クマ駆除のすゝめ
熊の駆除に文句を言う動物愛護のクレーマーは主体性は人間にある事を忘れています。
人間主体の社会制度を蔑視しています。
はっきりって熊の生息域に住む住人の人権を蔑ろにしたレイシスト活動にしか見えません。
そもそもクマが増えすぎているから射殺されるクマの絶対数が増えているだけで、相対的に見れば駆除されているクマはそんなに多くないはずです。
クマが増えすぎているのが人里にクマがくる元凶なのですから、クマを定期的に間引く事こそ、クマの射殺の絶対数を減らす結果に繋がります。
クマの個体数が飽和状態にあるのです。
クマの個体数が飽和状態なのはそれだけ自然が豊かだと言う反証であり、森林破壊や環境破壊でクマが人里に下りてくるようになったとの主張は全く短絡的です。
猟師やハンターへのヘイトスピーチは止めて欲しいです。
日本人が被害のヘイトスピーチもヘイトスピーチ規制法で取り締まれるように政府は明言するか法改正を行うべきです。
「マイノリティがマジョリティにヘイトスピーチしても差別にはならない」と言うトチ狂った主張をするネトサヨもいますが、マジョリティへの差別行為が差別にならないなら、なぜ黒人が多いアフリカで黒人差別が起こっているのですか?マジョリティなら差別の対象にならないと言うのは支離滅裂です。
そもそも、なぜ動物愛護の活動家は、猟師やハンターだけそんなに否定したがるのですかね。
捕鯨に反対するレイシスト団体とどこが違うのですかね。
だいたい、猫や犬は毎日駆除されていますよ。
しかも、駆除された犬や猫の遺体は破棄されるだけです。
対して、駆除されたヒクマは肉として食べられたり、毛皮として使ったりされます。
野良猫や野良犬が殺処分にされるのは全く意味のない犬死にですが、ヒクマの射殺はきちんと意味のある死になっています。
野良犬や野良猫の殺処分こそ無駄な殺生であり、勿体ないです。
しかし、駆除されたヒクマは肉や毛皮として有効活用されていますので、犬死にではありません。
ヴィーガンの活動家は、なぜ雑食と言う多様性を否定するのですか?
ヴィーガン主義を貫くのは個人の自由ですが、こちとらヴィーガンの食事法を邪魔していないのに、ヴィーガンはなぜ雑食主義者の食事法を差別するのですか?
ヴィーガンの食事法は認められています。だのに、なぜ雑食主義者の食事方法を認めようとしないのですか?
ヴィーガン食の自由を認めるなら雑食の自由も認めないとダブルスタンダードです。
『人間はあなたの操り人形じゃない』のです。
食物連鎖の最上位に君臨する人間が下位の生き物を食べるのは自然の摂理にかなった行為です。
蛸も蝸牛も鼠も鯨も鮫も鰐も蝗もザザムシも蜂の子も蛇も蠍も蛙も兎も犬でも馬でもカンガルーでも熊も海豹も鹿も翻車魚もコウロギも!!
好き嫌いせずに何でも食べます。
人間とケダモノの違いは理性があるかどうかです。
鮫もクジラも犬も牛も豚も馬も本能のみで生きている。
本能と理性を使い分けられるのは人間だけです。
人間が理性もないケダモノを捕食する事になんの問題があろうと言うのか。
動物に人権はない。
人間の強制的な避妊施術は人間の為にならない。しかし、動物の強制的な避妊手術は動物の為になる。動物の避妊手術は動物愛護団体ですら推奨しています。そこが人間と動物の違いです。
動物と人間は違うのです。動物と人間には神と人くらいの差があるのです。
動物に神が理解できるか?
動物に人徳が理解できるか?
動物に理性があるか?
いや、ない。
勘弁して下さいよ。
クマの住む北海道や本州の主体性は人間にあります。
日本の主体性も人間にあります。
世界の主体性も人間にあります。
クマを射殺するのは人間の生命や財産を守る為の必要悪です。
人間こそが最も賢く、最も偉大であり、最も強く、最も信心深く、最も敬虔であり、最も神に近く、最も尊く、最も人道的であり、最も進化した、最も素晴らしい生命体なのです。
ヒューマニズムこそが最も世界に平和をもたらす概念です。
ヒューマニストなら人種差別もする事はありません。
人間こそが弱肉強食の食物連鎖の最上位に立つ神に最も近しい存在なのです。
あの世の支配者は神様。この世の支配者は人間。
人間はこの地球の支配者です。
この星は我々人類の物だ!
地球は我々人類の所有物だ!
All the world is our property!
世界は我々の物だ!
All the world is ours!