分割 1 ~ 分割するよ、どこまでも
明くる日。
いつもと変わらない通学路。
もうすぐ、何事もなく校門を通過する。
のはずが、街路樹の陰に、見覚えのあるツインテールが飛び出しているのが見えた。
僕は咄嗟に裏門に回ろうかと思ったが、怪しい影が先に声をかけてきて、逃げられなくなった。
「せんぱーい! 遅いですよ~」
ぎこちない笑顔を浮かべた桜庭が走り寄ってくる。
僕たちの様子を学生たちがちらちらと見ている。
なんて恥ずかしいことをしてくれたんだと、僕は心の中で憤った。
しかし、こうして桜庭とカップルを演じることがエリス会長の作戦なのだから、こうした行動を予測して然るべきだった。
「お、おはよう。桜庭さん」
「星宮先輩。舞って呼んでって言ったじゃないですか」
言われていない。
が、そのほうが親しい関係に思える。
桜庭もなんとか気を利かせているのだろう。
しかし、生まれてこの方、女子を名前で呼んでこなかった僕にとって、それは余りにも無謀な試みだった。
無駄に緊張してしまって、とても不自然になってしまう。
僕は学内では恥ずかしいと理由で名前呼びを断った。
「星宮先輩、選択科目では何してるんですか?」
「何って?」
「歴史の橘先生。急病でお休みじゃないですか。その間、何してるんですか?」
「何って、その……」
「一条先輩とエリス会長も取ってますよね、世界史概論」
「そうだけど」
「教えてください。何を、してる、のか」
声を潜めて言うと、桜庭は密かに僕の手の甲を抓った。
脅迫されているようで心中穏やかではない。
桜庭は一条先輩の親衛隊のような存在であり、彼女について隠し事は許さないという意志が感じられる。
「じ、自主勉強だよ。紋章学の勉強」
「紋章学? 何ですか、それ?」
「紋章について色々やるんだよ」
「色々? 一条先輩と色々やってるってことですか? なんて厚顔無恥な!」
「違うよ。桜庭さん、紋章学っていうのは……」
僕が紋章学について概要を話すと、桜庭は腕を組んで唸った。
一条先輩と同じデザイン科でも、桜庭は紋章について知らないようだった。
「もしかして、一条先輩が紋章好きだったって知らなかった?」
「え? いえ、そ、そんなことないですよ。私は一条先輩のことなら何でも知ってるんですから!」
桜庭はそう言って、僕が初めて一条先輩に書いて見せたような間違った紋章を図示した。
これでどうだと言いたげな桜庭を一蹴する。
「やっぱり紋章学について知らないんだね」
「う、うるさいですよ。私も世界史概論、取ることにしましたから、絶対に星宮先輩の鼻を明かしてみせますもんね!」
桜庭は捨て台詞を吐いてデザイン科の校舎へと走っていってしまった。
少なくとも桜庭のほうがデザインの素養はあるわけだし、本当に鼻を明かされても仕方ないだろうなと僕は思った。
四回目の世界史概論、やはり担当教諭は来なかった。
しかし、予定調和の流れの中に、桜庭という新参が加わった。
「一条先輩、これからよろしくお願いします!」
「桜庭さん、任せて! 私が一から十まで教えてあげる!」
桜庭がどれくらい予習してきたか分からないが、エリス会長の意味深な微笑みから察するに、そこまで期待できるものではないという予感がした。
次の紋章学の題目は分割についてだった。
様々な分割線を使って楯の表面を分割する手法によって、単純な彩色でも豊富なバリエーションを生み出すことができる。
例えば、中央で楯を左右に分割し、左右別々の色で彩色するだけでも、基本の7色によって42種類の紋章が描ける。
Y字で三分割すれば、その種類はさらに増える。
この分割線をフランスでは「分割図形」と呼び、ドイツでは単に「抽象図形」としてオーディナリーと一括にしている。
ドイツの紋章記述では四分割のような名詞ではなく「四分割された」という形容詞で表す点も異なる。
分割図形による紋章は単純で識別性が高かったことから、後に船舶の信号旗も分割図形に則った意匠となっている。
「とりあえず、代表的な分割図形を見ていきましょうか。まずは2分割からね」
「因みに、上段の一番左のParty per bendを左右反転させた図形は、Party per bend sinisterね」
「下段は英語じゃないですよね。これはどういう意味ですか?」
「下段の分割図形はフランスだけで使われているもので、イングランドでは使われていないものよ。だから、フランス語で書いてあるの」
ここに書いたものはそれぞれの分割図形の中でも代表的な図形で、線の角度などによってバリエーションが存在する。
「次は3分割」
「次は4分割」
「なんだ、簡単じゃないですか。これくらい私にも分かりますって」
「……分割図形は多彩。……まだまだこれからです」
桜庭が言うと、エリス会長が釘を刺した。
「それじゃ、4つ以上の偶数で分割するパターンも見ていくわね」
「これらをさらに斜めで分割するタイプのバリエーションもあるわ。バイエルンのヴィッテルスバッハ家の紋章なんかが有名ね」
「分割する数に応じて、Bendy of six、Bendy of eightというように細分化されるけど、最初はあまり気にしなくていいわ。ただ、基本的に偶数で分割するものだということだけは覚えておいて」
「いきなり難易度が上がってませんか?」
「こういう分割図形があるってことだけ知っておけば問題ないわよ。あとはパターンでなんとかなるから!」
「……分割する線にもパターンがあります」
エリス会長の呟きに、僕と桜庭は揃って目を見開いた。
それはまさに、無限の可能性への扉が開かれる瞬間だった。




