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北摂十五夜  作者: ふしみ士郎
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第十二夜

畑は月夜を反射し、水田では蛙たちの合唱が行われている。

 月明かりがふっくらと明るく世界を照らし出している。少年は可能な限り眼をしっかりと開け、窓からその光を眺めていた。畑は月夜を反射し、水田では蛙たちの合唱が行われている。蝙蝠が飛び交い、さめざめとした涙を流している。というのも、その夜はお盆が近く、死者たちの魂が北攝地方にも帰ってきていたからである。そうとは知らず、少年はまるで夢遊病者のように外に出た。そしてふらふらと辺りを歩いては、幽霊たちと挨拶をかわす。しだれ柳が風に揺れ、その様子を見つめている。最初に少年に声をかけたのは、若い女であった。「ねぇお前さん。」振り返ると少年は怖くなり、首を横に振った。「あたしだよ、覚えてないの?」若い女は言った。もう一度、少年は首を振る。「そう、残念だわ。」若い女の幽霊は、柳の木にもたれかかると首を垂れた。「あ、あの。」と少年が言いかけると、その長い黒髪が下に落ちて、首ごところころと転がった。すると少年は駆け出した。すぐに小さな川があって、その周りで柳の木々が風に吹かれている。「ちょっと。」という声に少年が立ち止まると、そこにいたのは二人の青年であった。「はい。」思わず少年は返事をする。その瞬間、しまったと思ったものの彼らはもうすぐ目の前にいる。二人の青年はよく似ているので兄弟のように思われた。「ちょっと尋ねたいのだが。」と二人は少年に言った。「はい。」少年は再び返事をして、また嫌な気持ちがした。なぜなら青年たちの顔にはべったりと血がついていたからであった。「われわれ二人、どちらが強いか決めてもらいたい。」青年二人はそう言うと刀を抜き、差し向かいになった。少年はおぞましいものを見たときの激しい恐怖に襲われた。しかし青年二人は刀でお互いを切りつけ始める。「おお。」「やあ。」などと言いながら刀を振り、血を流し合っている。少年はどうしたものかと天を見上げると、雲間に明るい月も隠れてしまった。「なぁ。」と声がするので少年が振り返ると、青年二人がこちらを睨んでいる。そして血を流しつつ「どちらが強い?」とまだ聞いてくる。「こっち。」と言いながらも、震える指が指し示すのは二人の間の空間であった。「それでは分からぬ。兄か私か。」と弟らしきほうが言うと「はっきりせよ。弟か私か。」などと兄のほうものたまう。それで震える手を引っ込めて、とうとう少年はまた逃げ出してしまった。なぜ外に出てしまったのだろうか。こんなことなら家にいたままのほうがよかったのに。少年は泣きながら走った。血も刀も月も嫌いだった。少年は一生懸命走りながら、小さな川を渡りかけていた。すると「待って。」という声がする。それは聞き覚えのある声で、少年は橋を渡る寸前で立ち止まった。「こちらに来てはいけないよ。」少年が向こう岸を見ると、そこにいるのは数年前に亡くなった祖母の姿であった。「おばあちゃん?」少年の頬は気色ばんだ。「お帰り。」祖母はそう言うと手を振った。少年はじっとそこに立ち止まりながら、それが本当の祖母であるかどうか確認する。その優しい顔つきも、低い声も、そして手の振り方もすべてが祖母の懐かしい姿のようだった。「おばあちゃん。」と少年は言うが、彼岸にある祖母の姿は少しづつ薄くなっていく。「お帰りなさい。」祖母はそう言い続けている。少年は悲しくて涙を流していた。そしてぐっと握りこぶしを左のポケットに入れて、後ろを向いた。ただいま、と心の中で唱えながら右手で涙をふいた。ふと天を見上げると、明るい月が再び顔を出そうとしている。「おかえり。」今度は少年が口に出していた。窓の外では月夜にライトが輝き、両親の車がガレージに入っていくところだった。「ただいま。」と母親が言うと、少年はその胸に飛び込んだ。そして父親にも抱きつくと、その晩のいたらぬ夢物語や祖母との再会をとうとうと語りだすのだった。たとえそれが奇想天外であったとしても、両親は小さな息子の話をうんうんと言って聞いてくれた。そして今それを眺めるのは柳の木、蝙蝠の涙、または煌々と光る月の光に照らされたあの世のものたちだけである。


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