紋章の起源 ~ 一条先輩は紋章学(アルス・ヘラルディカ)がお好き
学内で男子学生の憧れを一身に集める、美貌の先輩。
デザイン科三年、一条京子。
その評価は容姿端麗、成績優秀、文武両道、向かうところ敵なしといったところだ。
しかし、僕は今、その一条先輩に絡まれている。
ウザ絡みと言っては失礼だが、授業中にいきなり絡まれたら誰だって警戒する。
僕ならそうする。
僕は不安を隠して、一条先輩の次のアクションを待っていた。
彼女は"紋章学"について僕に薫陶を授けると言った。
一条先輩は色とりどりのマーカーを使って、ホワイトボードいっぱいに紋章を描いている。
「紋章っていうと古臭いイメージがあるけど、現代でも紋章は使われているわ。例えば、これ」
「(でかいな)」
「さあ、これは何の紋章?」
「どこかで見た覚えがありますけど」
「そう! イギリス女王エリザベス二世の大紋章よ」
「(まだ何も言ってないんだけどな)」
「星宮君。これを見て気付いたことを言ってみて」
「ぱっと見、派手だと思います」
「でしょ!? でしょでしょ!?」
一条先輩は目を輝かせながら飛び跳ねている。
紋章と違って、見た目のイメージとはまるで違う一条先輩の反応に、僕は困った。
「他には? 他にはどう?」
「なんだかゴテゴテしてますね。装飾過多って感じかな」
「そうなの! この紋章には紋章で使われる要素が余すところなく使われているのよ!」
一条先輩は興奮気味に言うと、僕の両手を握ってぶんぶんと上下に振った。
あまりの力の入りように、僕は手首を痛めた。
「それじゃ、次はこっち」
「帆船が書かれてますね」
「その通り! これは神戸港の大紋章なの。星宮君、ナイスな慧眼だわ!」
「いえ、そこまで言ってないんですけど」
「この紋章は神戸港の開港150周年を記念して作られた、由緒正しき西洋式紋章なの。ここにも色んな要素が含まれている素晴らしい紋章よ」
一条先輩は両手を祈り合わせて恍惚とした表情を浮かべている。
その様子は、まるで紋章に取り憑かれているようだった。
僕はもう一条先輩のペースに任せるしかないと諦めた。
「それじゃ、次はもっとすごい紋章よ」
僕は我が目を疑った。
紋章二つが合体している?
というか、紋章の中にまで紋章が描かれている?
描かれた情報量が多すぎて、何が何だかさっぱりだった。
「どうかしら?」
「」
「これはオーストリア=ハンガリー二重帝国の国章なの。オーストリアとハンガリーの国章が合体しているわ! 変則的紋章の一種ね!」
「」
「因みにオーストリア=ハンガリー二重帝国の正式名称は"帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なるハンガリーのイシュトヴァーン王冠の諸邦"。長過ぎるわよね」
僕が絶句している間に勝手に話が進む。
「一条先輩は紋章、お好きなんですね」
「私はたとえ愛するものを裏切ることになっても紋章を取るわ。でも、そもそも愛するものが紋章だから、裏切ることはありえないわね」
「(そこまで?)」
「星宮君も紋章学の素養があるみたいだし、私たち気が合うと思うの」
「いえ、絶対に違います。さっき説明してたのは全部、一条先輩じゃないですか」
「それじゃ、授業の終わりまで紋章の話を続けるわね!」
「なんでそうなるんですか!」
彼女の言葉を借りれば、紋章学とはヨーロッパにおける紋章に関する営みそのものだという。
紋章学は十一世紀に紋章が生まれてから千年近い歴史がある。
"紋章"とは単純にいえば、個人や家門を識別するためのトレードマークだ。
どうして紋章は生まれたのだろうか。
それは中世の社会の変化に、その一端を見ることができると、一条先輩は説明する。
十一世紀までのヨーロッパの社会は、それぞれ小さな共同体が限られた領域で生活する、閉鎖的で自己完結した社会だった。
農民にとっての世界は領主の支配権が及ぶ土地だけ。
領主にとってもそれは殆ど変わらず、彼らは自分たちの領地に留まった。
商人も遠隔地に行くためには武装した護衛を伴わねばならず、おいそれと旅に出ることはできなかった。
しかし、十字軍が編成され始める頃には事情は変わる。
貴族は王の出征に伴って、領地の外へと出ていくことになっていった。
また、人口増加とともに穀物生産の集約化が図られると、森林の開墾や都市の発生が促進される。
中世のヨーロッパは社会の変化に伴って、人間関係が複雑になっていった。
そうなると、それまでの標章を用いたアイデンティティの確立にも変化が訪れ始める。
結婚とは「他人を家族にする方法である」と誰かが言った。
であれば、閉鎖的社会で拠り所となってきた"一族"という単位は、解釈次第でいくらでも拡大することができる。
父方でも母方でも、あるいは遠い親戚でも、誰でもお気に入りの先祖――伝説的な王のシンボルを持ち出すことができるわけだ。
「誰でも好き勝手に血縁関係を名乗れることは分かりましたけど、家族の繋がりと紋章にはどんな関係があるんですか?」
「中世初期にも、標章を使うという習慣は存在したわ。でも、それは戦争で自分がどの軍勢に所属しているとか、自分が誰某という王の末裔だとか、それくらいの意味合いでしかなかったの」
「その時点ではまだ紋章ではなかったわけですね」
「そうなの。だけど、戦場にいる貴族は皆、勝手に血縁関係をでっちあげて、人気のある王の末裔であることを自慢するの。そして、誰も彼も同じ王のシンボルを使っているわけ。そうしたら、自分のアイデンティティが脅かされていると感じたはずよ」
「軍としての連帯感と、自分自身であるという意識は別だったというわけですか」
たとえ大昔でも、ちょっとでも他人と違うものが良いな、と思うのが人間の性のようだ。
しかし、一族という単位では、最早、自分たちのアイデンティティを規定することはできなくなった。
やがて、貴族たちは血統を限定し、男系のみを特別視するようになった。
彼らは父親から代々受け継がれる血縁関係にこそ、自分たちのアイデンティティを見出したのだ。
男系の意識と同時に、それまで伝説的な先祖を表してきたシンボルとは別に、個人と家門を識別するための標章が生み出され始める。
それが紋章だった。
勿論、それ以前にも集団の連帯感を強める標章は存在した。
いわゆる軍旗だ。
中世の例としては1066年、ノルマン・コンクエスト――イングランドの征服が挙げられる。
時のローマ教皇アレクサンデル2世はノルマンディー公、後のイングランド王ウィリアム1世に十字模様を刺繍した軍旗を贈呈した。
ウィリアム1世と共に戦う兵士たちは、当然、十字模様の意義と、それを掲げる意味を理解していただろう。
兵士たちは、この軍旗の下に集い、これをペトロの御印と見なして戦った。
ノルマン・コンクエストを記録した刺繍画、バイユーのタペストリーにも十字旗を持つ兵士が描かれている。
だが、その旗印の下で戦うということは、ローマ教皇の利益を代表するに過ぎなかった。
対立するイングランド王ハロルド・ゴドウィンソンも同じキリスト教徒ではあったが、彼らに十字の御旗は無かった。
十字旗は同じキリスト教徒を敵と見なして戦うことを正当化するための、方便だったわけである。
軍旗にも集団のアイデンティティを生み出す意味はあったが、厳密な血統を区別する効力は無かった。
家門の意識に基づく、他者と取り違えようのない標章という、具体的な要件を満たすには不十分だったのだ。
そこで紋章が登場する。
「でも、紋章を描いた旗ってあんまり無いですよね。どうしてですか」
「旗は軍旗として既に従来から意味があったからでしょうね。そうすると、個人の持ち物で、紋章を描くスペースとして十分な大きさを持っている楯が選ばれたの」
当初、貴族たちは彼我を区別するため、楯に紋章を描き始めた。
十一世紀当時の楯の実物は残っていないが、貴族の墓碑に紋章入りの楯が描かれている。
1151年に没したアンジュー伯ジョフロワ四世の墓碑は、現在、知られている紋章楯の最古の実例である。
墓碑にはジョフロワ四世が直立して右手に剣、左手に縦長のノルマン式の楯を持った姿が描かれている。
その楯には立ち上がった姿勢のライオンが描かれており、紋章学研究者はこれを最初期の紋章表現と見なしている。
ジョフロワ四世の紋章は孫のソールズベリー伯ウィリアム・ロンゲペーに継承され、彼も同じ紋章を使用した。
この家門における継承性こそが、紋章の実例というわけである。
その後、さらに識別性を高めるため、陣羽織である軍衣や馬の外被である馬衣にも、楯に描かれた紋章と同じ図形が描かれるようになる。
紋章が使われ始める時代背景はそんなところだと、一条先輩は言った。
一条先輩の強引な態度と綺羅びやかな紋章に圧倒され、説明は半分も頭に入ってこなかった。