06
この学校には空き教室がたくさんある。
そこが指定されていなかったため、下手に動くよりは教室で待っていようと決めて待っていたのだが。
「律歌」
来たのはあの人ではなく阿部先生。
やはり届いていなかったようだ、所詮生徒の口先だけのでまかせだと考えているのだろうか。
まあちょうどいい、あたしも聞きたかったことがあるから。
「最近よく一緒にいる人とはどういう関係ですか?」
「ん? ああ、勘違いするなよ、そういうことはないからな」
みんなどうせそう言うんだよ、最初は。
というかあたし、いつの間にか先生に敬語使えているじゃん。
成長するんだなあたしも、家事をできるようになったりとかね。
「あいつは――」
「いた、空き教室で待っててって言ったじゃない」
「あ、どの空き教室かは指定されていなかったから」
「あ……ま、まあ、残っていてくれていたのなら感謝するべきよね」
さてはこの人、意外と可愛くて優しい人では?
こうしているとただの冷たい人に見えるけど、話すと途端に印象が変わる。
「って、正隆もいたのね」
「ああ。雪無は律歌に用があったのか?」
「ええ」
なーにがそういうことはないだよ。
この人が名前呼びをするのはかなり特殊なのに、それをしているじゃないか。
しかも恐らく先輩は呼び捨てで呼んでいるし……あ、実は付き合っているからって報告か。
「おめでとうございます」
「「は?」」
「え、ふたりは付き合っているんでしょ?」
先生におでこを突かれた。地味に痛い……。
「そんな事実はない」
「そうよ」
いいんだ、気を使ったりしなくたって。
ちょっと楽しくなり、そのまま見つめていたら今度は先輩に叩かれた。
「今日残っていてもらったのは、律歌と正隆のことについて話すためよ」
「あたしと」
「俺?」
「ええ」
これはなんだか嫌な予感がする。
だからスーパーに寄らなきゃいけない云々の言い訳を残し帰ろうとした。が、先輩に掴まれて進むこと叶わず。
「普段一緒にいるあなたたちが急に一緒にいなくなったせいで変な噂がさらに出始めているのよ」
「ちょ、ちょっと待て、それじゃ元から変な噂が出ているような言い方――」
「そうよ、あなたたちは不自然なほど距離感が近すぎたのよ」
それなのによくクビになっていないなこの人。
うーん、だけど最近は一緒にいないようにしているから怒られることもないと思うけど。
「だから適切な距離感を保ったまま一緒にいなさい」
「ま……俺は教師で律歌は生徒だからな、それが1番だろ」
「あたしは嫌だよ。それに先生は約束を破ったから」
いままでのことを全て然るべき人に言ったらどうなるか、それがわからない人ではないだろう。
「ま、確実にあたしの名前が出るし、他の先生には言わないでおいてあげるけど」
好きとかぶつけたのあたしだし。
前に進むためにはあれが必要だった。
自分が前に進むために利用したのに、いざ約束を破られたからってそんなことしたら屑になる。
「――? なんの話?」
「ああ……律歌にふたりきりで会わない、話さないって条件出されてたんだよ。それをいま……破った形になるな。1週間ぐらいは守ったんだが……」
あたしもだめだな、そんな先生が誰といようと自由なのに。
自分より遥かに綺麗な人が側にいただけで気になってしまった。
しかもお互いに名前を呼び合っているという親密さが伝わってきて。
あたしにはできないことをできているのが羨ましかった。
「そんなことをしても無駄よ。もう会わなくても噂になるんだから」
「と言ってもな、律歌はそれを望んでいないようだし」
そうだよ、もう終わったことなんだから必要ない。
だって嫌なんだ、終わったことのはずなのに一緒にいると意識してしまうから。
届かないことがわかっていて、けれど揺れてしまう自分の心に。
でも先輩との様子を見られてなんとなく落ち着いた。
「それじゃあいいよ」
「え?」
「だから、教師と生徒なんだから話すことぐらい普通でしょ?」
別にあたしだけ贔屓にされていたわけじゃないってことでしょ。
割と身近に仲良さそうな美人さんがいて、勘違いなんてできやしない。
というかおかしいんだよなあ、雫も卯木も先生も。
カッとなったら暴力を振るうような人間といることが。
お前が言うなという話だが、だいぶおかしい。
「じゃあ……いいのか?」
「外で会ったりはできないけどね」
てか、先生にはそういう感情がないんだから全部自分で片付ければいい話だ。
揺れたら止めればいい、勘違いしそうになったら現実をしっかり再度把握すればいい。
できるでしょ自分なら、これまでの自分のように。
「まとまったわね」
「うん」
「今日はありがとう。私はこれで帰るわ」
「気をつけて」
「ええ」
……会話ぐらいはしたかったし先輩にはお世話になった。
だけど……なんかどうしたらいいのかわからなくて固まっていたら、
「悪かったな、約束破って」
と謝られてこちらは困惑状態に。
「なんで……先生が謝るの」
「……自分の気持ちを優先してしまったからだ」
「あたしとそんなに話したかったの?」
「ああ」
……揺れない揺れない、大丈夫。
真っ直ぐ向き合えば格好いいとか考えているところがあれだ。
「あの人は先生のこと名前で呼んでいたけど」
「律歌だって呼んでくれただろ?」
「あたしはもうしてないし」
「したければしていいぞ?」
自意識過剰なところもだめだ。
それはあたしも同じだから指摘しておかないであげるけど。
「そうだ、今日はスーパーに行かなくていいのか?」
「うん、食材は昨日まとめて買っておいたから」
「じゃあなんでさっき帰ろうとしたんだよ」
「だって……嫌だったから」
わかってない、嫌いだからこんなことしているわけじゃないんだ。
寧ろ相手のことをちゃんと考えているからこうしているわけで、そこを勘違いされると困る。
「勘違いしないでよねっ。あたしは先生のこと嫌いなんかじゃないから」
あれ、なんかツンデレキャラみたいになってしまった。
でもまあこれが本音だからそこはしっかり把握しておいてもらいたい。
「帰る。先生もあんまり遅くまで頑張りすぎないようにね」
先輩がああしてくれて助かったかな。
そうでもしなければ意固地になって卒業まで会話できず終わっていた。
自分で言っておきながら寂しさを感じるバカだけどさ。
「待ってくれ」
「こ、これは……だめでしょ」
「あ……いや……悪い」
しかも後ろからとか犯罪臭いし。
なんだよもう……そうやって女の子を誑かしてきたんじゃないだろうな?
ああ……あたしもなんでこんなに変わってしまったんだろう。
まだひとりでイキっていた頃の方が恥ずかしくない気がする。
「……話さないのは無理だ」
「うん……」
「俺はお前といるのが好きだからな」
「問題児なのに?」
「いまは違うだろ。それに、意味のない暴力を振るったりはしないだろ」
あれは明らかに自分のための行為だったけど。
雫がどうなろうとどうでも良かった。
ただ、クラスでわーわー騒がれるとうるさいし面倒くさかっただけ。
本人だって余計なことしないでくれなんて言ってくれたし、あたしもついグズとか言っちゃったし。
なのに近づいて来るものだから調子が狂ってしまう。
おまけに他の子と仲良くしていたら嫉妬してくる――って、それはわからないけど。
「しかも、お前の言っていたことは正しいからな」
「違うよ、自分はなにもしないくせに他人には求める悪い人間だよ」
それで今度は求められて、応えられなくて、見捨てられた。
母は出ていき、父がいまはかわりに頑張ってくれているけれど、求められる日がくるかもしれない。
もしそうなって応えられなかったら、あたしはまた捨てられるのだろうか。
「しょうがないだろ? 子どもなんだから」
「子ども扱いは……」
「あ、いや……まあ、俺だって他人に求めてしまったりするからな。そう言っている間にも自分が動けば良かったのにって後悔することもあるぞ」
それにしても……いきなり抱きしめるなんて他の子だったら終わっていたと思う。
あたしだったら怒らないとか考えているのなら自惚れだが……。
「えっと……気をつけて帰れよ」
「って、正隆くんが止めたんでしょ」
「あ……ああ、そうだな」
困ったような顔でこちらを見ている彼を抱きしめてから教室をあとにする。
なにやっているんですかね……これが先程の彼の気持ちだったのだろうか。
相手を見ているとそうしたくなるみたいな……さっさと帰ろう。
「律歌ー」
「んー……」
僕は幸せそうに寝ている彼女を起こした。
ちょっとだけ嫌そうな顔で「なに?」と聞いてくる彼女に、彼女だけに見えるようにスマホを見せる。
「こ、これっ!」
そう、昨日の写真だ。
阿部先生が慌てていたから気になって追ってみたらこうなった。
「……もしかして、脅すつもり?」
「いやいや、そんなことないよ。ただ、最近は一緒にいなかったから気になっててさ」
あまりにもあからさますぎる、やり方が下手と言う他ない。
それに、律歌が先生のことを好きでいてくれるならこれほど好都合なことはない。
雫ちゃんを取られたくなかった、雫ちゃんは助けてくれた律歌を気に入っているから困っていたのだ。
「あ」
「な、なに?」
「阿部先生と仲良くしてくれなかったら……ふふふ、どうなると思う?」
調子に乗りすぎてしまった。
僕ができなかったことを簡単にしてしまった彼女はすごい。
いや、暴力はやっぱりだめだけど、それで雫ちゃんは救われたんだから責めるべきではない。
「嘘だよ、ごめんごめん。脅したりなんかしないよ」
「……怖かったじゃんか」
あれ……律歌ってこんな顔もするんだ。
なんか普段の自信満々な状態と違って……ギャップがあるというか。
「……あたしは悪く言われても全然構わないけど、先生が悪く言われたら嫌だから。それはあたしが勝手にやっただけ、先生は一切悪くないからね?」
ってまあ、僕は先生が律歌を抱きしめたところも見たんだけど。
彼女が急に帰ろうとしたからあれに救われた形になる。
「大丈夫だって」
「……ほんと?」
「そ、そんな顔しなくても大丈夫だよー」
「良かった……」
なんだろう、この子急に女の子らしくなっちゃって。
よっぽど助けられた雫ちゃんの方が強そうに見える。
あ、恋をしているからか、先生が側にいるからって考えると可愛い。
「卯木ちゃん、律歌さんをいじめちゃだめ」
「いじめてなんかないよー」
「でも、律歌さん涙目だよ?」
「それは……ごめん」
「いや……」
こんなところで見せたのが失敗だったか。
変なことすると逆効果になる、律歌とも友達ではいられなくなってしまう。
それだけは嫌なので、例え雫ちゃんが好きであったとしてももう少し考えて行動しようと決めた。
「ごめんね、本当に」
「気にしなくていい……あたしが悪いんだし」
あちゃぁ……もうネガティブモードというか弱々になってしまっている。
そのせいで雫ちゃんに怒られちゃったし、完全に失敗だった。
「ところで、律歌さんは阿部先生が好きなの?」
「あっ」
なぜいまそれを! そんなこと聞かれても答えられないだろう。
だって先生に恋をするということは、珍しいことではないけど大変なことだから。
それを理解していたからこそ、律歌は先生と距離を置いていたのだと思う。
だけどなぜかまた一緒にいるようになって、まさかの先生の方から抱きしめたりなんかしたからこちらは驚いているのだ。
「……仮にあたしが好きでも阿部先生は好きじゃないし」
「そうなんだ……仮に好きでも大変だしね」
「うん……」
あれで好きじゃないって考えられるのがすごいな。
明らかに両想いなのに、ただまあ伝えたりはしないだろうけど。
「雫ちゃん、そろそろ帰ろ」
「うん、じゃあ律歌さんも」
「あたしは……まだ残ってるよ、今日はお父さんも帰ってくるの遅いし」
「そう? じゃあ気をつけてね」
「雫たちもね」
学校から出てゆっくりと歩いていく。
彼女はそんなにお喋りさんというわけでもないから静かだったけど、それが逆に心地が良かった。
「えい」
「わっ、あはは、甘えん坊さんだね」
「僕、雫ちゃんの手が好きだから」
「ありがとっ」
ずっと一緒に過ごしてきた、律歌なんかよりもずっと長く。なのに取られたら嫌なんだ。
「雫ちゃん、律歌とばっかり仲良くしないで」
「それはこっちのセリフなんだけど」
「お願いっ」
「うーん、卯木ちゃんがそう言うならもうちょっと頻度を考えてみるよ」
よし。
こうなれば後は、律歌には先生と上手くいってほしい。
友達として応援している、なにも雫ちゃんを取られたくないだけじゃなかった。