第77話 黒い布
わたし──舐められっぱなしで我慢出来る女じゃないの。一度言ってみたかった言葉をはきながら、新しい道具の開発に勤しむ。
「ねぇ、カルミア。もう、私のために仕返しとか考えなくていいからね」
すっかり元に戻ったヘレナが、お風呂上がりのわたしに冷えたお茶を淹れて持って来てくれた。
ヘレナには美声君を再改良し、反転魔法を組み込んでいる。傷ついたり怪我をしたり、呪印などの呪いを受けたりするとヘレナの力や魔力の上昇に変える仕組みだ。
美声君改は壊されないように、シルダレ草やモチノキの粉末で弾力性を持たせた。壊された事で改良点が見つかって良かったのかも。もっと大変な時に使えなくなったかもしれないからね。
「呪印が完全に消えるまでは、魔法を使わなくても強化バフがかかる状態になるから」
殴られ傷つけられる度に、ありがとうございます! と、どこからともなくおっさんの声まで鳴り響く。気味悪がってヘレナへの暴行がピタッと止んだ。
ヘレナが変な方向に目覚められても困るけれど、浮霊式風樽君をうまく使った合わせ技がうまくいって良かったわ。
皇子と呪いの術師は、わたしがつけた怨霊君の悪夢とヘレナのおっさん声が被るようね。
どんなにいたぶっても薄気味悪く微笑むせいもあって、皇子達からヘレナに近づく事もなくなった。ヘレナの背後に、生霊でも見てるのかもね。
────おっさんと言えば、なんか忘れてる気がするのよね。たぶん気のせいだわ。連日、皇子と王女に絡まれ、地べたに這いつくばる羽目になり、お風呂と仲間たちと過ごす時間だけが大事な安らぎのひと時になっていた。
下々の者と同じお湯に浸かりたくないからと、ローディスの皇子もシンマの王女も、専用の個室風呂を作らせていたので、憩いのひと時は邪魔されずに済んだ。
「国王様からいつまで待てばいいんだって、手紙がまた来たんだけど……」
アスト王子の従者になったメネスが呟く。余計なしがらみと圧力を受けずに済むせいか、その表情は明るい。同じ手紙を青黒い表情で運んでいたメネスにはもう会えないのね。
「バカなこと言ってないで、国王陛下だって忙しいんじゃないの?」
メネスに馬鹿者扱いされると、悔しいわね。
「いいのよ。別に緊急案件でもないんだから。それよりメネス、成分の質が落ちてるわよ。あなたの場合もっと病まないと駄目なのかしら」
冒険者ギルドに所属しているのを知られているせいか、メネスにちょっかいをかける生徒は少ない。天国はここにあったのね、などと抜かす有り様だ。
「わたしに降り掛かって来る迷惑な案件、半分あなたに移す道具がほしいわね」
「や、やめてよね。変なのつけたりしたら絶交だよ」
メネスほど不幸が似合う女はなかなかいないのに。上質の魔晶石を得るためにも、うまくメネスを泣かす手段を探らねば。
コツンっと、軽く頭を突かれた。エルミィが眼鏡をクイッとあげて背後に立っていた。
「メネスが泣くと、あとあと面倒臭いからやめようね」
なんか吹っ切れたのか、距離が近いよねエルミィ。秘密というわけではないけれど、過去の事を自分から話してすっきりしたのかな。全部話したかは別の話しだけど。
「それより、挑発されて突っかかるのは止めなさいよ。あっちもやらなきゃいけない流れになって困ってるよ」
わたしが強ければいいのだけど、かよわい王女様にも普通にはたき返す手を止められて動けなかった。
わたしは先輩と同じくらいの背丈になってるのに。制服も隠しポケットを作ってあるので、道具をいっぱい持ち歩いていた。
もこもこしているから誤解されているみたいね。膨らみは、見掛け倒しなのだ。
飛び道具のおかげで戦闘にようやく参加出来たのは良いとして、普通に喧嘩をすれば負けるのよね。
負けるために生まれてきたわけじゃないのに……王女さまに、何で護衛してるの? と、真顔で驚かれて傷ついたわよ。
わたしが一番気にしている弱点を的確に突く王女さまは流石だわね。わたしが弱すぎるとわかったからって、手加減したら変に思われますよ。
なんか……慣れて来たせいもあるのかしら。王女さま的には弱すぎるせいで気が乗らないみたい。
ヘレナの件もあったので、わたしは二つの魔道具を合わせ持つ新たに改良した怨霊型風樽君を作った。
これは加護の魔法に近い。ただし、相手に対して発動するものだ。ヘレナの渡したものと逆に、傷を受けると相手の魔力を吸収して弱化してゆく。解呪されても魔力は戻らず、弱化は残るのだ。
地味な嫌がらせに終わった倍々怨霊君の良い性能をうまく調整出来たと思う。
あくまで学園内での対人想定で、魔物相手には役にたたない。相性がいいのはヘレナで、自身の強化と合わせて、殴られる度に倍々で差がついてゆく。
「でもそれって反撃ありきの優良効果だよね。あと、カルミアは弱化させる前に倒れてるよね」
エルミィに正論で駄目だしされた。ヘレナとティアマト以外は恩恵が少ない。わたしに至っては恩恵どうこう以前の問題だったわ。
結局これも、ヘレナ専用の品になりそうだ。専用と聞いてなんだか喜ぶヘレナを見れたので良しとしましょう。
次の授業の休みの日は、王宮へ行く事になった。わたしが国王陛下の相手をしなかったので、先輩に泣きついたようだ。そっちが来ないのなら乗り込んでやると息巻いた手紙を見せられ、わたしは呆れるばかりだった。
王宮にはなぜか冒険者ギルドのギルドマスターのガレオンがいた。久しぶりに見たような気がするけど、髪はすっかり元通りに薄くなっていた。
予想はしていたのよね。ギルマスには被験者として薬の追加を与えず経過を見ていた。管理のおじさんは効果が薄れてから渡す事にして、おじいちゃん先生には一定期間で、それぞれ薬を再投与した。
大事なのは成分のようね。あとは、環境も大事なのかな。過度の精神的な不安が続いたり、苛々すると頭を掻きむしったりするのは、お肌にもよくないものね。
おじいちゃん先生は元から気ままな講師生活だったからかしら。一度ふさふさになると、落ち着いたみたいね。先生の場合、薬を定期に与える期間は他の人よりも長くていい気がする。
管理のおじさんも、わたしという障害をうまく処理してからは、仕事の苦労減ったそう。わたしが悪いみたいに言われて悲しかったわ。
この二人には成分を薄めたもので、定期的に頭髪に栄養を付加するだけでいける。その方が薬に頼らず、長期の維持も出来ると思うのよね。
もっと若ければ、体質が改善されて薬なしでも自力発毛するようになるかもしれなかったわね。
それにしても、こんな所で何をしてるのかしら、この人。毎回思うのよ、ギルドマスターって暇なのかしらって。
「そのオーガみたいな身体で、王宮の入口ど真ん中に畏まれても困るのだけど」
たしか異界の言葉で土下座とか言う謝罪の形で座る大男。ギルマスの大きな身体がわたしたちの行く手を遮る。
哀愁漂う背中を部下であるメネスにまで晒して、一体なにを謝っているのかしら。
「おまえ、いやカルミア様がそういうやつなのはわかってる。もう充分反省したから、許してもらえないだろうか」
許すも何も、怒るような事はしてないはずよ。実験台になってもらえたから、充分感謝しているくらいなのよ。
「あのね、カルミア。うちのマスターが言いたいのは、髪のことだと思うよ。約束を破って複製しようとして」
ガレオンにはギリギリの量を自分で使わせたからね。失敗は織り込み済みというやつだわ。それに、量はともかく結果がわかれば良かったからね。
あげた薬をまったく本人に使わずにいたのなら、怒りたくなったかもね。
「謝る理由はどうでもいいんだけど、どうして今日ここにいるって分かったのよ?」
冒険者ギルドには、しばらく顔を出してないはず。留学生のゴタゴタで忙しかったからね。
「……」
「……」
ギルマスが顔をあげてメネスを見た。わたしも当然メネスを見た。
しらばっくれてプイっと顔を背けた彼女の視線の先に、いい笑顔の先輩がいた。メネスの顔が血の気が引き、みるみると青くなる。
「釈明したいのなら、いいたまえ」
先輩が優しくメネスの顔に手を触れた。メネスがブルブル震える。
「陛下もギルマスも、毎日毎日手紙を送りつけて来てうざかったんですぅ。陛下なんかカルミアを連れてこなかったら、本気で処罰しそうでしたし」
直属の上司よりも、国家権力に媚びるメネス。部下に無視されていた事を今はじめて知らされたガレオンが怒りで、頭皮にさらなる毛根ダメージを与えてしまう。
ハラリっと抜け落ちる髪。黒さに磨きをかけるメネスは、先輩が側にいるからか強気だ。でも、先輩は釈明していいよとしか言ってない。
メネスは先輩の性格を、まだよくわかっていなかったようね。
「ちょっと、本業であるギルド職員としての責務と契約の確認をしたいので、部下をお借りしても良いかな?」
まだ膝を地につけたままなのに、久しぶりにギルマスの貫録を取り戻すガレオン。先輩は小刻みに震え出したメネスを見てにっこり笑う。
「ここは王宮だし、構わないから連れて行きたまえ」
ですよねぇ、としか言えない。まあ、ちゃんと伝えていても結局わたしが拒否るのは変わらないのよね。
でも、それを決めるのはわたしだからね。しっかり再教育を施してほしいものね。
「──あっと、そうだわ。これを預けておくからメネスが泣いたら頭から被せて」
わたしは少し膨らみのあるものが付いた黒い布を、ガレオンに渡した。
「なんだこれは?」
「パンツよ」
「は? なんでそんなものを」
「いいから徹底的にこの娘を絞るのよ。時々給水と塩分を与えて、絞りつくすの。そうしたら頭の事を考えなくもないわ」
その一言でガレオンのやる気に火がついた。窮地を察したメネスが泣き喚くが、さっそくガレオンがパンツを頭から被せて連れて行く。
「いい時にガレオンがいたわね。これで合法的にメネスから抽出出来るし面倒臭くないわ」
涙の似合う女って、色っぽい感じなはずなのよね。でもオーガのようなギルマスに、腕を掴んで連れていかれるメネスは、変な形の黒いパンツを被ったまま連行されてゆく変態にしか見えなかった。
仲間達からの視線が冷たい。先輩だけが目を輝かせていたけど、まさか御自分用のパンツを被りたかったのかしら?
「いや、そういう趣味は僕にはないよ。あれは改良型なのだろう」
「ええ。少しお下品な話しになりますが、あれは漏れ出た色々なものを吸収します。パンツ全体がスマイリー君の性質に近いので、登録者の分泌成分を吸収して魔晶石化されるのは今まで通りになるかなと」
メネスからは涙、目やに、鼻水、鼻血、涎、汗が出るはず。同じ水分でも分泌内容に違いがあるので、全てを吸収出来るかの実験を兼ねているのよね。
「────素晴らしい取り組みだと思うよ」
便利だけど、スマイリー君と違って隅々までは行き届かないので、洗浄と洗濯は必須ですよ、先輩。
「真面目なお話しに感じるけど、王宮の入口で興奮して話す内容ではないと思うよ」
真面目なエルミィから、恥ずかしいからさっさと行こうと促された。メネスのことはそっとしておく事にしたみたい。
確かに、ここでこんな話しをしていては、先輩が頭のおかしい変態とバレてしまう。
作った本人が言うのもあれだけど、便利だからと、あれを堂々と履く勇気はわたしにはないわ。
ヘレナ達も考えは同じようで、黙っていれば本当に格好いい先輩を見て、ため息をついていた。
わたしが作りたいのは、毛生え薬でも黒いパンツでもなく、錬成生物なの。なにが悲しくて、頭の薄い男たちの面倒ばかり見させられるのよ。
先輩のパンツに関しては旅に出たときや、ダンジョンで自分が使う可能性がないかと言われると、なくはない。でもあれは、先輩用の恥ずかしい一品なのよね。
面会は国王陛下の私用なので、謁見の間や執務室ではなかった。奥にある王族専用の建物にある国王の私室で行われた。名目上は王妃様の宮殿ね。
国王陛下の奥さん、つまり現王妃様はもともと第二夫人だった方だ。二人の王子を産んだ後に病気で亡くなった正妃の後釜に入った。
先輩のお母さんで、なんとなく見てすぐ察してしまった。跡継ぎ騒動の元凶が、この現王妃様だって。
用件のある国王陛下よりも、わたしたちの来訪を一番喜んだのが王妃だったからね。
とくにわたしは庶民なのに、思いっきり抱きしめられた。先輩がニヤニヤしている。
────お母様、あなたの娘はあなたの思惑に従う振りをしているだけで、いつでも投げ出す気でいるんですよ、と言ってやりたい。
どんな失礼な発言でも許してくれる国王陛下と違って、この王妃様には冗談が通じなそうだから我慢するわ。
それにしても、わたしの横でグダグダ言ってるおっさんは、神の雫を得ることで、自分が何を代償として差し出す事になるのかわかっているのかしら。
発毛させても、維持するにはわたしの薬が必要になるのよ。荒れ地に戻りたくなければ、一国の王でも庶民たるわたしに魂を捧げるに等しい行いなのに。
まあ一応特別成分なしの薬を開発するけどね。
ガレオンの哀れな姿を見たら考えが変わったかもしれない。でも王妃様を見る限り、国王陛下は謝り慣れてそうだと思った。