第5話 何も出来なかった……
アーストラズ山脈は魔境と呼ばれるのは、豊かな自然と数多の魔物が棲息するため。そして溶けることのない万年雪が、旅人の侵入を阻んでいた。
「遠くから眺める分には、白くて美しい山々に見えたのよね」
人の暮らせる境界線を越えて魔境側に入った瞬間、ダンジョンでもないのに魔物の群れに囲まれた。めっちゃキレてる巨大掌熊の一家だ。
大きい二体は両親、小さい四体は子供たちだろう。巨大な掌というだけあって熊というより猿のように腕を前にしゃがみ込んでいる。
「縄張りだったんじゃないか。魔境とはいえ、彼らにもルールがあるのだな」
馭者席に座るわたしの首に腕を巻き付けながら、先輩が呑気に呟く。既にヘレナとエルミィそれにフレミールが新入りの咲夜と聖奈を伴い応戦に出た。フレミールはじっとしていると寒いそうだ。
「あの手に捕まると、簡単に腕くらい千切られそうね」
両腕が身体と同じくらいの大きさで、頭はしっかり熊の顔をしていた。唸り声を上げて威嚇しているのはフレミールのせいだ。
寒いと言いつつ、咲夜達を気づかってくれる優しい火竜なのだ。
「フレミールは邪魔よ、退がって」
わたしの指示にフレミールが、泣きそうな表情で戻って来た。そして愚痴ってうるさい。
「あちらもこちらも初の狩りなのだろう。見守らんでどうするのじゃ」
「あの娘らはゴブリンと実戦経験あるからいいのよ。あなたがいると魔物が怯えて力を発揮出来ないでしょうが」
優しいけど過保護は駄目なのよ。咲夜はブツブツいいながら、手甲の刀を構えて、大きな巨大掌熊に突進した。
咲夜に追いていかれた聖奈は、不安そうにハンマーを構えて、子熊達に対して迎撃態勢を取る。
火竜の気配が引っ込んだ事で、魔物も一番弱い聖奈に狙いを定めたようだ。
ヘレナと咲夜を親たちが抑え、その間に、エルミィと聖奈を狩らせる。
「魔物とは言っても、家族の連携が取れているの……いいわね」
「その連携の餌食になるのは君の親友達なのだが、興味深い戦いではあるな」
さすが先輩。サラッとわたしを人でなし扱いしながら自分も同類だと告げたわ。
「うぅ、オマエ達とおると、火竜のワレの方がまともなはずなのに自信がなくなる」
「おかしいのはカルミアに決まってるんだから疑っちゃ駄目よ、フレミール」
後部座席のヤムゥリ様がフレミールを慰めた。騙されちゃ駄目だよフレミール。ヤムゥリ様は銃を握らせると人が変わるから。
雪深い山の中の戦闘は、巨大掌熊の一家に有利に働く。不慣れなこちらと違って、大きな手を上手く使って素早く沈まず移動する。
ヘレナもエルミィも飛翔可能なのにあえて咲夜達に合わせて飛ばずに戦う。素の身長はヘレナと聖奈が同じくらい、咲夜とエルミィも同じくらいだった。
「ヘレナは特装を着込んでいるからいいが、あの聖女は動けてないぞ」
膝の上くらいまで足が埋もれてしまい、素早く動けないため聖奈だけ防戦一方だった。どのみち彼女のハンマーはノヴェル用のもので重い。
聖奈は鎚の部分を地に置き柄の部分を上手く使って、自分より少し大きい子熊の攻撃を凌いでいた。
「動かない盾役みたいになってるのだね。囲まれてるのに大したものだ」
先輩、わかっていて言ってるわよね。聖奈は鼻水垂らしかねないくらい涙を流し、怯えて必死なだけだ。ハンマーには攻撃力はある。でもいまは子熊二体相手に凌ぐので精一杯のようだった。
巨大掌熊の一体をヘレナが仕留めた。ヘレナはこの中で一番魔力量が少ないと思う。
火竜の兎武装を着ていても、自分が扱う魔力は変わらない。得意の速さを雪で封じられながらも、わずかな瞬間の魔力放出で最速の剣を繰り出し、巨大掌熊の両手のガードの開いた隙を突いた。
少し離れた所で戦う咲夜も、その流れる作業のような動きを見て学んでいた。咲夜の場合は、あれこれ招霊君のおっさん達がわめくよりも、見て感じてやってみさせた方が早いのよね。
「それなら招霊君とやらを、彼女の補佐につける必然性はなかったのではないかね」
先輩め、いまさらな事を冷静に言わないで欲しいわ。もう憑けてしまった後だもの。咲夜についたおじじ達が飽きるまで、放っておくしかないのよ。
「まあ彼女にはとんだ災難だが、だからここにいるとも言えるな」
先輩め──わたしが災いを招く元凶みたいに言うけれど、引き起こしてる外的要因は先輩なの忘れてるよね。
「それに……あの娘に憑いた招霊君は聖霊で英霊だから、わたしでは除霊出来ないのよ」
悪いのはあいつらの魔力を奪った悪しきもの。わたしじゃないもの。咲夜が大らかで細かい事を気にしない性格で良かったわ。
ヘレナが熊を一体倒した事で魔物の群れが動揺した。聖奈と同じ二体相手にしていたエルミィが、怯んだ子熊を順に仕留める。
咲夜も隙を見逃さず、逃げ出そうとした巨大掌熊の背を魔銃で穿ち、手甲の小刀でとどめを刺さした。
聖奈の相手をしていた子熊達はというと……二体とも逃げた。傷だらけで、ガックリと雪の中に膝をつく聖奈。
「何も出来なかった……」
身体の痛みより、悔しさに涙する少女……じゃない、少年。なんだろう、この子の悔しさが自分の事のように刺さるわ。
「子熊と言っても、巨大掌熊の子供よ。ゴブリンサイズでもパワーが桁違いよ」
見た目通りにいかないのが魔物。それに仲間が簡単に倒しているからって、自分も出来ると勘違いしがちなのよね。自分で言っていて耳が痛いわ。
「二人共、ヘレナの身体と魔力の使い方をよく観察しなさいな」
火竜の兎武装の砲門を火力武器ではなく、急発進、急制動に使うなんてやり方はヘレナの独自の使い方だ。
少ない魔力を自分の身体に使うより瞬発力があるからって、一刀両断のパワーにまで細かな制御をしていた。
「特装抜きでも出来るのがヘレナの強みよね」
「えへへっ、私は魔力少ないから節約しないとね」
「偉いえらい。二人の実力がどの程度かわかったわね。素材回収して行くわよ」
咲夜達の実戦経験の為と、仲間達に彼女らの実力を知らせるための戦いだった。
ノヴェルやメネスさんらは別室でみんなで観戦していたからね。何も出来ず悔しくて泣いてる聖奈を昔のわたしみたいだと懐かしむ面々。
────ムキィ! むかつくわ。こうなったら聖奈を鍛えまくって、ムッキムキのごっつ君タイプを動かせるようにしてやるわ。
「……ねぇ、逃げた魔物は放っておいていいの?」
聖奈を慰めながら咲夜が逃げた熊達の方向を見て言った。
「学習した魔物は厄介よ。でも庇護のない彼らが成獣になるまで、この魔境で生き抜く方が厳しいわよね」
オーガなどのように、知恵ある魔物を取り逃すと厄介さは増す。ただ一度戦い懲りると、大半はこちらを避ける。
昔、農村を襲ったオーガがメネスによって酷い目にあってから、村に寄り付かなくなったのが良い例だ。学習させる事は、そうした面もあるのだから深い話よね。
この話をすると、メネスが思い出したようにブチ切れたものだ。今は大人になって笑って許してくれるようになったのよね。
「それはもっと酷い目にあったからだと思うな。それにいまはシェリハが糸でグルグル巻にして止めてるだけだ」
浮揚式陸戦車型の中が騒がしい。うちの娘たちは、可哀相に時折発作を起こすのよね。
「────カルミア殺す……カルミア殺す……カル……」
呪詛のような呻き声が騒がしい。そういう時は薬を飲ませて出すもの出してスッキリ眠らせてあげる。
メネスは偵察行動で疲れもあるのだろう。責任感が強いのは好ましい、でもあまり無理はしないでね。
「…………」
咲夜が何か言いたそうね。心配しなくても自動撤去掃除君と瓦礫人形君の改良新型、素材解体回収君があるから他の魔物が来る前に素材は回収出来るわよ。
ちょっとグロいから、お子様なノヴェルとかアマテルには見せられないんだけどね。




