第76話 身代わり
わたしの身体に触れたことで、倍々怨霊君が皇子と術師に襲いかかる。わたしは把握出来ているのだけど、彼らには……たぶん見えていないわよね。
呪いの術師は、きっと調べるために指輪に触ったはずだものね。だから、わたしに触れなくても怨霊君の餌食になるのよ。
見た目にはまだなにが起きたのかわからないから、皇子がわたしの頭をぐりぐりしながら何か言ってる。結構強く、頭も踏み抜かれたせいで視界がゆがむ。
激情にかられたエルミィが付き人を振り解き、突進する。エルミィこそ馬鹿だよ。それこそが相手の思う壺なのに、熱くなっちゃってさ。
皇子をぶん殴ったのは、わたしでもエルミィでもなかった。
「────エイヴァン先生?」
なんで、彼がここにいるの? 殴りかかる対象がいなくなり、エルミィがわたしの腕を踏みつける護衛騎士に体当たりをかます。武装はしていてもエルフの少女の当たりは強く、護衛騎士は態勢を崩して転がる。
皇子が殴り飛ばされ、残るもう一人の護衛騎士もエイヴァン先生が蹴り飛ばす。なんだろ……このポンコツ先生格好いいじゃない。
「まったく────君達は無茶ばかりやらかす。だが、ちょうどいい引き時だったよ」
エイヴァン先生はそう言いながらエルミィを助け起こし、護衛騎士を踏みつける。そしてエルミィと二人でわたしを助け起こしてくれた。
こんなことをすれば、エイヴァン先生は懲戒処分を受けてしまうのに。下手をすればローディス帝国で罪に問われるかもしれない……。
「アスト王子との約束は、もう充分果たしたさ。これ以上は先生役として、教えるのも難しいからな」
去年も途中から、臨時講師のエルミィのお兄さんが頻繁に交代していたそうだ。緊急の依頼として冒険者活動に戻れば確かに誤魔化せる。
「私の事は後でエルミィに聞けばいい。エルミィ、ここは私に任せて早く彼女の治療をしてやりなさい」
エルミィが素直にうなずく。エルミィは何を思ったのか、一旦先生にわたしを預けた。彼女が何をするかと思えば、よろつきながら立ち上がろうとする皇子の横腹を蹴りつける。
ぐふぅ──と呻く皇子が倒れ込む。そのまま倒れた皇子の手から、ヘレナの指輪を奪い返していた。
「指輪がなくても、もう大丈夫なんでしょ?」
わたしたちにしかわからない意味の言葉で、エルミィが尋ねるので頷く。眼鏡エルフはわたしよりも計算高く、きっちり復讐の怒りをぶつけていたわ。────ずるい。
わたしの怨霊君の真価はこれから発動する。夜……眠っている時に、ほんの一瞬悪夢が訪れて安眠を妨害する。
夜だけじゃない、昼間でもふとした瞬間に白昼夢のような中で悪夢に苛まれることになる。微量の魔力をその時吸収するので、半永久的に悪夢に悩まされる事になるのだ。
「────あのさ、カルミア。それだと結局微量の魔力が減るだけで、この図太い皇子にダメージなくないよね。あと、ショボい」
くわぁ〜! 正論エルフめ、怪我人相手に容赦ないわね。
術師に除霊出来ない仕組みにするのに夢中で、肝心の報復は嫌がらせ程度になってしまった。
エイヴァン先生が呆れてはやく行けって、怒り出してる。さすがは金級の冒険者、護衛騎士が意識を戻す前に再び沈めている。
「────とりあえず踏んでおきなよ」
エルミィはわたしを抱えあげ、皇子の顔面を狙って足から落とす。
ベショッ──!
そんなに重たいわけではないにしても、人ひとり分の体重だから鈍い音と共にダメージが入る。
変なになったのは靴を履いたままの土足のせいね。痛み止めの薬を飲んだって、痛いものは痛いのだから無茶しないでよ。でも少しスッキリしたわ。
耳は長いのに聞く耳のない眼鏡エルフは、再びわたしを持ち上げ、今度は皇子の腹へと落とす。
────音はない。グニャッとした……なんか蛙を踏み潰したような、気色悪い感触だった。
────どこに落としたのよ?
気を失っていたはずなのに、怨霊君の悪夢以上の叫び声で皇子は泡を拭いていた。
エルミィはわたしを立たせてそこで待たせると、皇子のおでこと術師のおでこに、何やらペンを取り出して書き始めた。
あれはノヴェルが魔本を作る時のペンじゃないの。いつの間に持ち出したのかしら。
「この手の人はね、こっそりやるより、一度でも公衆の面前で恥をかかせた方が効くんだよ」
わたしを支えながら眼鏡をクイッとするエルミィ。二人のおでこには魔力に反応して、発動する文字が大きく飛び出すようになっている。
そこには共通語でわかりやすくこう書かれていた。
『僕たち愛し合ってます』と。
うぅっ、悔しい。仕返しの事も先生の事も。エルミィはともかく、エイヴァン先生に全部後処理を押し付ける形で守られて、退職処分にさせてしまった。
わたしは先生を馬鹿にしていたのに。金級冒険者とは言っても、しょせんは冒険者、胡散臭い、口先だけの人間だって。
先輩を守り、支えるために講師としてやって来たのは先輩からも聞いていた。そのためにエルミィとの婚約を破棄していたのは知らなかった。
皇子の所から部屋に帰るまでの間に、わたしを支えながらエルミィがポツポツと話してくれた。
エルフの王国があるというエルヴィオン大陸出身の彼女は、高い魔力はあるけれど、王族ではないそうだ。比較的に大きな集落の族長の娘だった。エイヴァン先生も同じ里の出身だったという。
「堅物の兄とお調子者のエイヴァンは仲が良かった。彼が金級冒険者になった陰には、兄の作る薬や道具の力があったのは間違いないよ」
エルミィはエイヴァン先生に憧れていたし、好いていたそうだ。ただ一年以上前に依頼を受けた後に、絶縁状が届いたという。
エイヴァンが他国の王家の争いに関わることで、故郷へ害をなすことを警戒していたと──今になってわかった事だった。
「先輩との契約は信頼出来る仲間が出来るまで────だったんだ。私がそこに入るのは予想外だったみたいよ」
むしろ先輩との関係に気づくと困るから、邪魔者扱いされてたわよね。ほんっとにエルフって捻くれ者が多くて嫌になるわ。
それでも、エイヴァン先生……ごめんなさい。守っていただきありがとうございました。痛む両腕よりも先生の大人の対応のさり気なさに、余計に自分が情けなくなった。
エイヴァン先生は金級冒険者になって偉くなったはずなのに、適性のない錬金魔術を必死に学ぶ。
そんな姿は、とても胡散臭いけれど根っこは真面目な人なんだとわかってました。本当にお世話になりました。
もう一つ悔しいのは、結局皇子達によるヘレナへの暴行はうやむやにされて、わたしは王子や皇子に見境なく媚を売る最低な女って位置づけられたことだ。
噂を流したのはシンマ王国の王女よね。調子に乗って悪目立ちする庶民を、気に入らない貴族の子供が中心になって広めていた。
まぁ……これに関しては世間の評価がようやく普通になった感じなのよね。たまたま試験を早く受けて、面接官にも媚を売って合格した貧乏臭い庶民。
本来なら入学早々にそうやって、場違いな庶民が受けるはずの洗礼だった。それがエルミィやティアマトの存在のおかげで発生しなかっただけ。
そしてそれが通じない相手が来たから、わたしとしては本来の状態になったと思うだけなのよね。
でもね他人からの評判なんてどうでもいいと思っていたのに、わたしのせいでヘレナたちが傷つけられるのは、自分の痛みより辛い。
────だから仲間たちのためにも、これからはきっちり反撃していくつもりだわ。
皇子のやつはムカつくけど、そのぶん単純露骨でわかりやすかった。こちらも変わらず先輩を落とすために、わたしに狙いを絞ったよう。
エルミィの罠を発動させて、自爆していたけど。
「ちょうどいい機会だから、君は大人しく自重したまえ」
この先輩め、元はと言えばあなたの存在が人間関係をややこしくして、三国の騒乱を引き起こしてるのに自覚が薄くない?
皇子はあからさまに変態的な妄想をぶちまけて来たし、王女は薄い頭の二人の兄よりも、見かけの良い先輩を狙い出したよね。
あの王女さま、目障りなわたしを排除する気満々だもの。
「カルミアって良くも悪くも人を惹きつけるから、アストの分まで背負ってる感じだな」
ティアマトの分析に、わたしは凹む。こんなに目立つ先輩より、わたしのなにがあの偉い立場な人達を惹きつけるというのよ。
たかがいち庶民をよってたかって身分の高い人達が叩く図になっているのよね。おかげで下級貴族に商人、それとここでは少数派のわたしと同じ一般人の生徒達からは同情をされている。
わたしを好いているかどうかは別として、貴族同士のいざこざは宮廷でやってくれって思っているのだと思う。だって、わたしもそう言いたいもの。