閑話8 皇女ネフティスの心境
皇女ネフティスのお話になります。
────私は、裏切られた。いや正確には見捨てられ置いていかれたが正しいと思う。私の中にはずっと、膨大な魔力を持ついにしえの女神様が眠っていた。
「────すまぬが、そなたの中に潜ませてもらうぞ」
アイナトと名乗る太古の蛇神樣は、この世界が出来る前から存在しているというとても古くからいる神様だそうだ。
本来アイナト様が入るはずの身体を持つどこかの国の王女がいた。その王女が行方不明となり、仕方なくこの地の巫女の血を引くものに宿っていたそうだ。
私もその血を受け継ぎ、太古の蛇神アイナト様の器に選ばれた。彼女はどうして力を失ったのか、簡潔に話してくれた。
「わらわは友と定めたものと、最後まで在りようを変えることはせなんだ」
それでこのザマじゃと太古の蛇神樣は笑う。そこに他者の意思など介在しない。たとえ友が狂い破滅に身を任せようとも、この蛇神樣は共に戦い滅びようと決めたのだ。
────そう……滅びると決まっているのだ。
太古の蛇神樣は、その巨大な蛇眼で未来を視ると言われていた。友の築いた世界はもう持たない。そう視えたからこそ、彼女はこの世界へ戻って来た。
たとえ災禍を見過ごし逃げ出した者達であっても、運命神も自由神も咎めない。敵対者だった陣営のものでも。蛇神様のその友は、彼らのそうした寛容さが嫌いだったようだ。
「よければそなたもわらわの為、わらわの友の為に協力してほしいのじゃ」
女神としての目覚めの時まで、魔力を貯めて欲しいと言われて私は協力を約束した。ローディス帝国の皇女という立場では、日常生活に不自由する事もない。
騎士達や街の冒険者達のように、魔力を使うような場面も特になかったため、魔力は貯まる一方だった。
「────いずれ力を振るわねばならぬ。その時は予兆が現れる故、大人しくしておるが良かろう」
太古の蛇神樣の、カカカッと笑う声が聞こえるようだ。私はその時を待った。皇帝である父モートには四人も皇子がいるため、私には何も期待していない。
この父と、大公ネルガルはそもそも他人への期待などしていない気がした。
ローディス帝国は、見た目とは裏腹にどこか禍々しい歪みを感じる。この世界に潜み色々と知っているはすの太古の蛇神樣も、この国がどうやって成り立っているのか何も教えてくれなかった。
期待はされていない。それでも皇族としての義務はある。成人すれば私は隣国の王子に嫁ぎ、いまと変わらない人生を過ごすことになるのだと思う。
有力候補は北のロブルタ王国だろう。あそこには王子二人がいる。第三王子は女の子かもしれないと噂もあるので除外した。
ロズワースまでやって来た時に、兄のセティウスが一目惚れして執着していた。しかし、宮殿まで来る前に体調を崩しロブルタへ戻ってしまった。
どのみち私はシンマ王国の王女と世継ぎの座を争う王子二人に嫁ぐ事になりそうで、その時はアイナト様の静かな苛立ちには気づかなかった。
第二皇子の兄セティウスがロブルタの魔法学園へ留学生として向かった。アスト王子が女であるか確かめてくると息巻いていた。あれは連れて戻る気なのかもしれない。
私は行く気にはなれなかった。ロブルタは帝国の属国に近い。シンマ王国からヤムゥリ王女が留学生としてロブルタへ来ると知らされたので尚更だった。
私は、国を賭けた駆け引きとか苦手で煩わしく思う。どちらの王子でも私は興味が沸かなかった。
世継ぎ争いはローディス帝国でも当然ある。第一皇子ウシルスとセティウスは特に権勢欲が強い。弟のセティウスにとって、ロブルタへの干渉は見せ場だと思っているようだった。
他国であるロブルタ王国が、死地だと考えないのがセティウスという男だ。
実際ウシルスの陰謀とシンマの思惑が重なった事により、セティウスはロブルタの魔法学園で惨事に巻き込まれ死にかけた。
ダンジョンから火竜が現れ、学園の建物を容易く吹き飛ばしたという。悪運の強いセティウスは生命からがら逃げて来たようだ。
しかしその悪運のおかげで、ロブルタ王国の二人の王子が死んだ。そしてロブルタ王国とシンマ王国の間で戦争が起きて、セティウスは援軍を率いる大将の座につく。その後の勝利により皇太子の座を得た。
「────悪運の強い男じゃ。これは期待出来そうじゃのう」
太古の蛇神樣がなぜか一番喜んでいた。アスト王子が王女であると知れて、ロブルタ王国が揺らぐからだろうか。私としては婚約が白紙になりホッとした。ロブルタの王子達の容姿は、あまり好みではなかったから。
ロブルタ王国の動乱は続く。入って来る情報を耳にする度に、太古の蛇神樣はいちいち苛立ちを感じるようになる。私は不安と疑問を感じるようになった。
────太古の蛇神樣は、未来を視るのではなかったのだろうか。
蛇神樣の計画を狂わす何かの力が働くのだろうか。シンマ王国は滅び版図を広げたロブルタ王国と、ローディス帝国は戦争となった。
そしていよいよ帝都までロブルタ王国のものや強力な力を持つ冒険者達が迫ってきた時に、私にも予兆が現れた。
────召喚された異界の少女の魂が私の中に入り込んで来たのだ。はじめは私の意思ごと乗っ取ろうとした。
でも七菜子という名の魂は、私の中に潜む蛇神樣に気がついた。そして私が薄々感じていた残酷な事実を告げたのだ。
「彼女は貴女のことなど気にもかけていないよ。どうせこうして身体を奪われる、死ぬと決まっていたみたいにね」
ひどく辛辣だ。でも本当はわかっていた。気まぐれで話しかけては下さるものの、いつも一方的だった。太古からそうやって生きて来たのだ。
そして禍々しい魔力も蛇神樣の魔力だと気がついた。この帝国を本当に支配しているのは蛇神樣に他ならない。
「しょせん貴女は生贄の巫女と行った所ね。私も母の実家がそういう風習を持つ一族だったから知っているのよ」
七菜子は異界の神の知識を教えてくれた。生贄は単にその世界に顕在する為の糧。繋がりを得られる血族ならば誰でも良いそうだ。あえて恐怖の感情を揺らがせておくために、かよわい娘を差し出させるとか。
「──ねぇ、手を組まない?」
唐突に七菜子が言った。なんでも親友が、この世界にやって来ている可能性があるようだ。
七菜子自身のように誰かに乗り移る形ではなく、本人がそのまま来ていると断言していた。
皇女ネフティスとして生まれて、初めてまともに会話して、頼られた気がした。これも騙されているかもしれない……そんな気持ちが頭をかすめる。
どのみち私は十中八九、アイナト様に利用され捨てられるのだそう。そんな生贄の女の所に入る事になって、七菜子としても困惑していた。
私と七菜子の世界の話しをすり合わせる。七菜子が私に憑いたのは、やはり蛇神樣が原因かもしれない。
「蛇神は友がいるって言ったのなら、拠り所があったはず。多分私の母の実家の村がそうした集落だったんだよ」
ロズワールの都でも戦いは激化していた。セティウスに付かされた私は、戦闘の場へ向かう事になる。
「最悪だよ。セティウスに信吾が憑いている」
彼女の親友が消えた原因の男だそうだ。どうしてクズなのかというと、セティウスと同化してクズっぷりがあがっていたから。
この男はこんな状況下でも、妹の私を犯そうとした。セティウスが意思があるのに止めないのは、この男と同類だからだろう。自分の嗜虐心と、この状況が余計に興奮するとほざいた。
気持ち悪い。呪いの術師のホロンが庇ってくれたので、ひとまずは助かった。アイナト様も私が穢されると困る。かなり怒っていたので、蛇神樣の感じだと、セティウスも長くはない気がした。
「クズだけど……生命の危険を直感して生殖行為の欲求が高まっているのかもね」
冷めた目で七菜子が言った。その後の言動を見ると本当にそんな気がするから不思議だ。
冷静な七菜子が、敵対する少女達を見て泣いた。捜していた親友が生きていて、私を見て何故か七菜子もいると認識したのだ。
下卑た笑いを浮かべるセティウスは、彼女達の意表を突く攻撃で轟沈した。皇太子になっても品がない。
────ただ、強い。
「そろそろ出番のようじゃの」
そして最悪のタイミングで、蛇神樣……いや邪神が目を覚ました。
私達を助けてくれたのは、錬生術師と名乗る少女だ。彼女の力で私と七菜子の魂は無事にアイナト様から隔離された。何者なのだろう……この錬生術師の少女は。
「あなたはまだ役割があるようね。騙されていないのなら、わたしに魂を賭けてみないかしら」
私は七菜子の様子を見て、初めて自分の意思で抗う決意をした。魂の一部を私、ネフティスの身体へ戻す事に同意した。
「賢明な判断ね。わたしも生命がけなんだからね」
錬生術師の言っている意味はわからなかった。しかし、すぐに知る事になる。
邪神の目覚めで、私はアイナトに身体の自由を奪われた。激しい憎悪が身体中を巡る────
────隙だらけの人の背中を刺すのが、これほど簡単だとは思わなかった。
────助けてくれたのに……ごめんなさい。
私は私を助けてくれた人達に向かって謝った。邪神を手こずらせた錬生術師を刺し殺す瞬間まで、私は意識を残された。
それが、太古の蛇神の本性。最後に私の心を弄び、愉悦に浸る。
信じていた神に裏切られた憐れな少女。でも残念ながら、私は信じる相手を最後に選び間違えなかった。
恩人を刺してしまった苦しみも、錬生術師により計画されていたもの。
何というか、邪神より性格が悪い。愉悦に浸る神を笑い返す為に、わざわざ苦しい思いをするのだから。
残された私の自我は邪神により、容赦なく消された。空っぽの器を捨てるように、私の身体も倒れた。
復活した錬生術師が、私が賭けた魂を使い身体へと戻してくれた。七菜子には彼女自身の希望で、別の身体を用意する事になった。
七菜子は呪われた血を恨み、あえて管理下に飛び込んで生命の保障を得たように思う。計算高いと、私は改めて感心した。
奪われた身体が傷ついたり、臓器に後遺症が残らないように保護してくれたのはレガトという冒険者の青年だ。
────太古の蛇神アイナトは、彼らによって滅ぼされていた。
「さて、せっかく手に入れた邪竜神の力だからね。魔力の大半と邪竜神体は先輩に使いたいのよ。あなたは王蛇親衛隊を呼ぶ力と、アイナトの不死性に魔力の残りでいいわよね」
使い方はともかく、元々がアストリア様に宿るアスタルト姫の魂の為のものなのだとか。そもそも言っている意味がよくわからなかった。
「……断ると死ぬわよ」
生命がけで私を助けてくれた錬生術師が言うと、重みが違う。太古の蛇神アイナトを倒したものたちがいると、彼女は言っているのだ。
太古の蛇神よりも、目の前の存在が恐ろしい事に、今更ながら震えが来た。
錬生術師が欲したのは、アイナトの大地を喰らうものとしての力だった。その本質は滅び。私には必要なかった。
錬生術師のカルミアは、私と七菜子の対応を終えると聖奈という子と何やら揉めていた。
カルミアという錬生術師は、何を考えているのかわからない。でも不思議と人が集まるのが、私は羨ましく思った。
 




