彩色 1 ~ 訪問は突然に
デザイン科の校舎の出口で桜庭と別れた後、スマホにメッセージが届いた。
覚えのない相手からだ。
僕は迷ったが、とりあえず削除した。
すると、再びメッセージが届いた。
削除しても削除しても新しいメッセージが届く。
僕は四度目で、薄気味悪いメッセージを仕方なく読むことにした。
送り主はエリス会長だった。
どこで連絡先を手に入れたかは分からないが、知りたくもない。
メッセージの内容は"今日の放課後は速やかに帰宅せよ"。
どういう意味だろう。
しかし、エリス会長の指令に逆らうのは危険に思える。
学内ではどこからか監視されているという恐ろしさもあって、僕は放課後になるとすぐに帰路についた。
帰り道では何事もなく、普段通りに家の門をくぐる。
玄関に見慣れない女物の靴が一揃い、何気なく置いてある。
母の友人が来ているのだろうか。
「ただいま」
「おかえり」
笑顔の母に出迎えられ、僕は鞄を下ろした。
「お弁当箱はそこに置いといていいからね。すぐ片付けるから」
いつも弁当箱を洗うのは僕なのだが。
母はいつになく機嫌が良さそうだ。
「ちょっと部屋が散らかってたから、掃除しといたわよ」
「え? ありがとう」
「司も隅に置けないわね。お母さんにも教えて欲しかったわ」
母は一体何のことを言っているのだろうか。
違和感を感じながらも、僕は自室に入った。
「おかえりなさい、星宮君」
ベッドの上に腰掛けていたのは一条先輩だった。
僕は驚いて壁まで後退りして、強かに頭を壁に打ち付けた。
「一条先輩? どうやって家に入ったんですか?」
「エリスちゃんに頼んで緊急連絡先から調べてもらったの。私が来るって電話したら、お母様もお喜びだったわ。お友達を、しかも女子を家に招くのは初めてだって!」
母親は、男児が絶対に打ち明けたくない情報を、割とコンスタントに漏洩させる生き物だ。
僕は再認識して恐怖した。
「うちの母にはなんて言ったんですか?」
「一緒に勉強するって言ってあるわ」
男子と女子が一方の家で一緒に勉強なんて言ったら、母親の思考回路がどのような結論を導くか、火を見るより明らかだった。
母の世代風に言えば、MajiでKoiする5秒前というやつだ。
しかし、今の問題はそこではない。
「折角来ていただいて恐縮ですけど、一条先輩が僕の家に来てることがバレたら、イミテーション・ゲーム作戦はおしまいだと思うんですが」
「大丈夫。尾行は巻いてきたわ」
「尾行?」
「尾行者は後で桜庭さんが始末するから安心して」
「おっと、なんだか物騒な話になってきたぞ」
そんなことより、と言いながら、一条先輩は鞄から色とりどりの紋章が描かれた資料を取り出した。
「今日は桜庭さんが来て授業中に話しそびれちゃったから」
「そのためにわざわざ?」
「そうよ」
そうだという予感はしていたが。
やはり、一条先輩が愛するのは紋章だけのようだ。
少し寂しい気持ちはあるが、僕と一条先輩が恋愛関係に至っていないことだけは確認できた。
「これから紋章の色について話すわ」
「色、ですか」
「紋章の色について、星宮君はどんなイメージを持っているかしら?」
「日本の家紋と比べると、紋章ってカラフルですよね」
「そうね。家紋が単色であるのに対して、紋章では複数の色を組み合わせて使うことが殆どよ」
同じ紋章を使えないということもあって、紋章には色を組み合わせる必要性もある。
しかし、だからといって好き勝手に色を使っていいわけではない。
楯の形が比較的自由だったのに対して、色と図形の使用には厳格な規則が存在するのだ。
「紋章を描く対象は必ずしも楯ではなかったし、その形状が変化することもあるわ。だけど、その中に描く紋章の色と図形は、どんな紋章官であっても、たとえ見たことがない紋章であっても正確に解釈できるものでなくてはならなかったの」
紋章が生まれた当初は、日常語で紋章を表現することも可能だった。
しかし、紋章が複雑になるにつれて、それらを正しく記述することが必要になってくる。
そこで考え出されたのが、規則に従った「紋章記述(紋章解釈)」と、そのために使われる専門用語の創出だった。
紋章を記述する概念を示す専門用語が最も早く発展したのはフランスで、十三世紀初期には専門用語が確立されつつあった。
こういう時はラテン語が使われるように思えるが、古典ラテン語では紋章の色彩に依拠する単語が無かったため、宮廷の言語であるフランス語が取って代わったということである。
その後、十三世紀後半には紋章の先進国――フランス、イングランド、ドイツで専門用語が普及した。
宮廷文化を担う紋章学においては、色彩の単語、紋章色も雅で豪華なものが求められた。
実用上、金色は黄色で置き換えても問題は無かったが、たとえ黄色でも「金色」と呼び習わしている。
劣等な世界から宮廷社会を明示的に分離し、紋章を解釈するためには、高貴な単語を使わざるを得なかったのである。
「色にフランス語の専門用語をあてるんですか。難しそうですね」
「そうよ。だけど、識別性を高めるという原則に沿って、色も扱われていたの。だから、用いられた色は少ないわ」
紋章を識別しやすくするため、使用できる色は限られている。
金属色2つ、「銀色(Argent)」、「金色(Or)」。
原色5色、「赤色(Gules)」、「黒色(Sable)」、「青色(Azure)」、「緑色(Sinople)」、「紫色(Purpure)」。
最初の5色はどの時代、どの地域でもよく用いられる基本色である。
緑色の使用頻度は低く、紫色はさらに珍しい色となる。
この7色に加えて「赤紫色(Murrey)」「深紅色(Sanguine)」「黄褐色(橙)(Tenné)」が使われることもあるが、これらは例外的に用いられた例しかない。
これら他に3種類の毛皮模様、「アーミン(Ermine)」、「ヴェア(Vair)」、「キュルシュ(Kürsch)」が取り入れられている。
「紫色って、本当に合ってるんですか? モンハンのモンスターの名前みたいになってますけど。パープルの間違いでは?」
「フランス語だから、これで合っているはずよ。パーピュアとも言うらしいけど、Google翻訳で発音を聞いた限りでは、私の耳にはプルプルって聞こえるわ」
僕は自分のスマホでPurpureの発音を確認した。
「本当だ。プルプルですね」
金色はオール、あるいはオー。
銀色はアルジャン。
この2色は黄色または白色で代用されることもある。
だが、色の違いは特に問題視されていない。
時代によって、同じ紋章でも大きく異なる色調で描かれることも多かった。
しかし、重要なのは色の観念であり、色が同一視されていることこそが重要だったのである。
赤色はギュールズと呼ばれる。
ギュールズは狐や貂の喉頭腔および咽喉を指す名称から派生した単語である。
この高尚な用語は当時からもこじつけがすぎるとして好ましく思われていなかったが、最終的に定着した。
青色はアジュール。
ペルシア語の瑠璃を示す単語から派生している。
このオリエンタルな青色の染料は貴重で、値段も高い。
アジュールは洗練された青色であり、農民たちが使う灰色がかった光沢の無い"ただの青色"とは明確に区別されていた。
十三世紀末になって、ようやく黒色はサーブルと呼ばれるようになった。
ギュールズと同じくサーブルも獣と関係があり、黒貂の毛皮に由来があるらしい。
黒貂の毛皮は非常に貴重かつ高価であり、そこから宮廷社会と結びついたといえる。
しかし、黒色は概して煤や汚れ、罪などマイナスの印象を与える色でもあった。
十四世紀の最後になって、ようやく緑色を指すシノープルが現れる。
当初、緑色はヴァートと呼ばれていたが、この単語は突如、姿を消した。
シノープルは黒海沿岸の都市シノプに由来し、その周辺で採掘される黄褐色の土を指している。
シノープルは当初、土の色と同じく、くすんだ赤色として紋章記述に取り入れられた。
それが何故、緑色を指すようになったのかは不明である。
「紫色は残念ながら出自不明だったわ。一説には紫色は紫の染料、ロイヤルパープルの原料になる甲殻類から来ているらしいわね」
毛皮模様には実用的な意味があった。
楯に滑らかな毛皮を貼り付けると、刃が滑りやすくなり、剣戟を受けるのに有効な防御手段となる。
さらに、高価な毛皮で覆われた楯はアイデンティティを表現する手段にもなっていた。
オコジョの冬毛、シベリアシマリスおよび同種のリスの腹と背中の毛皮は楯に掛ける飾りとして人気があった。
これらの毛皮の模様を模した色が、紋章に用いられる。
オコジョの毛皮は全体が白く、尾の先端が黒くなっているため、2色から構成される。
しかし、紋章学的には毛皮模様として1色と見なされた。
楯では毛皮の柄がデフォルメされて、銀地に黒い斑点を3つ、その下に杭状の三角形が描かれる。
これをアーミン模様と呼ぶ。
アーミン模様にはバリエーションがあり、黒地に銀色の三角形の逆彩アーミン、金地に黒い三角形の金アーミン、逆彩金アーミン、さらに緑地に金のヴェリーなど、毛皮自体の色から離れたパターンがある。
ヴェア模様はシベリアシマリスの毛皮の両面を意味する。
背中側が青灰色、腹側が白色の2色で構成されており、これも1つの紋章色と見なされていた。
主に青灰色部分が鐘型になっているが、その他の形状(兜型、雲型、縦帯型)と位置に応じて名称が異なる。
ヴェア模様もアーミン模様と同じように本来の毛皮から離れて、様々な色彩のバリエーションが作られた。
キュルシュ模様も同じくシマリスの毛皮である。
アーミンとヴェアとは異なり、キュルシュはあまりデフォルメされておらず、毛皮らしい意匠で扱われている。
毛羽立った灰色のUの字型の曲線が、やや重なり合いながら並んでいる模様によって構成された。
だが、このような色彩を当時の活版印刷や印章の上で再現することは不可能だった。
そこで、彩色の代わりに色彩を示す記号を含めることで、この問題を解決する方針が取られた。
1638年、イエズス会の神父シルヴェスター・ペトゥロ・サンクタにより、色を線と点で表現する方法が確立された。
これをペトゥロ・サンクタの方法と呼ぶ。
図中の色の右側に書かれているのがペトゥロ・サンクタの方法における色の表現である。




