第33話 新・錬金釜 ⑤ 先輩に捕まる
────わたしは朝方に目が覚めた。ヘレナ達がわたしを部屋まで運んでくれたようだ。
寝間着に着替えさせて、ちゃんとベッドへ寝かせてくれて……ありがたいわね。
散らかしたままの錬金釜や生成したものは、ヘレナとエルミィが、後でわかるように片付けたようだ。
虹色の鉱石は隣のベッドに眠るノヴェルが握っていた。わたしが眠る間に誰が持つかで揉めたのかしら?
争奪戦は幸せそうに握り締める、ノヴェルが勝ったらしい。
錬金のまだ途中なのに、ぶっ倒れるなんてショックが大きい。だって、お風呂に入りそびれたから。でも、ついているわ。
今日は授業がないので、ゆっくり休めるって事なの。つまり朝からお風呂に入っても、誰にも止められないし怒られないわけなのよ。
わたしがお風呂へ行く支度を静かにしていると、ヘレナが目を覚ました。
お風呂セットを持っているのでわかってくれたようね。眠い目を擦りながら、小さく欠伸をする。
ヘレナはそばで寝ているノヴェルを起こさないように、行ってらっしゃいと軽く手を振ってくれた。
朝から入るお風呂は、寮に来て初めての事なので新鮮な気持ちになる。なんで朝も入れる事に今まで気がつかなかったのか、わたしとした事が抜かったわね。
でも……気づいたのが入寮してまだ半月足らずで良かったわよ。上級貴族の方々に、快適スマイリー君があまり理解されなかったわけは入浴のせいだわ。懐炉の悪夢の再来ね。
毎朝毎晩こんなに心地よい時間を過ごして身体を清めていたら、お肌がぴかぴかになるのは納得だもの。快適スマイリー君の利点は、汚れ落としだけじゃないんだけどね。
寒い部屋で震えながら冷たいお水で身体を拭くのと、湯気の立ち籠める暖かなお風呂場で温かいお湯でじっくり浸かるのでは、お肌への負荷が違い過ぎるわ。
出資者が見つからないのなら、いっそ簡易お風呂セットを開発して売れば稼ぐ事出来そうね。
魔法学園に来て良かったのは、こうした発想のもとになるものが沢山あることよね。
それに学園の図書室には蔵書が山ほどあって、実現されていない発明品の情報をまとめたものなどもあったくらいだ。
まだじっくりは見ていないけれど、懐炉の事も載ってるくらいだから、お風呂についても情報があるのかもしれない。
────わたしが考え事をしながら核を潰されたスライムの様に、ぐでっとしていると誰か浴室に入って来た。
わたしが言うのもなんだけど、貸し切り状態をもう少し味わいたかった。あちらもきっと同じ事を思ってるかもしれないわね。
「おや、先客がいたようだね」
洗い場で一旦身体を洗い、湯できちんと汚れを流してからやって来たのは、凛々しい感じの女性徒だった。
見覚えがないから別の科か、先輩かもしれない。わたしが今日気がついた朝夕のお風呂を入り続けて来たのか、とても艶のある人に見えた。
「キミは噂の新入生の子だね。こんな状況で会う事になるとは驚きだな」
気さくな人なのか、話し方から上級生で偉い人だとわかる。恥ずかしいので、先輩だろうとあまりジロジロ見ないでほしいものね。
「昨日、伯爵令嬢の娘らと揉めたようじゃないか。彼女らはああ見えてしつこいぞ」
なるほど……関係者なわけね。お肌分析からして貴族、それも上級よね。
怯えて退散したように見えたけれど、あの貴族の娘達は確かにしつこいし、しぶとそうだった。
「貴族にお詳しいのですね、先輩。わたしは庶民ですので、失礼のないよう先に上がらせていただきますわ」
めちゃくちゃ嫌な予感がした。貴族令嬢達の必死な派閥争いを冷静に眺めて茶化せる立場の人なんて、ここにいちゃいけない人な気がするのよ。
逃げるが勝ち。こうした口調の砕けた上級貴族は、たいてい頭のおかしい人が多いからね。冒険者同様、関わったら負け。
「まあ、そう言わずにもう少しゆっくり話そうじゃないか。だいたい先に上がる方が失礼かもしれないぞ」
貴族令嬢達がしつこいと言った貴女の方がもっとしつこいですね……と言いそうになる。
「そうかもしれませんが、お目を汚すのも失礼かと思いますので」
関わりにならないためにも逃げようとするわたしの腕を、先輩貴族様が捕まえた。
「噂以上に面白い娘だね。ここで僕の正体に気づいた娘は、キミが初めてだよ」
目が笑っていないですよ、先輩。それにわたし一言も正体の話をしてないです。貴族令嬢の中で、その微笑みが流行ってるのだろうか。
「なんの事かわかりかねます。友達が心配するのでそろそろ上がりますね」
掴まれた腕をはがそうとするけど、筋力のない事の発覚したわたしは、その手を離す事が出来なかった。
「キミは錬金術師として研究をして行くために出資者を探しているのだろう? 目の前にとてつもない機会が転がっているのに素通りするというのかい」
中々痛い現実を突いてくる先輩だわね。錬金術師の話は、エイヴァン先生を除けば面接の時に話したくらいだったはず。
仲間がわたしについて話すにしても、奇行についてで貧乏な件は言わないと思う。──想像していて、悲しくなったわ。
あの面接はさり気なく危険人物を排除し、先輩方の目に叶う人物を見ていたのかもしれない。
「────間に合ってますので、大丈夫です」
わたしにだって選ぶ権利あるのよ。でもこの先輩、拒絶されるなんてまったく思っていないよね。お互い何も隠すもののない状況というのも非常に気まずい。
身分違いの高貴な先輩が庶民の話しを聞くために素っ裸で話そうとか、最大の信頼おいてますよってことよね。
裏を返せばそこまでしているのにただで帰れると思っているのかい、という心の声が聞こえる。
だって、とてもにこやかな表情で、伯爵令嬢なんか比じゃない素敵な笑顔なんだもの。
「状況が飲み込めたようだね。キミには拒絶する権利はないのだよ」
素っ裸のその格好で勝ち誇られても王家の威厳もなにもありませんって。のぼせて倒れる前に湯船から上がらせてほしい。
結局お風呂から上がった後で、着替えてから先輩の部屋に来ることで妥協してくれた。ばっくれたら権力を行使すると、露骨に言われたよ。
「それと、今更なんですが、先輩ってどちらさまなのでしょうか」
ピキッって音が聞こえるんじゃないかってくらい先輩の額に青筋が浮かびあがり、わたしの腕を掴む手が強くなった。
いや、わたしの勘違いかもしれないから確認しておきたいだけなのよ。
貴族の方同士ならば、表の顔くらい知っているのでしょう。でも庶民出身なわたしは生憎と知らないのよね。
「不遜な子だね。そういう世界に触れていないにしても、鳥が囀るようにそこかしこで噂は聞いているよね」
ようやく自信あふれる先輩の表情が曇った。子女の全てがうわさ話に明け暮れていると思ってるようね。
でも、わたしの友達は他人の噂をあまりしない。興味の対象がだいたいわたしに向いてるからね。
なんか、それはそれで駄目な気がしてきたわ。住む世界が違うと、こうも認識に差があるのだと実感した。