第1話 鳴動する世界の裏で
────ローディス帝国の中心にある帝都ロズワース。都市の人口は五十万人を超える。
市中を囲う城壁は他種族の侵攻や魔物から都市を長らくの間守って来た頑丈さが売りだ。
高さはおよそ六M、幅も三Mと厚く固い。魔導刻印の施された岩が埋め込まれているため、防衛時には僅かな魔力で魔法障壁に早変わりするという。
街道から都市へ入る前にも、騎士団の所属する大砦と、守備隊の駐屯する大砦の、二つの砦が大門を守るようにそびえ立っていた。
昔は市中へ入る為の正門を守る役割だった名残だ。人口の増加により、いわゆる城下町のように門の外の広場にも街が出来て、いつしか大砦をつなぐ城壁が出来て大門が新たに加わった。
城下町は有事の際の前衛砦にもな る。また他所からやって来たものが入城する前に、取り調べに使えて都合が良かった。
ロズワースの裏には巨大な岩山の峰がそびえ立つ。そのため帝都への入城経路は、基本的にこの二つの大砦の門をくぐらねばならなかった。
なだらかな高台へ道が続く。向かう先には、石材が綺麗に敷き詰めれて、歩きやすく固められていた。
舗装された幅の広い大通りが中心街まで続く。ロズワースの中央には、巨大な帝都の街の人口を支える水源の湖があり、人々の生活を支える。
五十万もの人々を支える食糧は、都市の抱えるフィールド型ダンジョンで大半が賄えていると言われる。
【実りをもたらす丘】と呼ばれるダンジョンでは、穀物に果樹、食肉となる小型の魔物が得られるためだ。
施政者にとって都合の良いダンジョンであるが、都合が良いダンジョンがあるから都市が出来て発展すると言えるのだろう。
────そのロズワースの高台にある宮殿の一室にはいま、皇帝、皇太子、三人の皇子を始め、宰相や大公、皇族の重鎮達が一堂に会していた。
彼らが集まっているのは重臣たちを集めて話し合いを行う大会議室ではなく、皇帝の居住区にある円卓の間だ。限られた人物しか入ることの出来ない皇帝の私的空間の為、ここで行われる会合を知るものはいないに等しかった。
ローディス帝国は先の大戦でロブルタ王国の支援に回り、三万近い人的損害を出していた。
戦いそのものはロブルタの英雄アスト王子により勝利で決着している。しかし帝国軍を率いたレイビス公爵は独断で追撃を行い、多大な被害を出した挙げ句、ロブルタ王国のその後に大きな利をもたらしてしまった。
初陣の皇子を押し留めての失態のため、レイビス公爵は蟄居され密かに処分された。旧シンマ王国軍との戦いで戦力の大半を失ったレイビス公爵は、伯爵位まで地位を落とし、息子へ跡目を譲った後に大人しく処分を受け入れたという。
レイビス公爵の独断による、シンマ攻略には失敗したものの、本来の目的であるロブルタ王国の防衛は成功とみなされた。
軍を率いた皇子セティウスは、この功績により皇太子の座が確約された。ロブルタ王国が力をつけた事はローディス帝国に取って痛い現状ではある。
だが英雄アスト王子は、男装の王女。公然の秘密を知るローディス帝国にとって、いくら国力を増そうとも、都合の良い存在なのは変わりなかった。
晴れて皇太子となったセティウス皇子と、ロブルタのアストリア王女とは昔から仲が良い。皇太子セティウスが公言しているようにアストリア王女との婚約、女王になった後に結婚となれば、ロブルタ、シンマ領全てがローディス帝国領として組み込まれる可能性があったのだ。
しかしそう上手く事は運ばなかった。あろうことかアストリア王女は自分が戴冠するよりも先に、ヤムゥリ元王女をバスティラ新王国の女王の座につけたのだ。そしてアストリアを女王とし、盟主とする宣言をした。
ロブルタ王国を取り込むつもりでいたローディス帝国としては、思惑を崩された形になった。
悲報はそれだけではない。逃げたシンマ元国王が持ち出した神牛の心臓がアストリア王女、いや女王の手に渡ってしまったのだ。
彼女はまだ自分がどういう存在なのか、気づいていない。厄介な事に、魂を弄る宮廷錬金術師がそれに勘付き、封印を解こうとしていた。
さらに、かつて封印された彼女の同族の冒険者パーティーが、彷徨える彼女の魂を探し出し、手を貸していた事がわかった。
もう裏からじっくりと手を回し、神々の帰還を妨害する者を密かに始末するのは難しい状況になっている。追い詰められた状況でローディス帝国が出来るのは、動くこと。貯め続けた力を持って攻勢に出る事だけだった。
────微かな残滓のみとなった悪しきものの、思惑通りになってしまうのが癪というだけだった。
「あの空気を読まぬ蠍人どものせいで予定が狂った。本来ならアスタルトを手に入れ、アルクトゥールスの心臓と合わせれば、モロクも隠れ潜むアマテル達も支配下に収め、神牛の心臓も手に入れられたであろう」
何百年と費やして来た計画が、音をたてて崩れてゆくのをローディス帝国皇帝モートは感じ取っていた。
失敗の起因……全ては偽神が、あそこまで自由神の子らに執着していると見抜けなかった事によるものだ。
フィルナス世界に舞い戻って来た神々の中で、あの偽神は特殊だった。集う神格者の中で唯一災いの神の加護を得ているからだ。
この世界の最高の法則に則って、自由に動き回れるのも加護の為で亜神程度で肩を並べ好きにやれる証でもあった。
「悔やんでも取り返しはつくまい。やつの望みである、破滅をうまく利用すればいい」
皇帝モートに慰めと励ましの言葉をかけるのは、宰相のアグレアスだ。皇帝モートの苛立ちを長い付き合いで一番良く分かっている。
「────アストリアは俺に任せると言ったはずだと言ったのをお忘れか」
不満気に声を荒げたのは、第二皇子の身でありながら皇太子の座についたセティウス皇子だ。皇国祭でアストリア王女と幼い時に出会い、将来を誓い合った。
留学生として王国で再会さした時にも、色々便宜をはかっている。シンマの侵攻時には会わずとも、彼自身が援軍を出して反撃の機会を与えた。
いまのロブルタ王国があるのは、セティウス皇子の支援の賜物であると言っても差し支えないだろう。
アストリアという少女は変わり者に見えて、そうした恩義に報いる性質だ。それに母である王妃によく躾けられていて、王族のしきたりには敏感だ。
ローディス帝国方面には手を出さず、シンマ側へ領土を拡げていったのも、よくわかっている証だった。
「時勢が変わり、子供同士の約束事などあてにならぬと言ったはずだ。そんなに惜しいのなら手足をもぎ、首に縄を掛けて引き摺り連れてまいれ」
およそ一大勢力を築き君臨する皇帝の発言とは思えないが、身内のみの会議で残忍性を隠す必要はなかった。
「ならば、ロブルタ王国へ攻め入る際には俺が行く」
セティウスは父に負けないくらいの残酷な表情で笑う。あの美しい肢体を壊す役目は他の誰にも渡さない。
ついでにあの口うるさい、頭の良い薬草臭い娘にも、真の力の違いを見せつけてやろうと彼は密かに思った。
カルミアという名の少女は、最初から最後まで自分を卑下し庶民である事を強調していた。本当の怒りを買わないように仲間達にも周知していたくらいだ。
こちらの真の姿を理解し、徹底的に下手に出ていた知恵者だという認識をセティウスは持った。忌々しいエルフ共に邪魔されて暴発せずに助かったのはセティウス達、帝国側だと思っているのだ。
「よかろう。ならば帝軍騎士団三軍団とバベルの主力部隊バビロン隊とバレン隊を連れて行け」
皇帝モートの許可が降りて、皇太子セティウスはバシッと左手の平を右拳で打って喜びを顕にする。
頭の中ではすでに女王となったアストリアや側近の少女達をいかに辱め、苦しめるか妄想している。気味の悪い皇太子セティウスを横目に忌々しそうに見るのはウシルス皇子だ。
「────私にも戦いの場をお与え下さい」
ウシルス皇子は、才能では腹違いの弟になど負けないという自負がある。ないのは運だ。アストリアの件も本の僅かな差で自分のものになったはずだ。
まして今はまさにその運命神と戦わんとしているのだから、己こそ、運のなさを破る為に戦わせろと主張した。
「そうか。ならばお前も帝軍騎士団三軍と神官ヌビアスを連れ、南へ向え。ムーリア大陸から奴らの仲間が入り込んでいる」
ようやく出番が来て、ウシルス皇子は狂喜した。帝軍騎士団は全部で二十一軍まである。一団あたり約二千から一万前後の騎士達で構成されていて、帝都を取り巻く形で各都市に駐留していた。
合計六軍団を二人の皇子に預けた。あまり帝都から軍を割くと、思わぬ形の襲撃に対応が難しくなる。そうモートは考えて、第三皇子と第四皇子には帝都の守備を命じた。
────皇子達が命令を受けて退室してゆく。未だに動くことには慎重な皇帝は、ずっと黙っていた大公ネルガル、護衛長官ラーシャプ、皇女ネフティス、呪術師ホロンの意見を待つ。
血の気の多い息子達がどうなろうと、皇帝モートはさして動じはしない。いずれ異界の戦士の魂を呼び出し、その意志を封じるための器に過ぎないからだ。皇子達の自我などその時に飛んで消えるので、彼は皇子達の気持ちなど興味がなかった。
「計画が狂ったのは、封印の時にアナートめに勘づかれたせいであろう。アスタルトが邪竜と完全に融合し自我を無くす前に、あの化け物は逃がしおった。ようやく手に入れる機会が巡って来たと言うのに蠍人めが······」
アストリア王女の中にはアスタルトという亡国の王女の魂が眠っている。姿や形がかの王女に似ているのはそのためだ。
アナートという化け物戦士は彼女の実の姉だった。ローディス帝国の皇帝となったモートにとっても彼女達は姉であり妹だった。
……忌々しい記憶にモートは怒りを再燃させた。豊かな王国の王座を理不尽に追放された恨みは、いつまでも消えない復讐の灯火だ。王国は跡を継いだバアルト、ティフェネトらの国諸共滅ぼした。
残るは王国を繁栄させた、力の源の回収だけだった。少々の妨害はあっても計画に狂いはなかった。
バベルの一団を送り込み、リビューア帝国のイミウト達と共にシンマ王国へ取り入って、ようやくアスタルトの魂を手に入れられる段階まで来た。しかし……謀ったようにまたもや蠍人に妨害された。
「本当に厄介なのは蠍人共より忘却の器となった【双炎】 とその仲間達であろうな。アスタルトの魂と行動する錬金術師も、結局は奴の手から生まれている」
冷静にモートと話しを合わせて来たのは大公ネルガルだった。大公、つまりモートの臣下の中では最大の権威を持つ者であるが、実際は皇帝であるモートよりも立場は上の存在だった。
大公の出自は不明。ただ陰謀により王座を失脚したモートを受け入れたのは彼だ。不死の身と、実り豊かな大地、そして復讐の機会を与えてくれた恩人でもあった。
「ラーシャプ、お前は騎士団二軍と牛人どもの虜囚を連れて冒険者共を、ドワーフ達土竜の地へ追い込め。巨人の秘薬はどれだけ使おうと構わぬ」
「────はっ、畏まりました」
ずっと無言を貫いていた護衛長官のラーシャプは、命令を受けると一礼し退室した。
「あれらが相手では前回同様時間稼ぎにしかならぬであろう。だが合流されるよりは良いだろう。ネフティスとホロンはセティウスの補佐に回れ。自分達からノコノコ防衛にやって来るのだ。万一にも取り逃がすわけにはいかぬ」
会合に出る事を許された皇女ネフティスと、呪術師ホロンは無言で頷き、先に出ていった皇太子の後を追った。
ローディス帝国が動き出したことで、あちらには完全に気づかれている。情報をロブルタに流してやったのだから、必ず耳に入る。
問題はロブルタよりも、急成長を遂げた者達だ。【双炎】【剣聖】【神謀】 と、わずかな年月で人の身を超える冒険者が集うなど異常だ。
これ以上、彼らが勢力を広げる前に潰す。偽神に踊らされるのは忌々しいが、皇帝モートは持てる手札を次々に切っていくのだった。
お読みいただきありがとうございます。
この作品の続きは別の作品にて掲載しておりました。閲覧数があまりにも少なかったので検索除外としました。
作品としては完結となっておりますが、その後どうなったのか読んでいない方のために続編部分を掲載させていただきました。
錬生術師を巡るドタバタ、もうしばらくお付き合い下さい。
また只今全話改稿作業中となっておりますが、話数等に変化はありません。




