第七夜
彼は山道を歩いていた。半分の月が周辺を照らし出している。
第七夜
彼は山道を歩いていた。半分の月が周辺を照らし出している。馬に乗ろうとしたが、馬を捕まえることができず、彼はそのまま歩いてその里へとたどり着いた。元はと言えば、仏道を精進していた武士の彼にとって、何事も順調であるようだ。妻や子どもがおり、君主に仕えて摂津の国で平和に暮らしていた。しかしある夜、仲間の一人と口論になった。それはお金を取った取らないのつまらない言い争いだったが、「これでは武士の名誉にかかわる。」とばかり果し合いを行うことになった。しかもその結果、彼は自分の地位と名誉を失うばかりか、暮らしも闇夜に埋没させてしまった。つまり彼は果し合いに負けたばかりか、汚い手をつかい人を使って相手を倒そうとしたのだ。それが裏目に出て、君主の知れることとなり自分の身分を剥奪された。しかも「妻と子どもの命ばかりは助けてやるが、一切この国に帰ってこないように。」と言い渡された。妻や子どもと離れ離れとなり、彼は一人山道を歩きながら、唯一残ったのは武士として「この刀ばかり。」というありさま。しかもその刀も途中で出会った猪を倒すためにボロボロになってしまう始末。彼は天を仰ぎ、すべてを呪い恨みののしった。そのとき、ふと天から降りてきたのがその天使であった。「そなたは何もの。」と彼は相手に向かって吠えたが、内心はびくびくとおびえていた。半月が里の麓をようやく見えるくらいに照らし出している。なのに相手は輝くばかりの光と羽、そして輪っかを頭の上にのせているではないか。「何もの。」彼は恐れながらもう一度つぶやいた。すると天使は優しく微笑んで、彼の真後ろに舞い降りた。その瞬間、なぜか彼のすべての人生の重荷、責務、誇り、不安などがもろもろと崩れ去った。そしてとめどもない涙が彼の瞳から流れ落ちる。天使は先ほどから何も喋ってはいない。彼は背中に温かみを感じて、膝まづき「波阿弥陀仏。」と出鱈目に唱えてみたが、どうもしっくりこない。そこで声が聞こえた「イエス・キリストの御名において、そなたは許される。」というのである。何から許されるのであろう、あの果し合いのことだろうか、それとも妻や子どもを養うことができなかった罪のことだろうか。挙句、彼は自分の両親のことを考えた。彼の両親もまた武家の出であったが、豊かな暮らしはできずとも誇りと教育だけは一流を保っていた。剣の腕前が摂津で一番という父の名前に恥じぬように、彼も幼い頃から精進していた。にもかかわらず腕前はいまいちだった。「いっそのことこの子は、仏門に入れてしまおうか。」などと若き日の父親は言ったものだった。だからといって全てを見捨ててしまうほどには不幸ではない。一門というほどの大きさではないが、武家として幕府に仕える身分なのだ。それがどうだろう、すべてを失うばかりか幻聴まで聞こえてくるではないか。彼はわなわなと震えだすと、流れていた涙をすくい取り、それを目の前の地蔵の頭にかけてやった。しかしそれは地蔵ではなく、ちいさなキューピットそのものであった。彼はそんなこととはつゆ知らず、そのあとも道をただ一目散に逃げるように走っていった。そしてたどり着いたのが、その隠れキリシタンの里であった。彼を見た村人は夜間でもあり、お城からの征伐隊の一人であろうかと思ったが、すぐに彼がマリア様の恩寵を受けていることがわかった。なぜなら彼のぼろぼろの背中には真っ赤な十字架のあざが残っていたからだ。「どうぞお入りください。」と村の者たちは言った。そして味噌汁と雑穀米を少しばかり分けてくれた。彼は感謝を示して、それをむさぼるように食べた。「それで。」と村の長が言う。「どこでお会いなされた。」彼が頭を上げると、そこには村人が十数名集まっている。彼らは全員が十字架の首飾りをつけていた。「なにが、でございます。」と彼はようやく口を開いた。「その背中のあざはどこで?」と村長は落ち着いて聞く。彼は自分の背中を気にしながらも、「これは、途中で猪との格闘で負った傷でござる。」とだけ答えた。誰もそれでは納得はしないが、とにかく彼は一夜の恩とばかり頭を下げた。すると「これもイエス様のお導きにちがいありません。どうか、行く場所がないのであれば、このままこの里でお暮らしください。」と村の者たちが口々に言うではないか。これには彼も驚いた。散々な目にあって追い立てられてきた者としては嬉しかったが、さりとて「いやいや、わたしは元々仏道を志そうとしたこともあった身、今さら異教の教えを受けることはできまえせぬゆえ。」と答える。「それはそうでしょうが、どちらにしても行き場所はあるのでしょうか。」と村の者たちが厳かに言うので、しばらくは村に厄介になることにした。するとここの村の者たちは真面目に自給自足の暮らしをしていることがすぐにわかった。たまにやってくる商人たちと取引はするものの、基本的には外界との接触は禁じられている。毎朝毎夜、村の教会で十字を切る。またアーメンというお祈りを唱えるのも、よく考えると仏教と似たものであるな、と彼は思い始めた。何より彼はやがて、村の若い女と恋に落ちた。年齢は一回りも違うが、彼らは愛し合った。「神によって祝福されるでしょう。」という牧師の言葉によって、彼はキリスト教に改宗する。やがて隠れキリシタンの里も幕府により懲罰を受けることになるが、それはもっと先のこと。しかも迫害にあった彼の子孫たちは生き残り、結局はキリスト教の筋の第一人者となり、帰国して摂津の国ばかりか日本中にキリスト教を広めることになる。ただ今のところそれを知っているのは、ぼろぼろの身で山道を歩く彼を後ろから見守る半月の光とマリア様ばかりである。




