第十一夜
月はふくよかに妊婦のような眩しさを携えて、雲の切れ間から顔を出している。
第十一夜
月はふくよかに妊婦のような眩しさを携えて、雲の切れ間から顔を出している。地上ではしとしとと雨が降り続ける。そこへ巨人の足音が聞こえてくる。巨人は北摂地方では有名だったものの、若者が巨人を見たのは初めてだった。「なぁ巨人よ。」若者はおそるおそる声を出してみる。しかしその声は雨の音にかき消されて、巨人の大きな耳には入らなかった。雨の中で巨人が突っ立っているのには理由がある。もちろん天の川まではキョリがあったし、織姫のような美女が待つわけではない。若者は顔を上げて、もう一度声を出してみる。恐怖?若者の胸にあったのは好奇心という光であり、闇を照らす意志の力だった。「おーい、巨人よ。」若者が必死に放つ声量に、巨人もようやく耳を傾けた。「ああ。」下を向いた巨人は足元の人間をジロリと見た。まるで虫けらでも見るように見下ろして、また前を向いた。「おい、巨人よ。なにをやってるんだ。」若者は必死にアピールをした。それというのも、その地方では巨人を見たものは幸運を授かるというだけではなく、さらに「巨人と交流を持つものは世の中を治める」という伝説も言い伝えられていたからだ。「雨にぬれるだろ、こっちに来たらどうだ。」若者が言うと、巨人はゆっくりとそちらを見た。「おお。」若者は傘をさしながら山道を歩いた。巨人はぬれながらも大きな体を揺らして着いてくるではないか。「ここだここだ。」若者は巨大な木が空を覆っている広場へとやってきた。「なるほど。」巨人は頭を低くして、その葉っぱが天を隠すのを手伝った。「ここなら濡れまい。」若者はそう言うと、ヒザをついて座り込んだ。「濡れない。」巨人は少し愉快そうな顔になると、ドシンという音とともに腰をおろした。「なぁ巨人、おれの話しを聞いてくれないか。」若者は大げさな身振りで巨人に話しかけた。「ああ。」巨人はゆっくりと目を閉じると、聞いているのかないのかわからぬように黙り込んだ。若者はここぞとばかり話し始める。「俺は田舎の庄屋の出じゃ。最初は東京に出たけど、地震があったからこの地方にやってきた。関西には縁があったのか、すぐに嫁を得た。それも二番目で嫁で、最初のはすぐに死に別れたからというわけじゃ。」若者は巨人の顔色を伺った。しかし巨人は眠っているようにも見えるし、どうしたものか。若者は少し戸惑いながらも話しを続けることにする。「二番目の嫁が子どもを生んでしばらくすると、戦争になった。あの大戦じゃ。俺は招集こそされなかったが、土地を去らねばならなかった。地元の田舎に戻ったんじゃ。これで俺も終わりかと思った。まぁ田舎は田舎で居心地も悪くない。それでもよいかと思い定めたところ、この地に留まった嫁から連絡があった。早くここに来なければ、商売の機会を失うぞと。ちょうど戦争が終わって一年が過ぎた頃じゃ。」若者は再び巨人を見た。だが顔色一つ変えることなく、巨人はその一つしかない目をしっかりと閉じている。若者は話し続けた。「さっそくこの土地に舞い戻った俺は、何とか一旗あげようと頑張った。そしてある商売で大きな利益を得ると、この地に錦を飾った。すべては順調なようであったが、俺には息子が二人いる。長男は障害を持っている。次男は優秀だが、商売に向いているかはわからない。わしは長男に跡を継がせ、奴に息子ができればいいと願っている。孫の代まで栄えるには、長男のほうがよい。どうじゃ?」若者が巨人に向かって話し終えると、雨の音がしずしずと止んでいくのがわかった。すると巨人はギロリと目を開ける。そして「なるほど。」と立ち上がったと思うと、手を振った。若者が闇夜で目をこらすと、空から舞い降りたのは大鷲であった。ビュンという風とともに、鷲は舞い降りた。そしてあっという間に巨人は大鷲の背中に乗ると、フンと鼻をならしてこう言った。「お前の次男に跡を継がせるがいい。」そして雲の切れ間から見える豊穣な月へと帰っていく。「おお、そうか。」若者は一人納得するような顔つきで、山を降りた。のちにその地方の豪商となった彼は、跡取りを二人目の息子に譲った。その次男の嫁は三人もの男子を身ごもり、一族は後々まで権勢を振るいその地方を治めたそうである。




