に肉のない白い手が差し出される。
僕もそれに応じて握手で返した。
「握手を返してくれる人間は久しぶりだ」
魔王・アンバーが嬉しそうにそう呟いた。