13. 二人の策と這いずる水蛇
ぬかるむ地面を蹴り上げ、瞬時に距離を取る。
障害物がない開けた場所で戦うよりも、木々に囲まれた場所の方が自ずと戦いやすくなるはずだ。その首は大きいが故に細かいところまでは届きにくい。
テンも同じ考えだったようで、既に木の上に飛び乗っていた。
「ゼノン! こっからどう戦う!?」
「……取り敢えずは様子見しかない。情報がない以上こっちから仕掛けるのは無理だ」
逸る呼吸を抑えて指示を出す。
知識はあるものの戦闘経験は皆無だ。実戦と訓練では明らかに状況が異なる。まずは出方を窺うべきだ。全ての行動を見てから隙を見つけるしか手立てがない。
「────っ、来るぞ!」
彼女の切迫した声は、地を這いずる音で掻き消えていった。
九つの首は一斉にこちらへと牙を向けている。
木々が朽ちたかのように脆く薙ぎ倒されていく中、紅に浮かぶ瞳孔が俺たちを見据える。
「二手に分かれるぞ! テンは情報収集を最優先にして戦え!」
指示を出すと同時に俺は右へと身体を逃す。
瞬間、
「──────ぐぁっっ!?」
宙に身体が浮かぶほどの風圧が襲いかかる。
咄嗟に受け身の体制をとってぬかるんだ地面へと着地する。
外傷は特にない。だが、
「通っただけであれなのかよ……!」
そう。奴は食べようとしただけ。大きな身体を動かすだけで人間は軽く捻り潰されかねない。
一般人では捕食行動すらも逃げられないだろう。
これが『水蛇』、ヒュドラ。
ヴァンパイアと同格の魔獣たる所以は、その巨躯の他にもある。
「くそ、まだいるよな!」
さっきのは第一頭。
しかし、俺に向けられる眼はあと十つ。都合五頭は未だ沼の中で俺を睨んでいる。まだまだ余力がある、ということだ。
一ノ矢を放てば、矢継ぎ早に二の矢三の矢が飛んでくる。お互いがお互いの隙を埋め合うが故に、大人数で掛かってこられても不利は付かない。
故にSランク。一匹であってもAランクギルド程度は壊滅させることができる力を持っている。
「……『一閃』!!」
術式詠唱。溜めていた魔力を燃焼させる。
出し惜しんではいけない相手だ。魔力の全てを賭して勝たなければならない。
剣の柄を力強く握りしめ、呼吸を整える。
息の漏れるような鳴き声は、辺りの空気を否応なく冷えさせる。それは人の本能からか、蛇の鳴き声を聞くと瞬時に身体が危機感を覚えてしまう。気を付けていても筋肉は一瞬だけ強張る。
その一瞬の隙を狙うかのように、第二頭はこちらに牙を向け────────
「────────遅い!」
不安定な大地を蹴り上げる。
瞬時に大木へと身体を預け、その攻撃を躱す。
「……ぐっ、ぁ、はぁっ!」
直後に吹き上げる風圧を大木を背にして受け切る。
強引だが明快な手順だ。一番の隙であろうその捕食の後が狙える。
しかし、
「……そう簡単にはいかねえよな」
その隙を消さんと第三頭が俺を目掛けて牙を剥く。
沼からおよそ二十メートルは離れているはずだが、その距離を僅か四、五秒で詰められていく。
これでは剣を振り下ろす前に仕留められかねない。
身体が武者震いする。
全力でぶつかってどうにかなる相手ではない。一つ道を間違えれば死すらもあり得るその戦闘はいつぶりだろうか。
命と命のやり取りに萎縮している兵士がどうしてギルドマスターになれるのか。
「いいぜ、付き合ってやる」
第三頭の牙から逃れるように大木を蹴り、更に奥地へと逃げ込む。
それを追いかける様にして、六頭のヒュドラは木々を薙ぎ倒しながら餌を追いかけていった────
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その少女は、言うなれば凧だった。
枝を伝って木々の間を跳び回り、振り下ろされる死の牙をするりと抜けていく。吹き上がる風圧に身を任せ、森の中を勢い良く流されていく。当然、吹き飛ばされれば木に衝突は免れない。
しかし天性の身体能力を持ち合わせているが故か、衝突を察知して受け身を繰り返す。身体を柔軟に使い、その衝撃を身体全体に受け流しながら森の中を駆けていく。
多少の傷は付くが、眷属である彼女は身体の修復能力が異常に高い。擦り傷や打撲程度はものの数秒で修復していく。
人間離れした身体の使い方に、然しものヒュドラもその動きを掴めずにいた。
「……統率の取れた動き」
彼女の小さな呟きは、吹き荒れる風によって流されていった。
決して三頭が同時に動くことはなく、必ず一頭ずつ襲いかかってくる。残りの二頭は追従し、攻撃が外れたのならすかさず第二頭が動き出す。
その相互補完はまるで熟練の分隊のよう。互いの隙を埋め合おうとする。
「異様……」
だがその行動は、彼女に引っ掛かりを与えた。
「……そして東には六頭、か」
大木の太枝に立ち、改めて敵数を確認する。
目の前には三つの首。となれば残り六頭はゼノンの元へと向かっているはず。
彼のいる東の方の森では、立ち上がる砂煙がだんだんと小さくなっていく。どうやら奥地へと誘導する作戦に出ているらしい。
何故、ゼノンは多くを引き連れてテンから離れていったのか。
その魂胆は、彼女にも伝わっていた。
「分かった。お前を信じるぞ」
太枝から脚を下ろし、宙へと舞う。
重力に逆らえずに落ちていく少女を、勿論大蛇が見逃す道理がない。
その口は目の前にある餌へと向けて大きく広げていた────
「攻撃が単調だ」
口元に鈍い痛み。
そしてその口は虚空を喰らう。
途端に、蛇眼に鋭い痛みが走る────
「まずは眼から」
刃渡り二十センチの小さな鋼でも、怪物の眼を潰すくらいならなんてことはない。
餌はあろうことか大蛇の捕食を器用に躱し、紅の眼に刃を突き刺していた。
ずくずくと響き渡るその痛みは、伝説に生きるヒュドラであっても耐え難きものだったのだろう。
九つの首が、一斉に鳴いた。
「────────ぁっ、ぐっ!?」
蛇の鳴き声はジャージャー、と他の動物とは違う特異な音を出す。息の漏れるような声は鋭く、どれほど小さな個体であっても不快感を耳に残す。
ならば、伝説に生きる水蛇は鳴くとどうなるか。
規格外のその大きさの蛇は、無論その声も規格外に大きい。耳を劈く高周波が辺りを響き渡り、一頭ならまだしも九頭全てが一斉に鳴く。
不協和音が、ウラミアの森一帯を覆い尽くす。
「そんな声で鳴かれると困るな……」
出所のすぐ近くににいたテンは、流石に追撃を仕掛けられずに近くの木の太枝へと逃げ込む。一斉に鳴くこともまた防御策の一つなのだろう。
「……でも、痛覚が共有してることが本当なら策は成功だ。この三頭くらいは一人で相手できる」
自然と彼女の口角が上がる。
九つの首があれど元を辿れば一つの身体がある。同じ生命体だからこそ息の合った連携が取れているのだろう。
だがそれは大きな弱点でもある。感覚を共有していれば、自ずと同じリアクションを取る。
現にヒュドラらは一斉に身体をうねらせ、痛みを紛らわせようとしている。
「────隙だらけだ」
その隙を逃さずに、テンは眼を潰したヒュドラの背に乗る。
そしてそのまま、背中を滑りながらながら艶のある背の鱗を縦一文字に斬り裂く。
鳴り響く叫び声と赤に染まる若葉。必死に抵抗しようにもそれすら許さない斬撃。
ある程度背を裂いた後は腹の肉を削いでいく。筋肉を除けば殆どの動物は自重に耐えれずに倒れていくはずだ。
彼の水蛇も当て嵌まったようで、身体を支えていた腹の肉がなくなったと同時に、砂埃を上げながら胴が地に伏す。
地面を這う力も失われた為、今のこれはただの大きな肉塊と化していた。
「……やっぱりゼノンの言う通り、動きを止めればなんてことないな」
短刀に付いた血を振り払い、再び赤に染まった太枝へと飛び乗る。目下では三頭の大蛇が呻き声を上げながらもがき苦しんでいる。最早、目の前にいる餌すらも忘れているようだった。
まさに形勢逆転。飢えた捕食者は力なく地に伏す被捕食者へと成り下がっていた。
────ゼノンは数秒とない短い時間で、ある仮説を立てていた。それは沼地から現れたヒュドラを見たときに気が付いたことだった。
それぞれが独立した固有の意思を持つ存在なのであればバラバラに襲いかかってくるに違いない。わざわざ首を揃え、図ったようにして一頭ずつ襲いかかるのは至難の技だ。仮に司令塔という存在がいたとしても、それら全てを瞬時に指示できるのは神経レベルで繋がっていなければならない。
だからこそ、ある一つの予想が立てられた。
『ヒュドラは痛覚を共有している』
同じ生命体であり、意思疎通ができるのであれば感覚も共有している可能性がある。一つの首が傷を負えば、他の八つの首も同様にして痛みを感じるに違いない。
その予想を信じ、テンにある指示を出した。
「情報収集を最優先にして戦え」
作戦の趣旨を伝えようにも説明する暇がない。中途半端な説明では逆に悪影響を及ぼす。
そのため、テンの気付きを求めたが故に情報収集を最優先にさせた。感覚が共有していること。そして、それを逆手に取れば各個撃破ができるようになること。これらのことが理解してくれれば戦いは勝勢へと傾くに違いない。
その時間を稼ぐために、ゼノンはわざと多くのヒュドラを引き付けて彼女の元から離れていったのだ。
そしてテンはその策の魂胆を理解して、ヒュドラに傷を与えた。
このままでいけば痛がる三頭のヒュドラを簡単に屠り、そして東の森にいるゼノンと共闘して残りの六頭を相手にする。
そう。このままでいけば、の話だ────
「……止まった?」
耳障りな叫びが途端に止んだ。
それと同時に、眼に傷を与えた個体はぴくりとも動かなくなっていた。口をだらしなく開け、片方の眼は何を映しているのかすらも分からない。仰向けになり削がれた腹をこちらに向けていて、戦意が喪失したかのように見えた。
刹那、
「ぁ────────!?」
二頭の大蛇が太枝へと噛みつく。
人一人を支えられるほどの太い木は、脆くその牙によってボロボロと形が壊れていく。
テンは辛うじて飛び降り避けていたが、その風圧によって地面に叩きつけられた。
「…………がっ、痛ぅ!!」
受け身も取れずに背中から落ちていく。
衝撃は胴に集中し、めしゃりと肋骨の折れる音が体内に響く。
「嘘、でしょ……!?」
瞬時に体勢を整えて、降りかかる噛み砕かれた木の破片を避ける。がしかし、思うように身体が動かずに、十センチほどの破片が右太腿に突き刺さる。
「……はぁ、はぁ、痛いなぁもう!」
気の紛らわしに大声で吐き捨てる。
傷は深くないが鈍い痛みが下半身に残る。更に刺さりどころが悪かったのか、どぼどぼと勢いよく鮮血が流れ出ている。
先のような逃げ方はもうできない。
「……さては感覚を切ったな」
四つの紅眼は真っ直ぐに餌を見つめる。
その眼は捕食者特有の蔑みを帯びている。確実にこの獲物を仕留めんと長い舌をしゅるりと巻く。
その代償として一頭の感覚を切断した。痛覚の源を捨てることで、他の個体は元通りの身体へと戻る。
しかし感覚を切断する、ということはその個体を見捨てるということ。単純に考えれば頭数が減るだけでも不利になるこの状況。
それでも、ヒュドラたちは捨てた。
目の前の餌を食さんと。湧き上がるその欲を満たさんと。
その覚悟の表れとして、二頭は大きな咆哮を上げた。




