紋章図形 2 具象図形 2 ~ 似ているようで似ていない少し似ているライオン
皆、大好きライオンの紋章。
勿論、大人気であるが故の問題がある。
好き勝手にライオンを描いたり、似たようなライオンが他と被ったり、要らぬ混乱を招く結果となった。
そこで、ライオンの整理、分類によってパターン化が進む。
「つまりライオンの姿勢をデフォルメして、それを分類したってことですよね」
「そうよ。ライオンの姿勢は、頭の向きと体勢の組み合わせによってパターン化されたの。具体的な姿勢は次の通りね」
左後足で立ち上がって右後足を前に出し、前足はそれぞれ前方と上方に突き出す、Rampant。
歩行姿勢をとり、右前足を上げる、Passant。
四つ足で立つ、Statant。
両後足で立ち上がり、両前脚を揃えて上方に突き出す、Salient。
前足を地面につけて座る、Sejant。
後足を地面につけて、前足がRampantと同じ、Sejanterect。
寝そべった姿勢で顔を上げる、Couchant。
寝そべり、顔をうずめて寝るような姿勢をとる、Dormant。
「姿勢だけでもバラエティ豊富ですね」
「これらに加えて、ライオンが走って逃げているCourantという姿勢もあるらしいけど、実物を見たことは無いわね。きっと、逃げるのが得意な動物だったら、Courantの姿勢を取るのかも知れないわ。もし目撃例があれば教えて」
「一条先輩がお目にかかってない図柄の紋章を見つけるなんて、多分できませんよ」
「そんな事ないわよ。ライオンの紋章を見ているうちに、もしかしたら見つけるかも知れないじゃない?」
中世の貴族と違って、僕はそこまでライオン好きではなかった。
偶然、見つけられれば儲けものといったところだろう。
こうした姿勢に加えて、さらに顔の向きにも種類がある。
身体と同じ方向を向いているCoward。
正面を見ているGardant(Guardant)。
後方を警戒して見ているRegardant。
また、上記に加えて、尾にも種類がある。
尾が分かれているForked tail。
分かれた尾が交差しているCrossed tail。
尾に結び目があるTail nowed。
これらの組み合わせによって、Lion、姿勢、顔の向き、色という順番で紋章記述が行われる。
フランドルの紋章のライオンであれば、Lion rampant (coward) sableとなる。
具象図形の例に漏れず、ライオンも姿勢と顔の向きで指定されたパターン以外の部分は、あまり留意されていない。
尾の挙げている位置が高いとか低いとか、顔が怒っているとか笑っているとか、舌の色が異なるとか。
そういった細部の描き方は描き手に任されていた。
「因みに、正面を向いている歩き姿のライオンはフランスやドイツでは豹(レパード)とも呼ばれているわ」
「豹って、ライオンとは違う動物じゃないですか。どう考えてもおかしくないですか?」
ライオンなのに豹。
桜庭が首を傾げる。
同じライオンなのに、どうして豹と呼ぶのだろうか。
「豹と呼ぶようになった理由は諸説あってよく分かっていないの。でも、少なくとも十二世紀中葉には豹の紋章は登場しているわ」
フランスの聖職者ブノワ・ド・サント・モールはトロイア戦争をテーマにした小説で主人公に豹の紋章を与えている。
豹はライオンの雄と豹の雌が姦通して生まれた、庶子の動物と考えられていた。
そして、同時に豹は血に飢えた獣であり、否定的な評価を下されている。
ブノワは古典古代の動物学者の意見に基づいて、主人公を傍若無人な姦通者として描くため、主人公に豹の紋章を持たせたのだ。
しかし、何故、誰がライオンの一形態に豹と命名したのか、理由はよく分かっていない。
そもそも、ライオンと豹を外見で区別することはできない。
Rampant cowardのライオンが描かれ始めた当時、正面向きが誤謬と見なされ、それを豹と見なして区別したという可能性もある。
ライオンを豹と呼び習わすのは紋章学の中だけの話であり、歴代の紋章官たちによって、豹は慣習化されてしまったとも言えるだろう。
いずれにせよ、豹はあまり評判の良い動物ではなかった。
イングランド王の紋章には歩き姿で正面向きのライオン、豹が描かれているが、人びとは「三頭のライオン」と呼ぶことを好んだ。
百年戦争当時のフランスの紋章官たちは、まさにこの豹を強調し、イングランド王の紋章を嘲笑していたという。
イングランド王の紋章への反応からも、豹は私生児として揶揄される対象だったことが分かる。
現れた当初は問題のあった豹ではあったが、今ではすっかり定着した用語となっている。
姿勢と顔の向きの分類によって、ライオンの図像を明確に区別できるようになり、豹をライオンの一形態として認識できるようになったためだろう。
今では歩き姿で正面向きのライオンは、ドイツでは「豹化された」ライオンと呼ばれる。
豹が多い地域はイングランド、フランスのアンジュー家領(トゥーレーヌ、ギュイエンヌ)、ノルマンディー地方である。
「ライオンだけで拘り過ぎですよ。全然、わからないです」
「桜庭さん、貴族が拘っていたのはライオンだけじゃないわ!」
一条先輩のまさかの言葉を聞いて、桜庭が顔を引きつらせた。
動物がライオンだけじゃないことは確かだが、他にもこれだけ好かれた動物がいるというわけだ。
時間が許す限り、動物の話題が続きそうだった。
「次の動物は、鷲よ!」
奇妙な老人の人形を頭に乗せたまま、一条先輩が空を指差した。
その先に飛んでいるのは普通の鳩だった。




