彩色 2 ~ 黒騎士、赤騎士、緑騎士
彩色について話している間に、母が部屋に入ってきた。
手にはハーブティーと茶菓子を乗せた盆を持っている。
「これくらいしか用意できなくて、ごめんなさいね。司がお友達を連れてくるなんてことなかったから」
「いえ、お気遣いなく。私こそ急にお邪魔してしまって、ごめんなさい」
「いいのよ。一条さんが良ければ、いつでも来ていいからね」
「私も男の子の学友のお家を訪問するのは初めてで、本当にありがとうございます、お母様」
一条先輩は如才なく母と話している。
こういう時に初対面の相手とも淀みなく喋る能力が羨ましい。
母も僕にこんな"器量の良い学友"がいると知って、満更でもない表情を浮かべている。
母は、司のことをよろしくね、などと一条先輩に言いながら、僕の肩を叩いた。
子供扱いされているようで釈然としないが、僕に恋愛経験が無いことは母も知るところだ。
お盆を置いて、母は部屋を後にした。
「お母様は私たちの関係がどこまで来ているのか、これから発展していくのか気にしているみたいね」
「そういうものですかね」
「私たちの関係は星宮君の紋章学の理解如何にかかっているわ! 頑張りましょ!」
「結局、そこに行き着くわけですか」
「いえ、星宮君、貴方は私にとって特別な人よ」
一条先輩が僕の鼻先まで顔を近づけた。
その眼はいつになく真剣なものに見える。
彼女は時折、意図的に僕を照れくさい気持ちにさせようとしてくる。
しかし、今度は近すぎるなどとは言えなかった。
「それは、どういう意味ですか」
「言葉の通り」
一条先輩は少しだけ口元を緩め、座卓の上に置いていた僕の手に掌を重ねた。
その手を通じて、一条先輩の温もりが伝わる。
僕は緊張で背中が汗ばむのを感じた。
僕が一条先輩と?
そんなことがあり得るのか?
「えっと、あの……ちょっと暑いですよね。冷房入れてもいいですか?」
「どうぞ」
これもきっと、一条先輩の思わせぶりな言動の一部に違いない。
僕は自分の逆上せた考えを振り払った。
今は紋章学の時間だ。
一条先輩が愛しているのは紋章であって、僕はただ紋章学に付き合っているだけの存在に過ぎない。
紋章色の概要と歴史的経緯が分かったところで、説明は紋章色の解釈に移った。
紋章色には象徴的な意味が付与されるようになっていった。
シシルという名で知られる紋章官ジャン・クルトワは著書「色彩の紋章」(1435年)で自己の解釈を明らかにしている。
彼が色彩について著書を書いたように、当時の紋章官たちにとって、色彩は議論のテーマとして格好の主題だった。
オーストリアの紋章官ペーテル・ズーヘンヴィルトは宝石とその意味を紋章記述に組み込んだ。
彼の理論をベースにして、イングランドとフランスでは様々な要素と色を対応させる取り組みが始まる。
宝石、植物、金属、四大元素、惑星、曜日、体液までもが紋章色に対応付けられた。
十七世紀以降は以下のような対応が見られる。
金色は太陽とトパーズ。
銀色は月と真珠。
赤色は火星とルビー。
黒色は土星とダイヤモンド。
青色は木星とサファイア。
緑色は金星とエメラルド。
紫色は水星とアメジスト。
単色の楯は紋章学の黎明期には実在したものの、古臭くて識別に役立ちにくいため、好まれなかった。
また、宮廷作法においても、単色の紋章は作為的な一匹狼や意味ありげな態度を示し、否定的な印象を与える結果になった。
しかし、中世の英雄叙事詩では単色の騎士がしばしば登場する。
騎士のキャラクター付けのため、単色の騎士は明快で都合が良かったのだろう。
最もよく扱われたのは黒の騎士、青の騎士である。
「ストーリーの中で活躍するのもこういった単色の騎士だったの」
「確かにゲームとかでも黒騎士はよく出てきますよね」
普段はマイナスの印象がつきまとう黒色だが、ここでは肯定的な意味合いに転じた。
黒色は良い理由で素性を隠すのに役立つ。
序盤で主人公は自分の正体を隠し、戦闘や馬上槍試合で颯爽と姿を現す。
一方で、赤の騎士は否定的なキャラクターを演じる。
好意を向けられる敵が正体を隠した姿であり、後に悪行が露見するパターンが多かった。
陰湿で腹黒く、裏切り者で無慈悲。
そのような不快な性格の持ち主が赤の騎士だった。
緑の騎士も物語に登場することがあった。
紋章では稀な緑色だが、英雄叙事詩では身元が確認できない未知の人物として描かれる。
彼らは若く活発で、同時に大胆不敵な特徴を持っており、規律や秩序に縛られた騎士とは正反対の人物である。
物語の中で、緑の騎士は年少者の師として現れた。
「現代の色のイメージとは隔たりがあるみたいですね」
「彩色の象徴的意味は、当時の世相も反映されているわ」
中世の色彩世界では彩度は控えめで、主に赤・白・黒を基調としている。
その中で黄色や橙は度々、赤と白の中間色、その濃淡差と受け取られた。
古くはこうした暖色系は好まれたが、中世では次第に否定的な見方がされるようになる。
その後の金色や黄色の嗜好に対して、中世初期において黄色は娼婦やユダヤ人の衣装の色、二枚舌の裏切り者の色と認識された。
また、緑色は総じて低い評価しか与えられなかった。
宮廷社会から離れると、「緑の活力」という概念に基づいて、緑には若々しさ、新鮮さ、健康という意味が付与されている。
こうした恩恵を得るには緑の食物が役立ち、薬草、野菜、果実、薬味を摂取することが求められた。
しかし、貴族にとってキャベツやカブといった野菜は農民や貧民の食べ物であり、蔑む対象にしかならなかった。
一方で、春の象徴として描かれる緑には一定の価値が見いだされる。
樹木の若葉、若芽、萌え出す草は宮廷社会の枠組みに組み込まれた。
吟遊詩人が美化する宮廷は、こうした春のイメージの中にあったからである。
しかし、十字軍遠征の際、イスラム教徒たちは緑色の軍旗を持っていたので、騎士たちはこれを嫌悪した。
悪魔の姿も緑や黄緑で描かれ、その印象は悪と結びついている。
青色も当初の評価は低かった。
濃緑色や濃青色の顔料を身体に塗り、毛髪を染めたケルト人やゲルマン人は、ローマ人に野蛮人を連想させた。
中世の青色は長らく濁り、くすんだ色合いだった。
目立つ色の作業着を決して着てはならない農民たちの典型色が青灰色だったのだ。
しかし、十二世紀以降、誠実さを示唆する色として青色の地位は急激に上昇する。
野蛮で原始的という意味は鳴りを潜め、社会で最も人気のある色となった。
当時、新たに栽培されるようになった細葉大青により、輝きのある新鮮な青色が取り入れられ、青灰色と明確に区別できるようになったことも大きい。
今や贅沢色の赤色に代わって、青色が頂点に立ったのである。
輝く色彩に対して、黒色には相反する意味合いが同時に含まれていた。
罪と贖罪、悲嘆の象徴が黒色だった。
信望を帯びた色彩に対して、黒色は謙遜と自制を意味する色として扱われることもあった。
この見解は十四世紀末頃に現れる。
そして、紫色は様々な色調が入り混じった色であり、一概に区別することはできなかった。
十二世紀に至るまで紫色の絹布の交易地だったビザンツ帝国では、紫色は多種多様な色彩を表すのに使われていた。
こうした絹布に由来して紋章学にも紫色が取り入れられたが、紫色がどのような色を指すのか意見はなかなか一致していない。
緋色も紫色と同じ紫貝から抽出した分泌液を用いて染色しており、毛織物自体でも色の混乱があった。
ただし、この染料は絵画には適さないため、紋章学では楯の意匠に用いられることはなかった。
紫色が積極的に取り入れられるのは近世になってからであり、非凡な人物や珍奇ぶりを具現するために好んで用いられた。
紋章色の象徴的意味は二義的なものであり、肯定的な場合もあれば否定的な場合もある。
単色では否定的な見方をされた色でも、組み合わせ次第で良いイメージを連想させることになる。
それが紋章のあり方だった。