09
もちろん、すぐに距離を作った。
それで走っている最中に服とか下着を持ってくるのを忘れてしまったことに気づいた。
制服とかばんを持ってくることだけに集中していたせいだ。
「逃げるなよ」
「……だってあたしは色仕掛けをした女だし」
いくら日曜日だとしても学生に見つかった終わり。
あたしが全てを引き受けたのに意味がなくなる、休日に会っていたら怪しまれる。
「あの時は悪かった……お前にばかり謝らせてしまって」
「いいよっ、あたしが対象になることで阿部先生に迷惑かけずに済んだしね!」
いま必要なのは不安に押し潰されそうなものではなくめいいっぱいの笑顔。
どういう感じかは分からないが、恐らくきちんと笑えていると思っている。
「……かばんを持ってきてどうしたんだ?」
「みんなそれ聞くんだから……ほらあれだよ、あんまりお金かけていられないからさ、外に行く時もこれ持ってきているんだ」
今度はちゃんとしまってあるし「そうか」で終わるはず。
というか終わってくれないと困ってしまう。
「そうか」
「うん。ほら、あんまりいると今度は先生が対象になっちゃうからさ」
「……まだ偽るのかよ」
「え……?」
「梶原と雪無に聞いた」
卯木はともかく雪無に聞いたっていつなんだろ。
そもそも、聞かれたところで答えないと思うけど。
「こっち来いよ」
「う、うん……」
静かに戻ってベンチに座る。
それでもなるべく距離を作って、だけど。
「昨日……お風呂に入ってないんだ」
「なんか用事でもあったのか?」
「……昨日の夜からここで過ごしてる」
「は?」
「昨日の朝からごはん食べてないし、徹夜したからちょっと色々と問題があって」
い、偽るな的なことを言われたんだから言うのは間違ってない。
ど、同情をしてもらおうとしているわけでは――いや、してもらおうと悪い自分が吐いていた。
だってもうどうしようもないし……下手をすれば冗談でもなんでもなく死んじゃうし。
「……信じてもらえないだろうけど学校以外では一切外に出ちゃだめって言われてさ、大人しく従ってたんだけど卯木が来たからいれたらバレてね、それで……叩かれたから家出してきたの」
「はぁ……無計画すぎだろ、この先どうするつもりだったんだ?」
「考えてみたけどだめだった」
「だから詰みだって言っていたのか、馬鹿だなお前」
どうせばかだよあたしは。
勝手に出てきて終わりだとかなんだとか言っているんだから。
「とにかく、雪無と仲良くしてね」
「は? なんで雪無の名前が出てくるんだ?」
「え、そりゃ……先生のことが好きだからだよ」
なんでこんなこと言わなければならないんだか。
でも、やっぱり頼ることはできないし早く帰ってほしいから気づいてもらうしかない。
身近な存在の大切さとかにね。
「ははは、そうだといいな」
「そりゃそうでしょ、だって特別な意味だし」
「はあ? 雪無が俺のことをそういう意味で好きだって言いたいのか?」
「うん、さっき本人から聞いたよ」
あたしはそのカモフラージュみたいなものだろう。
他の子は気づいてなかったっぽいし、雪無の場合は全然普通に仲良くできる。
なによりイメージが悪くないからあたしよりも容易だろうことは容易に想像できた。
「じゃ、あたしはそろそろ行くよ」
「どこに?」
「家事とかしなくて良くなったから適当に歩くよ」
その後は知らないけど。
「行かせられるわけないだろ、なんのためにここに来たと思ってる」
「じゃあ、住ませてくれるの?」
「いや、さすがにそれはできないが」
「ははっ、だめじゃん」
来てくれたところでなんも意味ない。
話したら楽になると思ったけど、重い現実をただただ直視する羽目になっただけだった。
「律歌のお父さんにはちゃんと話してから来たんだ」
「話すってなにを?」
「一緒に住むこと」
「え、矛盾してない?」
よくわからないな、寝てないから理解できないだけ?
というかそれってどういうつもりからなんだろう。
自分が追い詰めてしまったせいでこうなったから?
そういうことなら余計なことはしなくていい、全部自分が悪いんだから。
「昨日とか今日生きてて思ったけどさ、全部自業自得だからいいんだよ。ま、どうせこの歳死ぬ勇気なんかないし……限界が来たら卯木でも雫でも雪無にでも死ぬ気で頼むから」
「律歌」
「あれ、今日は珍しく仏頂面じゃないね」
それを引き出せたのが嬉しいけど、意味ないんだよなそんなことできても。
大体、雪無だっている上に印象が悪すぎる。ふたりでいたらまたなにか言われることだろう。
その時点で終わっているということだ、好きだと自覚しておきながら会えないのは苦しいから。
「……付き合ってくれないか?」
「阿部先生と? 血迷ったの?」
「お前を悪く言ったやつは許せない。でも、犯人なんか探したって意味ないだろ? だから、俺らが付き合えば悪い評価だって――」
「違うよ、余計に悪くなって終わりだよ。あたしとなんか付き合ったら先生のイメージも下がるし、今度こそ校長先生も許さないと思う。というか、もうイメージも悪いかもね」
そもそも本当に断ってくれていたらここまでにならなくて済んだんだ。
なのに実に中途半端な状態でお預けみたいになったから面倒くさいことになった。
特定の生徒を贔屓してしまうのは、教師として失格と言わざるを得ない。
ただまあ、自分がスッキリするために告白したあたしは間違いなく悪女ではあったが。
「じゃ、辞めるか」
「は?」
「教師だよ。もう『みんなのことを考えて動ける阿部先生』って奴はいないからな」
「ちょっと待ってよ、そんな価値ないから! 先生になれたのなんてすごいじゃんっ、これまでの学費とかだってたくさんかかってるんだからさ! そんな格好いい職業を辞めてまで付き合う価値とかないからね? なにを見てくれてるのかは知らないけど、一旦冷静になった方がいいよ。後から我に返った時に絶対に後悔するから」
おかしいおかしいおかしいおかしい!
本当に教師のくせにあたしよりバカなんじゃないかって気になってくる。
「それにあたしは先生をやっている正隆くんが好きなんだから」
「じゃ……高校を卒業したら……いいか?」
「知らないよそんなの。あたしは今日や明日を生きるだけで精一杯なんだから」
あーあ、普通にバッサリと切ってくれればいいものを。
「というかさ、好きになっちゃだめでしょ。あれはあたしが前に進むためにしたことなんだから」
「……お前は好きだったんだろ? 俺のことが」
「そりゃ好きじゃなければ言わないよ。だけど、あれは自己満足で自分を慰めるためにしたことだから。もうだめだね、みんなが求める阿部先生はいないんだ」
「本当なら自分から辞めるべきかもな」
そんなことはさせられない。
そうでなくなってしまったのなら、再度そうなればいいんだ。
幸い、学校でイメージが悪いのは自分だけだしね。
「よし、それなら高校卒業まで待ってくれる? で、またあたしから告白するからさ、その気持ちがまだあったら受け入れてよ。それまではこういうこと本当に禁止ね、あたも頑張って耐えるから」
「……わかった、俺はお前を贔屓しない」
「うん、みんなにとっての阿部先生でいてよ」
「おう。じゃあ、いまからだな」
「うん」
「それじゃあな、早く家に帰れよ」
「はーい」
しょうがないから家に戻ろう。
で、土下座でもなんでもして住まさせてもらって、その場合は家事でもなんでもして過ごすと。
「お父さん!」
鍵がないから家の外から叫んだ。
あまり叫ぶと周りに迷惑だから1回だけだったけど。
そして、父は結構早くに出てくれて、逆に狭い玄関で土下座をされてしまった。
「昨日は……というか、最近はごめん」
「と、とりあえず中に入っていいかな?」
「あ、うんっ、入って!」
――色々話してくれたのだが、働いている場所でまた悪口を言われて堪えていたらしい。
母みたいに去られたくなくて家にいてほしいということもわかった。
「別に出ていったりはしないよ」
「うん……でも、ひとりは嫌なんだ」
「わかるよ、ひとりは怖いよね」
昔だったら絶対にこんなこと思わなかったけどいまはもう違う。
「あ、でも律歌は阿部先生が好きなんでしょ?」
「そのことなんだけどね、卒業してからにした」
「そうなんだ。あ、バレたら終わりか……」
「そうそう。だから卒業してから告白をして、まだ気持ちが残っていたら付き合ってもらうってことにしておいたよ。ま、それまでは普通の先生と生徒として接するつもり」
「そっか、上手くいくといいね」
「うん」
その前に雪無に取られてしまいそうだけど。
でも、生きる意味ができてあたしは嬉しかった。
目標があるだけで楽しく見えてくるのだから単純な話だったけどね。
「卒業おめでとう」
――2年後の3月。
担任の先生(阿部先生ではない)の挨拶を聞きながら外を見つめていた。
綺麗な青色が広がっていて、なんかいたずら書きをしたいぐらいだった。
少しだけ視線を下げれば桜の木が見える。
穏やかに風に揺らされて、花びらひらひらと舞っていた。
大して知り合いもいなかったため、終わったら校舎からすぐに出ることに。
明日からここに来なくていいと考えたら、なんだか不思議な気分になった。
「ちょ、ちょっと待ってっ」
「もう、働いているのに体力なさすぎー」
「いやだってあんまり動かないし……友達に挨拶とかはいいの?」
「雫と卯木は別のクラスだしなあ」
スマホだって再契約してもらったからいつだって連絡できる。
ただまあ、物理的に会うのは難しくなるだろうから待っていようか。
父もどうせはあはあとお疲れのようだからね。
「運動に付き合ってあげるから、今夜からランニングね」
「え゛……ぼ、僕は律歌の作ったごはんを食べてお風呂に入って寝られるだけで――」
「いや、動いておかないとお腹だるんだるんじゃん」
「律歌の作るごはんが美味しいのが悪い!」
「ちょ、大声で言うのやめてくれる!? 恥ずかしいから!」
あたしのイメージは結局最後まで悪かったままだからあんまり気にしても意味ないけど。
「やっほー」
「遅いじゃん」
「しょ、しょうがないでしょー」
「雫は?」
「そこで泣いてるー」
前にもこんなことあったなって思い出していた。
確かあの時は卯木が雫に告白した日、自分の方は上手くいかないのに惚気けられて困ったっけ。
「そういえばさっき阿部先生見かけたんだけどさ、女の子から告白されてたよ? ふふふ、ライバルはたくさんいたんだねー」
「あ、そういえば忘れてた」
そういえば告白するとか言ってたんだった。
本当にふたりきりでとかそもそも話すことがなかったから忘れてた。
「律歌もアホだよね」
「余計なお世話。ま、今日までありがとね、雫といつまでも仲良くするんだよー」
「ありがとー、それは大丈夫だよー。さてと、雫が嫉妬するからもう行くよ」
「はいよー」
だけど忙しいようだし、どうしたものか。
「ふぅ、じゃあ僕は先に帰ってるよ。それでごはん作ってるから早く帰ってきてね」
「あーい。あ」
「なに?」
「ま……ありがとね、お父さんが引き取ってくれて良かった」
「当たり前だよ、僕らは家族だし似た者同士だから。同じ捨てられた者としてね」
「嬉しくねー」
「はははっ、じゃあまた後で」
「うん、また後で」
元気なのにやけに頼りない足取りで帰っていく父。
さて、ここで待っていれば出てきてくれるだろうか。
ベンチに座ってぼけっと空を眺めて時間をつぶす。
そういえばもし他の子の求愛を受け入れていたらどうしよう。
ま、元々その気持ちがあったらという話だったし、別にそれでもいいんだけど。
「律歌、そこにいたのか」
「モテモテでいいですねー」
「は? ああ……梶原から聞いたのか、言うなって言っておいたのに……」
「ふぅん」
「そんな顔と目はやめてくれ……」
いや、なんでそれを言わないようにするのかわからない。
やましいことがあったから? それとも誰かのそれを受け入れたから?
「もう学校から出られるの?」
「いやまだだな。あと数時間は残ってやらなくちゃいけないことがある」
「それじゃあね、高校1年と2年生の時はお世話になりましたー」
「は? お、おい……約束は」
「じゃ、公園で待っているから早く来て、1秒遅れる毎に面倒くさいことになるからねー」
――それで公園で待っていたわけだが……。
「10800秒も待たせるとか有りえないから」
「わ、悪い……時間がかかってな」
3時間以上過ぎているのは大目に見てあげよう。
「正直ね、卯木に先生が告白されてるって言われるまで忘れたの」
「まじかよ……」
「まあまあ」
ずっと会えなかったんだからしょうがない。
「好きだよ、あれからずっと」
でも、気持ちだけはずっと忘れなかった。
安心安全な卯木や雫としか関わらなかったし、他の子に移ったりはしなかった。
できるかそんなこと、寧ろ会えなければ会えないほど苦しくなったわ。
それで自分も普通の少女なんだって気づけた、弱いところは嫌だったけど。
「悪い、まだ受け入れられないけどな」
「えぇ……」
「ほら、3月いっぱいまで高校生だろ?」
「あー、そういえばそんなのあったね。そっか、もう高校生じゃなくなるのか」
年取ったな、ぐらいにしか感じられない。
だけど高校生活は悪くなかったと思う。
軽い女だとか言われたけどね。
「俺も好きだ」
「え、後なんじゃないの?」
「付き合うのは……後だ」
「バカじゃん、告白なんかして。教師としてだめだね」
「それはお前もだろ。それに……いい教師でいられているなんて思ってないぞ」
そんなこと言うなよ、あたしが壊してしまったようなものなんだから。
「まあいいや、お父さんがごはんを作って待ってくれているし帰るね」
「おう、4月2日にまた会いに行く」
「1日は?」
「エイプリールフールネタだと思われたら嫌だからな」
「あははっ、分かりました! ……ありがとね、正隆くん」
「ああ」
帰ろう、恐らくひとりだけではほとんど作れていないだろうから。
あたしが作ってあげなくちゃだめなんだ、ごはんがべちゃべちゃだとか普通にあるし。
誰かのためになにかをしてあげられる幸せに気づけたのはありがたい。
「律歌」
「んー?」
「早く帰れよ、そうしないと抱きしめたくなる」
「そうしたら生徒に手を出すやばい人だね。じゃ、帰りますよー」
「おう、気をつけろよ」
「そっちもねー」
これからも頑張ろうと決めた。
ただまあ、これから父だけにではなく、正隆くんのために動くこともありそうだけども。
お弁当とか作ってあげたら喜んでくれるんじゃないだろうか。
それを食べて大袈裟に反応してくれる正隆くんを妄想しつつ、帰ったのだった。
読んでくれてありがとう。
1話目と律歌のキャラが違いすぎる。
もうちょっとやる気なさそうな感じが理想だったんだけど。