7. 一人の眷属と賞金首調査
地下酒場があるイザリアから西の方へと歩くこと数時間、大小の岩が転がる荒れ果てた大地へと辿り着く。
目指すはこの荒野を抜けた先にある峠のその向こう、町人の街、ウラミア近くの森。そこで目撃された咬跡のついた魔獣の調査と討伐が今回の目標となっている。
────賞金首調査。
それは未発見、もしくは抽象的な目撃情報を頼りにして首を探し出す、実力あるAランク以上のみが利用できる一風変わった制度だ。
素性はおろか数すらも把握できてないが故に危険度は非常に高く、発見した敵が実力以上であった場合には確実に帰らぬ人となる。
テンは咬跡のある魔獣の情報を集めては一人で調査に赴き、必ず仕留めて首を持ち帰っている強者らしい。
俺は彼女の調査に同行し、ヴァンパイアの首を狙うこととなった。
明け方から出たからか、青みを帯びていたはずの黎明の空は、いつの間にか雲一つすらない群青色に覆われていた。
さんさんと荒野を照らす太陽の光が、着実に俺の体力を蝕んでいく。たらりと頬を伝う汗すらも拭う気力がないほどに。
いや、恐らく陽の光だけじゃない。
「────っ、重っ……!」
背中に携える大量の荷物が俺の身体に重くのしかかっているからだろう。人一人は優に入るくらいの大きめの麻布の袋が二つ、それらを紐を使って身体に結びつけている。
その格好のまま一息吐こうと腰を下ろしたら最後、異常なほどの力を込めなければ身体は持ち上がってくれない。
おかげでその一回きりの休憩以外は休まずに脚を動かす羽目になっている。
「へばるな。まだ目的地は遠いぞ」
結びつけた張本人であるテンは汗一つかかず、マフラーを靡かせながら飄々と歩を進める。
「はぁ……はぁ……へばってねえよ」
苦し紛れに強がりを見せるも、身体は思うように動かずに息が荒れていく。
小さいその歩幅にすらも俺の速度は追いつかなくなり、次第に彼女との差が開いていく。
「ゼノン、また遅れてる」
「……ぐっ、分かってるって」
その結果、二分に一回はテンの催促を受けながら歩き続けることとなっていた。
照りつける陽光とのしかかる荷物、それと再三投げかけられる催促。心も身体も既に疲労困憊だった。
「……なあ。ちょっと荷物分け合わねえか? そしたら俺も歩くのが少しだけ速くなるぞ」
「無理。私はそんな重いもの持てない」
俺の要求をテンは冷たくあしらい、そのまま荒野を歩き進む。
この荷物の半分が俺のものならまだ理解はできる。小さい女の子に荷物を持たせようなどとまでは落ちぶれていない自覚がある。
しかし、あろうことかこの荷物の内訳は────
「────ほとんどお前のものじゃねえか!!」
悲痛な叫びが虚しく、干からびた大地にに響き渡る。
そんなことは露知らずと、先を行く少女は跳ねるようにして歩き続けていた。
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澄み切った群青の空はいつしか橙の色に染まっていき、西の空には夕焼けの名残が漂っている。
青みを帯びた夜の闇が東の空を侵食していき、今が黄昏時であることを暗に告げてくる。
陽の光がない中での行軍は難しい。
丁度峠に差し掛かっていた俺たちは、出来るだけ平坦な地を探して一夜を明かすこととした。
痩せこけた地面で横になるのは余り好ましくないが、夜の行軍よりかはまだマシだ。
「ここまで進めたのなら良しとするか」
夜営の準備を済ませたテンは、焚き火の目の前に腰を下ろして地図を眺めていた。
「…………そうだな」
その横で寝転がりながら、俺はボソリと呟く。
日雇い労働である程度身体は鍛え続けられていたものの、人二人ほどの重さを背負いながら半日以上を歩くとなれば流石に悲鳴を上げている。
夜食として差し出された干し肉をかじりながら、燃え盛る焚き火を眺めているしか今の俺にはできない。
「で、今日はどれくらい進んだんだ?」
「ん……あと少しかな。この峠を降りた先の森が目的地だ。ウラミアの街も近くにあるし、装備も整えようと思えば十分に出来るぞ」
テンは干し肉を貪りながら地図に印を付ける。
そこまで腹が減ってないだろうに、何故か彼女の手は三つ目へと伸びている。
「……野菜も食えばいいのに。俺は結構好きだぞ」
行軍中、俺はよく野菜を好んで食べていた。暑い中ひたすらに歩き続けるが故、少しの水分でも気晴らしになってくれるからだ。
しかし、テンは首を振りながら肉にかぶりつく。
「野菜は余り好きじゃない。肉は大好物だ」
「不思議なやつだな。好き嫌いしてると力もつかねえぞ」
「大丈夫。私は強い」
彼女の持つ干し肉は、既に半分以上まで減っている。この勢いじゃ、四つ目どころか五つ目に手をつけるのも時間の問題だ。
このままではまずい。
行軍においては補給物資が一番重要だ。万が一長期戦となり、食べるものもなくなれば撤退を余儀なくされる。その間に獰猛化した魔獣がいつウラミアの街に襲いかかるか分からない。
「おい、干し肉は貴重な食料だ。万が一のために備えておけよ」
一応のこと、テンに釘を刺しておく。
が、しかし、
「問題ない。備えはたくさんある」
「……?」
テンの強気な言葉が妙に引っ掛かった。
ふと、横に置いてある二つの荷物に目がいく。
あれ程重いのであれば、何か密度の大きくて小さなものばかりを詰め込んでいるのだろう。しかし、あれを魔獣との戦いで使う武器のようには見えない。
ならば、あれらは戦闘以外でテンにとって必要なものか。そして好き嫌いが激しく肉しか食べられない彼女にとって必要なものとは。
「……まさか!?」
疲労を忘れ、思わず立ち上がり荷物の中身を見る。
そこには────
「───これ全部干し肉か!?」
大量の干し肉が所狭しと詰め込まれていた。
もう一つの荷物も開いた途端に、ごろりとテンの大好物が溢れてくる。恐らくは二つの荷物の殆どがこれで埋め尽くされているだろう。
食料を全てテンに任せたのが運の尽きだった。これから出される食事は全て干し肉だ。俺が求める野菜なんてものは最初からなかったのだ。
刹那、忘れていた疲労がどっと身体に戻ってくる。
その疲労に押し潰されるかのように、俺はへなへなと倒れ込んだ。
「ん? なんだ、肉は嫌いか?」
「……いや、大好物だ」
やけになり、側にあった干し肉を齧る。野性味溢れる味わいが口の中に広がっていく。この先、この味しか口にできないと思うと頭がクラクラする。
「そうか。それは良かった」
肉を頬張る俺をみたからか、満足そうな表情を浮かべたテンは六つ目の干し肉へと手を伸ばそうとしたその時────
「─────────────」
何者かの気配を感じとる。
有象無象の雑魚ではない。ミノタウロス、とまでは行かないが相当な力を持つ魔獣だ。
側に立てかけた大剣を素早く手に取り、重い身体を必死に起こして戦闘の準備に入る。
横にいたテンも感じ取ったようで、干し肉を放り投げて腰に携えた短剣に手を掛けている。
「…………結構強め」
「テンも分かるか」
「うん。そろそろ出てくる」
黄昏から宵闇へと移りゆく時刻であったからか、辺りをハッキリとは見渡せないがある程度視認はできる。峠の向こう、ウラミアの森がある方向から影が近づいてくる。
四足歩行のそれは犬の形を模している。だがその大きさは並大抵の犬とは比べものにもならない。
人一人は優に丸呑みして消化できるだろうその胴体、口には鋭利な刃と言って差し支えない牙が無数に並べられている。
宵闇であればその身体は視認できなかったであろうその漆黒の身体。もう少し遅い時間帯であれば接近に気づくことすらできなかったに違いない。
かつて何度も対峙したことのある魔獣だ。ヴァンパイアが眷属として好んでおり、奴らの根城の周りには守護としてこいつが大量に放飼いされていた。
「────ヘルハウンド」
ゆっくりと夜営地へと近づいたそいつは、俺たちを見定めているかのように周囲を歩き回る。
そして俺たちを見つめるその眼は、紅く光っていた。
「あっちからわざわざ出てきてくれやがったな」
剣を持つ手に力を込める。
狙いの魔獣が出てきてくれるのなら話は早い。夜明けを待たずして首を狩れる。
夜間の戦闘は避けたいが、そこまで苦戦するほどの相手ではないことは過去の戦いで経験済みだ。
しかし、
「……いや、違う。あいつは私たちの獲物じゃない」
「な……!?」
テンの言葉に俺は耳を疑った。
「……何故分かる」
「匂いだ。こいつからは狙っているヴァンパイアの血の匂いがしない」
「はぁ!? 何言って────」
────瞬間、獣の鳴き声が闇夜に轟く。
耳を劈くその叫びは、惑う俺の頭を逆に冷静にさせてくれた。
疑問は後回しだ。獲物だろうが何だろうがこいつを仕留めなければ話は進まない。戦いには迷いは要らない。全身全霊で目の前の敵を叩くのみ。
「『一閃』!!」
術式を詠唱する。
ミノタウロスとの戦いで魔術の不安定さは取り除けた。今更出し惜しみする必要もない。
両腕に魔力を集める、が────
「────っ、はぁ、はぁ……!」
肩で呼吸をしてしまい、思うように集中できずに術式が上手く行かずにいる。
中途半端に練られた魔力は、やがて行き場をなくし腕から霧散していく。
「……まだ、ダメか」
今日の疲労はまだ癒えてすらおらず、身体一つを起こすだけで精一杯だ。
緊張から疲れを忘れて立ち上がったは良いものを、冷静になったことで再び身体が重くなる。
息も絶え絶えで、まともに剣すらも振るえない。
その棒立ちの獲物を、ヘルハウンドが逃すわけがなかった。
「────────ゼノン!」
テンの声と共に超速で飛びかかる黒影。
喉にまで迫るその牙を、俺は剣で受け止めるだけで精一杯だった。
「ぐ────────、ぁ、はっ……!」
衝撃を受け流しきれずに吹き飛ばされる。
受け身をとる余力もなく、そのまま干からびた大地へと叩きつけられる。
「しっ────り────ろ!!」
視界が揺れる。頭を打ったからか。耳もよく聞こえず、テンの声がくぐもっている。
衝突をもろに受けた胸は痺れて呼吸が上手くいかない。それでも肺は酸素を求め続けるのだが、それがかえって過呼吸を起こしてしまう。
これでは魔力を練るどころの話ではない。
獣の勝鬨が聞こえる。
しかし、身体は戦えるほどの力を残してはない。
それでも力一杯に身体を起こした先に見えたのは、直ぐそこまで迫ってきている紅の光────
「────────は」
何かを斬り裂く音。
黒影が鮮血に濡れていく。
情けない声を上げ、俺から距離を取るヘルハウンド。
その血が自分のものじゃないのだと把握するには少し時間がかかった。
「……大丈夫か」
テンはマフラーを靡かせ、俺の前に立ち塞がる。
手元の短刀は血に濡れている。恐らくはそれで斬ったのだろう。
周りを彷徨く黒影の胴には、鮮血で彩られた一本の線が浮かび上がっていた。
しかし、まだ余力は残していそうだ。
「すまん。まだ俺は動けないみたいだ」
「……いや、謝るのは私だ。私の荷物のせいでゼノンは力を出せずにいる。本当にすまない」
テンは俯きながら小さな声で俺に謝る。
自分への怒りだろうか、短刀を持つ手は震え続け、赤の雫が渇いた大地へと滴り落ちる。
謝らなくていい。ここでの最善策は生き残ることだ。一人でも生存してギルドに戻り、立て直しを図るべきだ。
最悪のシナリオだが、今の状況を判断するにお荷物一人を抱えて戦うのは得策ではない。
「……テン。俺のことは気にせずにお前はあいつを────」
「────嫌だ、ゼノンは死なせない!」
俺の言葉を掻き消すかのようにテンは語気を荒げ、鋒を黒影へと向ける。
黒影はのっそりと周囲を歩き回り、狩りの機会を窺い続けている。
もう俺たちに残された時間はない。いつ襲われてもおかしくないだろう。
「お前、この状況分かっているのか」
「分かってる。こいつを直ぐ殺してゼノンを助ける」
「……っ、分かってねえよ! お荷物一人抱えて戦うなんてできるわけがねぇだろ!」
「できる! 今度は私が荷物を背負う番だ! ゼノンは黙ってそこで指咥えて見てろ!」
ビリビリと響くテンの叫び。恐らくヘルハウンドと相違ないくらいの大きさ。
その瞬間、俺の身体がぞくりと震え上がる。
ヘルハウンドよりも、ミノタウロスよりも、俺が対峙してきた魔獣の殆どを凌駕するその脅威。
あろうことか、その出元は目の前にいる小さな少女の身体からだった。
「ゼノンに傷一つ付けさせない。ゼノンは血を流さなくていい。ゼノンに痛い思いはさせない」
彼女は腰に吊るした麻布の袋から、コルクで封をされた一つの小瓶を取り出す。
その中には赤黒色の液体が少量。
あろうことか、彼女はその蓋を開けて口元へと流し込む。
それの正体が何かは、俺は直ぐ分かってしまった。
「────痛い思いをするのは、血を流すのはワタシとオマエだけだ!」
ことん、と小瓶が地面へと落ちる。
刹那、辺りに殺気が迸る。
彼女の眼は、紅く染まっていた。
────二つの紅の光が宵闇で交錯する。
獣の叫び声が闇夜に響き渡る。皮膚を斬る音。骨を砕く音。慟哭。衝突。
それは人の戦い方ではない。理性を失った獣だ。お互いが肉を、生き血を求めて身体を貪り尽くす。
戦術などそこにはなく愚直に相手へとぶつかりにいき、満足するまで刃を振るい続ける。
衝突の火花が木霊する。痛々しい音を奏でながら、獣たちはただ思うがままに傷つけていく。
闇に覆われていたことが幾分かの救いだった。でなければその凄惨な戦いを、戦いで傷つく彼女を何もできないまま目の当たりにするのはこの上なく辛いことだっただろう────
「……終わった」
どれくらい時間が経ったのだろうか。
ぐちゃぐちゃと肉を貪り食う音が響き渡った後、人の優しい声が暗闇から聞こえてくる。それに俺は答えることができず、ただ唇を噛み締めるだけだった。
「Bランクほどだったが、前が全然見えなくて手こずってしまった」
ヘルハウンドの首を左腕に携えた少女が、笑顔でこちらにやってくる。
それは彼女の血だろうか、獣の血だろうか。通ってきた後には赤の雫が点々と落ちている。
彼女の身体は直視できないほど傷だらけで、特に右肩の損傷が激しいのかその腕は力なく身体に付いているだけだった。
顔は鮮血に塗れ、口元には何かの肉がこびりついている。
その時、一陣の風が荒野に吹きだす。
朱色に染まったテンのマフラーは風に飛ばされ、やがて常闇へと消え去っていく。
そして、首元にはよく見た咬跡が残されていた。
「…………お前」
「まあ、こんな戦い方したら流石に気付かれるか」
テンは少しだけ苦笑いを浮かべ、俺の隣へと座り込む。血を吸い続けた服がぺちゃり、と音を立て、幾つもの赤の線が地面を流れていく。
思えば、握った手が冷たかったことも、彼女が肉を欲し続けていたことも、匂いで敵を識別したことも、熱い中マフラーを首に巻き続けたことも、全てそうであれば合点がいく。
何故気付かなかったのだろう。いや、無意識にそれを避けたのかもしれない。
何分信じ難いことだ。あの魔族に咬まれて人の生活を営める奴は見たことがない。
そして今、初めて会ったあの時に感じたあの雰囲気は間違っていなかったと確信した。
あの小さな女の子の目の前に、ヴァンパイアに咬まれた仲間たちの顔が思い浮かんでしまったことを。
「────私は、お前たちの言う『眷属』とやらの成れの果てだ」
彼女の紅い眼は、真っ直ぐに俺を見つめていた。