隠キャオタクな俺が声優さんのイベントに行ったらなぜか同じクラスの陽キャギャルと結ばれました~隣の席のカリスマギャルはガチオタだった件~
始業前の朝一番、教室のドアを開けると、今日も俺の座る場所は無かった。
別に、イジメられていて『お前の席ねーから!』とかいう事態ではない。でも逆に、それだけ事が大きければこの状況もすぐに解決したと思う。
俺……太田拓海の身に降りかかっているのは一般的に物凄く些細なことだが、俺にとっては超重要課題。
毎朝、俺の席がない原因。
それは――
「でさぁ、今朝上がってた動画がマジ面白くて。電車の中で見ちゃって、もう最寄りからタチコの駅までヤバくてヤバくて」
「マジウケるんですけどー。でもそんなに面白いなら、ちょっと気になるかも」
「んじゃ、あとでグループに張っとく!」
俺の机がギャルグループのたまり場になってしまっているからだ。
マスカラ、口紅、お目目パッチリアイラインなバッチリメイクに、だらしなく着崩した制服。そしてピンク、金髪、青みがかったグレーという髪色信号機な、絵に描いたような陽キャギャル三人衆が毎朝毎朝なぜか俺の席の周りに集まって、あまつさえ俺の机にドカッと腰かけてダラダラと何かを話し込んでいる。
ハッキリ言ってやめて欲しい。しかし、陰キャコミュ障な俺があのギャルギャルしたところに斬り込んで「どいてくれない?」と頼むのは尋常じゃなくハードルが高い。
だから、何も言えない俺はギャルたちが自然解散するのを教室の隅でスマホを眺めながら待っていることしかできない。
俺の席が占領されてる理由は単純な話で、俺の机の上に腰かけてる髪の毛ピンクのギャル――名前は確か……ええっと、そう! 小田南さんが俺の席の隣に座っていて、場所的にちょうどいいからというノリで俺の机を実行支配しているのである。
人の席を勝手に奪うヤバめ奴な小田さんだけどその顔つきはかなり整っていて、三人の中でも比較的メイクも自然な感じなのにも関わらず、個人的には三人の中で一番の美人だと思う。
それに胸も制服の上からでもその存在感が分かってしまうほど大きい。普段から包み隠さず、なんならシャツのボタンを留めずにおっぴろげているわけだから、嫌でも目に入ってしまうし、そこが気になってしまうのは思春期男子として正しい反応だと思う。
ただ、彼女も昨日までは普通の金髪だったような気がするが、今日は二次元のキャラかってくらいピンク色の髪をしている。いくらこの高校に校則がなく髪色もピアスも自由だからといっても、自由過ぎる気がする。
なんてことを思いながらも、俺は教室の隅からスマホを眺めるフリをしてギャル三人衆が解散しないかチラ見する。話はヒートアップするばかりで一向に俺の席が空く気がしない。
にしてもまあ、あんな短いスカート丈で机に腰かけたら、正面からスカートの中が見えるんじゃないか。
「あれ? 南ってば、今日はピンクのパンツ履いてるの? えっろー!」
「ピンクじゃなくてマゼンタ!」
本当に見えてるのかよ……。
それを聞いて俺は少し、ほんの少しだけその中身が気になったが、すぐさまスマホの画面に目を落としその邪な気持ちを振り払った。
もし俺みたいな陰キャがそんなことを考えているとバレようもんなら、性犯罪者呼ばわりされるのがオチだから。
というか、そういうのを朝一からデカい声で話すなって話だよ。第一、ここは教室の中でお前らしかいないわけじゃないんだからな? 俺もいるぞ、存在感ないけど。
そんな折、ギャルの内の黄色信号が俺の机脇に掛かっているトートバッグを見るや否や、急に目の色を変えて手に取った。フリマアプリで苦労して手に入れた、俺の推しアニメのロゴ入りトートを。
「ねぇねぇ。これってさあ、あのアニメの最近話題のヤツじゃね?」
「あー、かもね。どう?」
「ロゴ感じとか多分……そう」
「あー、マジか……。これ使ってる人いるんだー……」
そして、彼女たちは何事も無かったかのように俺のトートを元の場所に戻して、話を続けた。
それを見て、晴れ渡った爽やかな朝なのに、俺は少しだけ黒い気持ちになる。
いや、分かってた。『二次元? マジ無理』的な感じ。ギャルってそういう生き物だと思っていた。が、実際に自分の大好きなものを槍玉にあげられてそうされると、心にクるものがある。
悲しいというか、寂しいというか、なんというか。そういう負の感情がドロドロに混ざりあった、水彩絵の具の筆洗いバケツに残った汚らしい廃液のような感情が胸にこみ上げ、俺の心をジュクジュクと蝕んでゆく。
本来であれば勝手に人の荷物を目利きして勝手にドン引きするなんてこと、俺は怒ってもなんら問題ないだろうが、怒りよりも先に悲しい気分が押し寄せて何か言う気力すらない。
所詮ギャルなんて見た目は可愛いけど、中身はみんなそんなもんなの。俺は改めてそう認識した。
正直このまま帰りたいとすら思った。でも、今日は帰れない。いや、帰るわけにはいかない。なぜなら、放課後に特別な予定があるからだ。それは俺にとってとても大事な予定で、それを投げて帰ることなんかできない。
若手実力派声優『鳥内彩』ソロデビューシングル発売記念お渡し会兼ミニライブ。俺が件のアニメがきっかけで推しになった声優さんがこの学校からそこそこに近いショッピングモールでなんとイベントとして無料で生ライブをするのだ。
俺はその発表があってからというもののそれが楽しみで楽しみで仕方なく、今日はびっくりするほど早起きをしてしまい、こうしてギャルの会話を聞くという意味の分からない時間ができてしまったのだ。
それを思い出した途端、ギャルのことなんかどうでもよくなってきて、暗い気持ちもぱあっと晴れる。
うん。やっぱ、あやぴぃ(鳥内彩さんの愛称)って生きる活力だ。
推しに元気と勇気を貰った俺は、席を開放せよと直訴するために机へと向かう。ここはきっちり言って早いとこどいてもらおう。
「南と森ちゃんさ、遊ぶのって今日だったよね?」
「そう……だったと思う」
「実は……悪いんだけど、私今日は……ダメかなぁ」
「えー、南ノリ悪くねー? 前から新しいショップのオープン行こうって約束してたじゃん!」
「用事あるの忘れてて、マジごめん! この埋め合わせは必ずするから」
「あっ……え……その、申し訳ないんですが……そこ開けてもらってもいいですか……」
おかしい、頭の中のシミュレーションはもうちょっと突っかからずに喋れたのに。
推しの力を借りても、やっぱりギャルたちに話しかけるということはハードルが高すぎたようで、全然うまくいかなかった。
「太田君おはよー! あっ、ごめんごめん今どくわ!」
そう俺に挨拶をして、小田さんは机からひょいっと降りた。
なんとなくいい時間になり、他のクラスメイト達が教室にながれこんでくる。
「やべー、もうこんな時間なん?」そう言って、黄色と青も自分の席に戻っていった。
とりあえず席に座れて一安心、そろそろ足もつらかったから。
しっかし、まだ開場まで半日以上あるというのに、胸の高鳴りが止まらない。意外に実はこういう現場に参戦するのは初めてでちょっと緊張もするけど、推しを同じくする現場慣れしたSNSのフォロワーさんが当日一緒に会いましょうと言ってくれたから安心だ。
どんな人なのだろうか。好みとかが一緒だから多分俺と同じ感じの人なのかもしれない。そういう人と直接会って好きなものについて語り合うってのも初めてだからワクワクする。
あー、授業が終われば生あやぴぃ拝めるのかぁ……! 高まってきたぁ!
とにかく今日のライブ、楽しみ過ぎてやべぇ。
◇
夕方のショッピングモールは多くの人で溢れているが、今日はいつにも増して大盛況となっていた。
主婦たちは今晩の夕飯の買い出しのために大型スーパーへ向かい、子どもたちはゲームコーナーではしゃぎ、オタクたちはイベント開場にて来たるべきときに備えている。
モールの中心に位置する、吹き抜けのイベントステージ。普段はここでヒーローショーなんかが催され小さな子たちを沸かせているわけだが、今日は大きなオタクを楽しませるための設備に様変わり。大型スピーカーなどの立派な音響装置がステージ上にドカンと配置されていて、それを取り囲むようにリュックを背負った若い男性たちがわらわらと集まり始めている。
しかし、傍から見ると凄い光景だ。まあ、俺もその一人ではあるんだが。
普段はいない異様な集団を目にし、なんだなんだと野次馬が集まりだしてそろそろ収集がつかなくなりそうだ。
そろそろボッチで待っているのが辛くなってくる頃だけど、フォロワーさんまだかなぁ。
今日会うフォロワーさんは『てぇてぇ大将軍』さんという方で、俺と同じくあやぴぃ推し。あやぴぃが声を当てるアニメの視聴は毎クール当たり前で、出演する動画サイトの生放送さえ網羅し、首都圏のイベントならほぼ必ず参戦。彼女が大好きを通り越して尊いという域までたどり着いているめっちゃ強いオタク。
因みに最近、あやぴぃがカードアニメの主演をするからという理由でそのカードを始めたらしい。
そういう好きなものに対して躊躇しない行動力がてぇてぇ大将軍さんが強いオタクたる所以なのかなとも思うし、すごく尊敬できる。
どこかの誰かさんたちとは大違いだ。
大将軍さんからはダイレクトメッセージで『そろそろ現着!』という連絡が着ている。
意外なことに大将軍さんは学生で、俺と同じように授業が終わり次第学校から直で来るらしく、先に入っておいてくださいという指示だった。
初めての現場で一人ポツンと待たされていると、大丈夫なのかとちょっと心配になってくる。一応俺がいる場所の写真と『この柱の下に制服でいるのは自分です』とは送ってあるけど、こんなに人が多い中で果たして合流できるのだろうか。
『派手な髪色でエナドリ片手に持っているのがいたら自分だから大丈夫』だよと言ってはいたが……。
「あの! 『オタクくん』さんですかー?」
イヤホンであやぴぃの曲を聴きながら俯いていると、背後から声をかけられた。
『オタクくん』というのはSNS上での俺のハンドルネームのことで、昔のあだ名をそのまま付けただけの安直な名前だ。
「はいそうです」と、その声に顔を上げた俺は言葉を失ってしまった。
だって、こんなところにいるはずない奴がいるんだから。
俺の目の前に。
緑のエナドリを片手に持った、小田さんが。
「遅くなっちゃってすいません。なかなか帰れなくって……って、あれ、太田君?」
「小田……さん? えっと、どうしてここに?」
「どうしてって、そりゃいるに決まってるじゃん」
髪の毛はまっピンク、耳たぶにはキラリとピアスが輝き、首元の小さなネックレスがゆるゆるな胸の谷間へと視線を誘う。そんな小田さんみたいなギャルがこの場にいるのが当たり前ってどういう理屈よ……。むしろ一番いる理由が分からないんだが。
周りのイベント参加者だってそう思うのは同じならしく、怪訝そうな顔で俺たちをチラチラと見ている。
というか俺まで何だ? という視線をぶつけられているが、俺は別にいいだろう! 決してツレなんかじゃないし人畜無害なオタクなんだから彼女と同じ目で見るなってば。
「あ、あの。俺、人待ってるだけなんで……」
「いや、私もだし。てか、オタクくんさんって太田君だったの?」
小田さんのその言葉に心臓がドクンと跳ねる。
「……違いますけど」
「違くないっしょ!? さっき返事したじゃん!」
同じクラスのギャルになぜかオタクアカウントを把握されているという事実から目を背けたかったし、誤魔化してうやむやにしたかったが、そうもうまくいかなかった。
しかし、何でこいつがここにいる?
……まさか、あれか!? 陽キャがよくやる罰ゲーム。こういう場に来ているのをどっかから撮影して『オタク冷やかしてみた!』とかのタイトルで動画投稿されてゲラゲラと笑いものにされるやつ!
周りの目線がチクチクと痛いし、晒されるんならもってのほかだ。
「なんで小田さんがいるのか知らないけど、俺は帰るんで……。じゃあ」
「じゃあじゃないってば! イベントこれから始まるし。それに、『何でいるの?』って、良ければ現場でオフしませんかって言ったのは太田君の方っしょ?」
「俺が!?」
「そう!」
いやいや、小田さんと約束? 俺、彼女とちゃんと話したことすらないぞ。
俺が約束したのはてぇてぇ大将軍さんとであってだな。
そこで一つの可能性が頭にちらつく。冷静に考えれば状況的に最初からそれしかなかったが、出会い頭で真っ先に排除してしまった可能性が。
まさか……!?
小田さんは自分のスマホにSNSのホーム画面を表示させ、俺にそれを突き出しながら言った。
「初めまして……かどうかは微妙だけど! 私がてぇてぇ大将軍! そういうことだから、今日はよろしく!」
そのまさか。
俺の目の前にいるギャルの小田さんこそが、てぇてぇ大将軍さんだったのだ。
◇
小田さんのスマホに映るSNSのホーム画面は確かにてぇてぇ大将軍さんのものだったが、それを見せられても俺はまだ目の前のギャルが密かに尊敬しているオタクだとは信じられなかった。
画面を見せるだけなら本人じゃなくてもできる。
「……なんかすげー疑われちゃってる感じなんですけど!」
小田さんはちょっと不機嫌そうに言うと、スマホを手に戻し鬼のような速度でフリック入力し始めた。すかさず俺のスマホが鳴る。
見れば、俺とてぇてぇさんのダイレクトメッセージに新着で『よろしくねー!』というメッセージが入っていた。
「これでいいっしょ?」
小田さんは俺に向かってにっと笑う。
となれば、これはもうそういうこと。小田さんは間違いなくてぇてぇ大将軍さんなのだ。
「よ、よろしく……!」
小田さんはうい! って感じで俺の肩をパシっと叩く。マジでザ・陽キャという感じの仕草に、本当にその手の人種の距離感の取り方というものが分からない。
自己紹介もそこそこに、彼女はステージの方を気にしている。
「あやぴぃ人気やっぱやべぇわー。もう動けそうもないし。でも、こっから結構いい感じにステージ見えるな。えー、そういうとこ考えててくれたん? 太田君やるじゃん!」
この場所を選んだのは全くの偶然ではあるが、女子に慣れてないのもあって褒められるとちょっと嬉しくなる。
そんなとき会場にあやぴぃのシングルのイントロが流れ出した。その瞬間、会場から歓声が上がり、ボルテージが一気に上がる。隣の小田さんも例外ではなくその手に持っていたエナドリをグイっと煽って一気飲み。
「きたぁああ!! やべぇえ……! マジ高まる!!!」
小田さんの顔が見違えたように変わる。普段のチャラチャラして頭の緩そうな雰囲気と全然違い、何かに打ち込むときのような真剣さもありながら目をキラキラと輝かせるそんな表情に。
彼女の興奮する様子を見ていると、それにつられて俺の気分まで盛り上がってくる。まだあやぴぃが出てきてないってのにこんな気分になれるってことは、出てきたらどうなってしまうんだろうか……!
「皆さんこんにちは! 鳥内彩です!」
「キャー!! あやぴぃー!!! 今日も可愛いよぉおおー!!!!」
あやぴぃの登場とともに会場は割れんばかりの声援で包まれる。
す、すごい……! これが現場の空気! 想像以上だ、録画なんかで見るのとは熱気が全然違う!
小田さんの盛り上がりようも凄いな……。こんなにも爆上がりな小田さん、学校で見たことない。
「鳥内彩デビューシングル『パステルマゼンタ』発売記念イベントに来てくれてありがとうございます! 今日はミニライブとお渡し会がありますのでぜひ楽しんでくださいね!!! それじゃあ早速、聞いてください! 『パステルマゼンタ』」
「イエーイ!!!」
会場の照明とBGMがすん、と落ち、同時にそれまで盛り上がっていた観客も静まりかえる。まさに嵐の前に静けさ。
――静寂の中、スピーカーが鳴り、ステージが輝く。
「ハイ! ハイ! ハイ! ハイ! フッフー!!!」
会場全体がリズムに合わせ腕を振り、ステージ上のあやぴぃに向けて腹の底から掛け声を入れる。
凄い……!
初めてのライブを生で体感して、呆気にとられた俺はその一言しか出てこない。
その中で誰よりも熱量を込めて推しへの愛を叫んでいたのは、なんと小田さんだった。
スカートの裾を膝上まで上げ、シャツのボタンもろくに留めない、だらしなく制服を着崩す様はまさに絵に描いたようなギャルの小田さん。
「オー、ハイ! オー、ハイ! ハイ! ハイ! フッフー!!」
そんな彼女が全力のコールで溢れんばかりの愛をステージ上にぶつけている。
ピンクに染められた髪が乱れるのもお構いなしに、曲に合わせ思い切り腕を振り、昂る感情のままに合いの手を叫ぶ。身体の動きに合わせて同世代の中でもかなり大きめな胸が上下するが、当然の様に彼女はそんなの気にも留めない。
確かに俺はこの場で小田さんに遭遇したとき、罰ゲームか何かで来させられているのかと思ったし、彼女がてぇてぇさんだって分かっても若干そう思っていた。
でも、周りにいるどのオタクよりも周りを気にせず真っ直ぐにステージの上の声優さんだけを見つめ、真剣に応援するその本気の姿は冷やかしなんかには見えない。
むしろ、ただただカッコいい。
「あーやに会いたいそれだけで! 僕らはここまでやって来た! 好き好き大好き! もっと好き! 世界で! 一番! 愛してる!!!!」
リリース前には未発表だった間奏にすら的確にコールを入れてゆく小田さん。普段の彼女からは想像もできないオタクとして推しに愛をぶつける姿に、思わずあやぴぃよりも彼女を見てしまう。
そんな俺に小田さんは曲が終わってから一言。
「太田君!」
「はい!」
「あのさ、私じゃなくて推しを見なきゃ! 推しは推せるときに推すのが鉄則じゃん! 今推さないでいつ推すわけ!?」
俺はゴリゴリのギャルから推しに関することで結構ガチ目に叱られた。
やっぱギャルって怖えー……。
「ほら! 二曲目始まるから! まだまだ盛り上がっていくよ!!」
◇
ライブとお渡し会が無事に終わった帰り、俺と小田さんはピタリと身体を密着させあっていた。
「きつくない?」
「うん、全然へーき」
イベント終わり、俺たちは帰る方向が同じということで一緒に電車に乗ったのだが、そこは帰宅ラッシュの真っ最中。ドカドカと乗り込んでくる人たちに押し込められていくうちに、こんな風になってしまった。
疲れ切った空気の充満する下り電車の中だが、俺としてはそんなことは全くなかった。興奮冷めやらぬとはまさにこのことで、未だに胸の高鳴りは収まらず、まだほのかに身体が熱い。
とはいえ、今は吞気に余韻に浸っている場合ではない。
「あの……ほんとにゴメン」
不可抗力とはいえ触れるとか当たるとかを通り越して、向かい合った小田さんに自分の身体を押しつける形になっているのが申し訳ない。そりゃ、彼女の大きな胸にももちろん触れてしまっているわけで、洋服越しに感じる柔らかさに冷や汗が止まらない。
「いいのいいの。これはもうしゃーないから。太田君も立派な思春期男子だしね。それに、庇おうとしてくれたの嬉しいよ?」
確かに性にもなくカッコつけようとして、彼女がもみくちゃにされないようにと動いたが、全くの逆効果になってしまった。それでも嫌な顔一つせずいたずらな笑みを浮かべてウインクしてくれる小田さんを見て、ますます申し訳なくなってくる。
くっついたまま何も身動きできず、無言で電車に揺られる。
意外と長い駅間。沈黙が気まずい。
どうにかして場を繋ぎ気を紛らわせないとと思うが、相手は普段ほとんど話したことのないクラスメート。こういう時はどこ住み? とか聞くのが無難なんだろうけど、この状況で住んでいる場所を聞くのもなんか変な気がする。かといって学校でのことも特段話すことないし。
小田さんを前にどんな話題を振ったらいいのか、何を聞いていいのか分からない。
でも不思議なことに、今日のことはすんなり聞ける気がした。
「ねぇ、凄かったね。あやぴぃのライブ」
「ね! あやぴぃの生歌尊かったぁ……! マジ最っ高! ヤバない? マジヤバかったよね!」
小田さんはふさふさなまつ毛とパッチリな目を更に大きく開き、目を輝かせて答えてくれた。満員電車の中ということもあって抑え気味ではあるが、それでも彼女が感激しているのはよく分かった。
「そういや、始めての生あやぴぃはどうだった?」
「かわいいくて、めっちゃ顔小っちゃかったなぁ」
「だよねー! ちょー羨ましい」
「あと凄く対応もよかった」
「分かる。あやぴぃってどの現場でも神対応なんよ! 私さ、今日のために髪染めたんだけど、あやぴぃ気づいてくれて『てぇちゃん、その色も可愛いね』って言ってくれたの!! キュンキュン止まらんくてマジ昇天するかと思ったわー」
小田さんの髪色の謎が一つ解けた。推しのためにそこまでするとは……流石すぎる。
「でも、凄いと言えば小田さんもだよ。気合いの入り方が違うっていうか、なんていうかあやぴぃのこと凄い好きなんだなぁっていうのが伝わってきた。でも、どうして小田さんはあやぴぃ推しに?」
「私ね、昔からずっと漫画とかアニメが好きで、好きな作品がアニメ化されるって見てみたら推しキャラがあやぴぃだったの。最初はキャラのイメージにぴったり過ぎな声に感動してたんだけど、だんだんこの声の人はどんな人なんだろって思ったのがきっかけかな。そっから調べ始めて、ある雑誌でめっちゃいいこと言っててこれは応援しなきゃって思ったの」
言っちゃ失礼かもしれないけど、小田さんの見た目からは想像もできないような話だ。そもそもアニメも漫画も観なさそうな上に、キャラの声優さんについて気になっていたなんて。それに今朝は小田さんはグループでアニメないわー、って雰囲気だったから。
普通の人はキャラの声を聞いて声優さんに興味なんか持たない。そこから演じる本人へと興味が移るのは相当なオタク基質が必要だ。とすると小田さんは間違いなく正真正銘筋金入りのオタク――こっち側の人間なのだ。
「なんか意外だね」
「よく言われる。ほら見た目こんなんじゃん。でもさ、私自身こういう恰好が好きで、アニメも漫画もあやぴぃも好き。それって別に相反しなくない? 好きなものは全部好きでいいじゃん。別に二次元とか声優さんとか好きなギャルだっているからね」
ギャルとオタクは相反しない。そう言われて俺は思わずハッとしてしまう。
ギャルはオタクが嫌い、そういうものだと思っていた。小田さんは違ったけど、彼女がつるむ連中は少なくともそうだ。だから、ギャルはそういう趣味でいてはいけないと仲間内で決まっている気さえした。
しかし、小田さんは自身に張られたそういうレッテルを一切気にせず、好きなものを心から全部楽しんでいる。ギャルとして派手な格好や人間づきあいをするその傍らで、オタクとして全力てあやぴぃを推している。
自分の属性を気にせず好きな趣味と真剣に向き合い、それを心から愛する。
好きなものは全部好きでいいじゃんと言い、それを体現する小田さんは眩しく、そしてカッコいいとすら思えた。
俺はそんな小田さんが気になる。もっとあやぴぃとかについて語り合えたらなとも思うし、もっと彼女のことを知ってもっと一緒にいたいなとも思った。
『まもなく高王寺、高王寺』
そんなとき車内アナウンスが流れる。
次の駅で小田さんは降りてしまう。このままだとまた陰キャと陽キャという分断された日常生活に戻り、仲良くなれる機会なんて二度とこないだろう。
でも、俺はもっと小田さんと仲良くなりたい。だから頑張れ、俺!
「小田さん、あのさ……!」
心臓が今までにないくらいバクバクしている。密着し合っている小田さんに伝わってしまうのではないかと思うくらい。
「どしたん?」
「その、嫌じゃなければこれからリアルでもあやぴぃについて語り合いたいなぁなんて思うんだけど……ダメかな……?」
「もう大歓迎! めっちゃ語ろう! 私もあやぴぃについて語り合える人が増えたらずっごく嬉しいもん! それにてぇてぇ大将軍的にも、ピュアなあやぴぃファンのオタクくんさんともっと話したいなって思ってたし」
「本当!?」
「マジマジ。なんか、太田君と会えるって考えると、明日からの学校生活がもっと楽しみになってきたわー!」
小田さんにそう言ってもらえて、死ぬほど嬉しい。あやぴぃにCDお渡ししてもらえたのと同じくらい嬉しい気持ちがこみ上げてきた。
ただ、小田さんと学校でオタ話に盛り上がることを想像したら、反射的に今朝の小田さんのギャルグループのアレが頭をよぎる。
「でもさ、小田さんは学校でそういう話しても大丈夫?」
「何が?」
「だって、一緒にいるグループの二人は二次元とか嫌いみたいだし」
「どして?」
「いや、だって、俺のアニメのグッズ見てドン引きしてたから……」
「ああ、あれ? あれはねー、私たち別にアニメ嫌いとか言うわけじゃないよ? だってあやぴぃ出てるし。ただ、アレ持ってる人がいるってのにビックリしちゃっただけで」
「ビックリした?」
「いや、グッズ買うならちゃんと公式にお金落とした方がいいよ? 出来もいいしさ、なにより著作権とかいろいろアレなとこあるし。フリマサイトで悪質な偽物が流行ってるってのは今のオタク界隈のホットな話だから、そういうとこちゃんとしないとダメだかんね?」
なるほど……。己の情弱さと何の確認もせずに安易に飛びついた愚かさを反省しなくては。
そう思ったところで一つのことに気づいた。何で小田さん以外の二人もオタク界隈でホットな話題のことを知っているんだろうか。ということは……。
「私たち、ベクトル違いだけどみんなオタクなんよねー。因みに言うと、二人も『てぇてぇ大将軍』が『オタクくん』と仲良くしてるって知ってるよ。でも、太田君があやぴぃ推しって知ったら二人も喜ぶだろうなぁ」
オイオイマジか……。小田さんだけじゃなく、信号機ギャル全員オタクってマジか。
どうやら、ギャルという生き物に対する認識を本格的に改めないといけないらしい。というか勝手な勘違いであの二人を悪者認定してしまったことも反省しなくては。
衝撃的な事実を耳にしたところで乗っている電車が駅のホームに駆けこみ、開いたドアから人が流れ出る。小田さんもその流れに乗って外へと降りてゆく。
「あっ、そうだ! 今日のライブことは二人だけの内緒ってことで。約束断ってあやぴぃと君に会いに来ちゃったからさ。じゃ、これからもよろしくね!」
こうしてオタクと強いオタクなギャルによる、不思議な学校生活が幕を開けたのだった――。
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