パンドラの箱
フィリスさんは蓋の上でガサゴソとしばらく何かしていたが、やがてふぅ、と一息ついて立ち上がった。
「よし、これで開いたぞ」
ガコッと床下から音がしてつっかえが取れたような気配がする。どうやら開いたらしい。しかし原理はさっぱりわからない。何しろフィリスさんが持ってきた鍵と思しき物は箱状だった。
「その箱で開けてるんですか?」
「これは鍵じゃよ。魔道具じゃがな」
「あぁなるほど。だから鍵穴が無かったわけですか」
なるほど鍵も魔道具なのか。ちょっと触ってみたい気もあったけど、今は地下室の中身の方が先だな。
上から見ると地下室の中は暗く、どれくらいの深さがあるのか分からなかった。壁面に梯子がついているのみで、この暗い中を降りていくのはちょっと勇気がいる。
俺が難しい顔をしているとレイラが気を利かせて灯りの魔法を使った。ボンヤリと地下の床らしきものが照らされる。それでもまだ地下の全体像は完全には見えてこない。どうも広さも深さも結構あるらしい。
「ふむ。それは助かるのう」
フィリスさんはレイラの灯りの魔法を見ながら呟くと、先に地下へ降りていった。暫くして、降りてきて良いぞという声が下から掛かる。
「じゃあ次は私が行くわ。グレゴリーは最後ね。なんかあなた、落っこちそうだし」
「落っこちないよ! そこまで鈍臭くないよ多分……」
うむ。形だけ反論してみたが説得力はあんまり無い。素直に最後に降りるとしよう。いやしかし、レイラにカッコいいとこを見せる機会が最近は全く無いな。元からあんまり無いか……。
そんな俺の複雑な思いを他所に、身軽なレイラはスルッと梯子を降りていく。レイラは凄いなぁ。
「いいわよ!」
レイラが下から合図を送ってきたので、魔法の灯りを頼りに恐る恐る梯子を降りていく。しかしえらく埃っぽい場所だな。これは相当長い時間開けていないとみえる。
「うひゃー、凄い埃! ここを最後に開けたのっていつぐらいですか!」
「うーむ、5年くらい前かの!」
思っていたほど昔ではない。しかしこうまで埃っぽいとマスク的なものが欲しくなるな。そう思いながらなんとか下まで降りる。そして振り返ってその地下空間の広さに圧倒された。
「うわ! こんなに広かったんだ!」
その声の反響でも広さが伺える。入る前はせいぜい四畳半くらいだろうと思っていたら、実際は学校の教室くらいあるようだった。
「言っただろう。ここで研究をしていたと」
「こんなに広くてよく上に建物が建つわね……」
「柱でしっかり支えとるから平気なんじゃよ。さて、えーとまだ使えるかのう……」
壁によったフィリスさんが壁面のプレートに触った。ブオーンという音がして、部屋の真ん中の天井付近にあった灯りがついた。橙色の光が部屋の中を照らす。
「はー、灯りまであるんですか」
「これはそんな珍しくはないだろう。その辺に立っとる街灯と同じものだよ。分類的には魔道具だな」
へー。あの街灯って魔道具の一種だったんだ。どうやって点いてるのかと思ってたけど魔法だったのか。やっぱり魔法は便利だな。そんな魔法がもしかしたらもうすぐ俺にも使えるかもしれないのだ。否が応でも気がはやる。
「資料はどこです? 研究資料は」
「これが一番新しいやつじゃよ」
本棚にあるたくさんのファイルの中から一冊取り出して手渡された。早速ペラペラ捲ってみる。さっぱり分からん。もっと分かるやつに見てもらわないとダメだなこれは。
「他は無いんですか? 魔力タンク本体とか」
「昔はあったが今は無い。セリア教の馬鹿どもが持っていっちまったからな」
それは残念。しかし資料があれば作り直すことは出来るはずだ。さて、どう交渉しようかな。資料下さいって言ったってくれないだろうしなぁ。
「フィリスさん。魔力タンクを作り直す気は無いですか?」
「ワシには出来ぬよ……才がない」
フィリスさんの覇気が急になくなってしまう。しかし出来ないという事はないはずだ。何しろこれだけの数の研究資料を記憶だけで書き直したのだから、間違いなく何か光る物を持っていると思う。
「ではこの研究はどうするのです? このままこの暗い地下に埋もれさせておくんですか? それはあまりに勿体ない」
「ワシには才がないから出来ぬし、表には出せんものなのだぞ! どうしろと言うのだ!」
フィリスさんが怒ったように怒鳴るが、俺は臆する事なく毅然と言い放った。
「あなたが出来ないと言うのなら俺がやりましょう。あなたに代わってこの研究をもっと進めてみせる。そうすればブラウン教授も浮かばれることでしょう」
「貴様に何が出来るというのだ……!」
「少なくともここに埋もれさせておくよりはマシなことを」
何しろ魔法を使う事は魔族全体の悲願と言ってもいいくらいなのだ。それを考えれば魔界の研究者を総動員することも恐らく可能だ。予算だっていっぱいつけられる。もし魔力タンクが実用可能なレベルまで押し上げられれば魔王軍の戦力強化にも繋がる。やらない理由は無い。
「セリア教の手の届かない安全な場所で研究を進めます。やる気がないのなら資料を渡して頂けますか?」
「そんな場所があるものか! セリア教の入っていない国なぞどこにも無いのだぞ」
まぁここらの周辺国家は全部セリア神聖国の宗教に侵されてるからな。そう思うのも無理はない。だけどあるんだなぁこれが。まぁ魔界って言うんだけどね。
「ありますよ。場所は教えられませんがね」
俺がそう言うと、思い詰めた様子のフィリスさんが絞り出すように言った。
「……なぁ、もし本当にそんな場所があるのならワシを連れていってはくれぬか……? 頼む、後生じゃ」
急に会話のトーンが変わって俺は困惑した。
「本気ですか?」
「ワシも、本当は研究をしたいんじゃ……こそこそせず、自由に研究できる場所で……頼む」
泣き崩れるようにそう話すフィリスさんの背はとても小さく見えた。きっと今までしたい研究がずっと出来ずに悔しい思いをしてきたのだろう。
しかし参ったな、どうすりゃいいんだ? 心情から言えば願いを叶えてあげたい。でもそれには魔族の事を話した上で魔界にフィリスさんを連れていかなきゃならない。ちょっとリスクが高すぎるぞそれは。
俺がどうしようか悩んでいると、それまで黙っていたレイラが俺を見ながらポツリと呟いた。
「ねぇグレゴリー。今の時代、あなたが思っているほどあなた達は嫌われていないわ。私は大丈夫だと思う」
その言葉の意味をフィリスさんはよく分かっていない様子だったが、俺にはすぐ分かった。フィリスさんに魔族の事を話しても大丈夫だとレイラは言外に告げていた。レイラは優しいな。
「分かった。でもその前にちょっと確認させてくれ」
俺は泣き崩れたフィリスさんに近づくといくつか質問した。
「フィリスさん。二度とここに戻ってこれないとしても構いませんか?」
「……もとより未練など無い」
「慣れない土地、慣れない食事、そんな生活でも文句は言いませんね?」
「言わぬ。ここよりはマシだ」
「たとえ嫌になっても逃げ帰ってくるとかは出来ません。それでも本当にいいんですか?」
「構わぬ。もうこんな場所は飽き飽きだ」
全く迷いが無い。少しは悩んだほいがいいと思うんだけどな。だいたい俺の何を見てそんな簡単に信じたんだ。俺が嘘を言ってるかもしれないじゃないか。
だけど思い詰めてると、嘘かもとか詐欺かもとかそういうことが考えられなくなって、藁にもすがっちゃうものだ。そうなったら外野がアレコレ言っても聞かないだろう。
「分かりました。そこまで言うのなら話しましょう」
敵の敵は味方って言うしな。俺はフィリスさんに全て話す事を決めた。




