第2話 カルミアガーデン
ロブルタ王国の王都を見下ろすアガルタ山には、巨大な霊樹に広がる農園、そしていくつかの温泉郷が出来ていた。
かつて、ヤムゥリ王女の監視所と呼ばれたその地は、今では錬生術師の箱庭と呼ばれてる王家専用の別荘地となっていた。
別荘地の主はロブルタの英雄と呼ばれた、アストリア女王。そして彼女の妹分のバスティラ王国の女王ヤムゥリ、それに新たに新領土の長となった女王ナンナルだ。
ヤムゥリ女王が妹分を名乗るのはアストリア女王と魔法学園において後輩であったためだ。今はもう滅んだシンマ王国の王女時代に、ヤムゥリは反乱を疑われた。
アストリア女王は、その当時から彼女を見捨てる事なく尊厳を守ってくれたという。大恩ある英雄女王に、ヤムゥリ女王は建国以前から忠義の念を持っていると言われていた。
────そしてそれが本心だとわかったのは、新生バスティラ王国の建国宣言での事だ。ヤムゥリは女王の座に就く際に、アストリア王女が王座に就いた時には、属国の王として彼女の下へつくと高らかに宣言したからだった。
更にそれを証明するかのように、自らが復興した城塞都市であるロムゥリから、聖地エドラへ居を移した。ロブルタの王座に就いたアストリア女王が、ロブルタを治めやすくする為なのは誰の目にも明らかだった。
◇
「────その偉大な女王様方が、しがない錬生術師の工房に入り浸っているのはどうかと思いません?」
わたしの錬金術師部屋には政務を放り出して来たヤムゥリ女王様が、粗末なソファで横になって寛ぐ。
エドラの聖王宮に用意したソファは、シルクローラーの糸で編んだ生地にもこもこ羊の魔物の綿をたっぷり詰めた最高級品なのよ。
ノヴェルの魔本で、シルクローラーの糸が安定して手に入るようになった。だから市場では最高級品でも元値は安く手に入る。
でもね絶対数が少ないのと生産量の問題で、未だに満足な供給体制は築けていないのは確かなのよ。なんせシルクローラーって、高品質のアカシアの葉しか食べないんだもの。
適度な温かさと湿度、それに清潔な水なんて環境、自然の中で適した場所なんて早々見つかりっこない。温暖な地の水はわりと傷みやすいから。高級品の価値は揺るぐことはなかったわ。
「相変わらずぶつくさ言ってるのね。いいじゃない、暇なんだしさ」
まあ先輩と違ってヤムゥリ様は邪魔をしないから別に構わない。何故かみんな、その安いボロボロのソファがお気に入りなのよね。
「指輪の機能は問題なく作動するようね」
「いまの所は問題ないわ。エドラに戻る時の為に、扉と場所の確保が面倒だから、守りの厚い神殿内にしたわよ」
下手にエドラの神殿内に入ると、大量の蠍人に襲われることになる。まあ登録者以外の者は、基本的には使えないし、罠がわりの一方通行のダンジョンへ落とす仕組みなのよね。
「ヤムゥリ様の居室から直通で行ける設計にしたから、それでいいわ」
ノヴェルの魔本とわたしの簡易収納魔法を合わせた、転移装置はだいぶ進化していた。
一番の進化は、魔女さんから魔本を仕舞える指輪をもらってからなのよね。各自必要なものを魔本にしまい、指輪に収納出来るのが大きい。
この魔女さんて言うのは、隣の大陸を活動拠点にしているクラン……いやギルドになったのか……とにかくその【星竜の翼】 というギルドのヤバい魔女さんだ。
彼女と私は取引きを行っている。彼女の所属するギルドのメンバーは変態冒険者達を含めて、金級クラスの冒険者がゴロゴロいる。
中々手に入らない素材を提供してもらうかわりに、あちらの要望の品をわたしが作っていた。
おかげでわたし達は、ノヴェルの魔本での移動が、魔本所持者を対象に可能になった。移動を済ませた後に、魔本が自動で指輪に収納される。
今までは、限定地域のみだったからね。それが魔本を持つ相手の所に転移し放題になったわけ。いない所はヤムゥリ様の言うように、出入り口の設置が必要だ。
────たださ、……なぜかわたしの所に集まってくるのよね、この人達。王族って忙しいはずなのよ。戦禍の後始末で急速に領地が広がり、いまだ復興作業中で本当に大忙しのはずなのよ。
それなのに、わたしの首に巻き付く物体······もといロブルタ王国の女王である先輩は、ヤムゥリ様と違って、ロムゥリの大王宮に帰ることなくずうっと側にいた。
「先輩、いい加減ロムゥリに戻らないと、元国王陛下の毛髪がなくなりますよ」
快適スマイリーくんのように、背中に貼り付くぽよぽよの双丘は大きく膨らみ、かつて王子と名乗っていた頃の面影はない。
わたしとは一つしか年齢も違わないのに、【女王様】 となると、おばさんみたいに感じるから不思議よね。
「────グエッ」
先輩がキレて、わたしに絡めた腕で首を狩った。本当のことだから仕方ないのに、理不尽な暴力は反対よね。
実際先輩はヘレナのように特装でボリュームを出さなくてもバインバインになって来たのだ。
あっ、わたしの大親友で先輩の専属護衛騎士をしているヘレナが傷つくから、わたしも少し育ったのは内緒よ。ヘレナさんは…変わらないからいいのよ、何て口にしたら真面目に首が危ないわ。
「伝声君で全部聞こえてるよ、カルミア。……あと知ってたよ」
ニッコリ微笑む可愛らしい美少女のヘレナ。いい笑顔ね。本人は嫌でもわたしはいまのヘレナが一番良いと思ってるのに何故か伝わらない。
「また遊んでる。冒険者ギルドとロブルタ王宮から使いがまた来てるよ」
眼鏡エルフのエルミィは、物理的にわたしを締め殺しかねないヘレナを、真っ先に我にかえらせてくれた。
ちなみにこの部屋に飾られた成長の証と呼んでいる尻拓は、このエルミィのものだ。半年に一回提出させているのよね。なんでそんな事になっているのか理由は覚えてない。
エルミィはわたしの助手でもある。だから雇い主である先輩は放置なのよね。
まあ、とりあえずいつも通り、使いは無視よ無視。どうせまたハゲ薬の要求だもの。わたしはまだ、あのガレオンを赦していないし。
「────大変よ、みんな! 帝国が……ローディス帝国がロブルタに侵攻を開始したわ!!」
ティアマトとシェリハと一緒に偵察に出ていたメネスが、大騒ぎで入って来た。
ローディス帝国の動きが怪しいから偵察に出したのに、何を騒いでるのかしら。いつまで経っても落ち着かない娘だわね。
「カルミアは黙って! えっと、それが軍団を率いている旗印が皇太子らしいの」
うげっ、思わず吐き気を催した。先輩がわたしの喉を締めていたおかげで吐かずに済んだわ。
「悪い知らせはまだあるぞ。ボクの両親のいる冒険者パーティーが、帝国の軍を支え切れず、ドワーフの国まで撤退した」
「……嘘でしょ。あの化け物みたいな冒険者達が逃げたの?」
「帝国の騎士団の数は二万程、ただ巨大化した牛人の怪物がいたようですよ。確認出来ただけでも、百体以上いたそうです」
シェリハの言葉に先輩の締め付けが緩む。これはあれね。巨人型ダンジョンで見た、デカブツの巣窟が現実になったものね。
あれに追われ逃げる冒険者はさぞ見物だったろうね。
「これは僕らが誘い込まれているな。皇太子は囮で、友誼を深めるにしても刃を交えるにせよ、必死の陣を作るのではないかね」
メネスがテーブルに地図を広げ、偵察で得た情報を貼り付けた木の重しを置いてゆく。先輩が地図を見て、ロブルタとローディスの国境付近を指で差し、敵の戦力の動きを推測した。
「先輩、ロブルタにいる帝国の派閥はどれだけ残っているの?」
わたしたちが戦いに駆り出されて出撃するとなると、相手は陣を築くことなる。こちらもそれに合わせて対陣を張るとなると場所は当然ながら限られる。
「────母上を始め、戦禍の生き残り貴族の大半は帝国派だろうな」
「……ですよね。ほぼ国王様以外は帝国側の人間って思って正解ですよね」
魔物の大群と旧シンマ王国との戦いで、被害を受けたのはロブルタの西部地方だった。
王都近郷、帝国側の貴族は無傷に近い。復興に協力はしてくれたものの、ロムゥリから先、旧シンマ側に関しては援助も渋くなった。
ローディス帝国が援軍を派遣してくれたのは、帝国派閥の彼らのおかげなのはわかっている。対立とまではいかないけれど、西側の復興や力をつけられると、困るのもまた彼らなのよね。
「ローディス帝国との戦争となると、ローディス帝国側の意を汲む可能性はあるわよね」
ないほうがおかしいくらい、ズブズブの関係だわね。背中をそんな連中に預けては、いつ包囲を固められたるかわかったものじゃない。対峙してみたら周りは全て敵でしたって事になるわよね。
「────何か策を考えたまえよ」
あっ、先輩め、面倒になって丸投げしたわね。呑気にソファで寝そべり欠伸をするヤムゥリ女王様と、フレミールがムカつくわね。試飲薬を飲んだ被害者同士仲良しなのよね。
「……そうね、逃げるとしましょうか」
みんながドキッとわたしの顔をみて固まる。一瞬静まる錬生術部屋。少し離れた床では、ノヴェルがノエム、ルーネ、ブリオネ、アマテルに魔本の絵本を読んで聞かせる声が響く。
あの娘らはあの娘らで呑気よね。初っ端からバルスの上で昼寝しているバステトよりマシだけど。
「────どういうことかね」
さすが先輩よね。わたしの言い方が言葉通りにない事を理解しているもの。でも、首はそろそろ解放して欲しい。
「わたし達が逃げるのはアガルタ山ではなくて、農村側の山よ」
アガルタ側から山伝いにドワーフ王国へ逃げる事で、冒険者達と合流出来る。彼らの助力を得て、王都に巣食う帝国派閥を一掃すれば戦いやすくはなる。
「でも、それだと時間もかかる。それにあちらの意図と噛み合わなくなりそうなのよね」
魔女さんてば、肝心な事は話さない。危機を楽しんでる疑いすらある。それにあちらには、わたし達にまだ協力する筋合いがないのよね。
だからロブルタは元国王様に任せる。先輩のお父様が殺される事はないと思う。だから、帝国派に牛耳られたままを維持してもらうのだ。
メネス達偵察組にはもうひと仕事してもらう。彼女達を王都の農村側へ密かに先行させて、魔本でここから移動する。ヒュエギアやバステトの眷属達にはギリギリまで防衛に残す。でもロブルタ王宮が裏切るようなら、ロムゥリに魔本で逃げ込めばいい。
農園全部を魔本として運べるようになっているのは、そういう非常時のためだ。大きくなってきた霊樹だってね。
「【星竜の翼】の思惑に乗っけられるのは癪だから、キモい皇子もデカブツも冒険者達に押し付けましょう」
わたしの案に、先輩も乗っかった。わたしの提案は簡単だ。西の黒の山脈へ逃げ込み、進軍ルートのない山側から帝都を襲撃するのだ。
円盤君の改良も重ねて来たし、蠍人戦士団のアクラブ達や、吸血魔戦隊のミューゼあたりを呼べば戦力的にも申し分ない。
「あとは、あちらのリーダーが指揮を取ればいいだけよ。帝国の狙いは多分先輩とノヴェル。ずっといい続けて来たから信用ないけどね」
あとはあの娘も約束通り回収しておかないと、決戦前に魔女さんとの戦いになるわね。最近魔女さんは成分や魔道具でのわたしの餌付けを覚えた。なので逆らえないのよ、もっと欲しいから。
「もし裏切ったのが確実なら、先輩、修羅の道を征かねばなりませんが、いいですよね」
以前の戦いと違い、今度は実の母と戦う事になるかもしれない。
「構わないさ。生まれて来る子供の王位よりも、帝国が大事と母上が判断したのなら、それは母上なりに考えたことだ。僕がとやかく言ったところで止まらないさ」
少し寂しそうに先輩は言う。先輩の言葉は、そっくりそのまま元王妃へもあてはまるわけね。
ヤムゥリ女王様の時もそうだったけれど、やっぱ王族って頭がどこかおかしいのね。




