表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燃ゆる太平洋   作者: 銀河乞食分隊
変わる世界
18/56

閑話 川崎重工

 川崎造船所は、規模の大型化と業容の更なる多様化もあり造船所という名に似つかわしくない業態になっていた。全ては日本海技術研究所のせいとまでは言わないが、大分影響はある。

 子会社化や分社化で規模の肥大化を防いだが、親会社が造船所ではいろいろ都合の悪いことも有る。主に名前で。

 造船と大型鉄鋼製品中心だった会社が今では発電所まで手がける。ここは一つ重工としよう。関西の雄として三菱には負けへん。

 川崎造船所が川崎重工と名前を変えたのは、昭和12年(1937年)だった。

 重工への社名変更記念として建造されたのが、川崎の代表的な船型になる六甲型だった。

 川崎は高速輸送時代を見越して船舶の高速化を推し進めた。その答えともいえるのが六甲型だった。ごく普通の三島型だが、強力なデリックと強靱な船体構造。強力で燃費の良いディーゼル機関。凌波性の良い船首。やや幅広で重心が低く安定した船体。良好な居住性。

 通常の船よりも高額だったが、その使いやすさと時間効率で元が取れるとして人気を博した。

 貨物船とは別設計の3000トンから2万トン級タンカーは従来のタンカーを超える性能で、海軍用も入札ではなく指名で建造した。これらは川崎型タンカーと呼ばれた。

 これは船体や機関に舞鶴合金を使用できたからで、通常の船舶用鋼板や機関ではもっと高価に、そして低性能になっていただろう。

 もちろん海軍の技術が入っており、六甲型も川崎型タンカーも国外販売はされない。

 海外でも需要があり、舞鶴合金を使用しないややスペックダウンした船も作られた。好評だった。

 同じ規模で通常の船舶用鋼板を使った船は三菱や他の造船所でも作っているので、そちらも海外販売も視野に入れている。三菱始め他の企業も舞鶴合金を使用したい旨、海軍に申し入れているが海軍が輸出に首を縦に振らない。日本海技術研究所の燃料噴射装置を採用した機関で燃費の良さを謳っている。

 川崎も海外向けは他社と変わらない。

 

六甲型 国内向け

総トン数  7500トン

純トン数  9500トン

機関    7300馬力ディーゼル2基

最大速力    23ノット

巡航速力    18.5ノット

航続距離  3万5000海里/18.5ノット 

乗客    2等船室20名/3等船室60名


特徴として30トンデリックを艦橋の前後左右に4基装備しており、重量級貨物でも迅速に積み卸しできた。

チハ改をアレクサンドリアまで運んだのもこの型である。    

当時、国際航路に就くような大型貨物船には客室を設けていた。


輸出仕様

機関     4000馬力ディーゼル2基

最大速力     19ノット

巡航速力     15ノット

航続距離   3万5000海里/15ノット

乗客     2等船室20名/3等船室60名  


デリックや機関は舞鶴合金を使用しての性能なので、輸出仕様は通常のデリックと機関。


三菱重工長崎造船所A型貨物船 国内向け

総トン数   7400トン

純トン数   9600トン

機関     6900馬力ディーゼル2基

最大速力     22ノット

巡航速力     18ノット

航続距離   3万5000海里/18ノット

乗客     2等船室30名/3等船室60名 


デリックの能力は普通。デリックの能力で売れ行きに差が出たと言われる。


同輸出仕様

機関     4000馬力ディーゼル2基

最大速力     19ノット

巡航速力     15ノット

航続距離   3万5000海里/15ノット

乗客     2等船室20名/3等船室60名


 他社の貨物船もほぼ同等の性能だった。

 この後年六甲クラスと言われる貨物船は、昭和13年から昭和17年(1942年)までに各社合計で43隻建造され、日本の高速海運の中心船舶となった。

 六甲クラス以前に建造された巡航速力16ノット以上発揮可能な総トン数3000トン以上の貨物船は85隻。

 これら高速貨物船の多くが、戦時中軍に徴用され苦労したのは知られている。



 開戦後は艦政本部と三菱重工長崎造船所と川崎重工が中心となりシン戦標船の設計を始める。

 事前に設計を終えて現在建造を開始している戦時標準船だが、急造と言うには手間が掛かっており、やはり平時の設計であるとも思われた。 

 問題はいくつもあった。民間側が安全と被弾した時のために2重底の堅守をしようとするが、艦政本部側は建造期間の短縮と工費を安く上げる事を前提に2重底無しの危険極まる設計でやろうとした。

 妥協点として、船体全部に2重底は設けない。機関室と船首船尾で長くても全長の半分程度とした。代わりに少しでも強度を上げるために、喫水線以下の構造材には超合金丙の使用が認められた。大幅なブロック工法と全溶接は当然だった。

 機関は使い慣れたディーゼルにしたかったが、全数調達が困難な事から蒸気タービンや3段膨張式蒸気レシプロが多く使われる。320隻建造された戦標船2型の半数以上はこの3段膨張式蒸気レシプロだった。

 14ノット出るディーゼル船と10ノット程度しか出ないレシプロ船では効率的な船団を組めないので、中速船団と低速船団に分かれて運用する事となった。12ノット出る蒸気タービン船は低速船団に割り振られる事が多かった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ