閑話9 ロブルタ王家の最期
「母上はやはり逃げていたか」
旧ロブルタ王都の王宮には、憔悴しきった父上と、幼い弟がいた。
「どうします、先輩。禍根を断つなら情のない今のうちですよ」
僕が困惑し、悩む姿を見て愉しむかのようにカルミアがニヤつく。
微笑む悪魔のような宮廷錬生術師。彼女なりに元気づけようとしているのだろう。そのニヤつく顔が不愉快なので、無防備な首を狩る。
「ぐぇッ」
おや、気管を潰し過ぎたようだ。錬生術師に心配されたように、心の奥底で僕は少し期待していたらしい。
母上がかつてやらかした時のように土下座して迎える姿を────。しかし、母上も今回は無理だと悟ったようだ。
【星竜の翼】 の存在を、母上も策士だけに知っているのかもしれない。僕に首を狩られてジタバタするカルミアが、魔女さんと呼ぶ【双炎の魔女】レーナと、魔王様呼ばわりする冒険者レガトのことを。
レガトはともかく、レーナは容赦しない。カルミアをロブルタへ送り込んだのが彼女だというだけで、厄介な人物だと母上も理解したはずだ。
さすがにここまでカルミアが掻き回す事はレーナも読めていなかったようだが。
この腕の中でもがくか弱い少女が、狡猾なローディス帝国の蛇神や母上を翻弄して、破滅に追い込んだ張本人だとは誰も思わないだろう。
巨大な邪竜神を倒したのは【星竜の翼】 の面々だが、その戦況へ持っていったのはこの狂った錬生術師だ。
「……あいつから手紙を預かっておる」
疲れた表情の父上が、僕に母上の手紙を渡してくれた。お人好しで母上を最後まで愛していた唯一人の男だろう。
「────先輩。泣きそうなら、御一人で手紙を読んで来てもいいんですよ」
煽るカルミアの首をキュッと絞めて黙らせる。小憎たらしい言い方はわざとだろうが、道化た物言いは冒険者とやらの教育のせいだな。
僕と彼女のやり取りは毎度の事なので、仲間たちは誰も止めない。カルミアも懲りないので、そうやって僕の心をいつも奮い立たせてくれるのだ。
────まったく良い親友を持って幸せだよ、僕は。きっと僕はもう、この少女の首を離せない。何やら喚いているが、その叫びがまた落ち着くのだよ。
胸に居着くアルラウネのルーネやぺったりくっつくドヴェルグのノヴェル。
僕はもう孤独から解放された。仲間達が出来た事で弱くなったと言われても、この子達を守りたいと思うようになった。
邪神だろうが魔王だろうが、僕を止められるなら止めてみたまえ。
「──なんだ、つまんないの。先輩に怨みつらみを書き殴っていたら良かったのに」
出会った頃と本当に変わらないな……この後輩は。とりあえずグイッと首を腕で巻く。
「ぐへッ! 先輩、無駄に膨らんだ胸で息が止まっ……」
母上からの手紙を勝手に読むカルミア。手紙には悔恨の言葉よりも、僕への詫びと、それでも愛していたとほざく薄ら寒い文字の並びだった。
半分は本当だろう。常に情報を流し、僕の才覚で切り抜けられる機会を与えてくれた。
思えば不思議な関係性だった。一番簡単な方法────僕を宮廷で直接殺すような真似はしなかった。それはせっかく捕らえたアスタルトの魂を、逃さないためだったわけだが。
母上はカルミアの施術によって、呪いの解呪をされたのを知ったはずだ。だから僕はローディス帝国の侵攻に間に合った。
母上があちら側のままならば、先にアガルタ山は制圧されていたか、ロブルタに戻った時に帝国軍と挟撃されていたはずだからだ。
「そんな理由で、裏切るかもしれない弟君を生かすのですか」
ずかずかと遠慮のない後輩だ。僕は彼女やバステトのような狂人ではないのだか、君の頭の中がどうなっているのか常々興味を持っている事を忘れないでくれたまえよ。
「……うむ、生きて使う事にするさ。咲夜が戻るなら、彼女のパーティに入れてもらうとしよう」
「咲夜? あぁ──あの逆ハーレムパーティね。ちゃんとしたダンジョンに行きたいって言ってたから、放り込みましょう」
仮にも僕の弟なのだから、立場は女王の弟なのだが……カルミアが気にするはずなかった。
「そもそも君が男性型の記録を取るために、彼女たちの性別を変えたように思ったが」
この狂った錬生術師は、そんな事などとっくに忘れていそうだった。
恋人の裏切りと惨殺という試練を乗り越えて、聖女として生まれ変わるはずだった少女も、このカルミアがおかしな介入をしたせいで勇者候補の咲夜に五度も殺される羽目になった。
それでも諦めない聖女もタフだと僕は感心したものだ。魔王よりも、我が宮廷錬生術師の方が、かなり悪質な感じなのは気のせいではないだろうな。
力なく項垂れる疲れた父上は正直見たくなかった。カルミアには強がってみせたが……僕は父上が好きだったから尚更だ。
「ロブルタはこのままで、父上を公爵に据えて任せれば良いだろう」
弟の事は関係なく、始めからそのつもりでいた。母上がいなくても、父上なら大丈夫だ。弟も望むなら父上の跡を継がせれば良い。
「──わしは引退したいのだが」
最愛の王妃に逃げられて気力のなくなった父上の寂しい頭を見る。我が父ながら、髪の量でやる気が変わるなんてありえないか、そう思いカルミアに何とかするように促す。
「面倒な一族ね。おじいちゃん先生もそうだったけどさ、頭が薄くなると活力なくなるっておかしくない?」
ブツブツ文句を言いながらも、僕の願いを聞き入れる。カルミアは快適スマイリー君を取り出して、父上の頭に貼り付けた。
「今更髪などどうでも良いわっ──!」
髪の事に拘らない、のか。父上は本当に気持ちが沈んでいるようだな。冒険者ギルドのギルドマスターをけしかけてまで、フサフサに拘った熱意はもう見られないのだろうか。
「ぬっふっふ〜、このスマイリー君には今、精力活性薬を含ませてるわ。頭皮からも浸透するのか丁度良い実験になるわね」
……本当にこの少女はブレない娘だ。元国王であった父上の立場などお構いなしに、初めての試薬を使うのだから。
「ふっ、ふぅフォ〜ヮ〜なんじゃ、この溢れんばかりに滾る力は」
────効果は凄まじかった。みるみると、父上の顔色まで良くなる。スマイリー君により頭髪がなくなったのに、艶艶しく輝く。
「枯れ野原に栄養素ってよく染みるのよね。それなら強精剤もいけるわけよ」
カルミアがそう言った後、流石に僕もびっくりするくらいの頭髪が、もっさり生えた。
「いっそユルゥム王女を後妻にするかね」
放っておいた、ヤムゥリの姉がいたことを僕は思い出し口にした。いまはもう王族ではないものの、ロブルタを公国として公妃として迎え入れれば、ヤムゥリの助けになりそうだ。序列を弁えさせるためにも、都合が良いだろう。
「決まりね。良かったわね。おっさんのはけ口を用意しておかないと、メイドさん達に被害出るもの」
この後輩……王族にどういう認識でいるのか、やはり直接脳へ聞くべきか。
「ヤムゥリが聞くと発狂する。この件は黙っておきたまえよ」
「大丈夫よ。その時は置いて行くから」
レガトのクラン、いや新ギルドに加入した事で、遠征メンバーが組まれる事になった。ヤムゥリはエドラに戻って欲しいのだが、しがみついてでも付いて来そうだった。
「先輩こそ領地増えたし、残って大王として仕事が山程あるんですけどね」
ローディス帝国を降した事で、僕は女王ではなく大王と呼ばれる事になった。どんどん勝手に領地が広がり、名声も高まる。
でも……僕は望んだわけじゃないんだ。功績の大半は、この簡単にもげそうな華奢な首を持つ錬生術師のおかげだから。
いつもお金がなくて呻いているくせに、名誉的なものを得て稼ぐ事はこれっぽっちも考えていない。
本当にこの頭の中身がどうなっているのか────割って調べてみたい衝動に襲われそうだ。
改めて父上と約定を交わし、ロブルタは正式に王国から公爵家になった。そしてヤムゥリの姉ユルゥム……元シンマ第一王女を迎えた際に公国となる事を宣言した。
王都をはじめロブルタの人々は、英雄女王アストリアが、大王として上に立つのならばと、気にしなかった。
こうしてロブルタ王家は、その一員であった僕──アストリアにより歴史の幕を降ろすことになったのだ。
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