07
もし他の人だったら終わっていた。
いや、卯木だから、友達だからって信用するのは良くないかもしれない。
それでも普通に話しかけてくるし、雫とばかり仲良くしているから不安もあんまりないんだけど……。
「阿部先生!」
「そんなに慌ててどうしたんだ?」
ふたりきりで会うのはリスクが付きまとうから雪無さんに付き合ってもらいつつ会うことに。
「写真、撮られてた」
「え……」
「卯木だけど……ちょっとやばいかも」
こういうことが起こるから距離を置いていたんだ。
せ、先生はともかくとして、あたしが雰囲気に流されて抱きしめちゃったりしたりしてね。
「それって抱きしめたこと?」
「ばっ」
「ふふ、だって一緒に見ていたもの」
おわた……いや、真面目にふざけている場合じゃない。
せめて先生から抱きしめた時のことは目撃されていなければなんとか……いけるんじゃないか?
「あ、えっと……雪無」
「なに?」
「その……いつから見てたの?」
「そうね、あなたが帰ろうとした時からね」
「って、見てるじゃないか!」
「――? だからそう言ったじゃない」
あたしが抱きしめただけならいくらでも言い訳はできる。
だって受け入れるかどうかは向こうであって、こっちに決定権はないからだ。
普通は先生の方が断るわけで、ああ、告白して振られたんだってなるだろう。
でも、先生から抱きしめてしまうと話が一気に変わってきてしまうわけで、選択できる権利を持つ者が変わってしまうのが1番の問題だった。
「気にしないで仲良くしなさい」
「い、いや……他の人間にバレたら阿部先生終わっちゃうからっ」
「安心しなさい、バレてるから」
「だからあ!」
「ふふ、工夫することね。それじゃあね」
いやいや……雪無を責めるのは違う。
だけどなあ、学校外で会ったらそれこそ問題だし。
「お前……スマホはないもんな」
「うん、高いからさ……」
父が頑張って稼いでくれているのに、ほとんど利用しないスマホ代7000円近くとか高すぎる。
昔とは違うんだ、多少余裕ができてもまだまだ謙虚でいなければならない時間だった。
「学校でいると……なあ」
「だね……やっぱり――」
「なしはなしな」
だからってこのまま続けたら他の子にバレてお終いだ。
そうしたらいよいよもって先生が教師ではいられなくなる。
というか、あたしが本気で距離を置けばこんなこともなくなるのでは?
「やっぱり近づくのやめる」
「おいっ」
「阿部先生に先生を続けてほしいから。中途半端な距離感だと苦しませるだけでしょ?」
自惚れ発言なのはわかっている。
だけどいいんだ、どうせ昔から痛い女だったということには変わらないのだから。
あたしなりに困らせたくないって動いているから、この先も同じようにそうするだけ。
「じゃあね!」
「律歌!」
呼ばれても足を止めることはせず、空き教室から出て昇降口を目指して走る。
「こらっ、廊下を走っては駄目ですよ!」
「あ、すみません……」
あ、危ない……名前も知らない女教師(確か音楽教師)に指摘され慌てて歩きに切り替えた。
どうすればいいかなんて考える必要もない。
お互いが会えなくなって、気持ちを捨てるしかなくなれば問題もなくなるわけだ。
くっ、担任であることが困るなあ。
「ひゃっはー!」
「わぁ!? え、なんだ……驚かせないでよ……」
こういう襲撃の方法は最適だけど、いまのあたしには致命的だ。
暴れていた心臓が一瞬本気で止まった、死んだかと思ったぐらいだった。
「雫は?」
「あそこ」
見てみるとベンチに座ってなんだかぐったりしている様子。
「雫ー? 今日はどうしたの?」
「あ、律歌さん……あはは……私はもうだめなんです」
「なにがだめなの?」
手を差し出すと、こちらの手を握って立ち上がる彼女。
笑顔でお礼を言ってくれたまでは良かったのだが、すぐに「だめなんです」と弱々雫に。
「私、好きな人ができたの」
「へえ、卯木?」
「うん」
あ、目の前に本人がいるのによく言えたな。
そして、本人の前で言えてしまうのなら問題はないと思うが。
「告白したの」
「大胆」
「受け入れてくれたの」
「おめでとうっ、ぱちぱちぱちっ」
「キス、拒まれたの」
って、惚気けたいだけかよ!
おぅ、それなのに走って逃げたりしない分だけあたしより強いな。
こちらの場合は必ず自分が逃げて終了という流れなので、特にアドバイスもできなくて申し訳ない。
「こう、さ、ぶちゅー! って無理やりやっちゃえば?」
「そんなのできないよ!」
「あ、はい、そうですか。じゃあふたりで頑張ってね、それじゃあね」
「付き合ってよぉ!」
「ええいっ、非モテ舐めんな! アドバイスなんてできないんだよ!」
こちとら実らないで終わるんだぞ、どんなに頑張ったって。
その点、告白すれば可能性がある普通の恋はいいよなって。
「卯木帰るよ!」
「了解!」
「だ、だめだよっ、卯木ちゃんは私の彼女なんだからー!」
やれやれ……誰かのために動いている場合じゃないんだよ。
今日はちょっとごはんを多く食べようと決めた、失恋なんだからしょうがないよねという話だ。
「美味しい……」
――おかずは父のだけ用意して自分は白米だけを食べていく。
こうして単体で食べたのは初めてだけど、案外これだけでもいける気がする。
意外にも涙が出たりはしなかった。直接振られたわけではないからか?
「ただいま」
「おかえりー」
さすがに父にだって言えない。
おまけに言えば、そもそも終わったことを引っ張り出す意味がない。
ま、あれだ、あたしたちが些細なことで初めてを消費していくように、これも同じことだ。
初くしゃみとか初喧嘩とかそれと同レベルのもの、大袈裟に捉える方がバカだった。
「あれ、ごはんだけ?」
「先におかずを食べちゃってね。ちょっと外に出てくるね、洗い物は置いておいてくれればいいし、お風呂だって先に入ってくれていいから」
「ねえ、律歌」
「な、なに?」
そんなわざわざ正座して言おうとするなんて嫌な予感しかしないんだけど。
「やっぱり僕とふたりきりじゃ嫌なのかなって。ほら、家事だって全部任せることになっちゃってるし」
「そんなわけないよっ。ただ……学校で色々あってさ」
「喧嘩? ま、まさか、いじめられてる――」
「ないない! そこまで弱い人間じゃないよ」
いじめこそしなかったけど雰囲気的にはそっちだし。
いじめっ子と同じぐらい疎まれている、それはあの日に確認済みだ。
だからそれなりに謙虚に生きていた、と思う。
「外に行ってくるね」
「それとも……外で誰かと会っているとか?」
「え、会ってないけど。スマホも解約してるのに呼べないでしょ?」
「……とにかく、あんまり遅くならないように。危ないから」
「うん、大丈夫だよ」
父だけではなくいまはあんまり人といたくない。
適当に夜道を歩いて、前に擬似告白をした公園にやって来た。
やっぱりひとりでいるのならこういう場所だ――と思っていたのだが、
「卯木ちゃん……」
「雫ちゃん……」
と、盛っているふたりを発見して退散。
いやでもまさかここでキスしようとしているとは……いいね、リア充は。
しょうがないよね、恐らくだけど今日付き合えたばかりなんだから。
にしても……あんなこれからするってところで着かなくてもいいのにさ。
「律歌」
「きゃあああ!?」
「お、おいっ」
……目の前も後ろも暗闇なのに急に名前を呼ばれたらびっくりするわ!
先生はあたしの腕を掴んで100メートルぐらい移動する。これって拉致では?
「はぁ……はぁ……悪い、驚かせたよな」
「い、いや……あたしこそごめん……大声出したりして」
家から結構離れてしまった。
あまり遅くなると父から疑われる。
でも、この暗さならふたりでいてもあまり問題にならない気が。
「え、つか、不審者?」
「ちげえよっ、いま帰ってきたところなんだよ」
「あ、まだ今日はそんな時間か――って、ばか!」
「えぇ!?」
会わないって言ったのにこの人は毎回毎回、教師なのにあたしよりバカなんじゃないのか!
「近づくのやめるって言ったのに、このわからず屋!」
「……無理だって言っただろ、俺はお前といたいんだよ」
「クビになったらどうするの!」
「その時はその時だ」
「ばかっ、もう知らないから!」
このまま走り去ろう。
大丈夫、先生ぐらい簡単に撒けるから。
そしてその予想、願望通りに家の近くまで帰ってくることができた。
「律歌……」
「え、外でなにやってるの?」
「なにか隠してることって、ないかな?」
「なにもないけど」
こんなんでも健全な体だ。
触らせたことなんてない、男子にも女子にも。
「阿部先生」
「が、どうしたの?」
「と、仲良くしているって聞いたけど」
「担任の先生だもん、当たり前でしょ」
「抱きしめたりとかだってしたって聞いたよ」
くそ……やっぱり見られていたのか、他の人間にも。
父が知っているということはもう広まっていてもおかしくはない。
つかこれってもう……ただの先生の自業自得では?
あたしは何度もやめた方がいいって言った、それを聞かなかったのは先生だ。
「それってあたしが?」
「そう。先生は拒んでいたって聞いたけど」
「そうだよ、だってあたしが好きなの阿部先生だったし。でも、当然振られたよ、先生だからね」
なんだ、それなら全然問題ない。
あたしが問題になるんだったら全然構わなかった。
「なんでそれを言ってくれなかった?」
「は? お父さんに言ってどうなるの?」
「どうにもならないかもしれないけど、相談に乗ることぐらいはできたよ」
「じゃあもういいよ、終わったことなんだから。いいから戻りなよ、明日もバイトなんだから」
こっちは休みだけど父は違うんだから。
「ねえ、先生が父親なら良かっ――」
「やめてよ! そんなこと考えても意味ないから! 早く戻ってっ」
「ごめん……」
先生が教師じゃなかったら出会ってなかった。
出会えてなかったら好きになれてなかったし、親なら恋だってできていなかった。
そんな普通の女子高生みたいなことができただけで幸せなんだ、生きられているだけで十分なんだ。
余計なこと言うなよっ、上手く捨てようとしているんだから。
「近所迷惑だぞ」
「誰のせいだと思ってんの!?」
叫んでから失敗を悟って、先程とは逆方向へ走り出した。
ああして追ってくるから父とも衝突する羽目になる。
言うことを聞いてくれていれば、ここまで乱れずに済んだ。
前に進むために告白したのが間違いだった、普通だと考えた自分がバカだった。
「はぁ……」
今日は走ってばっかりだ。
しかもその理由のどれもが悪いやつ。
けど、明日が休みで本当に良かったと思う。
このまま適当な場所で9時まで過ごせば父と会わずに済むから。
「うわあああ!」
「うるさいわよ」
「ぎゃ――」
今度こそ本当に心臓が止まった、すぐ動き出したけど。
遭遇したのはまだ制服姿でかばんを持っていた雪無だった。
「あなたもこっちの方だったの?」
「あ、ううん……向こう」
「なのにどうしてこっちまで来ているの? おまけに奇声まで発しているし」
「ちょっとお父さんと喧嘩しちゃったから」
――数分後、なぜだかあたしは彼女の家にいた。
「ええ、大丈夫よ、律歌はここにいるから、ええ、それじゃあね」
相手は先生だろうか。
その先生は恐らく父に事情を説明するだろうから、どちらにしても終わりと。
「はい、ホットミルクよ」
「あ、ありがとう……ございます」
そういえば当たり前のように敬語じゃなかったなと思い出していまさらしてみた。
「今日はこのまま泊まっていきなさい」
「いい……んですか?」
「無理して敬語じゃなくてもいいわよ」
「いいの? あたしといたら雪無が困るだけなのに?」
「別にいいわよ」
そりゃ野宿よりはいいけどさあ、意図がわからないんだよね。
これって明日の朝とかに先生がやって来て逃げられないようにする計算とか?
「さて、まずはお風呂ね」
「あ、ごはんはもう食べたからね」
「そう、じゃあゆっくり入ってきなさい。着替えとタオルはあなたが入っている間に置いておくから」
お礼を言って入らせてもらう。
――そういう気配が感じられたら夜中に逃げるなりすればいいだろう。
「あ……広くていいなあ」
あの家のお風呂とか足なんて伸ばせないのに。
シャンプーやボディソープを使わせてもらって綺麗にしていく。
なんだか似たような匂いになったことで自分が美人になれた気がした。
が、当然そんなことはなく、普通の顔だと鏡が知らせてきている。
「律歌、きちんと仲直りしなさいよ?」
「うん……そうだね」
「じゃ、戻っているわ」
「ありがとー」
仲直りか……上手くできるかな。