間引かれた木
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
おお、つぶらやくん、見えるかいあの木。
まだ10月にもならないうちに、すっかり葉が落ち切っちゃっている。昨日は確かに雨風が強かったけど、他の木はさほどでもないだろ? どうしてなのかなあ、とか感じないかい?
誰か物好きが、あの木だけを集中攻撃した、という可能性もなくもないだろう。子供とかは思わぬものに興味を持って、信じられないくらい熱中することもある。僕らの感覚じゃ、とうてい信じられないくらいね。
でも、ことによると、更にやっかいなものかもしれない。念のため、しばらくはあそこ近辺を通るのは、控えた方がいいかもね。
なぜかって?
うーん、君の場合は延々と説明するより、体験談を語った方が興味を持ってくれるかな。これはいまから20数年前の話になるんだけどね。
当時の私は、がたいが少し大きくなってきたこともあるのか、家の手伝いに駆り出される機会が増えていた。
そのうちのひとつに、灯油を買いに行くというものがある。いまでこそホームセンターやガソリンスタンドで買う機会が多いだろうが、当時の我が家はとあるガス会社さんの回数券を持っていてね。車で15分くらいのところにある、ガス会社の給油所まで足を運んでいたのを覚えている。
冬が近づくと、ストーブはじめいろいろなものが有用だ。車の後部座席にポリタンクを4つや5つくらい、それを固定するためのひもを詰め込んで、父と私は月に一度は給油所へ出かけていくんだ。
給油所まで通るコースはだいたい決まっているんだが、途中、ある神社の横を通り過ぎる。神社の境内と民家を挟む車道は、分離帯こそ引かれているものの幅は狭く、バスなどの大型車がやってくるタイミングでは、一方が停まって、先に通してやらなくてはいけない場所でもあった。
そして、秋ごろにその道を通りかかった時。神社の外周に沿って植えられた木たちは、たまにその梢を柵の外へせり出しているんだが、幾本も立ち並ぶうちの一本が、なぜかすっかりまるはだかになっている。
対向車を待つため、たまたまその木の前でいったん停まる我が家の車。座っていた助手席に近かったこともあり、私が不思議そうに見上げているところに、父がぽつりとつぶやいたんだ。
「間引かれたな」と。
大型トラックを先に行かせてから発進した車の中で、父は私に語ってくれる。
父を育ててくれた祖母いわく、人間が人間に罰として坊主頭を課すように、自然も自然に対しペナルティを課す場合があるのだとか。
多くの仲間に混じり、ひとめで異常と分かる姿をさらす者は、いわば裁かれた奴といえる。
そいつも周りの連中に対して、いらないと「うろぬかれた」存在。間引かれた存在であるとね。
私は聞いていて、正直なところ、半信半疑だった。
ペナルティを課すという点は、まあ一理ある。我々人間には分からないルールが、自然界に存在しているかもしれない。大岡裁きを下すようなお上も、我々が知らないだけで、実は君臨している可能性だって、なきにしもあらず。あの姿が刑罰のひとつなら、なるほど、十分なさらし者だ。
しかし、「間引く」とはどういうことだ。なぜここまで物騒な言葉で伝えなきゃいけない。
当時の私だって、この意味は知っている。植物を育てるため不要だったり、密生したりしているものの数を減らすことだ。
そしてこれは、人の営みにも当てはまる。口減らしのために、生まれたばかりの赤子を殺すことも、また間引くという言葉の範疇だ。
父は丸坊主と話したが、その程度なら「罰する」だけで済みそうな話だ。わざわざ祖母が「間引く」と伝えてくれたことには、何かしら意味があるはず。
そう感じた私だが、話を聞ける祖母はもう、この世にいない。灯油を入れてもらっている間も、残りの車中も、私はあのはげた木のことを考えていた。
当時、私が通っていた学校の通学路に、あの神社のわきを過ぎる道も含まれる。
私が件の間引かれた木の様子について、それとなく他の生徒へ尋ねた。大半の生徒は木そのものに関心がなく、実際に得られた声の数は少なかったよ。
だが、その中でも意見が割れる。すっかりはげた木を見たという声があれば、緑がしっかり茂っていたという話も。
実情を確かめるべく、私は下校してそのまま件の神社付近へと向かったんだ。
そこには昨日の、「間引かれた」姿はなかった。そばに控える仲間たちと同じ、あふれんばかりの緑をたたえた、一本の木があったんだ。
にわかには信じられない。私は何度も目をこすり、近づきながら木の様子をうかがおうとして、私はごくりとつばを飲み込んだ。
予想は当たっていた。確かにそれは間引かれた木だったんだ。緑を茂らせる梢を盛んに揺らすも、その緑の源は葉によるものじゃない。
緑は枝にはべる、大勢の小鳥たちだったんだ。元の枝の色さえ外へ漏らさないほどに集まった彼らが、羽を寄せ合い、身体を揺らす。それが遠目に梢の身振りとなって、網膜に飛び込んできていたんだ。木の真下まできて、何秒もじっと目を凝らして分かる、巧妙なカモフラージュだった。
だが、そうだとしたら、彼らは何のためにカモフラージュをしているのか? いや、そもそもこれはカモフラージュなのか?
私が更に心気を凝らしていくと、鳥たちの形作る梢の中の中央よりが、にわかに「さえずっている」のが分かった。その一部だけ、鳥たちの身体が盛んに動いていたんだ。
そこには、およそ人間の頭一つ分にあたる空間ができていた。近寄るまで分からなかったのは、奥行きにいたるまでの部分も鳥たちが囲み、その身体の色で目立たなくなっていたためだ。
その中心を囲う鳥たちは、盛んに首を動かしている。虚空へ向かってくちばしを突き出し、何かをついばんでいるんだ。見れば見るほど、彼らの黄色いくちばしに、赤みがかったしぶきがかかっていくのが分かる……。
ふと、背後でクラクションが鳴った。
短く、しかし大きく。それがトラックによる、待ってくれた車へすれ違いざまに鳴らした、お礼の音だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
でも、かの鳥たちを驚かすには十分だったのだろう。まず、てっぺん付近の鳥が、ほぼ真上に飛び上がっていく。その下の鳥たちは一部が彼らについていき、他はYの字を描くようにそれぞれ二又に分かれて、木を立ち去り出したんだ。
ただの一羽も、その列を乱したりしない。あらかじめ定められた決まりがあるかのように、彼らはすっかり木から姿を消した。残されたのは昨日見たものと同じ、骨にあたる幹と枝のみの、「がりがり」となった一本のみ。
直後、私の頭を何かが打った。厳密にはその前に、果実がもげるような音が響いていた。
たたらを踏む私の足元で、ガツンと地面に固いものが落ちる。コロコロと音を立てるそれは、最初はピザの一切れを思わせる扇型と、スイカと見紛う赤い実をさらしていた。
転がるにつれ赤みはどんどん広がっていき、柵に当たって止まる時にはタンポポの葉のように、地面へ大きく伸びてしまう。
おそらく、鳥たちが木の上でついばんでいたものに違いない。けれど私はそれを直視できなかった。
臭い。とにかく臭い。
目と鼻の奥がおのずと痛んでくるほど。眼球、鼻腔のすき間どころか、その周りの皮膚さえ通り抜けて、すぐ下の血管へ直に臭いが注ぎ込まれているかと思った。
その場を離れ、家へ飛び込むやシャワーを浴びた私だが、最初に頭へもらったときにこびりついたのか。臭いが完全に取れるまで数日間を要したんだ。
鳥たちはおそらく、あの果実を食べるために集まったと見ていいだろう。でも、尋常な状態では育つことができない。
脂がのっているだろう木が葉を一枚残さず消し、その分の栄養をすべて注ぐことで、初めて生まれ得る、強烈な臭いの果実。そいつのために、本来の葉っぱたちが間引かれたんだろう。




