私とざまぁ
初めましての方は初めまして。
作品を読んでくださっている方は本当にありがとうございますm(_ _)m
23すてぃんと申します。
なんとなく、エッセイは書かないと決めてたのですがマイルールを破りたくなりました。
私は普段超ノーガードで投稿しています。
ブロック0件
返信はしないものの感想は全部目を通して、批判的な内容も受け止めてます(反映はあんまりしません)
感想の削除も基本的にはしません(過去にあまりにもキチガイ過ぎて他の方のお目汚しになると判断したものを2件だけ削除)
読者の皆様はご存じかと思いますが私は主に恋愛カテゴリで辛口ざまぁを書いてます。
ギャグを書くとどうしてもブラックジョーク系になりがちです。
あと、ざまぁ批判のエッセイはいくつもありますがざまぁ作者のエッセイって多分無いですよね?
つまりこのエッセイ貴重では?(自画自賛)
ところで。
最近ざまぁ書けなくなったんですよ。
まあそれがエッセイ書き殴りたくなった原因なんですが。
よく、ざまぁはリアルの鬱憤を晴らすために書いてるとか言われますが…自分の場合は特にそんなことはありません。
寧ろざまぁ書いてた頃より今の生活環境の方がストレス多いくらいです。
ストレスは増えたものの、自分の中で優しい気持ちが育ったりしたのが原因かなぁ?なんて思ったりもしています。
ただ、それって毒されてるなと思っています。
ざまぁが流行った原因に関しても色んな人が似たようなこと言ってますよね。
まあストレス社会だからってのはあると思いますが、私が考えている一番の要因はずばり…
世界的な創作物がヒヨって気持ち悪いから
これです!
私は洋画好きでよく観るのですが、ハリウッドが一番その傾向が顕著です。
ボロクソな評価を受けたのに2も出た、某引退した殺し屋が主人公の超絶駄作(キアヌ主演)なんか最たる例ではないでしょうか?
他にも色々な方面に配慮した結果何億円もかけて撮影したんだろうに、なろうのテンプレ短編よりひでぇ脚本の有名俳優主演作とか見かけるようになりました(最後まで観ても起承転結が破綻しててまるで意味がわからない)
他の人気シリーズでも、死んだと思ってたけどみんな生きてた…みたいなお茶の間のお子ちゃまも安心仕様も増えてるんですよね。
まあハリウッドの劣化は一番分かりやすい例として出しているだけで、こういった"気持ち悪い変化"はさまざまな界隈にあります。
そして思えば私のざまぁのルーツは昔のアクション映画にあるような気がします。
敵は本当に生きる価値の無いクズのうじ虫野郎で、主人公がマシンガンで蜂の巣にしてぶっ殺す、その爽快感。
正義とかそんな理念じゃなく、害虫駆除なんですよね。
ところが、数年前から国際社会は吐き気を催すほどの"偽善ブーム"です。
例えて言うならスズメバチだって生きてるんだ!とか平然と主張するキチガイに溢れてるんですよね。
お前、それスズメバチに刺されて死んだ人の遺族の前でも言えんの?って話なんですがキチガイは本当に言いますからね。
そんな奴生きてても迷惑なだけんですが、スズメバチと違って人権があるので片っ端から駆除するわけにも行きません。
でも、こうして過激なこと書いてる私もざまぁ書けなくなっちゃったわけで。
…創作の中くらい虐殺を!という思考から創作の中ぐらい優しい世界を!という思考に転換しちゃった自覚があるんですよね。
クズ野郎をマシンガンで蜂の巣にする爽快感がいまいち爽快じゃ無くなって来てるんですよね…まさか年齢的なもの?!(まだ若いぞ!汗)
でも純愛とかほのぼの童話とかは何度挑戦しても全然書けなくて。
何が言いたいかといえばあんまり評価されてなくても、心温まる話を書ける方は本当に尊敬しています。
結局のところ、まったりほっこりが良いのかもしれないなぁとか思ってる今日この頃です(でもたまにはクソ野郎をマシンガンで以下略
まとまりが無く思ったこと書いてるだけのまさに垂れ流しですが、エッセイに関しては感想返信するので何か言いたいことあればどうぞ。
ざまぁ作者でこうした窓口開けてる人あんま居ないと思うので疑問などあれば出来るだけお答えします。