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紋章の原則 1 ~ 目指せ紋章官

 二回目も世界史概論の担当教諭は不在という連絡が来て、僕は言い知れぬ不安に襲われた。

 このままでは、また一条先輩の紋章学に付き合わされてしまう。

 それは嬉しくもあるような面倒でもあるような、複雑な感情を想起させる。

 みんなの憧れの存在である一条先輩を独占しているような気がして、悪い気分ではない。

 だが、僕のような人間には、一条先輩が釣り合うわけがないという否定的な考えも頭を過る。

 それに、一条先輩は好きなのは紋章学であり、僕はたまたま居合わせただけに過ぎないのだろうという気もしていた。


 一条先輩からは紋章の要素について予習しておくようになんて言われたが、僕が紋章について予習していかなくても、一条先輩は勝手に説明するだろう。

 僕はそのように高を括って、二回目の世界史概論の授業へと向かった。


 教室には、一回目と同様に一条先輩とエリス会長が、それぞれ最前列と最後列の席に座っていた。

 この場合、先に座って待っていたというほうが正確だ。

 チャイムが鳴り終わる前に、僕は以前と同じ場所に着席した。


「さあさあ、騎士の方々、戦支度を整えられよ」


 僕の姿を確認すると、一条先輩は教卓の前に立って芝居がかったセリフを喋った。

 方々といっても僕とエリス会長の若干2名しかいないが、今回も紋章学は続行のようだ。


 せめてこの理不尽な状況でなければ、この魅力的な先輩との時間を手放しで喜べたはずなのに。

 僕は直前にネットで調べておいた、紋章の要素に関するカンニングペーパーを握りしめた。

 たとえ死が待ち受けているとしても、遺書の準備はしておく。

 それが僕のモットーだった。


「星宮君。まずは来てくれたことにお礼を言うわ。ありがとう。私が見込んだだけあるわね」


「授業に来ただけなんですが。というか、僕に見込みあります?」


「目を見れば分かるもの」


 若い弟子を見出す爺の師匠みたいなことを言って、一条先輩は僕の目を見つめた。

 視線が交差したくらいでは、もう僕もどぎまぎしたりしない。


「完全に言い掛かりじゃないですか」


「でも、世界史概論を選択する時点で、多少なりとも歴史に興味があるはずでしょ?」


「それは、その……」


 僕は小さく口ごもった。

 単に不人気な科目を選びたかったからとは言い難い。


「それじゃ、早速始めましょう!」


 一条先輩は黒板に"これからの方針"と書いた。


「まずは目的と目標、目標に至るまでの道程を明らかにしましょう」


「目的はなんとなく分かりますけど」


「そう! 紋章学の実践よ!」


「ですよね」


「次に、第一目標は紋章を解釈できるようになること。第二目標は紋章の記述理論を学ぶことよ。この二つは関係し合うから平行して説明することになるわ」


「目標の難易度はどのくらいですか?」


「アマチュア無線技士と同じくらい」


「幅があるなあ」


「ちょっとは手応えがないとやりがいがないでしょ?」


 そう言いながら一条先輩は話を元に戻す。


「説明の順序は以下のようになるわね」


 1. 紋章の原則

 2. 紋章の構成要素

 3. 楯の形

 3. 彩色

 4. 分割

 5. 紋章図形 チャージ

  5-1. 抽象図形

  5-2. 具象図形

  5-3. 付加図形

 6. 区別 ケイデンシー

 7. 組み合わせ マーシャリング

 8. 紋章官の役割


「各項目について漏れなく全てを語ることは不可能だわ。適宜、掻い摘んで説明するわね」


「でも、それならWikipediaで該当記事を読めばいいんじゃないですか?」


「それでも良いんだけど、Wikipediaだけだと情報が偏ることになるわ」


「それじゃ、直接、Wikipediaの記事を編集すればいいんじゃないですか」


「そこは見解の相違ね。必ずしもWikipediaの執筆ルールに沿うほうが良いとは限らないし」


 僕の意地悪な質問を、一条先輩は軽く受け流した。

 情報の形式に囚われることなく紋章学を普及させたいので、メディアはプレゼンのスライドでもSNSでも構わないというのが、一条先輩の意見だった。

 要するに目的のためなら手段を選ばないという意思表明であり、一条先輩が内に秘めたサイコな精神を感じざるをえない。


「さて、今日は紋章の原則からスタートしましょ。先に断っておくけど、今回の話はあくまでも紋章の原則であって、厳密な紋章の定義とは異なるわ。そこだけ気をつけて」


「……紋章の原則、それはつまり、紋章の記述理論を形作る(コア)


 まるで幽霊のように――ではなく妖精のように、音もなく僕の背後に近寄ってきたエリス会長が言った。


「……紋章は個人のアイデンティティを表し、誰の目からも彼我を区別しうるもの。……それが描かれるのが楯であれ、陣羽織であれ、キャンバスの上であれ、その機能を変えてはいけないのです。……これこそ、紋章の原則」


 エリス会長が僕の耳元で囁く。

 浮世離れしたエリス会長の語り口からは、独特の神秘性あるいは僕と同じ"陰"の気が感じられた。


「具体的には、何が原則にあたるんですか?」


「原則は次の2つよ!」


 - 同一主権領内で、同時に同じ紋章を用いてはならない。

 - 識別しづらいデザインを用いてはならない。


「1つ目の原則はどういう意味ですか?」


「紋章は個人と家門を区別するために描かれたものだってことは言ったわよね。もし、同じ紋章が何個もあったらどうなるかしら?」


「彼我を区別できなくなって、紋章としての意味が無くなってしまいますね」


「そう。だから、紋章が被ったり、勝手に盗用されたりしないように、紋章官が既存の紋章を管理していたの。そして、この原則は親子の間でも適用されていたわ」


「家門が同じなのに、同じ紋章を使えないんですか?」


「使ってはダメ。当主の存命中は、世継ぎであっても同じ紋章を使うことはできなかったの。当主が亡くなってから初めて、その地位と紋章を継承することができたわけ」


「それじゃ、当主が生きているうちは、息子たちはどうしていたんですか?」


「一目で区別できるように、全く別の紋章を使ったり、当主の紋章に付加図形をプラスした紋章を使っていたの」


 例えば、フランス王室では君主は青地に金のフルール・ド・リスを描いた紋章を用いている。

 これがいわば当主の紋章というわけだ。


挿絵(By みてみん)


 一方、フランス王太子とオルレアン公(王太子に次ぐ王位継承者)は、当主の紋章の意匠を踏襲した、別の紋章を使用することになっている。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


 王太子の紋章はイルカの図形からル・ドーファンと呼ばれた。

 オルレアン公の紋章は、君主の紋章の上部に、飾り紐のような図形をプラスしたものである。

 このようにして、同じ家門であっても異なる紋章を使うようにしていた。


「フランス王室くらい権威があって継承順位もしっかりしていればいいですけど、普通の貴族はそんなに紋章を使い分けられなかったんじゃないですか? それに、誰がどの紋章を使うか、管理できたんですか?」


「誰が紋章の正統な持ち主なのかということで揉めたことは多かったの。そういう時は、紋章官が紋章裁判所で判断していたわ」


「紋章で裁判したんですか」


「紋章はそれだけ重要だったということよ。他人はもとより、たとえ同じ家門でも厳密に区別する必要があったというわけ」


「そこまでする必要ってあります?」


「……紋章はただの意匠、知的財産とは違います。……もっと自分と密接なもの」


「例えば、SNSとかで他人に自分の顔写真をプロフィール画像に使われたら嫌でしょ? 紋章も同じ。人の紋章を使うということは、他人の権利を侵害するだけじゃなく、他人を詐称しているといえるのよ」


 そう言われれば、そうかも知れないという気になってくる。


「でも、紋章も同じ家門で継承されるわけだから、当主の紋章からかけ離れた紋章にもできなかったの。付加図形は苦肉の策というわけ。付加図形にもルールがあるけど、それは後で説明するわ」


「分かりました。それじゃ、2つ目の原則はどういう意味ですか?」


「紋章が成立した時期とも関わるけれど、要するに、見辛い紋章を作ってはいけないということね」


「人に見てもらうものなのに、わざわざ見辛くする意味は無いですもんね」


「その通り。戦場では紋章を頼りに個人を特定していたわけだから、見辛い紋章にされたら紋章官が確認に困るという、実用性の問題もあったはずよ。戦場での功労者、捕虜、戦死者を見分けるために、紋章はとても重要だったの。詳しくは彩色のルールで厳密に定義されているから、これも後で説明するわ」


 紋章の原則は、つまり紋章の機能を再確認するようなものだった。

 紋章学も意外に簡単なものかも知れないと思いつつ、僕は一条先輩の次の説明を待った。

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