第43話 指名依頼 ⑧ 薬湯は逃げる
王都の冒険者ギルドと職員用の建物は同じ敷地内に併設されている。その敷地内の中にある幹部クラスの建物は、要塞の小砦のように居を構えていた。
その中でも一際豪華な外観の建物があった。王宮のように立派な尖塔、頑丈そうな外壁。建物の主である、王都ギルドマスターの建物から雄叫びが上がった。
一般的にギルドマスターの建物は、ギルドの運営資金を預かったり貴重品を保管したりする、宝物庫を兼ねている。そのため必ずギルド専属の巡回兵や門衛がいる。
扉も通常の鍵と魔法による施錠がかけられていて、建物全体にも侵入を探知する魔法や外壁強化の魔法が掛かっていた。
そうした厳重な警戒の中である。ギルドマスターの居室内から雄叫びが上がるなど、只事ではないと皆が判断して緊急事態だ。
すぐに鍵を管理する副ギルドマスターの元に連絡がゆき、衛兵隊が即刻集められた。そして副ギルドマスターの号令のもとに、ギルドマスターの居室へ衛兵隊が踊り込んだ。
優秀なギルドの証なのだろうか。一般の冒険者が利用する建物の方では、幹部達が情報統制を行っていて、何事もなく通常業務が行われていた。
────朝の鐘が一つ鳴る頃、疲れた顔をしたギルドの幹部達の姿がそこにあった。そしていつも通りに出勤して、受付業務へと就く一人の少女を呼び出していた。
◆◇◆
授業が終わるとわたしは居残りや実験は止めて、お風呂へ向かうと決めていた。この頃の暖かい季節になると、草木の芽が一斉に伸びる。当然、薬草類も大量に手に入るようになる。
わたし達が依頼で向かった農村の先の採取場も、しばらく使ってなかった道が歩けない程に枝が伸びているようで、薬草も使い切れないくらい、いっぱい育っていた。
この時期になると他の学科でも薬学を授業に交えるようになる。材料の入手が容易いことにも関係していそうだ。
それに薬学魔術科では、大量の素材入手に合わせて薬湯の研究授業が始まる。天然の鉱石温泉などで知られる、疲労回復や治癒効能などを、薬湯によって作り出す実験が盛んに行われるのだ。
授業で危険性のないと判断されたものから選ばれた試作品が、寮のお風呂などに投与され効能を試すこともある。
寮のお風呂のお湯は流し続けて入れ替わるので、時間を告げる鐘の音ごとに薬湯の素が投入されるのよね。
つまり早くいかないと、薬湯の素が切れた時点で特別仕様のお風呂を楽しむことが出来なくなる。
「この時期は三日にいっぺん薬学で、薬湯づくりの授業あるから入りそびれても大丈夫だよ」
物知り眼鏡エルフが、わかった風な残念な事を言ってるわ。
「わかってないわね。そんなのひと通り味わいたいに決まってるでしょ?」
これを聞いたから、わたしだって他の学科の事を配慮して素材の乱用を注意しようと思ったんだから。
錬金魔術科と被るから止めたけれど、薬学も受けておくべきだったと今更ながら後悔した。
薬学科を受けていれば、今頃はたっぷりのお湯を使って自作の薬湯を楽しめていたのだから。
「ブレないよね、カルミアはさ」
そうは言いつつエルミィだって、そわそわしている。わたしのせいで仲間達はお風呂の楽しみ方を覚えてしまったから。わたし自身もここまでハマるとは思っていなかったものね。
ウキウキしながら寮の部屋に戻るところで、わたしは声をかけられた。寮の管理の人で、わたしにお客さんが来ているという。
こんな大事な時間に来客って誰よ、そう思って名前を確認するとメネスさんだった。
あの人……いまの時間はまだギルドの受付の仕事をしているはずだよね。
休みだったとしても、なんでわざわざわたしの所へ急に来たのよ。
「お風呂は逃げないから、会って来た方がいいんじゃない?」
名言のようにエルミィが笑う。本当に物知りエルフなのかしら。
────薬湯は逃げるのよ。湯に薄められて、なくなるのよ。
「……仕事の依頼かもしれないから、手短に用件だけ聞いてくるわ」
まあ、ギルドの人間との縁も大事だから仕方ないわよね。仲間達には、先にお風呂へ行ってもらった。メネスさんは仕事熱心過ぎるから駄目なのよね。
寮の来客用の部屋には、大人しく座って待つメネスさんの姿が見えた。
なんかしょんぼりとして元気がないみたい。仕事でドジ踏んで、慰めてもらいに来たのかしらね。
メネスさんは、わたしの顔を見るとボロボロと涙を流して泣き出してしまった。
「どぉしてくれるのよぉぉぉ〜!」
カッと目を見開くと、死霊のように叫び出した。なんでも冒険者ギルドでは、朝から騒動があったそうだ。
ツルツルの頭を光らせたギルドマスターと笑いを堪えて真っ赤な顔をしたギルド職員に呼び出されて囲まれて、解雇を言い渡されたらしい。
泣き叫びながらグニョグニョと煩く言うメネスさん。要するにメネスさんの渡した薬のせいで、もともと薄かったギルマスの頭がさっぱりしただけのようね。
加害者? と、被害者がどちらも泣くという混乱した状況。ギルド職員も仕事が手につかず困っているとか。
────解雇通告の後、ようやく落ち着いたメネスさんの事情聴取で、薬の作成者がわたしと知られた。学校の授業が終わり次第、連れて来るように言われたようだ。
「綺麗さっぱりしたのに何を怒ってるのかしらね、ガレオンは」
怒りたいのはこっちの方なのよ。大事な薬湯がかかってるというのに、中年親父の頭髪の事なんてどうでもよくない?
「────不当に解雇するとか、職権乱用よね。メネスさんだって、渡す時にちゃんと頭皮のお手入れをしてくれる事を伝えたのよね?」
いくらドジっ娘のメネスさんでも、間違えないように念押ししたから大丈夫なはずだ。彼女もうんうんとうなずいている。
「なら、貴女は悪くないわ。注意事項を聞いて試したのはギルマスなんだから」
むしろきちんと結果が出て映える頭になったのだから、メネスさんに感謝してほしいわよね。
「ガレオンが話しにならないと言うならば、副ギルドマスターにそう伝えて一方的な解雇を取り消してもらいなさいな」
まったく、そんな事でこの人ずっと授業が終わるのを待っていたのかしら。わたしはこれから大事なイベントがあるから付き合ってられないの。
「──えっ、ギルドの上司に、貴女を連れてくるように言われてるのよ」
話しを切り上げ部屋に戻りかけたわたしを、メネスさんがしがみついて止めた。どうしてこの人は今日やってきたのよ。せめて明日なら、行ってもあげても良かったのに。
「私の人生がかかっているのに……貴女はお風呂のために見捨てるというのぉぉぉ」
むっ、仮にもギルド受付嬢だけあって魔法学園の内情に詳しいわね。そして面倒臭い言い回しで、周囲を味方にしようとする。
「見捨てるも何も、ギルド職員が不興を買ってクビにされるなんて珍しい事でもないでしょうに」
「来てくれないならずっとここで騒いでやる。貴方も道連れに退学になればいいわ」
純真なヘレナやノヴェル達に比べて、ギルド職員はガチで頭がおかしなのが多いのかしら。仕事がキツイからって、八つ当たりに学園に乗り込んで来るなんて、冒険者たちより悪質だわ。
大体そんな騒ぎを起こせばギルドを確実に解雇になるどころか、逮捕だってあり得るのを忘れてないかなこの女性は。
剣を抜いて斬りつけたというのならともかく……よくわからない怪しい品を、確かめもせず使う方が悪いのよ。
やられたらやり返すのが冒険者の流儀だものね。依頼について騙して利用した借りは、考えついた頭にきっちりと返すのが筋だもの。
冒険者の流儀と礼儀をわきまえたのに、怒り狂って部下を不当解雇するような人間だから髪が逃げ出すのよね。
丁寧なお返しされて権力によって職員をやり込めるなんて最低だわ。それにわたさしの邪魔までして、楽しみを奪うのは最悪よ。
まだ通りで懲りずに声をかけてくる冒険者達の方がマシね。
「メネスさん────いえ、もう面倒だからメネスと呼ぶわ。今日入りそびれた分は、ギルマスに払わせて薬湯を買わせるわ。だから今度一緒にお風呂に入りましょう」
街で売っている薬湯の素は、高いし大半の人には使い道がない。庶民の人に湯船を備えた、お風呂場のある家は少ないからだ。王都の住人だから保有率はそこそこあるにしてもね。
わたしはメネスと一緒にギルドまで行くことになった。グズって泣いて鼻水を垂らしているメネスを相手にするのは嫌なのか、珍しく冒険者達も声をかけて来なかった。
「────ギルドマスターはいるのかしら」
メネスがわたしを連れて戻って来たので、ギルド内の職員が一瞬立ち上がりかけた。すぐに普段通りに戻り、わたしとメネスを奥へと通す。
乙女の楽しみを奪うことがどんなに罪深いことか、たとえ王都のギルドマスターだろうと教えてあげないといけないわね。