積もる話
俺は今までの話とこれからの話をしようと思って、魔王城にある俺の部屋にレイラを連れてきていた。
「一体いつ正気に戻ったんだよ」
長らく見ていなかった自分の部屋のソファに座って、ポンポンと隣を勧める。レイラはポフっと音を立てて隣に座るとサラッと答えた。
「さっきよ」
「え? 本当に?」
「あの魔王様があなたを処刑するって言った時かしらね?」
それはちょっと驚きだ。じゃあ魔王様は初めからレイラが正気に戻ってるとは知らなかったのか? もし戻らなかったらどうするつもりだったんだろう。というか何で分かったんだ?
「まず正気に戻ったって言ってるけど何をもって私がおかしいって言ってるの?」
「そりゃお前サリアスさんを……」
あのサリアスさんを斬りつけた時みたいに自分の欲望にだけ従っている状態が狂った状態だろと説明すると、レイラはちょっと困ったように言い出した。
「つまり、欲望に忠実な状態って事?」
「そうなるね」
「実は今もちょっとそういうところあるって言ったらどうする? 流石にあの時よりは収まってるけど」
俺はちょっと眉を顰めた。実はまだ危険な状態だったりするんだろうか。
「それって本当に大丈夫なの?」
「たぶんね。貴方が私の事好きって分かったら落ち着いたから」
全く不思議な話だ。勇者化の影響が正確に分からない以上、しばらくは様子を見た方がいいのかもしれない。とはいえトールの例もあるしそんなに心配はしてないけど。
「怖い? 私の事」
少し不安そうに訊ねてくるレイラ。その表情からは、俺に嫌われたく無いという思いがよく現れていた。俺はそんなレイラの不安を取り除くように伝える。
「怖いわけないじゃん。もしそうだったらこんなとこに連れて来て二人っきりにならないよ」
よく考えたら部屋に二人だけなの結構やばいな。主に俺の理性の問題で。だってレイラ、こんなに可愛いんだもん。しかもその可愛いレイラと俺は両思いと来た。手を出さない方がおかしいよね?
でもアレか。ガッついちゃうと嫌われるって言うしな。そういうイヤらしい事はしっかりお付き合いした上で時間をかけてやりなさいって誰かが言ってた気がする。
あー、でも今なら押し倒してもレイラは抵抗しないような気がするんだよなー。でも本気で拒否されたら力で負けてるから普通にぶっ飛ばされそうだな。こんな時に何考えてんのよっ! ってな具合で。うん、それは心折れそうだからやめとこう。
あ、いや、でもちょっとギュッてするくらいなら許されるんじゃないかな? それくらいはお互いの事を好きな男女ならアリなんじゃないかな? さっき魔王様の前で勢いでキスしちゃったくらいだし!
「ちょっと……なんか目が怖いわよ。どうしたの?」
いかん。めちゃくちゃアホな事考えてたらレイラに怪しまれた。
「……今ね。もの凄く考えた結果、レイラを抱きしめる事にしました」
「はぁっ!? 何よ急に!? というかわざわざ言う必要ある!?」
「いやほら、いきなり抱きつくとびっくりするかなって」
俺は言いながらレイラににじり寄った。レイラは困惑した様子を見せながら、おずおずと腕を広げる。
「……これでいいかしら?」
「オッケー。では失礼して」
レイラをそっと抱き寄せる。女の子をちゃんと抱きしめるのはこれが人生で初めてだ。
温かい。人間っていうのはこんなに温かいのか。しかもなんか柔らかいし良い匂いもする。こうしてると心が洗われていくような気持ちになるな。正直ずっとこうしていたいくらい。
「温かいわね。あなた」
「レイラこそ」
俺とレイラはしばらく抱き合っていた。ただ、ずっとこうしてるわけにもいかないので、どちらからともなくスッと離れる。
もうそろそろ止めとかないと、俺の我慢が限界に来てそのままベッドに押し倒しそうだからね。という訳で今から真面目な話に戻ろうと思います。
「えー、ゴホン。俺のわがままを聞いてくれてありがとう。あとちょっとだけ確認しときたい事があるんだけど……クレイの事で」
「クレイの事?」
良い雰囲気だったのが180度変わって少しばかり残念そうなレイラに、クレイから聞いた話を伝える。
「実はこの前あいつの方からこっちに接触してきたんだ。それでその時あいつは“レイラが隠し事をしてる”って言ってた」
「あのクレイと会ったんだ。だから貴方は私に“何か隠し事してないか”なんて言ってきたのね?」
「そうだよ。あいつが言わなきゃ全く気づかなかったよ。ただ直接会ってはいないんだよね。声だけで」
俺はあの工場近くの廃屋でのクレイとのやり取りをレイラに説明した。
「勿論ただそれだけをクレイが言ってきたのなら下らない戯言だと思って流したと思う。あんな奴を信じる理由は無いからな」
「でも……そういうわけにはいかない理由があったのね? クレイの言葉を信じざるを得ない何かが」
レイラは頭の回転が早いから助かるな。
「そうなんだよ。なぁ、レイラ。俺とお前が初めて出会った洞窟の事覚えてるか? あの果ての集落の村人と一緒に捕まってた」
「……忘れるわけないわ」
レイラが少し昔を懐かしむように遠くを見る。別にそんなに昔のことではない。せいぜい一年くらい前の事だけど、確かに人間界に行ってからは色々あったから懐かしく思える。
「あの洞窟にレイラを呼び寄せたのはクレイが手を回したからだと自分で言ってたんだ」
実際にクレイが用意した賊に捕まって、洞窟に閉じ込められていたから信憑性があったのだと伝える。
あの当時、俺とまだ出会う前からクレイはレイラに目をつけていたという事実に、ビクッとレイラは肩を震わせた。そしてあの当時を思い出すように考え込み始めた。
「確かあの時は……あまり良い依頼が無くて、それで受付のシナリーさんに勧められたのよ。あの洞窟の近辺での討伐依頼だったわ。それも長い期間かけて、数を揃えて最後にまとめて報告するタイプの」
しばらく報告が要らない依頼だから連絡が無くても分からない。クレイはどうやってかは分からないが、それ以外の依頼を消し去って、レイラがそれを受けるように仕向けた。
「じゃあやっぱりあいつが手を回したのは間違いなさそうだな。そうなると次は何でなのかって事だ」
「それが私の隠し事……勇者だって事に繋がるのね?」
「ああ。多分あいつはレイラが勇者だということを最初から知ってた。そしてその事実を知った上で捕まえて監禁したんだと思う」
「いずれ勇者になる私を……どうしたかったのかしら?」
「そこが分からないんだよ。ただ、碌でも無い事だってのは想像がつく。無理やり言うことを聞かせるとか?」
それでどうするのかは分からないけど、もしそんな事になってたらと想像すらしたくない。そしてそれはレイラも同じようで、ブルっと身震いさせた。
「たまに想像するの。もし貴方があの時来てくれなかったらどうなっただろうって事を。きっと碌でもない事になってたと思うわ」
「奴の事だからそうだろうな……実はな、今度そのクレイと会う事になってる」
俺はクレイに協力をするフリをして、奴の正体と目的を暴こうとしていることを伝えた。そしてクレイに頼まれた物の期日が迫っている事も。
「私の知らない間に凄い事になってるのね?」
その少し非難するようなレイラの目はもっと早く教えて欲しかったと訴えているようだった。俺は言い訳するように答える。
「本当は近いうちに……というかあの誕生日に言うつもりだったんだよ。こんな事にならなくてもな。それまでずっと言えなかったんだよ……嫌われると思ったから」
俺の言葉にレイラは少しだけ考える素振りを見せて目を閉じると溜息をついた。
「そう言われたら……私も同じだから責められないわね。これが惚れた弱みってやつなのかしら?」
レイラは自分が勇者であることも同じように伏せていたのだからお互い様かと納得してくれた。
「その、今まで黙っててごめん。もっと早く言ってればこんな事にはならなかったと思う」
「そうね、もし貴方達が魔族だって教えてくれてたら、きっと私も勇者である事を相談したと思うわ。でも、それは逆も同じよね……」
「そう……だな。もしもレイラが勇者だって話してくれたら、俺も全部打ち明けて何とか味方になってもらおうとしたと思う」
「でも、今だから言えるけど私はこれで良かったと思ってるわ」
「そうだな。魔王様には感謝しないといけないな」
お互いの手を絡ませて見つめ合う。好きな相手と触れ合うと、こんなにも安心するのかと感動すら覚える。
しかし、これでようやく胸のつっかえが取れた。
「はぁ、でもこれでやっと不安から解放された気がするよ。レイラに嫌われたらどうしようって事ばっかり考えてたからさ。最近は」
俺がすっきりした顔でそう言ったが、レイラは逆に少しだけ躊躇うような表情を見せた。
「ねぇ……私はまだ不安に思ってることがひとつあるんだけど。貴方のことで」
「まぁ……そうだろうね」
来た。俺が魔族だと分かった時にはいずれ必ず言われるだろうと思っていた言葉だ。
「見たい? 俺の本当の姿を」
俺は、今も人間の姿になったままレイラと話をしていた。好きな相手なら尚更全てを見たいと思うだろう。
「見せてほしいわ。絶対に、嫌いにならないって約束するから」
少しばかり動悸が早くなる。元人間の俺からしても魔族の姿はそんなに醜悪な見た目じゃないから大丈夫だと思うけど、レイラが同じように大丈夫とは限らない。
「分かった。用意するからちょっと向こう見てて」
レイラがクルッと壁側に向き直ったのを確認して、俺はクローゼットにあった魔界で着ている魔族用の服を取り出した。
そして人間用の服を脱いで変身の秘術を解く。少し浅黒い肌に小さな角、それに少し長めの尻尾。悪魔族の特徴だ。着替えてレイラに声を掛ける。
「もうこっち見ていいよ。ただ、驚かないでくれよ」
レイラがゆっくり振り返る。俺の本当の姿を見たレイラは特に表情を変えてはいない。良かった。あまり驚いてはいないようだ。
「……ちょっと肌の色が違うくらいで今までとあんまり変わらないのね」
「悪魔族だからね。他の種族にはもうちょっと違うのもいるよ。忌避感とかある?」
「別に。そこまで見た目は変わらないから無いわ。むしろこのままの方が日焼けしてるみたいでいいくらいよ。貴方、あんまり外に出ないから白いんだもの」
そりゃ手厳しい。でも良かった。これで受け入れられなかったら多分相当凹んでたと思う。
「触ってみてもいい? 角とか尻尾とか……」
「どうぞ?」
レイラは近づいて俺の頭の角やら尻尾やらをすさすさと撫でてくる。俺は生まれた時からずっと付いてるんで珍しさなんて初めのうちだけだったけど、レイラからすれば初めてのことだ。角や尻尾の肌触りに興味津々だった。
「あの……そんな撫でても面白いもんじゃないと思うんだけど」
「そうなんだけど……なんか不思議だなあって。いつもは無いのに」
「そりゃ、変身の秘術ってのはそういうもんだからな」
俺の尻尾を撫でながらレイラはぽつりと呟く。
「でも、たったこれだけなのにね……」
その声はとても寂しげに部屋の天井に吸い込まれる。どうしてこの程度のことで。レイラの言葉にはそんな思いが込められていた。俺は何も言わずに黙ったままレイラの手を握った。