泥沼化するヨーロッパ
1940年
ドイツがベルギー侵攻。遂にヨーロッパで二度目の大戦争の火蓋が切られた。
瞬く間にベルギーを占領しフランスを制圧したドイツの目標はイギリスだった。
イギリスはその電撃的速度に受け身に回るだけで、ダンケルクから人員を撤収させた事だけが朗報だった。
そして、イギリスへの空襲が始まった。
ドイツ空軍は猛威を振るうはずだったが、攻める側が思ったほどに戦果を挙げられていない。
理由はいくつか有った。
ドイツ空軍主力戦闘機Me-109E3の戦闘力が、スピットファイアMk.Ⅱに劣ることだった。ハリケーンMk.Ⅱとは互角に戦えたが、主戦場がイギリス上空であり常に残燃料を気にしながら飛行するメッサーシュミットと、どこでも降りられるイギリス機では、心理的な差も大きかった。
スピットファイアとハリケーンは、超合金甲で造られた防弾鋼板と日技研式燃料噴射装置で攻防とも実力は高い。従来のキャブレターとは違いどんな機体姿勢でも燃料供給にムラが無い。
防空体制も整っていた。出来る限りの。
レーダー網がイギリスのフランス・ベルギー側に張り巡らされ、日本から提供されたスーパーマグネトロン管技術とトランジスター技術によってその性能は高い。
日本にもフィードバックされ電探は実用化レベルとなり、各艦や重要地点に設置されるようになってきた。特にPPIスコープやノイズ除去技術が注目された。
イギリスは本土を守り切り、ドイツ空軍は戦闘機パイロットを中心に大きな損害を出した。一時的に戦闘機部隊の平均練度が落ちたほどであった。
バトル・オブ・ブリテンが終わりかけた頃、イタリアがリビアからエジプトを目指した。アフリカ戦線の登場だ。
イタリア軍の装備がイギリス軍に劣ることもあり。イタリア軍は敗退を重ねていく。だがイギリス軍の戦力は限りが有り、新たに起こったドイツのバルカン半島侵入で戦力が分割されてしまった。そこで一時停滞することになった。
イタリアはドイツに援助を求めたが、大規模な戦力派遣は断られた。バルバロッサ作戦が発動したからだった。しかし、イタリアの要請で派遣された人員は陸も空も曲者だった。
ヨーロッパの東では独ソ戦の開始である。
お互いに微塵も信用していなかった独ソ首脳だったが、ソ連書記長はまだイギリスを相手にするからこちらに手を出すのはもう少し先だと考えていたようだ。そのために、一時的にしろモスクワ前面まで押し込められた。
極東からも一戦級部隊を引き抜き、なんとかモスクワは守り切った。ドイツ軍は補給線が長くなりすぎた。戦線は黒海からレニングラードまでと広い。途中の防御や占領地の維持にも力を入れなければならなかった。戦力不足で息が切れた事もモスクワを落とせなかった原因だった。
ソ連は、主力工業地帯を失い弱体化していく。ただドイツも補給線が延びきっており、戦力の蓄積が遅れている。
どちらかの均衡が崩れたときが、モスクワ陥落の時だろう。
ここはヨーロッパから南。ドイツからすれば場末の戦場。地中海アフリカ沿岸だ。
何故かチハ改がぞろぞろと行軍している。隊列の前方にいるのはクルセイダーだ。バレンタインは遅いので後方にいる。
チハ改がここに居るのは、要請を受けたためだった。
1941年10月に日英通商協定が成立したからだ。従属的とか片務的とかの協定では無く同格の通商協定で、どちらかの国が宣戦布告しても戦争に参加する必要なはいと言う条件だった。された場合は戦争に参加するもしないも自由という、軍事同盟では無く経済協定である。
その関係で、協力してくれないかなと言えば協力もしましょうと言うことでチハ改がここに居る。
ソ連の極東戦力減少で満州に派兵していた部隊の引き抜きが可能になった日本はイギリスの協力要請に軍を派遣した。派遣された兵はたまらない。極寒の満州から灼熱の砂漠だ。歩兵や砲兵等は本土の兵が来ているが、纏まった台数の機甲戦力は満州にしか無かった。
「ドイツ野郎の戦車はどうなんですか。曹長殿」
「俺も知らんよ。士官に聞け。士官に」
日本陸軍戦車兵が教えられてきたのはソ連戦闘車両ばかりだった。ドイツの戦車などⅡ号戦車の写真しか見たことが無い。イギリスから渡された資料にもⅢ号戦車の事はたいしたことが書かれていなかった。
「コイツの装甲板なら大丈夫ですよね」
「100ミリ相当と言うから、大抵の砲は大丈夫だろう」
「不安なこと言わないで下さい。曹長殿」
「10センチ加農砲とかで撃たれれば、衝撃でどうなるか分からんぞ」
「有りますでしょうか」
「わからん」
チハ改の装甲板は超合金丙だった。突然ヨーロッパで戦争が始まり、海軍はともかく陸軍の分まで各種合金の手配が付かないために艦船用超合金を流用している。手配が付くようになれば、丁で車体が造られる。エンジンも新技術が使われ、チハと格段の違いがある。履帯も強靱で切れにくい。
戦車砲の砲弾にも丙が使われている。相変わらず破甲榴弾だが従来の砲弾よりも硬く割れにくい。炸薬量を減らして重くしてあるために貫通力は凄い(当社比)。タングステン多めの砲弾よりも威力がある。
「車長。曹長殿。前方のイギリス軍より「ドイツ機甲部隊と交戦。敵優勢。救援を請う」以上」
「了解だ。小隊長からは」
「はっ。只今入りました「全車、イギリス軍の救援に向かう。我に続け」以上」
「良し。田中上等兵。前に付いていけ。ドイツ戦車とやるぞ」
Ⅲ号戦車が見えたのはしばらくしてからだ。
九七式中戦車改・チハ改は砂漠にあっても良く働いた。チハは何だったんだろうと言うくらいに違った。
主砲の威力も違うのだが機動力と装甲が違いすぎた。胡乱げに見ていたイギリス軍が頼りにしてくるほどだった。「もう少し強力な砲を積んでほしいな」と言いつつ。
チハ改の活躍に気をよくした日本陸軍では次期主力戦車として開発中の試製一式中戦車に力が入る。
76.2ミリ戦車砲を積んでいる。今後数年は主力を張れるだろうという目論見は、独ソ戦の現実が壊した。
1941年
日英のカタパルト技術を交換
イギリスの油圧カタパルト技術
日本の空気式カタパルト技術
強力チハ改とⅢ号長砲身型戦車や四号G型。良い勝負だと思うのですよ。
次回更新 7月29日 05:00
29日は閑話。物語の進展はありません。
日本海技術研究所の燃料噴射装置はディーゼルエンジン用が基本で、ガソリンエンジン用は流用しています。軽油と違う物性など、対策に苦労もしています。ボッシュタイプの横1列に気筒数分のパイプが出ているやつです。この頃の石油製品は硫黄分が多いので潤滑性についてはさほど苦労していない模様。