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燃ゆる太平洋   作者: 銀河乞食分隊
発火する太平洋
33/56

南の蠢動

 ポートモレスビー攻撃は失敗した。

 夜戦では撃沈巡洋艦6、駆逐艦3。対するに喪失が比叡・雷・谷風・若葉の4隻。ただ比叡が貴重な高速戦艦と言うことで問題に。

 査問会や軍令部・連合艦隊では、作戦失敗と比叡喪失の責任を巡ってみっともないなすり合いが発生した。参謀の何人かが飛ばされた。黒島亀人もその一人だ。

 十一戦隊司令官阿部弘毅少将は敢闘精神旺盛と言うことと比叡喪失の直接原因を秤に掛け、おかに上がり閑職かんしょくに回されるようだ。

 八艦隊司令長官三河軍一中将は、作戦失敗の直接責任が無いとされた。


 人員面での賞罰は終わった。次いで戦術や機材の面からの考察が行われた。

 戦術に関しては、十一戦隊の戦艦2隻が早々と潰されてしまったのが痛かったと。それ以外は最初から同航戦であり、他に手段も無く問題なしとされた。


 機材面からは電探の不備を指摘する声が相次いだ。

 装備されていた電探は対空捜索電探の十二号で、それも装備されていたのは鳥海・霧島・比叡の3隻だけだった。対水上捜索も出来るが射撃管制に使える物では無い。

 海防艦や駆潜艇に最新鋭の電探が複数装備されているのに最前線の船には装備されていないのは何故だと。

 ドック入りの際と出帥準備で取り付けているが、空母と戦艦が優先され配備速度が遅かったかもしれない。それについても、情報秘匿の観点から電探技術の深部情報が日本電気以外に開示されたのが開戦後で、ようやく安定して量産できるようになったのが最近。と言われる。量産といっても、新規建造分とドック入り時に装備する分に多少プラスするくらいの数しか無い。

 これでも荒れた。日本電気に開示した情報を何故、日立と東芝に開示しなかったのかと。

 結局更なる増産をメーカーに求めると言うことで終わった。


 日立と東芝は頑張っていた。東芝が小型軽量で探知範囲や分解能が大型大重量の十二号には劣るものの、十二号に迫る性能を持つ十三号対空捜索電探を17年10月に生産を始める。

 十三号は小型軽量であり、上が重くて苦労している小型艦に喜ばれた。小型艦は最初から十三号装備になる。生産数が伸びると十二号を撤去して入れ替えたほどである。

 日立はH-3と呼ばれる電探波逆探知装置を作り上げた。H-3はセンチ波からメートル波まで観測できる優秀な機材だった。


 現在の三十番台射撃管制用測距電探は、新型の射撃方位盤や高射装置や機銃指揮装置と組み合わせて使うように設計されていた。システムに組み込む専用機材なのだ。電探行政の片手落ちと言ってもいいくらいのやり方だ。

 これを単体で運用できるようにしたのが、四十番台シリーズの測距電探。もちろん既存の射撃方位盤・高射装置・機銃指揮装置との組み合わせだから、三十番台ほどの性能は発揮しない。大事なのは既存の射撃方位盤・高射装置・機銃指揮装置との組み合わせが可能だと言うことだ。ただ電気的に連動させることが困難で、電探の観測結果を読み取りそれを伝えるのは人力だった。練度によっては三十番台に近い管制が出来るが、そんなのは一例に過ぎなかった。

 四十番台は18年夏に量産が始まり、前線艦艇に最優先で取り付けられていく。





 アメリカ海軍が負けた珊瑚海海戦は、比叡を沈めたことで喪失艦がアメリカ海軍が空母3戦艦1に対して日本海軍が空母3戦艦1で引き分けということをアメリカは強調している。失われたのが最新鋭大型空母3隻と最新鋭戦艦1隻のアメリカに対して中型空母1隻と古参戦艦1隻の日本と引き分けは外部に対するポーズだった。

 アメリカも通信解析などで、沈んだのは飛龍と比叡に熊野と駆逐艦数隻と知った。

 アメリカ海軍の動きは低調だった。お大事のレキシントン級空母2隻が失われないように立ち回っている。日本に対する攻勢など戦力不足で無理だった。


 そのアメリカが動いたのは1943年夏だった。オーストラリアのパースを出港した大船団がオランダ領インドネシアに向かった。

 護衛には護送空母数隻が付いている。ようやく量産が始まった護送空母は1万トン程度の船体に20機から30機を搭載するという優秀な船だった。防御力は商船並なので喰らってしまえば終わりだった。

 船団はロンボク島とバリ島の間の狭水道を抜けスラバヤへと向かう。スラバヤ沖には広大な湾があり泊地として適していた。

 オランダとの話が付いてアメリカ軍がインドネシアに駐留しオランダ軍の代行をする。オランダ軍は本土奪還の旗を掲げヨーロッパ戦線に参入する。

 アメリカはオランダ支援として堂々とヨーロッパの戦いに参加する。そして戦場の主役になり勝利する。そして戦後世界の主役となる。

 ここにも絵に描いた餅がある。



 日本はアメリカの動きを知らなかった。活動が低調なので何かやっているだろうとは感じていた。インドネシア方面は偵察だけで済ませていたこともある。

 仏印サイゴンの港湾施設をフランスから使用許可を得て、南方方面の起点としていた。

 異変を知らせてきたのは、サイゴン根拠地隊所属の特設空母三岩丸だった。三岩丸は高速貨物船に飛行甲板を設置した船で、速力22ノット、搭載機数20機とアメリカ護送空母と大差ない性能だった。

 その日も三岩丸は松級駆逐艦4隻に御蔵級海防艦2隻と第十六航空戦隊を組み哨戒作戦をしていた。

 哨戒作戦はサイゴンを出港。南下しジャワ海に出て東進。マカッサル海峡を北上しバリクパパンに寄港。その後セレベス海に出てパラワン島南を抜ける周回コースだった。距離にしておおよそ3500海里。途中給油は必要ない。

 バリクパパンは要衝として確保していた。守備隊と飛行隊が置かれている。

 十六航戦はすでに3回の作戦を成功させており、今回の4回目も何も無いはずだった。


 三岩丸の搭載機は零戦二二型10機、九七式艦上攻撃機三四型6機、九九式艦上爆撃機二三型4機だった。バタビアの偵察を済ませ、迎撃を受けないことにほっとしていた一六航戦だが、スラバヤ偵察で迎撃を受けた。いつものように、零戦2機と艦攻1機で偵察に出撃した。迎撃したのはグラマンだった。10機近い戦闘機に迎撃され、艦攻1機を守るために勇戦した零戦2機だったが力尽き3機とも撃墜された。



 スラバヤにアメリカ軍現る。衝撃を受けた。



次回更新 8月12日 05:00


アメリカ空母の搭載機数が多いのは、グラマンの主翼折りたたみ機構が有ればこそ。初期の折りたたみが無い頃は日本空母と大差ありません。


三岩丸

1万トン

ディーゼル2軸 

速力22ノット

搭載機数20機 補用機なし

ボフォース40ミリ機銃連装4基

九九式三号一型20ミリ機銃8基

空油圧式カタパルト呉式七号二型1基  

 能力が低く正規空母には装備されていない。九七艦攻や九九艦爆を攻撃過負荷で発艦させることが出来ない。哨戒装備や対潜装備なら発艦させることが出来た。


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