就学編11 (深町正の自叙伝)
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1981年11月の中旬、川西市立川西養護学校高等部退学3日後、『はりま自立の家』入所当日。
私はいつもと変わらない朝を迎えていた。
朝食を済ませ身支度をして家を出た。いつもと違って父も母も妹も一緒に私を『はりま自立の家』まで送りに言ってくれた。皮肉なことに家族全員で出掛けるのは、小学生の頃私以外の家族が買い物に行く為『日曜保育』に私を預ける行き帰りのとき以来だった。
他に私の担当の教師と市の福祉の担当職員が同行してきた。
家の近くから車に乗り、途中高速道路を使い約2時間。車中、母は最後のあがきともいえる不安を誘うような私への説得を試みていた。
「この期に及んでまだ言うか?」とは思ったが、「最後だ」と思い最初のうちは黙って聞いていた。しかし狭い車中、一時間も続けられたらさすがにうんざりしてくる。
同行してきた教師と市の職員もうんざりした表情を浮かべていた。
「この期に及んでまだ言うか?僕の新しい生活に水を差す気か?聞き苦しい!ちょっと黙っといてくれ!」
私がそう言うと母は仕方なくおとなしくなった。
それと同時に車中に重苦しい空気が澱んだ。
車は高速道路を降り揖保川沿いの道を上流へ約30分上っていき、舗装されていない林道に入った。車窓には杉林が迫ってくる。
人気のないうっそうとした坂道を上っていくと、突然視界が明るくなり視野が広がったかと思うと、唐突にそれが現れた。
白い壁に赤い屋根というそこに似つかわしくない建物が建てられていた。
『はりま自立の家』だ。
外見はそれまで私が見学してきたどの施設よりも明るく清潔な印象だった。
しかし、母を見てきているから体裁だけで判断する気にはなれなかった。
坂の途中という立地条件から半二階建て構造になっていて、一・二階それぞれ玄関がある。
一階に事務所があると聞いていたので車を一階に付けた。
建物から片まひ(ポリオの後遺症の小児麻痺)で片方だけ松葉杖ついている30から40歳代の男性と、30歳代位の女性が、迎えに出てくれていた。
「やあ、深町君。ようこそ。待ってたよ」
にこやかな笑顔でフランクに話しかけてきた。
その30から40歳代の男性も30歳代位の女性も兵庫県心身障害児福祉協会の中心人物で、私が小学生の頃から知っている顔である。この時点では、男性は『はりま自立の家』の常任理事、女性は事務長であるが、実質上トップとナンバー・ツーだ。
入所の手続きを済ませて、『はりま自立の家』ならびにチェシャー・ホームについてのレクチャーを受けた。
イギリスのチェシャー・ホームをモデルとして、「施設」ではない、明るく家庭的な雰囲気のある「家」を目指すという理想を掲げていた。
ここでは、入所者を入居者と呼び、介護職員をスタッフと呼んだ。内部では、入居者・スタッフ間は個人名で呼び合うようである。
一応のレクチャーが終わると『入居者の心得』というプリントを渡された。
「施設長の意に背いた場合、退去をお願いすることがあります」というような一文が目に入った。
理想はあくまでも理想でここは「家」なんかではなく「施設」だという事を心底実感し、気が引き締まったと同時に、掲げた理想の空々しさを感じた。
だが、そんなことはどうでもよかった。
ベットと畳どっちがいいかときかれ「畳がいいです」と即答し、居室が決まった。
次に施設内を案内してもらうことになって一人のスタッフが呼ばれた。
私より年上の軽度脳性まひの青年をスタッフとして紹介された。
大丈夫かなぁ?介助されるのが不安だった。と同時に脳性まひであることで親近感を感じた。
彼の案内で施設内を廻った。車をつけた一階には、事務所・談話室、スタッフ用のロッカールーム・洗濯場と別館で家族の宿泊も可能な職員寮があるだけで、施設の本体である入居者の生活の場はすべて二階にある。建物の中で一・二階を事実上つなぐのは階段しか創られておらず、車いすで一・二階間を移動するのにいったん門から出て施設の前の舗装されていない林道らしき急な坂道の使用を強いられる。リスクが大きく自力で出掛けたり、一・二階間を移動するのは難しく、施設の本体である入居者の生活の場である二階部分は、一階からも地域社会からも事実上割絶されていた。まさに陸の孤島だった。
軽度脳性まひのスタッフに案内されて、私は生活の場となる二階部分に急な坂道を上って行った。
晩秋の青空と所々紅葉に彩られた深緑の杉林が覆う山をバックにした、赤い屋根と白い壁のコントラストが鮮やかだった。終の棲家になるかどうかはわからないが、しばらくは生活の場となると思うと、その鮮やかさに見惚れる余裕は無かった。
舗装されていない林道らしき急な坂道を20から30m上った所に門があり、そこから入ると少し広いポーチがあり玄関ホールがあった。
門に入りまず驚いたのは、電動車いすの使用者が多いことだった。
玄関前の少し広いポーチで何人か電動車いすに乗った入居者がいた。
「よーっ!来たなっ!」
猪名川町の口の大きな痩せた鳥の様な友達と加古川養護学校の目の細い屈託の無い顔の友達が、電動車いすに乗って近づいてきた。
彼らと一言二言言葉を交わした後「後でな」と言って軽度脳性まひのスタッフに案内されて、私と付き添いの一団は玄関の中に入って行った。
玄関ホールは陽光が射し、今まで見学してきたどの施設より明るい。
軽度脳性まひのスタッフは優しい口調で各所を案内してくれた。どこも大きく窓をとっていて明るい。
特に廊下は、病院の様な他の施設のそれより明るく開放的に作られていた。
二階部分は四つの棟に分かれていて、玄関ホール・スタッフルーム・静養室等がある中央の棟から、男子棟、女子棟、入浴室・診療室・厨房を含む食堂等がある棟と、三方に広がっている。良く言えばプライバシーに極力配慮した明るい構造、悪く言えば管理監視がしやすい構造になっていた。たぶんその双方であろう。
最後に、この日から私の暮らす男子棟の居室203号室に案内された。
「今日からルームメイトになる深町君や」
軽度脳性まひのスタッフは私を紹介する。
さっきの二人がそこにいた。
口の大きな痩せた鳥の様な友達は「お前も和室がええんちゃうか言うて言うとったんや」と言い、目の細い屈託の無い顔の友達は「深町君、よろしゅうに」といって二コッとしてくれた。
部屋の隅から少し遅れて重度の言語障害で「よろしく」という声がした。
部屋の隅に目が細くニキビ面の地味な奴がいた。
その部屋は四人部屋で、私は最後の一人であった。
ロッカーが一人に一つづつ用意されていた。服や下着等、そのロッカー一つに納めなければならない。
「今日からよろしく!」
私は三人に軽く挨拶をし、母と妹に荷物をロッカーに詰めてもらいながら、同行してもらった教師と川西市職員に「お世話になりました!これからここで頑張ります!」と挨拶をした。
母はここにきてようやくかんねんしたらしく、無言で荷物を納め蔽えると、肩を落とし「こどもをよろしくお願いします」といい、そこにいた軽度脳性まひのスタッフに深く一礼した。
父と妹も続いて一礼する。
妹はあっけらかんと「お兄ちゃん、身体に気ぃつけえやぁ。」という。
「ああ。あれ(父を諌める手紙)帰ったら渡しといて」
私のその言葉に妹はうなづいた。
「皆さんにあまりお世話掛けずに頑張りなさい」
普段父親らしいことはあまりしていない父が、この期に及んでこの親らしいセリフを言うから、私にはしらじらしく思えた。
この三年前から事あるごとに、私は夜中三時ごろまで父の帰りを待ち、悩みや進路について話す努力はしてきたが、その度に話半分に聞き「好きにしなさい」という何の助言にもならない言葉ではぐらかされてきた。父は息子である私と向き合おうとしなかった。
「今更・・・・・」と思いつつ私はうなずいた。
そのあと私は玄関前の少し広いポーチまで付き添いの一団を見送った。その車が見えなくなるまで見送っていた。
なぜかすっきりと晴れやかな気分だった。
「やっと、始まる」
踏み出した未来への一歩を、私は疑いもしなかった。
仰いだ空は、高く青く晴れ渡り、私の気持ちを表しているかようだった。
振り返ると、紅葉と過ぎの緑に彩れた山を背景にした赤い屋根と白い壁の鮮やかなコントラストが、でんと横たわっていた。
私は今日からここが生活の場だという実感を噛み締め、何が待ち受けているのかという期待感を抱いた。
しばらくして玄関には入って行くと、女子棟から私と同じ乗り方で車いすを疾走させてくる奴がいた。
向こう私に気付いたようで猛スピードで真っ直ぐこっちに向かって来た。私もスピードをゆるめなかった。
二台の車いすが猛スピードで接近し、すれ違いざまにほぼ同時に止まった。二台の車いすの間はわずか5~10㎝しか無かった。少し間違えれば正面衝突だ。これはもうタイマンだった。
お互いの顔を睨みあった。
奴はナイフのような鋭い目をしていた。
多分同じぐらいの年だろうが、私はこんな鋭い目をした障害者に出会ったことがなかった。
どちらかと言えば爬虫類系というかオールドアニメファンなら妖怪人間ベロ系の顔という表現がわかりやすいだろう。
ふと胸を見たら膨らみがあった。もう一度顔を見直すと確かに女の子のようだった。
彼女も私を観察していた。
顔から足の先まで私を視線でなめた後、なぜか溜息をつきながら「似たような奴かいるもんやなぁ」とつぶやいた。
「ほんま、よう似てるよなぁ」
私も思わず言葉を吐いた。
お互い顔を見合わせ笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、彼女から名前とあだ名という簡単な自己紹介してきた。
「君誰ね」
突然彼女が九州なまりで聞いてきた。
「深町正樹です。今日からよろしく!」
私はあいさつを終えた瞬間、後頭部に殺気を感じ首をかがめた。
「よ・ろ・し・く・!」
彼女の足が宙を切って、かがめた私の頭をかすめた。
「えらい歓迎やなあ」
笑いながら私が言うと、彼女は目を丸くして
「あんたみたいな重度にあたしの蹴りをよけられたんは初めてや」
といって、呆れた顔をした。
それから事ある毎に彼女に蹴りを入れられることになる。
彼女自体私の大親友だが。後に彼女の夫となる奴は私の一番の親友となる。この時点では私も彼女も彼の存在自体しらない。
彼と出会うのはおおよそ七ヶ月後のことである。
その日は挨拶と自己紹介に明け暮れた。
私の期待通り、自分の刺激になる人が沢山いた。
そんな人たちの中に居るということだけで胸は高鳴り、これからそんな人たちとどんな会話を交わしどんな事をしていくのかを考えるだけで希望が膨らんでいった。
そうして、私の『はりま自立の家』での生活は始まった。
自分の選択が間違っていなかったことを、私は確信した。