第111話 狂った殺し屋
わたしたちの前に大きな鎌を携えた黒いローブ姿が現れた。狂った殺し屋という頭のおかしい暗殺者だ。異界の教徒達のように魂を狩ることを生業とする怪人だ。
それがここに現れた。ノヴェルの結界も簡単に破って。ただ部下達は結界を破ったところからでも、なかには入り込めなかったみたいね。
まったく、タニアさんとモーラさんが回復した隙をつくようにやって来るなんて。戦場で魂を刈り集めていればいいのよ。蘇生した二人はヘレナとフレミールが別室へと運んでくれた。
先輩がためらうことなく、魔銃を殺し屋へ放つ。エルミィの弓矢より速い弾速をこの至近距離で弾く。応戦に加わったエルミィの弓矢も、ルーネの麻酔針も軽く薙ぎ払う。
「おっと、君の攻撃は危ないねィ」
先輩たちの牽制する隙をついたティアマトが、一瞬で暗殺者の懐に入り込んだ。そのままの勢いで放つ拳を、狂った殺し屋は鎌の柄の先で勢いを殺して跳ぶ。いままでで一番の手練れね。
狂った殺し屋が跳んだ先には、わたしが撃ち込んだ臭粘君があった。しかし怪人は寸前でかわす。でも残念。かわした先にはノヴェルが空けていた穴があり、足場がなく狂った殺し屋はあっさり落ちた。
「ヒュエギア、さがれ」
跳躍して飛び出す怪人が、ヒュエギアの近くに着地する。わたしとヒュエギアは戦闘では役立たずだ。
ティアマトが庇うように迎え討つ。柄では間に合わず、狂った殺し屋は足の裏で受けて拳の力を利用し、大きく跳んだ。強いわね、この狂人。
着地に向けて先輩たちが遠距離攻撃を撃ち込む。たまらず殺し屋は魔法の盾を展開して、更に退った。
「ニャッハァ、この前よりうまいねィ。降参するから話しを聞けィ」
口ではそう言いながら攻撃を続ける狂人。ヤムゥリ王女さまが馬車のアスト号とヤムゥリ号に駆けつけ、部屋の入口から全砲門を暗殺者へ向けぶっ放す。二人の側には、ガレスとガルフが護衛について唸り声を上げていた。
手数で敵わないと見て狂った殺し屋は両手をあげた。この間の先輩への暗殺者は二組いて、これは残った厄介な方なのよね。いまはこうして降参したような態度だけれど、攻撃を止めるとは言っていないとか、屁理屈こねて隙を狙ってそうだもの。
戦力にならないわたしは、先輩の魔銃の弾込めを行う。跳弾で同士討ちにならないように、先輩は魔法の弾丸のみを放っていた。
ヒュエギアはエルミィの側に逃げ、わたしのようにエルミィの矢の用意を手伝った。ティアマトが完全に狂った殺し屋を制圧出来る間合いを取ってるので、無茶はしないと思いたいわね。
「それで、何の用よ。前にもう依頼は終わったって言って、帰らなかったっけ?」
こいつのせいで、わたしたちはいつまでたっても気が抜けない。ヘレナの実家で蒸気風呂を満喫している時に来るとか、何事もなかった野営で夜明け前に狙うとか、嫌な時に来るのよね。そういう生業だから仕方ないけどさ。
「その二人の魂を追っていただけだィ。生き返らせるのは、その二人だけなのかィ? ──ブヘェ〜?!」
ノヴェルとノエムの大地の魔法と限定結界で、ぺしゃんこになる暗殺者。いいわね、その連携魔法。でも今回は魔力抵抗しなかったから、本当に潰さないように気をつけるのよ。
「それで‥‥どういう意味よ」
何がしたいのか、一応聞いておく。頭がおかしいので無駄かもしれないわね。
「他にもいっぱい死んだろゥ? 助けなくていいのかィ?」
こいつ、刈り取った魂をわざわざ見せた。どんな魔法? くれるならもらうわよ。魂を見せられたところで、わたしが助ける理由がない。材料もない。わたしは別に聖者でもないし、所縁もない相手を理由もなく成分もないのに生き返らせるなんて無理よ。
「ほほゥ、取り返さねばまた憐れな器が増えるだけでもかィ?」
人質のつもりなのかしら? 既に亡くなってるのに、やっぱこの怪人は狂ってるのね。ニヤニヤして楽しそうに煽ってくる。
「別に、あなたを始末すれば開放されるのでしょうからね。あなたの主が誰だとしても、奪いに来るなら魔女さんたちが迎え討つわよ」
わたしたちは無理。狙うなら、そっちを狙いなさいよね。まあ、暗殺者でも瞬殺される気もするけど。
「おおゥ、わかってるなら話が早い。我輩の魂を、お前にくれてやるから助けろィ」
こいつ、やっぱ頭がおかしいわ。頼るのなら自分を解放した神だか教祖だかに頼めばいいのに。ただ‥‥この狂った殺し屋に苛まされずに済むのなら、こいつが主の不興を買って消滅しようとどうでもいいわ。
「そう言わずに助けろョ。死なないと、呪縛が取れないのにィ」
そういう事ね。この狂人‥‥エルミィを更に酷く拗らせた感じのやつね。痛ッ。眼鏡エルフめ、美声君なしでわたしの考え先読みして、鏃のない矢を頭に当てて来たよ。
「それで、見返りは何よ。シンマ王国軍をかき回して引かせるくらい、してくれるのかしら」
「それは知らんねェ」
とぼけた顔が下手くそで、使えないわね。でも面倒が減る上に、こいつの眷属まるごと手に入るのならいいかしら。ちょうど畑で人手ほしかったからね。
「そんなに簡単に決めて大丈夫なのかね」
「大丈夫ではないわ。でもこれで貴重なお風呂の癒やしの時間を、邪魔されないはず。それだけで充分マシよ」
狂ってはいるけれど、魂を持って来たのは自分に使えって事よね。先輩の時のように。
この狂人が自分で刈り取ったものではなさそうだから、反発はないと思う。でも宝珠が失敗しても、暗殺者が一人始末されるだけ。だから失敗しても良いとか気が楽よね。
「‥‥そのまま生命を失ってくれた方が良いと思うけど」
後ろからエルミィが、わたしに弓矢を向けたまま、正論を述べた。わたしと同じ考えを口にされるとなんか悔しい。
「何を言っているのよ。このわけのわからない怪人が自分からお腹をさらして見せたのだから、美味しく頂くに決まってるわ」
「君も頭がどうかしてると思うな」
先輩め失礼な。少し強がっただけよ。死んでもちゃんと魂は解放するわ。だいたいこの狂った殺し屋の身代わりに、死にたいという魂がいるのなら、招霊君たちと一緒に詰めちゃうわ。
「────嘘でしょ? 三十体近くもなんでこいつになつくのよ」
人望なんてあったのが驚きだ。魂の大半が敵なわけよね。たとえ味方だって嫌なはずだわ。だって影に潜んでいて、顔も知らないだろうからさ。頭のおかしさは悪意あるものと変わらないのに。でも本人たちが良いならいいわ。
「これで我輩も不死身になったかィ」
なんか勘違いしているようね。まあ、エルミィの言うようにどこかで特攻して死んだとしても、一応預かった魂があるから黒いあいつにでも転生させてあげるわよ。同じくらい黒いからね。
「く、黒いあいつは、止めてほしィ」
意外と美醜にこだわりは持っているみたいね。ただ、わかりづらい。
「冗談よ。黒いあいつになりたくないなら、キリキリ働いて汗をかいて、成分を寄こすのよ。ヒュエギア、仕事の割り振り頼むわね」
抵抗を止めた十人の眷属はこの狂人と同じ猫人族。だから、労働力としてはあまり期待出来ない。どちらかといえば入り込む野盗や害獣や、魔物退治に持ってこいよね。
「我輩達を戦場に連れてかないのかィィ?」
「なんで? 攻め込まれたのなら別だわ。でも当面は畑の管理の手伝いが先よ」
ヒュエギアも頷いている。人手はいくらあっても足りないくらいだからね。
「ニャニィ〜? 我輩を騙したのかィ」
勝手に降伏して、何をすると決めないまま魂を差出して何を言っているのよ。やっぱ狂人よね。先輩たちの視線がおかしいのは気のせいだわ。
「その鎌も、草刈りにちょうどいいじゃない。あなた‥‥狂った殺し屋なんて物騒な通り名止めて、草刈る猫娘とでもしなさいな」
収穫の時には活躍しそうだわ。あと、この狂人達の宿舎もいるわよね。離れを作って、仕方ないから専用の露天風呂を作ってあげますか。
「そういや、あなたの名前を聞いてなかったわね」
もう狂人で認識しちゃっているのよね。でもタニアさんたちの時のように、遠くから魂を呼ぶのには名前がないと困る。
「うぅお前、調子に乗るなョ。我輩はバステトにゃ」
言葉遣いがおかしいのはわざと偽っていたんじゃないのか。むしろ地を隠す為に抑えてるのね。
「────あの、カルミア。二人の意識も戻ったからいいかな」
ヘレナが気まずそうに呼びに来た。わたしは専門家ではないので、指示なんて出来ない。だから、あの二人の細かな症状は直接診てあげないとね。
あとはエルミィとティアマトとヒュエギアに任せた。狂人も鎖を解かれた事で大人しくなったからね。ノヴェルとルーネとノエムには、暗殺者達の宿舎づくりを頼んでおく。まったく早く戦争終わってくれないと忙しくて、ゆっくりする暇もないわね。
わたしは先輩とヘレナを連れて、タニアさんたちを移した部屋に向かう。わたしの錬金部屋だとやかましいので、二人の為に、専用の家を作ったのだ。
タニアさんとモーラさんのベッドの間には泣きつかれたメネスとシェリハが眠っていた。
メネスはいつもの事だけど、無口なシェリハが、感情を顕にしているのは珍しい。多分、救出する時に怪我をさせたせいだと思い込んでるのかも。
「ありがとうね、ヘレナ、フレミール。あとはわたしが見るから」
言葉を交わせるくらいに回復したみたいで、タニアさんもモーラさんも血色はいい。痛みは少しあるみたいね。
「先輩もメネスとシェリハを連れて、休んでいいですよ」
暗殺者の発する狂気は、ずっとその身に受けていた先輩が一番きつかったはずよ。あの狂人は魂をわたしが握るまでは、ずっと先輩にだけ殺気を叩きつけていたからね。
あのやりとりの中で、笑いながら狙った人を殺せるんだから狂人なの。大体邪神からの軛を逃れたいのなら、魔女さんに頼む方が早いのに。
魂は握ってもバステトを殺せるというだけで、行動は制限出来ないのをアレは知ってる顔だ。
「君の方こそ、疲れているみたいじゃないか。僕とシェリハたちで容態を見ておくから、休みたまえよ」
そう言いながら、わたしと先輩は思わず笑った。倒れた方が先に休むと決め、先輩がメネスとシェリハをタニアさんたちと一緒に寝かせた。
「結局わたしも先輩も、国を捨てて逃げるって選択肢を取りにくくなりましたね」
いまも、何か起これば先輩をかっ攫ってでも逃げ出す気ではいる。でも手立てがあるのならば、こうして身体を張って仲間を助けてくれた人たちの思いに報いてやりたくなるものだ。
「帝国からの援軍の到着と同時に、シンマ王国軍への反攻作戦を開始する。ロブルタ王国軍は僕か、父上が率いることになるよ」
今までのわたしたちの戦いは支援戦だった。自分たちが戦地を駆け回り、好きに戦い離れる事も出来た。でも兵隊を率いるとなると好きには出来ない。逃げ出す事も難しくなるだろう。
指揮を取ることになれば上に立つものとして、一兵卒の動きまで気にかけてやらねばならない。
「父上はあの通りの性格で、正直戦場には向かない。軍配は母上の方がましだが、陛下と王妃樣では士気も違うからね」
一番の適任者は結局先輩だった。基本的に帝国の指揮官に任せて御飾りでいてもいいのだけれど、そうなると今後の関係性に大きく影響が出る。
「僕が行かねばならない。一度は全部捨てる気でいたのに‥‥おかしいなものだな」
先輩はわたしより一つ年上の十三歳の少女でしかない。あの狂人は、戦場の殺気をわざわざ先輩に向けて試して来た。頭がおかしいので、上からの命令を曲解しているのよね。戦いに赴けば、あの殺気を四方八方から浴び続けることになるのは間違いない。
「あの時、本当に君に殺してもらえば良かったと思う日が来るのだろうな」
本当にこの先輩はわたしの心にズカズカと乗り込んで来るわよね。勢いで殺そうとしちゃうくせに、肝心の時は照れるんだから。
「ちゃんと一緒について行って、危なくなったらわたしが真っ先に先輩を殺してあげますよ」
そこはずっと前から約束をしていることだもの。悪意あるものにも、邪神らしきものにも、この人の魂は奪わせない。
「そこは、わたしが生命に変えてもお守りします‥‥ではないのね」
タニアさんが目を覚ましていた。わたしと先輩のやりとりを途中から聞いていたみたい。少し恥ずかしい。わたしと先輩のやりとりはいつもの事だから、まあ良いかな。
「痛むところはまだありますか?」
薬も効いているので、激しく痛む事はないはずだ。どちらかというと記憶障害や、言語障害、手足の痺れなどが残るのが心配だった。
処置された状態の身体に戻るのと違い、痛めてしばらく経った身体なので不具合があって当然だった。
「ありがとう、カルミア。痛くないと言えば嘘になるわね。でも身体的には、前より実は良い感じなの」
蘇生の為に結構な魔力や素材が使われたので、潜在能力が上がったのかしら。普通なら全開状態よりかなり落ちるはずだからね。
「その辺はもう少し、復調してから調べてみましょう」
興味はあるけれど今は細かい診断で痛みの元を消してゆくのが先だ。モーラさんも目を覚ましたので、先輩に手伝ってもらいながら治療を行う。
生命を助けられた事で、感謝を述べるモーラさん。感極まった彼女のボリュームある胸に抱きしめられて、わたしは窒息しかけた。モーラさん、あなたもですか。
それだけ回復が順調なのは良い事だ。でもね、わたしの身体がもたないわ。
メネスとシェリハは、ひと風呂浴びて戻ってきたフレミールが連れて行ってくれた。二人とも穏やかな表情になって何よりね。




