04
「ね、ねえ、佐々木」
「あれ、まさか君が来るとは思わなかったけど」
あたしがぶっ飛ばした子だった。
雨が降るのではないかと恐れて外を見てみるも、幸い綺麗な青色が広がっていて一安心。
だってあたしが基本的な家事をしているんだから洗濯物が濡れたりしたら嫌だしね。
「……この前まで、ごめん」
「いや、暴力に頼ったあたしも悪いから」
「その……橋本と仲直りしたいんだ」
元いじめっ子が元いじめられっ子と仲良くぅ?
そんな漫画みたいなこと起こり得るのだろうか。
普段どういうつもりでやっていたのかは知らないが、いじめられた側はずっと記憶しているものだろう。
なのにその相手が明らかに作った笑みを浮かべて近づいて来たらどうなるのか、それはもうあれだね。
「やめておいた方がいいと思うよ。お互い、不干渉を貫くのが楽しくやっていく方法だと思う」
「そこをなんとかっ……佐々木は橋本と仲がいいでしょ?」
うーむ、無理だと思うけど何度も耳元で大声を出されるのは嫌だなあ。
しょうがないから卯木と盛り上がっている雫をちょいちょいと手招きして呼んだ。
「珍しいね、佐々木さんが宮崎さんといるなんて」
「うん。で、この子が雫と仲直りしたいって言うんだけど、無理でしょ?」
「いいよ? 仲良くできた方がいいもんね」
この子おかしいわ、前まで自分をいじめていた子なんだよ相手は。
あ、もしかして仲良くしたかったからこそ言い返したりやり返したりしなかったってこと?
もしそうならどれだけ強いのと言う話、あたしが殴ったのバカみたいじゃん。
「卯木ちゃんも仲良くしよっ」
「え……でも、もうしない?」
「し、しない! ……から、これから関わる中で判断してほしい」
「なら……いいかな、雫ちゃんが許しているならとやかく言う権利はないしね」
なんだか上手くいきそうなためあたしはトイレに。
あっという間に済ませて戻ろうとしたら空き教室手前で阿部先生と遭遇した。
「律歌」
「あ、これから他のクラスの授業?」
「ああ、そうだ」
「大変だねえ、いちいち移動しなければならないから」
しかも学年ごとに内容が違うんだからそれを平気でやって先生たちを尊敬している。
あたしだったら面倒くせえ! で放置してお終いだろうな。
「そうだ、この前貰った紙のことだけど」
「うん」
こういう返事とかいらなかったんだけど、だからこそああいう形で伝えたわけだし。
それにあたし、先生として好きだということはもう言ってあるから意味もない。
まあ、これは意味合いが違うけど、結局結果は同じなのだから気にする必要はないだろう。
「いや、ちょっと待ってくれ」
先生は何事かを綺麗な真っ白い紙に書いて渡してきた。
こちらの真似なのか、「後で呼んでくれ」という言葉も添えて。
それっきり行ってしまったため、ポケットにしまって隠すことにする。
「おかえりー」
「ただいま」
おかえりなんて久しぶりに言われた。
だからちょっと嬉しい気持ちのまま、あたしはその後を過ごせたのだった。
「阿部……先生?」
「こっちだ」
現在時刻、22時30分。
こんな時間にあたしたちはあの公園で集まっていた。
時間と場所を指定してきたのは先生、父が寝てから出るために遅れて来たのがあたしだ。
「バレたら確実にクビだな」
「じゃあなんでこんなリスキーなことを?」
「いや……さすがに学校で返事はできないだろ」
おいおい、じゃあ振られるために来たっていうのかよあたしは。
「律歌、俺は――」
「いい! 返事なんていらない」
「そうか、なら黙っておこう」
距離を適正に保つとはなんだったのか。
名前呼びだって辞めるかと思いきやそのままだし、どうなっているんだろう。
「阿部正隆だ、よろしく」
「え? あ、佐々木律歌だよ、よろしく」
なんでここで自己紹介?
というか、初めて聞いたな名前。
「で、律歌、今日仲直りできたんだろ?」
「あ、誰に聞いたの?」
「梶原だ、あとは橋本からも言われた」
あのふたりの許容力はすごい。
大切な子がいじめられていたのにその相手を許す寛容さ。
それを言ったら雫なんかが特にそうだけど、あたしにはできないことをした。
「最近、お前真面目にやっているよな。他の先生も寝ずに集中してくれて嬉しいって言っていたぞ」
「前にも言ったけど大切さに気づいたからだよ。まあ、この前はまた問題みたいなの起こしちゃったけど」
「土下座は別に褒められることではないけど、暴力に発展しなかっただけ成長だろ」
「ちょ、あたしが暴力女みたいに……」
「実際そうだろ?」
そうだよなあ、そういうイメージが付きまとっているよなあ。
そしてそれはイメージではなく実際行われたことなんだから周りは怖いかもしれない。
「俺は約束を守るぞ」
「なに急に……って、え?」
「100万だ」
「い、いやいやいや……そりゃないわ……」
引くわ……先生には悪いけど。
なーんにもメリットなんてないのにぽいと渡せてしまうのが怖い。
まだ体なりを求めてくれた方が良かった。
「返します」
「でもお前……」
「大丈夫っ、お父さんと協力して上手くやっているから!」
何度も言うが、最近のあたしは真面目少女。
こんなお金受け取れない、もっと綺麗な関係でいたいんだ。
「心配してくれてありがと! でも、危うくなるようなことしないで。教師としての阿部正隆くんが好きなんだから。クビになっちゃったら嫌だよ、学校へ行く意味がなくなっちゃう」
だからあたしは。
「だから、もうふたりきりで会ったり話したりするのはやめよ」
「え、そりゃ会うのは不味いけど……話すのぐらい――」
「だめだよ、あたし、勘違いしちゃうから。つまり今日で終わり!」
公園の出口へと歩きながら振り返って言う。
「ありがと、心配してくれて! 大好きだったよ!」
自分のせいで自分の大切な人がいなくなったら嫌だ。
だったらこんな想い捨ててしまえばいい、会わなければ普通にできる。
担任の先生だから結構厳しい時もあるけど、ふたりきりでなければ勘違いもしない。
「律歌!」
「だめだよー、もう終わったんだから」
さっさと帰ろう。
いればいるほどこちらが傷つくだけなんだから。
「ふふふ、はーっはっは!」
「ど、どうしたの!?」
あたしはスマホを見るのをやめ立ち上がった。
今日はロース肉がセールの日、それに自分の誕生日なんだから今日ぐらいはいいだろう。
「我が家の晩ごはんはとんかつなのだ!」
「え、いいなっ! 私の家はうどんだよ、美味しいし嬉しいんだけどね」
そうと決まれば談笑している場合ではない。
早々に学校から出て、スーパーへと向かった。
「やったっ、最後のひとつ!」
薄くてもなんでもいい、焼くのと茹でる以外の調理方法を選択できるだけで幸せだ。
キャベツやキュウリも結構安い値段でゲットできたし、栄養だって摂れちゃう。
「あ、ケーキ……」
昔は1ホール丸々食べさせてもらったことがあったなと思い出す。
うーん、でもこれ以上は駄目だ、それにこれは自分のためじゃなくて父のためでもあった。
大変さに勝つ! ということで、3枚ある内の2枚は食べてもらう計算だ。
「そこの女子高校生、こっちに来てもらおうか」
「え゛」
ああ、お肉が取り上げられてしまった。
しかもなぜか腕を掴まれたまま家の方へと連れて行かれる。
「なるほど、今日は珍しく豪華だな」
「あ、お、お父さんの誕生日だから」
「へえ、それでかつか。いいな……ってなるか馬鹿」
いや、あんな拉致り方したら下手をすれば刑務所行きだぞ。
教師を辞めるとかそういう領域の話ではなくなってしまう。
「お前の誕生日、今日だろ。去年は何度もねだってきたからな」
「それは語弊があるような……正しくは誕生日を耳にタコができるぐらい告げていただけで……」
「同じだろ。ほら、誕生日おめでとう」
「というかさっ、あたしこの前っ――」
「心配するな、もう帰るから。ほら、いい感じに揚げてやれよ、じゃあな」
なんだあいつぅっ、こっちの気持ちなんかなんも知らないでっ。
「それになにこれっ」
封を開けてみて驚いた。
中に入っていたのはお金とかじゃなく指輪だったからだ。
ファッション重視の物なんかじゃない、キラキラしていてとても高そう。
え、いや、なんで……と、あたしは後ずさったが、すぐに足を止めることになった。
見られたら先生が社会的に死ぬ。
だから急いで帰って絶対に自分しか見ない場所に隠した。
「はぁ、はぁ……なに考えてんのあの人」
あ、もしかしたら本当に好きな人がいてその人のために準備していたとか?
それを勘違いしてあたしに渡してしまって、いまごろ困っているんじゃ……。
兎にも角にも封筒を捨てようと中身を確認したら紙片が。
「え……これって」
試しにアプリを起動して打ち込んでみたらあっさりひとりのユーザーが出てくる。
阿部正隆、フルネームで登録しているのか。
「いや、これだってアウトなんじゃないの?」
もし登録していることがバレたら? ふたりきりで会っていることがバレたら?
そういうリスクを避けるためにあたしはああ言ったのに、全く届いていない。
当然、嬉しくなんかなかった。
それどころかお肉すら揚げずに散々悩む羽目になってしまい。
「ただいまっ、律歌、誕生日おめでとうっ」
「あ、え? ま、まさか……ケーキ買ってきちゃったの?」
「え、当たり前だよ、律歌の誕生日なんだから」
「ご、ごめんっ、まだなにも準備できてないんだ」
「それなら僕がするよ。今日は……あ、生姜焼きかな?」
「ううん……とんかつ」
「とんかつ……だと? それなら僕に任せてよ、お肉を揚げるのだけは上手いんだぜ」
ど、どうしたのお父さんも……今日のテンションはだいぶおかしい。
でもまあ、祝ってくれる人がいるというのは素直に嬉しかった。
1時間ぐらいして父が揚げてくれたお肉を食べて、ケーキも食べて、せめてと洗い物をして。
お風呂に入って外に出てから先生に電話をかける。
「どうした?」
「ま、間違ってたよ、中身」
「え? 指輪だっただろ?」
「え、あれ真剣にあたしにくれるためにいれたの?」
「そうだけど」
あれ、だけど一応もう結婚できるのか。
だけど、先生があたしに手を出したら同意の上でも終わりだし。
「ど、どういうつもり?」
「別に特に深い意味はない。女子は指輪とか好きだろ?」
「な、何円したの?」
「100万」
「ばっ」
っかじゃないの!?
どうせ生のままだと受け取ってくれないからだろうけども。
「そんなの返せないから!」
「別にいい、求めてない」
「というかあたしは阿部せ――正隆くんにちゃんと言ったと思うけど!」
もうふたりきりで会うのはやめようって、喋るのだって同じように言った。
あ、というかスマホが無駄遣いじゃないか! と、あたしは気づけた。
確か来月で2年になるから……よしっ、そのタイミングで解約しよう!
「とにかく、明日必ず返すから!」
「それはもうお前の物だ。それに100万は嘘だよ、2万だ2万」
「なんだ……って、なるかあ! 2万でも高いわあ!」
やばいやばい、なるべく小声で叫んでいるけどこれ以上は近所迷惑だ。
にしても……2万円とかぽいって使っちまいやがって……大切にしろよもう。
「100万円は……いや、もう切るぞ」
「あ、ちょっ」
切られてしまったから部屋に戻る。
父ももう入浴は済ませたのか、ぐーすかと寝ていた。
なので毛布をちゃんとかけてあげて、あたしも寝ることに。
――って、寝られるかああああ!
「うー……」
「お、おはよ」
「うー」
徹夜明けに登校とか最高にだるいんだが?
けれどあたしには目的があるんだ、職員室に行って阿部先生を呼ぶ。
「おはよう」
「おはよう! はいこれ! この前忘れていましたよ!」
中身はあの指輪。
持っていられるか、そのせいで寝られなかったぐらいなんだから。
「ありがとな――この馬鹿」
「は、はあ!?」
「いや、探していたんだこのボールペン、助かったぞ。アホ律歌」
くっ、小さい声で好き放題言いよってからに。
だが残念だったな、これであたしの目的は達成だ。
おまけに来月にはスマホは解約するし、どうしようもない。
「ん? なんだそんなアホ面で」
「ふんっ、2度と忘れないでくださいね!」
やれやれ、手間のかかる人だ。
本当に困ってしまう、下手をすればクビなのに。
「おはよ!」
「いっだぁ!? な、なんで叩いたのっ!?」
「え、雫ちゃんから『佐々木さんが眠そうなの』って聞いたから」
「ありがとねえ! 卯木のおかげで眠気が覚めましたよ!」
こういうやり取りをした数分後。
「すやー、すやー」
と、あたしは眠り姫となっていた。
なんでわかるかって? 横に人が来たせいで起きてしまったから。
「おい、俺の授業で寝るとはどういうつもりだ?」
「ふぇぇ……阿部先生がいじめるぅ……」
「……とりあえず起きろ、休み時間に寝ればいいだろ。よし、授業再開するぞー」
あーあ、起こしたところで日差しの関係で眠たくなるのに。
ふふん、ざまーみろ、先生の時しか寝ないから安心してほしかった。