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蓮華堂夜勤日誌  作者: 空気りずむ
1/1

依頼主は突然に

目に留めていただきありがとうございます。

拙い文章ですが、楽しんでいただけたらと思います。

けたたましく響き渡るサイレンの音で目が覚める。

寝ぼけ眼でスマートフォンの画面を見ると、1:00を少し過ぎた頃。パトカーの赤いランプがくるくると回りながら走り抜けていくのを、窓から眺めていた。

「うるせえ…」

隣で寝ていた和馬が目を擦りながら体を起こした。

蕾良(らいら)、まだ起きてたの?」

「サイレンの音で起きちゃったのよ」

「じゃあ寝ようぜ…おれ明日は早番だし…」

そう言うと彼は欠伸をしながら横になって、もう寝息を立てている。羨ましいくらいに寝つきが良い。

「おやすみなさい」

返事は寝息だけど、いつもの癖で言ってしまう。

再び眠気が来たのはそれからすぐだった。



朝起きると和馬は既に出かけていた。

私が去年アメリカから帰国した際に再会した彼に押し切られる形で付き合い始め、同棲を開始してから7ヶ月が経ったところだ。

和馬は同じバイト先で配達と倉庫管理の仕事をしている。

台所のテーブルには食パンとサラダ、イチゴジャムがドンと置かれていた。

パンをトースターで焼きながらスマートフォンを見る。

「らいらちゃん、昨夜は大成功だったよ☆」

一言だけメッセージが入っていた。

送り主は私のバイト先の店主だ。

「お疲れ様、青蓮(せれん)

それだけ返して身支度と食事を済ませて部屋を出た。


「御堂さん、おはようございます」

大学の同僚の藤砂文彦が声を掛けてくる。

眼鏡と白衣の似合うスマートなハンサムで、学生にも人気のある薬学部の講師だ。

「おはようございます藤砂先生」

私のフルネームは御堂蕾良、21歳だが日本の大学の講師をしている。

6歳から20歳までアメリカで過ごした際に、18歳で大学院まで飛び級で卒業してきたのだ。

2年間向こうで心理学の博士研究員として働いて、1年前に日本に帰国した。


大学講師といっても週に2~3コマ程度の授業しか受け持っていないので、アルバイトをしつつ生計を立て、なおかつ研究もしているのが実態なので、親のスネを少しかじりつつ和馬と家賃を折半して生活している。

今日は和馬が早番でお弁当がないので、学食か売店か…。

「お昼どこで食べよう…」

そんな事を考えながら授業の支度をしていると、

「御堂さん、今日のお昼時間ありますか?珍しいお店を見つけたのでよかったら」

思いがけず唐突にお誘いを受けたので、びっくりした。独り言を聞かれたのだろうか。

「え、私お昼のこと口に出してました?」

「いえ、でもチラッとお菓子を見てたのでお腹空いてるのかなと…」

「そうですか…ええ、いいですよ」

藤砂先生は人の考えてる事が読めるのかと思う時がある。

「よかった、それでは2限終了後にここで。あ、園川教授もご一緒なので3人でのランチです」

園川教授は薬学部の学部長も務める教授で、この大学でもトップクラスに人望が厚く授業も人気がある。

次の学長選挙にも立候補しているので、かなり多忙なはずだ。

藤砂先生は園川ゼミの卒業生なので、今でも付き合いがあるのだろうか。


心理学の授業なんて午前中から退屈だろうに、私のクラスの生徒はなかなか熱心に聞いてくれる。

おそらく学生向けの講師紹介で「アメリカで心理学を学んだ」というところに釣られてきたのだろう、ドラマみたいな話を期待しているのかもしれないが、残念ながら犯罪心理学ではないので生徒的にはあてが外れたかもしれない。

ただ一方的に話すよりも教材を読んでもらったり、心理学を題材にしたドラマの話をして、飽きさせない工夫はしているつもりだが、まだまだ改善の余地がありすぎる。

人に教えるのは難しい。


2コマの授業を終えて講師室に戻ると、藤砂先生は既に帰り支度をしていた。

「御堂さん、お疲れ様です。園川先生は10分くらいしたらここに来てくれますよ」

「じゃあお茶でも飲んでますか」

講師室に備え付けのお茶をあけて、軽く雑談をしていると園川教授が現れた。

以前会った時よりもかなり老け込んで痩せていた。

「園川先生、大丈夫ですか?随分お痩せになられて」

思わず声をかけてしまう位には体調が悪そうだ。

「最近あまり眠れてなくてね…心配かけてすまない御堂くん」

声もどこか弱々しく、明らかにつらそうだ。

「とりあえず、お昼ご飯食べましょう。食べたら少しは元気になりますよ!」

藤砂先生が努めて明るく連れ出してくれた。


ランチのお店はスタッフも最低限しか来ないような離れの和食だった。

メニューを見てもかなり値段が張る。これは厳しい。

「先生、私お金あんまりないんですけど…」

正直に懐事情を伝える。

「それなら私が出すから心配しないでくれ。御堂くん、君を呼んでもらったのは他でもない、一つ頼みがあるんだ」

園川教授が縋るような目で私を見てくる。

「藤砂くんから君が『蓮華堂』でも働いていることを聞いてね…」

バイト先の名前を園川教授から出された時はドキッとした。

「私の妻が…札辻組の者から…」

「ちょっと待ってください、急に…」

「御堂さん、隠さなくても大丈夫ですよ。僕も『蓮華堂』の関係者なので」

藤砂先生がにこやかにとんでもない事を言い出した。

「関係者って…」

「園川先生の奥様が札辻組の若頭に脅迫されているんです。次の学長選挙で園川先生が立候補する予定なのですが、奥様はご結婚前に札辻組の若頭と交際していた事をネタに辞退を迫られてます。おそらく対立候補の誰かが暴力団と繋がっているのでは…と」

藤砂先生が話を止める。

お料理が運ばれてきたのだ。

少しずつ色々な料理が美しく盛り付けられていて、目にも楽しい。

一旦手を合わせてから、食事にうつる。

「それで私にどうしろと…」

鰆の西京焼きをのみこんで、藤砂先生に問いかける。

「僕もこれから『蓮華堂』に一緒に行きます。店主とは話がつけやすいと思いますので」

なぜこの人は私のバイトのシフトを…と思ったが、ツッコミを飲み込んで園川教授の話を聞く。

「妻の過去の男の事などどうでもいい、しかし毎日のように家の前に知らない車が停まっていたり非通知の無言電話がかかってくるのでね…夫婦共々すっかり困っている」

私と藤砂先生がとっくにたいらげた食事に殆ど箸もつけていない教授が絞り出すように言った。

「警察には相談されたんでしょうか」

「相談はしたが、実害が出ている訳では無いということでなかなか動いてはくれないんだ…依頼料は払う、お願いだ、妻と私の日常を取り戻したい」

「…分かりました、藤砂先生とこれから店主に相談して、お引き受けできるか確認します。ちなみに依頼料はケースによりますので、後日費用が確定したら請求書を送ります。…結構高いですよ、大丈夫ですか?」

「ああ、なんとかしよう…」


園川教授と別れて、私と藤砂先生は『蓮華堂』に向かう。

「藤砂先生は『蓮華堂』の【夜勤】に入っていたんですか?」

道すがらさりげなく聞きたかった事をぶつける。

「はい、そうです。実は今でも時々ヘルプに入る事があるんですよ」

「初耳です」

「御堂さんが働き始めたのはここ半年くらいですかね?それだと知らないのも無理はないです」

このひょろひょろな人が夜勤で働いていたとは思えないな…と言ったら怒られるかもしれないが、かなりハードワークなのでどうやってこなしていたのかが気になってきた。

海沿いの緩やかな坂道を下っていくと、通称「異国街」と言われる一角に着いた。

バイト先は『蓮華堂』という表向きは漢方薬局で、大正時代から続いている老舗だ。

先代の店主は1年前に他界して、今はその孫娘が店主をしている。

「青蓮ちゃんに代替わりしたすぐ後にほぼ毎日講師の仕事が入って、今は学校が休みの期間だけヘルプで入る程度なんです。今年の夏も数回入ったんですけど、ちょうど御堂さんが研究室の合宿でいない時でした」

「そうだったんですね…私のバイト先の話聞いた時びっくりしたんじゃないですか?」

「和馬くんの恋人が貴女だと分かった時の方がびっくりしました」

異国街に入って大通りから1本細い路地に入り、更に人が一人通れる程度の細い路地を入ると従業員入口があるので、カードキーと指紋認証でドアを開ける。

「昔よりもセキュリティがしっかりしてる」

「この前レイさんが変えたんです、住み込み含めて女性2人は危ないからって」

「レイちゃんがいるならどんなセキュリティよりも安全な気がしますが…」

「文彦、久々に来て何言ってるのかしら」

背後から低い声がした。

「レイちゃん久しぶりだね!元気にしてた?」

藤砂先生が急に砕けた口調になる。

「部外者が堂々と従業員入口から入るんじゃないわよ」

東野レイはこの店の1番の古株で、店主の後見人兼店主代理でもある。180センチ近い長身でハイヒールを履いているので、更に大きく見えるが、藤砂先生と並ぶとそうは見えない。

栗色の長い髪をかきあげて、藤砂先生を睨みつけている。

「ライラちゃん、こいつどうしたのよ」

「たまたま同じ大学で講師をやってまして…」

レイさんが「そういえばそうね」とため息混じりに言う。

細く綺麗な右手の薬指に、それぞれ花びらの色が違う蓮の花のタトゥーが入っている。指輪のようになっていて、とても素敵だ。

「まぁいいわ、ちょうど和馬も今いるしもうすぐ青蓮ちゃんも帰ってくるから」

従業員用の入口から中に入るとダイニングキッチンに直結しているので、そこから中庭をぬけて店舗に入る。

従業員用の入口は他人の家に入っていくような背徳感があるが、最近は実家に帰ったような気持ちになる。

「蕾良、おつかれ!」

和馬がダイニングでコーヒーを飲んでいた。

閉店時間が遅い時はここでみんなで夕飯を食べたりする。

「おつかれさま、今日は一日当番なの?」

「5時上がりだけどレイちゃんに夕飯当番頼まれたからな。ちゃんと残業代つけてくれるって。今夜はカレーとサラダとデザートも作るからな!あれ、文兄じゃん久しぶり!」

「和馬くん元気そうだね、また背が伸びた?」

藤砂先生が屈託なく笑う。

「ライラちゃん、今日は4時に午後開店、8時に閉店だから和馬と夕飯食べて帰りなさい。文彦は何しに来たのか言ったら帰りなさい」

「レイちゃん冷たいなぁ、今日は御堂さんの同僚として[夜勤]の依頼を伝えに来たんだよ」

藤砂先生のひと言に、レイさんは眉を動かす。

「あんた絡みの依頼…?」

「ちゃんとした依頼だよ。僕の恩師が依頼主」

「園川教授です、私も同席したので」

レイさんの目の色が変わった。

「園川先生は私の恩師でもあるのよ。どういう内容かにもよるけど、話を聞くわ」

藤砂先生から事情を聞いたレイさんは、煙草に火をつけて煙をゆっくり吸うと、「分かった」とひと言呟いた。

「最終的な判断は青蓮ちゃんだけど、私もなるべく説得するから。よりによって園川先生を脅迫するなんて」

「そういえば園川教授の奥様って、どうしてそんな危ない人と…」

教授があまりに憔悴していて聞けなかったのだが、藤砂先生やレイさんは何か知っているのだろうか。

「先生の奥様、昔下の繁華街のお店で働いていたのよ。その時に札辻組の今野って奴とね…。かなり酷い暴力を受けて精神的に参って電車に飛び込もうとしたところを先生に助けられて、今野となんとか別れて先生と結婚したの。」

レイさんは田舎のおばさんレベルに色々な人の事情を把握している。薬局のお客さんから聞いた話をほぼ記憶してると和馬が言ってたのは嘘ではないらしい。

「レイちゃんと文兄って同じ大学の同じ先生のゼミだったの?」

和馬がおやつのドーナツを頬張りながら会話に入ってきた。

「そうよ、私の方が文彦よりも3つ上。紅葉台大学の園川ゼミといえば薬学部生の憧れなのよ。特に先生は通常の薬学の他にも中医学に精通しているし」

「へぇー、俺は大学中退しちゃったからな。蕾良やみんなみたく頭よかったらもっと楽しかったんだろうけど」

和馬は大学2年の時に中退してから『蓮華堂』で働いてると聞いた。

「和馬くんは確か東京の学校だったよね?」

「そう、所謂エスカレーター式。だから自分がやりたい事って何だろってなっちゃって、嫌になって辞めた。今はここで働いてる方が楽しいよ」

和馬の家族は芸能関係の仕事をしていて、お父様は元モデルで芸能事務所の社長、お母様は女優、お姉様方もモデルやタレントをしている。

和馬も背が高くて整った顔をしているし、一緒に歩いていても女の子達が振り向く頻度が高いが、本人は芸能の仕事に一切興味がなく、家族のSNSでも顔出しNGを貫いている。

私の母親が以前日本でモデルの仕事をしていた時に和馬のお父さんの事務所にいた関係で、私たちは子供の頃からの顔なじみなのだ。

「蕾良みたいに自分の勉強もして人に教えて経理のバイトまでしてるの見てると尊敬するよ。」

「半分学生の延長みたいなところもあるし、まだ少し親のスネかじってるのよ。家賃は和馬と半額だから助かってるし」

「はいはい、お惚気はそこまでよ。」

レイさんが2本目の煙草に火をつける。

大学の講師の仕事だけでは生活が厳しいと相談した時に和馬から蓮華堂を紹介してもらい、レイさんとの面接を経てここでアルバイトを始めてから半年になる。

レイさんには和馬から事前に私たちの関係は伝えていたので、面接の時に話がさくさく進んですぐに採用になった。

「そういえば青蓮ちゃん遅いわね、そろそろ帰る頃なんだけど…。午後の開店時間ずらそうかしら」

レイさんが時計を見て呟く。

そのすぐ後。

バァァァーン!!と表玄関の方からすごい音がした。

中国の古民家のような中庭を囲んだ広い建物にバタバタと足音が響く。

「あ、帰ってきた。」

藤砂先生がひっくり返ったお茶を拭きながら「久しぶりー、青蓮ちゃん」と声をかける。

「ごめん補習が長引いた!!って文兄!?なんでいるの!」

まだあどけない声が廊下に響く。

廊下を走りながらカバンと制服を脱ぎ散らかして階段を駆け上がると、すぐに着替えて降りてくる。

蓮華堂の5代目店主、池月青蓮は長く伸ばした栗色の髪をツインテールにして、普通の接客業では怒られそうなスウェットの部屋着姿で現れた。

両手にカバンと制服を抱えている。

「青蓮ちゃん、みっともない。ちゃんとした服着てきなさい」

レイさんに叱られながらも青蓮はカバンを腕にかけて空いた手でおやつのドーナツを掴んで口に運ぶ。

「えー、時間ギリギリだからこれでお店だめ?」

「ダメ、仕事用の服があるんだからそれを着てきなさい!あと15分でお店開くわよ!それと、手も洗ってないのにおやつ鷲掴みにしないの!」

「わかったよ仕方ないなぁ。レイちゃんみたいな服がいいのに」

青蓮はドーナツを咥えながら台所で手を洗うとまた階段を上り、すぐに脱いだ制服とカバンを置いて仕事用の水色のエプロンと白いシャツワンピースにまた着替えて降りてきた。

「じゃあ今日もみなさんよろしくお願います!」

『はーい』

青蓮のひと言でそれぞれの持ち場についた。


私の仕事は経理データと顧客情報の入力だ。

小さな漢方薬局だが顧客が多く、それぞれに合わせた調合をしているため、膨大な量のファイルがある。

当初は先代店主が全て手書きしていたものを入力する作業がメインだったが、新規の顧客情報も少しずつ増えている。

青蓮は接客、レイさんは会計に薬剤の調合に閉店が遅い時はスタッフの食事作りと様々な事をこなしている。

和馬は配達と倉庫管理の他に、時々会計や食事当番もしていて、食事当番の時は残業代と夕飯もつくので、私も助かっている。

「あらぁ文彦くん、また戻ってきたの?」

常連のおば様方から黄色い声が飛ぶ。

「今日は調合のヘルプですよ、お姉さん」

にこやかに返す藤砂先生にまたおば様方の笑顔が弾ける。

「先生、随分おモテになられるようで」

思わず隣で呟く。

「和馬くんの方がモテると思いますよ」

「そこは認めます。それよりいつ青蓮に依頼内容伝えるんですか」

「認めちゃうんですね…。青蓮ちゃんには夕飯の席で伝えます。レイちゃんも味方してくれそうだから青蓮ちゃんの説得も簡単そうだ」

喋りながらも手際よく調合作業をする藤砂先生を横目に見つつ、キーボードの指を動かす。

昨夜の売上を入力して明日の分の発注連絡を送って少し肩を回すと、ものすごい音が自分の肩から聞こえた。

台所からは和馬が作るカレーの匂いがする。

「和馬くんのカレー久しぶりだなー、楽しみだよ」

藤砂先生が嬉しそうに言う。

時計の針が20時を指し、店の看板をしまうと、シャッターを下ろして営業を終えた。


ダイニングでは和馬が全員分の食事を用意してくれていた。

チキンカレーにツナときゅうりのサラダ、福神漬けとパンプディングが並んでいる。

『いただきます』

店が終わったあと、みんなで夕飯を食べるのは好きだ。

気持ちがいいくらいよく食べる人が多いし、青蓮の学校の話が面白い。

「和馬くん、このカレーとサラダとパンプディング、最高だね」

藤砂先生は2杯目の大盛りのカレーを頬張りながら嬉しそうに言う。

「文兄相変わらず大食いだなー、そのひょろい体のどこに消えてるんだよ」

和馬がおかわりのカレーをよそいながら会話を投げる。

「なんであんたまで夕飯食べてるのよ、帰れって言ったでしょ」

レイさんも2皿目のサラダを食べている。既にカレーは2杯食べ終えている。パンプディングは大盛りで、バニラアイスものせてある。

「ほら、青蓮ちゃんに用事があるから」

「えー、なに?ついに文兄に彼女出来たとか?」

青蓮は既に山盛り3杯目のカレーを食べている。

カレーは寸胴鍋で作っているのに、ほぼ無くなっている。

「いや、お仕事のお願いに来たんだ」

青蓮がスプーンを止めた。

「夜勤の件?身内絡みの依頼は基本的には受けないよ」

青蓮はまたスプーンを動かしてカレーを食べ進める。

「身内絡み…と言われるとそうでもありそうでも無いかな。でも園川教授と札辻組の件…って言ったらどうかな」

藤砂先生が青蓮に事情を説明する。

「青蓮ちゃん、私からもお願いしたいの。園川先生にはお世話になったし、奥様も長く苦しんでる」

レイさんも口をはさんだ。

青蓮はカレーを食べ終わると腕を組んで眉間に皺を寄せる。

「園川さん、うちのお得意さんだし、じいちゃんとも仲良かったから、力にはなりたい。でも札辻がらみはちょっと危ないし、大学の誰と繋がってるかとかも調べないとでしょ。対抗候補って何人いるの?怪しいのは?」

質問攻めでまくし立てる青蓮に、藤砂先生が真顔で対峙する。

「たしかに今回の話はかなり危ない。だけど、園川先生は僕にとっては恩師以上、父親みたいな存在なんだ。今に至るまで先生と奥様にはものすごく良くしてもらってる。その2人が苦しめられてるなら、その根源を絶つのが僕にできる事だよ」

和馬はカレーのおかわりを先生の前に置くと、

「レイちゃんと文兄と先代とも知り合いで、特に文兄にとったら大事な人なんだろ?俺なら大事な人がそんな酷い目に遭ってたら何がなんでも助けたい」

青蓮に交渉する。

「私からもお願い。園川教授の事を苦しめるような輩は野放しにしちゃダメよ」

思わず私も口を出してしまった。

「ライラちゃんまでー!?えー、じゃあもう仕方ない!でも、いくら札辻絡みでも殺人はダメだよ、あくまでも「社会的な死を」もたらすのが夜勤のお仕事だからね!」

青蓮が降参したように右手をヒラヒラさせる。

「そしたら明日の朝から動くよ!文兄には今回がっつり協力してもらうからね!和馬くんは園川さんのお家の周りに怪しいのがいないかを確認してきて。レイちゃんは今野の身辺調査と、念の為南木(みなき)さんに連絡してくれる?たたけばホコリしか出ないような奴だけど、今現在時効になっていない犯罪歴を洗い出して。ライラちゃんはざっくり経費の見積もり作っておいてね。明日は慎くんもくるし、文兄も園川さんに話してから大学の講義が終わったらまた来て、いい?」

さっきまでとは打って変わって、青蓮はテキパキと指示を出す。

「了解」

「分かったわ」

「ありがとう青蓮ちゃん」

「やってやりますか」

各々返事をして、片付けを終えて帰路につく。

藤砂先生はレイさんと打ち合わせのために残ると言った。

私たちに気を利かせてくれたのだろうか。

明日の朝ごはんにと、余ったご飯でおにぎりを作って持たせてくれた。


「蕾良、絶対夜勤には入るなよ」

帰りの道すがら和馬が私の手を握りながら真剣な顔で言う。

「今回は…ってこと?」

「これから先も。蕾良に危ないことはさせたくない。大学でも何もしないで、これまで通り講師と研究だけしてたらいい」

蓮華堂の夜勤のことは和馬から聞いている。

依頼が成立したら、私立探偵よりも綿密に、警察よりも強引にターゲットの情報を洗い出して、速やかに社会的な死をもたらす…ざっくり言えばこんなところだ。

蓮華堂は代々そうして街の人を裏で守ってきた。

そんな中で、先代は命を落としたそうだ。私が入る前の話なのであまり詳しいことは知らない。

「大丈夫、私はただのバイトよ」

和馬の手を握り返す。

「蕾良…」

「ねえ和馬、これから…ホテル行かない?」

「!!!!」

真っ赤になっている和馬を彼を抱き寄せて、背後の人影に気づかせる。

退店した時からずっと、誰かが後ろをついてきていた。

和馬は相手を確認して少ししてから

「お、おういいぞ」

と不自然に肩に手を回してきた。

「なんで今更ガチガチに緊張するのよ…」



異人街を大学とは反対側に抜けて少し歩くと、市内で一番の歓楽街にたどり着く。

ラブホテルやいかがわしい店が立ち並び、異国街のクラブで働く片言の日本語の派手な女の子と脂ぎった顔の中年が腕を組んで歩いているような場所だが、蓮華堂の顔馴染みが経営している所もあるので、まずはそこに向かう。

歓楽街の一角にある少し奥まったところにそのホテルはあった。

レイさんから教えてもらった中で、1番近いのはここだ。

「あらぁ、お2人ご休憩?後払いだからごゆっくりね」

顔が見えないフロントのおばさんは小声でそう言うと、サッと鍵を渡してくれた。

「今の声、関山さんだな」

和馬が呟く。

関山さんは蓮華堂の古株の顧客で、当然私たちの事も知っている。

エレベーターで2階の部屋に向かい、部屋に入ると、和馬は手早くレイさんにメッセージを送る。

「変なのに尾けられたから、関山さんのホテルの2階に蕾良といる…と」

直ぐに返信が来た。

「裏窓から塀に降りられるから、10分後に慎と合流、車で帰宅しなさい。だと」

サービスの水のペットボトルを開けて、少し飲む。

「いつからついてきてた?」

「今日は表通り側から帰ったでしょ?あれだけ観光客や人通りが多いのにやたらこっちに視線向けてくる奴が1人いて、おかしいなと思って」

私は鞄の中のピルケースからピーナッツ大の薬剤を取り出し、水が半分残ったペットボトルの中に入れる。

直後に和馬の電話が鳴る。

「慎一郎がもうすぐ着くって。俺らも外出るぞ」

壁の色に塗られた窓を開けると、丁度塀のブロックの高さにあわせて出られるようになっている。

建物と塀は10センチも隙間が無いので、ここなら確かに人は通れない。

部屋のドアがドンドンと叩かれて、ドアノブがガチャガチャと鳴った。ほぼ同時にペットボトルから煙が上がる。さっきの薬剤はレイさん特製の水溶性の燻煙型催眠剤で、少し吸うだけで眠りこけてしまう。

「行きましょう!」

窓を閉めて平行棒のような塀の上を走って、道路側に向かうと、下に天井が開いたワゴン車が停まっている。

和馬が先に飛び降りて、私を受け止めてくれた。

「休日手当と深夜割増、10000円。シートベルトちゃんとしめろよ」

運転席から少し高めの声が響いて天井が閉まる。

栗本慎一郎は蓮華堂の同僚で、普段は和馬と同じく配達をしている。

「慎、そういうのいいから早く出せ」

和馬が私を膝の上から下ろして、ベルトをしめた。

私も慌ててベルトをする。

「裏道を飛ばすから喋るなよ」

慎一郎はそう言うと、アクセル全開で車を出して、細く複雑な道を縫うように走り抜けていく。

ワゴン車がギリギリ通れる位の幅の道をものすごいスピードで飛ばす。すごい運転技術だ。

5分ほど車を走らせて、私たちのマンションがある近くの大通りまで出ると、慎一郎が「もう喋っていいぞ」と言ってスピードを落とす。

「レイがホテルに行ったから今頃お前たちをつけてた奴は問い詰められてるはずだ。身元もすぐに割れる」

「レイちゃんの詰問とか、怖すぎるだろ」

慎一郎は和馬と同い年だが、高校生の頃から蓮華堂でアルバイトをしているので、今はレイさんに次ぐ古株だ。

普段シフトが被らないのであまり接点は無いが、切れ長の目に黒い髪の中性的な容貌をしていて、常連客からも可愛がられている(らしい)。

先輩だがさん付けで呼ぶと怒られるので、私も慎一郎と呼んでいる。

カーナビから着信音がして、慎一郎が通話ボタンを押す。

蓮華堂からの電話だ。

「もうすぐ2人の家だ」

「良かった、今夜はそのまま帰って大丈夫よ。こっちも大体の情報は掴めたし」

「で、尾行してた奴どうした」

「聞くこと聞いて、警察に突き出しておいたわよ。ホテルへの不法侵入と器物損壊罪。ライラちゃん、和馬、話せる?」

「はい、大丈夫です」

「あなた達を尾行してた奴、今野のところの下っ端よ。」

レイさんは電話の向こうでタバコを吸っているのか、ふぅーっと息を吐く音がした。

「それと、今夜は尾行を上手くかわせたからいいけど、今野側の動きが早すぎるのが気になる。和馬もある程度は太刀打ちできるとは思うけど、何かあってからじゃ遅いから、しばらくこっちに来なさい。部屋はいくらでも空いてるし」

「マジか…そっち泊まるのってかなりヤバい案件じゃん」

和馬の声に少しの恐れが混ざる。

「明日の朝8時に慎が迎えに行くから、それまでに荷物整えておいて。ライラちゃんも」

「…わかりました」

「気をつけてね、おやすみなさい」

そう言うと電話は切れた。

「ということだ、また明日迎えに来る。ここも大学の住所録から割れるかもしれないから、念には念だ」

慎一郎がマンションの前で車を停めてくれた。

時計は23時を回っていた。


部屋に戻ると、和馬は大きなスーツケースを引っ張り出した。

「とりあえずあっちで過ごす間の荷物は入る。蕾良は仕事の道具とか詰めて…ってどうした?」

「さっきから考えてたの。園川教授から相談、青蓮の許可取り、全部数時間前に決まったのに、なんで今野とやらの部下がもう動いてるのか。」

「確かに連中にこっちの動きが筒抜けだよな…。というか、夜勤の事を札辻サイドが知ってるとは考えにくい。

基本は南木さん経由で依頼者の身辺調査もやってるから抜かりない」

クローゼットから洋服を出してスーツケースに詰めながら、和馬は朝ごはん用のおにぎりを頬張る。

「講師の端くれだから今度の学長選挙の対立候補の面子は知ってるけど、反社にそんな回りくどい事を頼む人はいない気がする。あまり考えたくはないけど…園川教授の近くの人が絡んでいる気がするの。例えば奥様とか…」

「消去法だとそうなるよな…だけど、文兄がめちゃくちゃ慕ってたじゃん」

「そうなの、それが気になってて。明日大学で先生方に会うから、もう少し詳しく事情を…」

聞こうと言いかけた私の口を和馬が遮る。

「ダメだ。蕾良には関わってほしくない。俺が明日文兄に聞く」

「心配してくれるのは嬉しい、だけど私が受けちゃった話だし、最低限知る権利はあるわ。」

和馬の頬を撫でる。綺麗な薄い茶色の瞳に不安の色が滲む。

「大丈夫、私の事信じて。無茶はしないし、和馬が悲しむことはしない」

「蕾良…」

「明日の朝早いし、お風呂入って早く寝ましょ。体が温まれば心も落ち着くから」

そう、明日になれば何か分かる。

私たちは日付が変わった頃に眠りについた。

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