第45話 神の雫 〜かみはいのち〜
冒険者ギルド内の騒動は、メネスとガレオン双方の減給が決まった。わたしも彼らに迷惑をかけられたので、薬湯の代金と、神の雫と名付けられた薬の代金が合わせて支払われる事になった。
ギルドの人間……主にギルドマスターを信用したわけではないので、一応念押ししておく。
神の雫製法を暴こうとしたり、かさ増ししようとしたりするのは勝手だ。ただし用法通りに使わないと、効果を失うよ──そう警告して渡しておいた。
使われている素材は一流の薬師が分析すれば、すぐに解析されちゃうと思うのよね。
でも他の薬師により完成したものが、わたしと同じ効果を発揮出来ると思わない。それが出来るのなら、もっと昔から開発され、効果を発揮する薬が出来ていたはずだから。
それに渡した薬の分量はぎりぎりだ。研究に回すと、使用量は当然減る。
わたしはもうギルマスの頭皮には興味がないから、救済はしないわよ。
わたしとしては、お世話になっている学園の管理のおじさんに薬を渡したい。薬草採取で帽子もかぶらずに剥き出しの頭皮を守る為にもね。
メネスの憂さを晴らすために、ギルマスで人体実験しただけだからね。
────あれだけわたしが忠告したというのに、ギルマスは欲張った。神の雫の三分の一ほどを専属の薬師にまわして、薬の成分や製法分析を依頼したみたいだ。
結果はわたしの予想通りになった。使っているのはありふれた素材で、既に薬師ギルドに研究報告のある製法だったそうだ。
王都ギルド専属の薬師だけあって、特殊な魔力成分が含まれているのまではわかったみたい。
そこが薬師と錬金術師の境界でもあると、わたしは考えているのよね。
薬師は薬草や魔物の素材を活用して、薬を作るのに特化している。素材を最高の形で薬に出来るのは、薬師の方だと思う。
でも錬金術師は石ころを金へ変えるように、完成された形を変化させる。基本的な作業や素材の扱いの部分は、きっと同じなんだろうけどね。
おかげでわたしも今回は良い勉強になったわよ。入りそびれた薬湯は、メネスが薬師から購入して持って来てくれた。
そしてあの後ギルドがどうなったかは、メネスから直接聞いたのだ。
ガレオンが欲張った話はメネスから知った。薬が足りず後頭部だけ変に禿げたままになっていて、毎日嘆いているらしい。
さすがにあれほどわたしが念押ししたのに、欲張ったガレオンの自業自得なのは明白だ。事の顛末を知る職員達も呆れていたそう。
ちなみに善良な管理課のおじさんは、艶々のふさふさの髪に戻った。仕入先の農村のおばさん達からも、モテモテ状態のようで何よりだわ。
「なんか凄く大変だったみたいね。結局メネスさんはカルミアのあれにやられたの、うやむやにされたってこと?」
ギルドの騒ぎとメネスについて、みんなに話をした。さっそくエルミィが本人も忘れていた事実に突っ込んだ。
「薬師と錬金術師の壮大な物語のようで、作ってるのは毛生え薬なんだよね」
お菓子の件で話の引き合いに出されたヘレナが、少し引き気味だ。わたしの錬金術の今の着想は、ヘレナの存在なくして語れないからね。これからも頼むわよ、同室の親友殿。
「ギルマスにボクの成分が使われてるのは、少し嫌かな」
ティアマトとノヴェルには申し訳ないと思ってるわよ。基本的な構想は得られたからいいわ。次に量産する品は効果は落ちると思う。でもわたしが作成するのなら、彼女たちの特殊成分に頼らなくてもいけそうな気はする。
一番肝心の薬湯の素の使用については、寮長に問い合わせに行った。他の人にあまり迷惑のかからない早朝の時間ならば、薬湯の素を使っていいと許可をもらえた。大半は流されるし、寮生の授業中に清掃も出来るからね。
みんなも誘ったんだけど遠慮された。しばらくは定期的に薬湯になるのに、わざわざ入りに行かないよと断られたのだ。
「おら一緒にいくだよ」
ノヴェルだけがそう言って、わたしにヒシッと抱きついた。さすがはわたしの天使。そして、わたしは翌朝早くにノヴェルを起こす。
「────おらまだ眠いだよ」
……まさかのお断り。わたしの天使の反抗期なの?
わたしはノヴェルの毛布をかけ直して、一人で浴場へと向かう。断られた事は傷ついたのよ。でも、ノヴェルが普通に学園生活に馴染んでいるようで安心したわ。
わたしのいない時にも、みんなで仲良くやってるものね。少し寂しいわね。
お風呂場へ行くと同時進行していた厄介事の、実験体の方がやって来た。会う可能性は高いとわかっていた。だけど会いたくなかったお人だわ。
「聞こえてるよ。薬湯なんて久しぶりだね」
軽く不敬的な独り言を口にしたのに、この先輩は実に心が広い。
王族だからかしらね。それにしてもこの素の性分ならば、普通に王家のものとして人気は出るわね。
「なんだか冒険者ギルドと揉めた娘の話を聞いたのだが、その娘とは君なのだろう」
躊躇なく、わたしと決めつけないでほしいわ。まあ……わたしだけども。
「なにを騒いでいるのかはわからないが、宮廷にまで噂が届いているらしい。気をつけたまえよ」
「なんでそんな所にまで噂が? 揉めたのはギルド内の職場環境の事なのに」
わたしは彼らの騒動に、共通の秘密を知るから巻き込まれただけ。すでに解決はしている。宮廷まで噂が届いて、騒ぐほどの事でもないと思うの。
「君が開発した試作品が、物議を醸すことになっているようだね」
「試作品? ああギルマスの髪の話しのことね。あれはもう研究の目処がついたから、後回しでもいいのよね」
基本素材の入手は簡単だ。ただティアマト成分やノヴェル成分の代替の薬液づくりがいるのよね。結構な高品質の薬を必要とするから保留よ、保留。
たかが毛生え薬に神の雫なんて大層な名前を付けていたわね。
量産品でも原材料費用に金貨五枚かかるもの。銀貨じゃないのよ、金貨よ?
そんな効果の怪しいものに、それ以上の価格で買う客なんてガレオンくらいだわ。
「それより先輩の状態の話をしてくださいよ。その様子だと上手くいったようですね」
「あぁ、ダミー用の薫りロウソ君が意外に役に立ってるよ」
先輩に渡した例の品は、用を済ませる時に消臭効果も持たせてはいた。
欠点はあれをいくつも置いておくと目立つことだ。ダミー用の薫りロウソ君を一緒に積んで、置いて隠せるようにしたのよね。
キャンドルの材料は蜜蝋や植物の油などや、燃やすと香りの出る葉などを、混ぜ合わせた簡単なものなのだ。
「生成された魔晶石があればもっと作れるのだろう? 次の分と交換したいから明日の朝、部屋まで来てくれるかい」
我慢をする回数や時間が減ったためか、以前より先輩も色気が落ち着いた感じがする。男子達もこれなら浮ついた気分にならずに済んで、みんな助かるだろうね。
でもそのかわりに艶が増したから、差し引きは魅力自体はあがったのかな。
薫りロウソ君は香り用の素材だ。本体の色が違ってしまうけれど、逆に彩りがあって飾りになって好評みたいだね。
好みの香りもあると思うので、色々試して意見をもらおうと思った。
授業の後に、管理課の職員室に行き頼んでいた素材を受け取る。
管理のおじさんの好意というか毛生え薬の代金のかわりに、必要な素材があれば、安価なものならおじさんが仕入れてくれるようになったのだ。
わたしの実験は他の生徒と違うものを使うせいか、素材がすぐに足りなくなる。頭髪の御礼もあるし、わたしという素材荒しを管理出来るので、職員さん達も助かるみたいね。
大量の素材を大きな籠に入れて持って帰ると、ヘレナが運ぶのを手伝ってくれた。エルミィはノヴェルと自作の魔本作りを挑戦中で居残りに付き合っているみたい。
手の空いているティアマトには、素材の買い足しに行ってもらった。ついでにヘレナも彼女にお使いを頼む。ヘレナは夕食の支度をするまで、わたしの作業を手伝ってくれた。
「これがいい」
薫りロウソ君は、ヘレナも欲しがったので好きな香りのものをあげる。わたしやエルミィは慣れてるけど、錬金術ってたまに酷く匂うものも扱うからね。
鼻のきくティアマトとか、結構我慢してくれていたのかもしれない。
予備がないと不安そうだったので、先輩の依頼品は作れるだけ作っておいた。キャンドルは街の雑貨屋でも手に入る。消費は少ないからメインを中心に作成した。
翌朝早くに、作りあげた大量の品を持ってゆく。自分用の筋力アップが、こういう事にも役に立ってよかったわ。
先輩も遠慮なく使える在庫が出来て喜んでいた。男子寮に持っていけない分は、ここに保管しておけばいいものね。
そしてわたしもたくさんの魔晶石をゲット出来たので顔が綻ぶ。先輩の魔力は、タオルから抽出しただけでも純度が高い良質な魔晶石になったからね。
排世物から出来たとは思えないくらい綺麗な結晶が、より高品質なものへ変えてくれるのだと思うと楽しくなるわよね。
「あんまり目の前でそれを見つめられると、流石に背筋が寒くなるから止めてもらえるかい」
おっといけない、変態に思われる所だったわ。このアスト先輩は気さくな分、無警戒過ぎて隙が多いのよ。
美しい結晶が何で出来ているのか知られたら、変態が殺到しかねない。先輩にも扱いには充分に注意してもらうとしよう。
わたしが真面目に話しているのだから、急に恥じらうのは止めてもらいたいものね。
「なんにせよ、これでアスト先輩の錬金釜も作れるわね」
「いつ作るんだい? 出来れば見てみたいね」
「専用釜の事は秘密なんで駄目ですよ。次の魔晶石の回収で、先輩用の錬金釜を作りますからそれで我慢して下さい」
取り巻きを引き連れて見学に来られても迷惑だもの。それにあげるのは、先に作った釜の方になる。
そのためにも先輩の部屋の飾り用に、装飾や彫物なんかをしっかり作り込みをしたものを贈ろうと思う。
ノヴェルに頼めばイメージもらえるかな?
手に入れたアスト先輩成分でいっぱいの魔晶石を使って、アストタイトを作り出す────
────美しい青い鉱石ね。これを使って出来たアスト先輩専用錬金釜は、色濃い群青だった。
なんだろう。この人の魂の色って、根っからの王族の器なのかなって思わず感心しちゃったわよ。
この錬金釜に、ノヴェルが楽しそうに飾り絵を付けてくれた。魔力と金を溶かし込んだ高価な染料で刻むように絵を描くと、さらに品が増したように思った。
彫刻だと能力を損なう可能性があったので少し予算をあげた。天性の才能っていうのは、こういう娘のことを言うのね。
ノヴェルの場合は種族的な特性なんだと思うけどさ。王家の紋章を見本にノヴェルは綺麗な装飾を完成させた。
「なんか凄く豪華で使いづらいわね」
ある意味古今王家共同作、幻の王女合作となるのよね。ひとまず依頼されているものを専用釜で作ってみた。
吸収能力が高いようなので、使用時の不安が減ると思う。それに魔晶石化の魔力濃度が、以前の物よりも上昇している気がした。
効果を高める為に、次の魔晶石が早くほしくなる。先輩が卒業するまでに出来るだけ魔晶石を確保しておきたいものよね。