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17. 一人立つは亡骸の上

「――――っ、ぅぁ」


 都合何度目の咀嚼だろうか、噛まれるたびに聞こえる声も段々と弱々しくなっていく。それは同時に、テンの生命の灯も消えかかっていることも意味していた。


「ぃ、ぁっ――――――――」

「っっ、テン!!!」


 だがその微かな声があるということは、今も地獄のような苦しみが続いていることだ。いっそこのまま命が果ててしまった方がいいのではないか、頭の片隅でそう思えてしまうほどの責め苦をテンは受けている。

 そして、


「っ、――――――!」


 存分に堪能して満足したのか、ヒュドラは口に咥えていたテンを無造作に放り投げる。綺麗な放物線を描いて宙を舞ったそれは、身体から零れ落ちる赤の軌跡を空に残しながら俺の目の前にどちゃりと落ちた。

 瞬く間に広がっていく深紅の海を目の前にし、ようやく俺の身体は動いてくれた。


「おい、大丈夫か!?」


 まだ竦んでしまう脚を懸命に前へ前へと押しやり、赤の水溜まりに漂うテンの元へと必死に駆けよっていく。膝を付き、その小さな身体を抱きかかえたその瞬間、


「…………っっ!!」


 あまりの傷の深さに、俺は絶句してしまった。


 ヒュドラとの衝突の最前線にいた右腕は消し飛んでいて、その衝撃を受け止めきれなかったのか、右肩からは動物の(アギト)のように骨がささくれ立っている。その骨はあろうことか彼女の頬をも突き破っており、元の純白の肌の面影すらもない。

 そしてヒュドラの牙が貫いた彼女の腹は文字通り()()()()()。まるでそこには最初から何もなかったかのように、赤の液体だけしかなかったかのように、彼女の下腹部は綺麗さっぱりに消えていた。


「っ、脈は、脈はどうなってるんだ……?」


 震える指を必死に抑えながらテンの首元へと手を置く。

 

 だが、無情にも冷たい彼女の身体はピクリとも動いていなかった。


「こんなの、最上級の魔術でも治るのかどうか……」


 例えこの死地から逃げおおせても、治療を受け入れてくれる魔術師はまずいない。半身からでも再生させることのできる最上級魔術はこの世には存在すれど、それを扱える術者は一握りの魔術師のみだ。町人しかいないウラミアの街に、たまたま偶然一日ほど暇がある稀代の天才魔術師が通りかかる確率などないに等しい。

 つまるところ、テンの助かる見込みはゼロだ。


「……くそっ、くそ!」


 眼前に広がる絶望の景色。真っ赤な海と立ちはだかる大蛇。そして、両腕には瀕死の少女。それらを目の前にしても尚、俺は何もできずに見ていただけだった。

 努力して最善を尽くした後の失敗ならばそこには悲しみしか残らない。いや、最善でなくともある程度の成果が挙げられた上であっても同じだろう。結果に対する悲哀、仲間を失う喪失感。それらは当然かの如く、心の中を曇天のように厚く覆い続ける。


 だが、今の俺はどれでもない。憲兵たちが喰われていく様子を指を咥えて眺め、ヒュドラの覚醒を止めることができなかった。更には仲間であるテンすらも助けられることなく見殺しにしてしまった。

 そもそも俺の立てた策がことごとく裏目に出てしまったからこそ、テンに頼り切ってしまったからこそ、こんな最悪な状況に陥ったのだ。


 最善なんてものは最初からなく、ほんの少しの成果すらも俺の手元にない。この時、俺の胸中に残るのは悲哀や喪失感ではなかった。

 

「……全部、俺のせいだ」


 自分への憤りと、仲間への謝罪だった。


「俺がもっと戦えたら、もっとましな策を立てられたらまだわからなかったはずなのに……」


 虚ろな目は最早何も映してはいない。胸の奥から溢れ出る感情を必死に抑えるために奥歯を噛みしめ、せめてもの償いだとすっかり動かなくなった少女の身体を力強く抱きしめた。

 許してくれ、許してくれと小さな声で呟き続ける。その贖罪が彼女の耳に届いているかどうかも分からないが、それでも俺は謝り続けた。そうでもしなければ、この心はぼろぼろと脆く崩れ去ってしまいそうだった。


 遠くから何かが這いずる音が聞こえてくる。ずるりずるりと、死の牙が俺の元へと近づいてくるのがわかる。

 

「……いっそのこと喰ってくれよ。もう何もしないからさ」

 

 俺の中に灯り続けていた士気はとうに既に消え失せていた。抗う意思も、憎悪の迸りもない。身体の中にはただ、後悔の念しか残されていなかった。


 初陣は、確か8年ほど前だったか。その時から今に至るまで、幸運なことに俺は明確な敗北を喫することはなかった。とあるギルドの下っ端として自由に戦場を駆け抜けていた時も、ギルドマスターとして仲間を背負って戦っていた時も、俺が参加した戦い全てで再起不能になるほどのことはなかった。例え四方八方を敵に囲まれていたとしても、突破口を導き出して生き延びてきた。

 だが今は、勝利への一筋の光明すらも見えない。策も実力も全て及ばず、仲間は瀕死の少女ただ一人だけ。ここから巻き返すビジョンなんてものは俺の頭の中に存在しない。ただ、モノクロな五秒後の死がだけが、俺を嘲笑うかのように映し出されている。


「俺は……本来生きてちゃダメな人間なんだ。仲間を踏み台にして、自分だけ生き残って。そんな奴がのうのうと生きてける道理なんてないんだ」


 思い返せば、俺はたくさんの人を殺してきた。撤退するときに殿を人に任せたり、作戦上敢えて囮の集団を作って敵をおびき寄せたり、自分の手を汚さずに俺は多くの仲間を殺した。正解の道を選べきれなかった俺は今、彼らの亡骸の山の上で生かされているだけで、その山から降りなければいけない時が来た、それだけの話なんだ。


 今、俺がするべきことはただ一つ。積みあがった犠牲の山の上から、見通せないほどの真っ暗闇に包まれた地獄へとこの身を投げやることだけなんだ。

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